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口は災いのもと2

 六朗は旧校舎にある部室へと向かう道中、口裂け女について思案していた。

 岐阜県の山中に出没する鬼女の噂から発生したのが口裂け女である。彼女は様々な移動手段を駆使して全国を駆け回り、時代の色を取り込み、都市に溶け込んだ。日本妖怪のヒロインとも言うべき彼女。しかし、そんな彼女も世代交代を強いられる。引き蘢り問題を取り込んだヒキコさんや携帯電話の要素を取り込んだ怪人アンサーなど、新進の妖怪たちが台頭するにつれ、二〇〇〇年代には鳴りを潜めることになった。それが今になって再燃している。否、再燃というほど燃え上がっているわけではないのかも知れない。燻り。煙が上がっているという程度のものなのかも知れない。もし燃え上がっているのならば、この手の話には耳聡いオカルト研究部部長、荅川とうかわ竜二りゅうじがとっくに話を持ってきているはずである。だから、今はまだ一年生の一部の人間の間だけで語られている噂なのではないだろうか。

 そこまで考えたところで部室に到着した。とりあえずは閑話休題である。

 六朗は部室の扉を開く。すると真正面に先客の姿を認めることが出来た。雪乃である。高校の部室には不釣り合いなソファーに座って文庫本を読んでいる。オカルト研究部に部費は出ていないのだが、先代が残していった多くの備品が存在している。ソファーもその内の一つなんだとか。

 部室の真中には教室用の机を六つ組み合わせた疑似大テーブルが鎮座している。入り口と向かい合わせになっている窓側には例のソファーがある。これはいつ見ても場違い感が否めない。横の壁には扉があり、その先は倉庫になっている。なんでもこの部室はその昔、理科準備室として使われていたらしい。倉庫には先代の残していった備品が置いてある。最初にこの部室に入った際に雪乃の独断で必要のないとされたものは処分してしまったので倉庫の中は整然としている。六朗もそれに異存はなかったので反対はしなかった。

 六朗に気付いた雪乃が顔を上げる。

「こんにちは」

 薄く笑いかける雪乃は窓から差す光を浴びてどこか神々しかった。これでいて意外と毒舌気味なところがあるのだから勿体ないものだ。

「こんにちは、雪乃さん。何読んでたの?」

 特に気になる訳でもないが挨拶ついでに聞いてみる。

「川端康成の『禽獣』です。動物愛護の素晴らしいお話ですよ」

 『禽獣』はそんな話ではなかった気がする。むしろ動物愛護とは正反対の内容だったと記憶しているが。しかし、受け取り方は人それぞれだ。反論するのも野暮だろう。六朗は、そうなんだと当たり障りなく返した。

「相変わらず無感動な人ですね。まあ、あなたに情緒など期待してはいませんが」

 雪乃は機嫌を損ねた風でもなく淡々と言う。

「酷いなあ。僕にだって感涙にむせび泣いた経験くらいあるよ」

 嘘である。

「嘘は嫌いです」

 あっさりバレた。売り言葉に買い言葉のつもりだったが今度は若干機嫌を損ねたらしい。雪乃は口を尖らせている。

「ごめんね。それより、前から気になってたんだけど雪乃さんって誰に対しても敬語だよね」

 一年生の時分からの仲なのだから今更な疑問ではある。しかし、雪乃が不機嫌になるとこの後行われる活動に支障が出るかもしれない。そう六朗は考えて話題をシフトした。謝罪をないがしろにしてしまったことに気付いて一瞬ヒヤリとしたが、雪乃は持ち前の薄笑いで、敬語ではありません丁寧語ですと言った。

 よかった、気付かれてない。六朗は胸を撫で下ろす。

「あなたに払う敬意なんて持ち合わせておりません」

 ほっとした矢先にこれだ。

「じゃあ、なんで丁寧語なの? 結構周りから浮くんじゃない?」

「殿方はこういうのがお好きでしょう。私は自分が美人である事を自覚しています。ですから、こういったキャラクターも栄えると思うんです。まあ要するに殿方へのサービスですね」

 確かに一部の特殊な感性を持つ男子には需要もあるのだろう。しかし、普通の感性を持った者からすればただの変人なのではないか。というか自分で自分のことを美人だとさらりと言ってのけるその自信には感服するしかない。

 しかし、確かに美人であることに間違いはない。百人人を集めればその百人全員が彼女を絶世の美人だと評価するだろう。なるほど雪乃は謙遜しない質なだけなのかもしれない。少しは謙遜した方がいいと思うけれど。いらぬトラブルを招きかねない。

