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口は災いのもと3-2

 そろそろ部活に顔を出さないと不味いかもしれない。夕子はここのところ部活をサボり続けている。五日間は顔を出していない。部長の頭から角が生えてくるのも時間の問題だろう。

 いや、既に羅刹と化していてもおかしくはない。

 夕子の所属する軽音楽サークルはオカルト研究部と同じく、三人構成の弱小サークルだ。あまり休みすぎると廃部になりかねない。

 そんなことになれば殺される。あの鬼のベーシストは容赦なく夕子を殺すだろう。

 夕子は身から出た錆を嘆きながら仙台駅構内をうろついていた。

 東口へと続く渡り通路にはチェーンの喫茶店や薬局、ゲームセンターなどに続く横道があり、夕子の目を引く。しかし日が沈むまでもう間もない。寄り道をしている暇はない。このまま現場周辺をうろつこう。

 夕子は歩みを進める。

 それにしても、口裂け女なんて居るのだろうか。

 いや、居る居ないはどうでもいいのだ。夕子は非日常が欲しかっただけだ。

 非日常とは何だろう。

 学校は日常だ。授業を受けて、部活に勤しむ。そこで何が起きようと日常は日常だ。万が一起こるとすれば異常だろう。

 夕子は異常が欲しい訳ではない。あくまで非日常が欲しいのだ。

 日常ではない事柄。


 それは——


「雪ちゃんとおしゃべりすることだな。うん、間違いない」

 戯けた考えのつもりだったが案外的を射ているかもしれない。

 雪乃と夕子の両親は家が隣であることもあって付き合いが盛んにあった。だから、雪乃は頻繁に夕子の家に遊びにきていた。幼少の頃の夕子は、よく世話を焼いてくれる雪乃のことを本当の姉なのだと思っていた。夕子には二人の姉と一人の弟がいるが、二人の姉は幼い長男に付きっきりで、夕子の相手はほとんど雪乃がしていた。

