忌憚奇譚16
墓村夕子は考えない。ただ虚空を見つめるばかりだ。
こうしてぼうっとしていると、悲しさも空っぽの中に吸い込まれてそのまま消えてしまうような錯覚を起こすことが出来る。しかし、それは錯覚以外の何でもなく、完全な空虚とはいかないのである。
悲しい。何となく悲しい。それは樹の境遇に同情することからくる悲嘆だろうか。否、やはり幽霊なんて信じられない。では何故こうも泥沼のような悲しみに暮れているのか。きっとそれは、樹自身が破綻した人間だと夕子が気付いてしまったからだろう。自分の期待を裏切られたのだ。神に近いほど無垢だと思っていたあの少女がまさか本当の本当に邪悪な、異常な人間であったとは。だが、そんなことを言ったって誰を恨むことも出来ないのだ。自分が勝手に悲しくなっているだけである。勝手に同情しているだけである。何も出来はしないのに、一丁前に同情だけはする。自己嫌悪が止まらない。
昨晩、姉妹たちとゲームをしても、母に甘えてみてもその自己嫌悪が慰められることはなかった。
「おーい。墓村夕子ー」
何処かで誰かが呼んでいる。
「駄目だ。魂が抜けてる」
「だ、駄目ですよ……! 墓村さん、落ち込んでるんですよ。迂闊に話しかけない方が……」
「それじゃあ練習が始められねえだろうが!」
夕子は虚空を見つめる。
虚空を見つめていると、突然頭に衝撃が走った。
「あだっ!」
「お、魂入った」
打たれた。頭を打たれた。痛みが夕子の脳天を刺激する。
なんて空気の読めない人だろうと夕子は内心毒突く。得意気になっている桃香の後ろでは、太郎が目を覆いながら狼狽えていた。
「何でこんなことするんですか! 私はこんなに落ち込んでるのに!」
「自分で言っちゃうのかよ」
頭を抑えながら半ば涙目になる夕子。そうして遂にぽろぽろと涙が溢れ始める。最近自分は部室で泣くことが多いなと頭の隅で考えた。
「うえーん!」
「ほ、本当にうえーんって言いながら泣く人っているんですね……」
「な、泣くなよ……ほら、イングウェイだぞ……」
CDのジャケットを使って夕子をあやす桃香。太郎は茶を煎れ始めている。
数分の後、今日も今日とて問題児である夕子によって練習時間が先延ばしにされる。
「渋い……」
「し、渋い方が目が覚めますよ」
言わんとしていることは判る。
「で? 今日は何だよ」
桃香が不機嫌そうに夕子を睨みつける。
理由を説明しなければ。しかし、どう説明したものか。狐に化かされましたとでも言えばいいのだろうか。否、それでは説明になっていない。
夕子が倦ねていると、桃香が、何でもいいから言葉にしろと急かしてくる。
「えっと――」
自棄糞気味の夕子。事実をそのまま話して聞かせる。
「はあん。ガキ一人に随分振り回されたな」
桃色に染めた髪の毛を弄りながら桃香がぼやく。
ぐうの音も出ない。しかし、桃香は夕子の言うことを信じているのだろうか。幽霊騒ぎをそのまま鵜呑みにしてしまう人間も珍しい。
「管理会社のガキに騙されたんじゃねえの、お前」
「管理会社?」
「管理会社の子息だったら鍵も手に入れられる状況にあるんじゃねえの? お前はからかわれただけなんだよ」
そうなのだろうか。疑問は残る。確かに人間の仕業とした方が納得は出来るのだろうが、小学生三年生(今となっては本当かも疑わしいが)の女子が親の勤める管理会社の鍵を盗み出すなど、それこそ現実的ではない。
まだしも幽霊騒ぎの方が諦めもつく。
夕子は桃香にそう言った。
「だったら幽霊騒ぎで諦めろ。さっさと練習しねえと、学祭までに間に合わねえだろうが」
「えー、まだ三ヶ月くらいありますよ?」
「後三ヶ月しかねえんだよ。学祭までにプロ一歩手前くらいまで力量を底上げするからな」
「無理に決まってるじゃないですか!」
「うるせえ! 道理を引っ込めれば無理なんて簡単に通るんだよ!」
言葉遊びだ。その言葉はそういう理屈ではない。意味が全く違う。無理なものは無理である。
「新入部員の勧誘も兼ねているんだよ。あたしがいなくなったらここが潰れるからな」
そういえばそうだと夕子ははっと思い直す。桃香は今年で卒業だ。引退だって本当はもうしていてもおかしくはない時期である。
「そうだった……ちゃんとベースやってくれる人入れなきゃ太郎ちゃんが一人になっちゃう」
「墓村さん……ちゃんと来てくれなきゃ……」
「あ、ああ! 大丈夫! 私だって何時までもふらふらしているわけにはいかないからね!」
「そうか。じゃあほら、練習するぞ」
「はーい」
人と会話をするだけでここまで自分を取り戻すことが出来る夕子は何処までも楽観的だった。
恐らく帰り際にまた気落ちするのだろうが、帰って家族と話をして、そうやって人との会話を繰り返していくうちに憂鬱の種も消えていくだろう。
夕子はギターケースを開け、お気に入りのギターのチューニングを始めた。