 六朗がそこまで考えたとき、勢いよく扉が開かれた。

「やあやあ皆の衆、集まっているかね」

 よれよれのワイシャツに、ぐしゃぐしゃの髪。不健康で陰気な顔色。一見して堕落していると断ずることのできるほどだらしのない男子生徒が、顔色に不釣り合いな笑顔で室内へと入ってくる。

「遅かったね、竜二くん」

「わりーわりー、教室の清掃が長引いちまっててな。全く、清掃員でも雇えばいいのにな。金あんだから」

 不健康な男はどかりと椅子に腰掛ける。

「じゃあ、さっそく始めましょうか」

 雪乃が文庫本を閉じて言った。

「ありゃ、珍しく怒らないのね。鉄拳制裁覚悟で来たのに」

「清掃ならば仕方がありません。私が怒るのは竜二が沙村さんへのストーキング行為を行った際と、遅れた言い訳に下らない嘘を吐いたときだけです」

「はいはい、改めますよ」

 さて————

 人心地付く。

「では、始めますかね」

 オカルト研究部の部長である荅川竜二は溌剌たる声で会議の開始を告げた。

「今回の噂は伝えた通り”口裂け女”だ。懐かしいもんが出てきたよなあ。化石みたいな伝説だぜこりゃあ」

「そうですね。で、その噂は誰に聞いたものなのですか?」

 雪乃は竜二を急かす

「せっかちなヤツめ。お前の幼なじみだよ。何つったっけな……」

 竜二は人の名前を覚えるのが絶望的に苦手だ。担任の名前もロクに覚えない。

「墓村ですか?」

「そうそう墓村。墓村夕子だ」

「それは本当ですか? なら今回はやめておきません? あの子は嘘八百で生きている人間ですよ」

 雪乃は残念そうにため息を吐いて肩の力を抜く。


「焦るなって。お前の幼なじみがどんな人間かは知らねえけど、実際に口裂け女に会ったのは別のヤツ。助川光太郎ってヤツだ。実際そいつに話を聴いてきたよ。何でも仙台駅の東口から左に行ったところにある高架下で口裂け女に会ったらしい」

 仙台駅は西口に出るとアーケードや歓楽街に続く道がある。一方東口はあまり栄えておらず、アミューズメント施設といった娯楽施設も少ない。

「それって東口の駐車場の辺り?」

 六朗が言う。

 そうまさにその駐車場だよと竜二が答えると雪乃が気怠そうに、今日はそこを調べるのですねと言った。まだ不信の念が拭えないらしい。

「そう。あそこ夕方になると人通り少ねえんだよな。いかにもって感じだ」

 確かにあそこは人通りが少ない。日が陰ってくると高架の影も手伝ってかなり不気味だ。加えて、日の沈みかけた時刻ともなると、隣で歩いている人間の顔も見えなくなる。

「でも情報が少なすぎない? 駐車場にだけ出るって確証はないわけだし。あの周辺ってもともと人通りが少ないから東六番丁辺りまでなら手を伸ばせるよね」

「それから助川くんがみた口裂け女の容姿も気になりますね」

 雪乃も質問を重ねる。

 一度に二つも質問すんじゃねえよと竜二はおどけてみせた。

「まず、場所の特定は完全には出来ない。一応あの近辺で遊んでるガキどもに聞き込みをするつもりだが、過度な期待は禁物だな。情報集めて、後は待つだけの作業になるかも知れん」

 噂の流布に関して子供というのは一流だ。大人ならばくだらいと半ば畏れながらも取り合わないような話でも子供は嬉々として受け入れ、自分の所属するコミュニティに流布していく。情報が少ないうちは子供に聞くのが良策か。しかし、子供の流す噂というのは、否、そもそも噂というものは伝えられていく過程でいらぬ尾ひれがついてしまう。それが子供となれば、かなり突拍子もないものが付け加えられていたりする。

 とは言うものの、そういった噂の究明が活動目的であるのがオカルト研究部なのだから尾ひれに文句は付けられない。それにいい歳をした高校生がいきなり大人に如何わしい噂話をうかつに話せば奇異の目で見られてしまう。それで学校に苦情が入って警告を受けるのもつまらない。