 一番優しかった三人目の姉。それが錯覚だったと気付いたのは夕子が小学二年生になったときだった。

 それでも本当の姉のように慕いつづけた。雪乃も夕子を本当の妹のように可愛がっていた。

 幸せな日常だった。

 しかし雪乃が中学に上がったとき、その日常は突然終わった。


 ——もう私とは関わらないでください


 自分が何を言われているのかわからなかった。

 冗談なのではないかと思ったが、雪乃の冷淡な目は冗談ではないことをはっきりと夕子に伝えたのだった。

 理由を聞いた。何故いきなりそんなことを言うのかと。

 答えは簡潔だった。


 ——あなたが嘘つきだからです


 こうして夕子と雪乃の日常は終わったのだ。

 だからこそ今、夕子と雪乃が関わりを持つということは非日常なのだ。

「私ってば健気だねえ」

 またも戯ける。戯けなければやっていられない。道化なければ生きていけない。

 どことなく憂愁を感じているといつの間にか丁字路まで来ていた。

 ここを左に曲がれば駐車場はすぐそこだ。

「雪ちゃんたち、いるかな」

 電柱に身を隠しながら駐車場へと近づく。

 誰もいないようだ。

 オカルト研究部はまだ来ていないのだろうか。それとも今日は部室に閉じこもっているのだろうか。

 夕日が鮮やかになってきている。そろそろ魔の闊歩する時間帯だ。

 夕子は時間を確認しようと腕時計に目をやる。

 その時、声をかけられた。

「ねえ」

「はい?」


 これは——


「私」


 不味いんじゃないだろうか——


「綺麗?」


 喉を大きく震わせ走り出していた。しかし、恐怖はまだ感じていない。

 この声量が普通に出せればギターボーカルも勤まるのだろうなと気散じたことを考える余裕もあった。それなのに足は速度を緩めない。

 丁字路に差し掛かったとき、体に衝撃が走った。

 何かにぶつかったようだった。鼻の奥がツンとする。夕子が顔を上げるとそこには三人目の姉が尻餅をついていた。

「雪ちゃん……」

 会えた。ほとんど流れに任せて歩き回っていただけなのに。

「雪ちゃーん!」

 雪乃に飛びつく。心情的には嬉しさ半分、恐怖半分といったところだ。

「口裂け女! 口裂け女がでたぁ……」

 雪乃は戸惑っている。

 後ろでは誰かが何かを言っている。恐らくオカルト研究部の部員の誰かだろう。しかし、今はそれが誰で何を言っていようと関係ない。口裂け女のことだってどうでもいい。

 否、自分で持ってきた話なのだからどうでもいいということはないのだけれど、物事には優先順位というものがあるのだ。

「置いていかれてしまいました。夕子、もう離れてください。人通りが少ないとは言え公の場ですよ」

「嫌だい嫌だい! 離れるもんかぁ!」

 夕子の目的は雪乃と話をすることだ。ここは意地を見せなくてはならない。

「ああもう……何故あなたはこうも場を引っ掻き回すのですか……」

 雪乃は心底辟易した様子でため息を吐き、まるで狼少女ですねと付け加えた。



 *


 東口に設置してあるベンチに腰掛ける。

 隣には雪乃が座っている。なんとか捕まえたものの何を話せばいいのか判らない。どう切り出したものか。

「飴ちゃん食べる?」

「いりません」

 一刀両断だ。雪乃に道化は通じない。こんなことなら話のネタくらいは用意しておくんだったと夕子は後悔する。

 必死で頭を働かせるが、雪乃に拾ってもらえそうな話題は何一つ思いつかない。

「もういいですか? あなたも落ち着いたようですし、私は行きます」

 雪乃は立ち上がり、一瞥もくれずに歩き出す。

「待って!」

 こうなれば最後の手段だ。もうこれしかない。今まで訊きたかったけれど、訊けなかったなかったこと。

 もう訊くしかない、知るしかない。このまま行かせてしまえば、二度と雪乃に話しかけることが出来なくなる。夕子はそう思った。

「雪ちゃんはなんで私のことが嫌いなの?」

 訊いてしまった。後戻りはできない。

 雪乃は立ち止まる。

「あなたが嘘吐きだからです」

 昔言われたことと同じだ。

「私は嘘吐きなんかじゃないよ。そりゃあ清廉潔白の正直者ってわけじゃないけどさ、誰も歯牙にも掛けないような嘘くらいで嘘吐きになっちゃうなんてことはないよ」

 言葉が出せた。ようやく四年前の話の続きが出来る。

「世間は嘘を求めています」

 微妙に脈絡がないような気がする。夕子は眉をひそめる。

「嘘をうまく吐ける人間こそ、一般人の資格を得ることが出来るのです。そして、一般人の資格を得ることが出来ないものは死にます。正直者が見るのは馬鹿ではなく死です。世間には真実なんて必要ないんですよ」

「雪ちゃんが何を言ってるのか全然判んないよ……」

「あなたはそのことを私に気付かせたのです」

 雪乃は夕子の言葉を無視して続ける。

「私が小学五年生のとき、あなたのお婆さまが亡くなられましたね。皆が悲しみに暮れる中、あなただけは泣いていませんでした」

「お婆ちゃんには『自分が死んでも泣くな。悲しいことではないんだ』って言われてたから」

 それは嘘ではない。本当に言われていたことだ。

「そうですね。そしてあなたは本当に泣かなかった。それを大人達は強い子だと言って賞賛しましたね。一方私は『悲しくない訳なんかない』と大人達に食って掛かりました。もちろん大顰蹙だいひんしゅくを買いましたよ。帰宅後、両親に酷く叱られました。しかし私には確信がありました。お婆さまが亡くなられたとき、間違いなく夕子は悲しんでいた」

 夕子は唾を飲み込む。

「そんなこと、ないよ。お婆ちゃんが死んだ事は別に悲しくはなかった……」

「嘘は嫌いです。私にバレてないとでも思っていたのですか? あなた、葬儀中はずっと上の空でしたよ。周りの人間にもうまく立ち回っていたつもりでしょうが、正直痛々しくて見ていられませんでした。葬儀から数週間は遊びにも集中できていないようでしたしね。自惚れさせてもらいますけど、私はあなたの機微を拾う事に関しては誰よりも優れていたのですよ」

「そんなこと……私はお婆ちゃんが死んで……」

 どうだっただろうか。

 正直、あの時の自分の気持ちなど夕子は覚えていない。

「悲しかったかどうか思い出せないのでしょう?」

 夕子の鼓動が跳ねる。

「自分自身に嘘を吐いた代償ですね。まあそんな訳で、嘘がどれだけ世間に認められているか、真実がどれだけ忌避されているかをあなたはこういった経験で私に教えてくれた訳です。因みにお婆さまの葬儀の話は一例に過ぎません」

 嘘は世間に認められている。

 一昨日夕子が考えていたこととは正反対である。不思議なものだと思う。

「でもそれだけ? それだけで雪ちゃんは私のことが嫌いになっちゃうの?」

 それは流石に理不尽ではないだろうか。

「あなたにとっては『それだけ』なのかもしれませんけれど、私にとっては大きなことなのです」

 それに、と雪乃は続ける。

「自覚していないのかもしれませんがあなたは嘘の天才です。常に自分も他人も振り回している」

「訳が、判らないよ……」

 なんなのだろう。酷く具合が悪い。視界がブレる。声がうまく出ない。目の奥が熱い。

 夕子は後悔していた。こんなことになるならば大人しく部活に参加していればよかったのだ。

「もう行きます。さよなら、夕子」

 止めることが出来ない。声が出ない。

 雪乃が遠くなる。最後には丁字路へ続く道へと雪乃は消えていった。

 結局一方的に言葉を押し付けられてしまっただけだった。

 後は自分で考えろということだろうか。

 しかし、夕子は何となく判った気がしていた。

 雪乃には恐らく劣等感があるのだ。

 雪乃は昔から自分の非を認める事の出来る人間だった。正直者だったのだ。

 そんな雪乃が嘘は認められ、時に賞賛されるものなのだと世間を解釈してしまったのならば、それは劣等感を起こすのに充分な理由になる。


 ——あなたにとっては『それだけ』なのかもしれませんけれど、私にとっては大きなことなのです。


 夕子の祖母の一件が一例に過ぎないのだとしたら夕子は無意識に雪乃を傷つけ続けていたことになる。

 雪乃を無邪気に踏みつけていた。それでも長い間、雪乃は笑ってくれていたのだ。

 それに気付かず、夕子は雪乃の精神をすり潰していたのである。そういうことならば完全に自業自得だ。無邪気な加害者より質の悪いものはない。恐らくもう雪乃は壊れる寸前なのだろう。いや、既に壊れているのかもしれない。

「壊したのは……」

 その先は言えなかった。

 言ったら自分も壊れてしまう気がする。


 あーあ、本当に——


「口は災いのもとだよ」 

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