 六朗はそれなりに納得すると、じゃあ容姿の方はと話を促した。

「容姿については、助川のヤツ、はっきりと見たらしいぞ。あの辺暗いっつっても流石に駐車場には街頭があるからな。『ねえ』と声をかけて、『私、キレイ?』とお決まりの台詞を言ってマスクを外したそうだ。口は本当に裂けてたって訳じゃないらしい。傷跡だったんだと。身の丈は覚えていないそうだが少なくとも助川の身長の一七六センチメートルよりは下。見下ろす形になったらしい。顔は全く覚えていないそうだ、そりゃそうだよな。あの有名な台詞を実際に言われたら自然と口元に目がいくよ。髪型は黒のロングヘアだそうだ。腰の辺りまで延びてたように見えたって言ってたな。容姿の情報はこんなもんだ」

 確かに状況は都市伝説として語られる口裂け女に酷似している。しかし、細かな部分に違いがある。口は裂けていたのではなく傷跡で、身長は一七六センチメートルよりも低い。口裂け女は二メートル近い高身長を持っていたはずである。

「そうですね。確かに都市伝説の口裂け女とは微妙に違っています。ただ、あくまで噂ですからイレギュラーな情報や欠けている情報が些細な場合は無視して構わないと思います」

 そうなのだろうか。まだ何か見落としているような気がする。

「よし。それじゃあさっそく現場に行ってみようぜ」

 六朗の感じた違和感は鶴の一声によってかき消されてしまった。

 とりあえず気のせいということにしておこう。

 六朗は思考を放棄し、部室を後にする二人を追いかけることにした。



 *


 六朗は仙台駅東口のベンチに座り、ファストフード店でテイクオフしたハンバーガーの最後の一切れを口の中へ放り込むと辺りを見回した。そして途方に暮れる。聞き込みをするエリアを分けて情報を集める事になったのだが、六朗の担当することになった駅の東口は小学生くらいの年齢の子供が全く姿を見せないのだ。一応制服姿の中高生に話を聞いてみたのだが情報は得られなかった。収穫はゼロということだ。否

、少なくとも中高生の間では口裂け女の噂や不審な人物の情報は出回っていないと判っただけでも収穫か。

 前向きになったところで携帯電話の振動が着信を告げる。六朗は着信音を設定していない。常にマナーモードだ。今の時代は何処へ行っても、着信音が鳴るのはマナー違反となってしまう。それならば最初からマナーモードにしておいた方がいちいち切り替える手間が省ける。

 六朗は声を封じられた端末を開く。竜二からだった。一度情報を整理したいので現場である駐車場に集合するようにという旨のメールだった。

 やる事がなくなって暇を持て余していた六朗には渡りに船だ。さっそく向かうとしよう。

 それにしても、あまりに情報がなさすぎる。竜二と雪乃の収穫がどの程度あるのかは判らないが望みは薄いだろう。この近辺の中高生が知らないということは不審者情報の通達はないということだ。つまり、助川は最初の被害者という事になる。最初とはいかずとも初期の被害者であることには間違いない。結局もっと被害者が増えないことには調べようがない。不謹慎ではあるが事実だ。オカルト研究部は他人を助けるために噂を調べている訳ではないし、慈善の精神をもつ成熟した人間もいない。

 全ては自分自身の為だ。部員の為ですらない。六朗はそう思っている。竜二と雪乃も同じ考えだろう。

 考えているうちに駐車場が見えてきた。竜二がこちらに向かって手を上げる。雪乃も来ているようだ。

「お疲れ。どうだった?」

 竜二が労いの言葉をかける。

 六朗は調査の結果を簡潔に報告した。

「やっぱりか。駅の出口ってのは人はいるのに生活感がないところだからな。まあそんなもんだろ」

 こんな事を言われると徒労感がないでもないが、東口の調査は念のためだと事前に言われていたので文句はない。それに自分にはこういう役回りの方がしっくりくる。六朗はそう思った。竜二もそれを判っていて六朗を東口の調査にあてたのだろう。六朗は構わずに話を進めることにした。

「竜二くんの方はどうだった?」

「いや、こっちも何もなし。子供はいたが実のある話は何もなかったよ。最近の子供は口裂け女のこと自体知らないみたいだな」

 これは意外だと六朗は少し驚く。竜二が無収穫で調査を終えるなど前例がない。これは難航しそうだ。

「で、雪乃はどうだったんだ?」

 最後に竜二が雪乃に振る。

「私の方は収穫ありです。情報集めで竜二に勝つとは思いませんでした。少し優越感を感じます」

 勝負だったのか。ならば自分は全戦全敗なのだろう。そう思い六朗は何となく肩を落とす。

「マジか。こりゃ期待だな。続けてくれ」

 竜二は勝負であることには触れずに、目を輝かせて話を促す。

「ええ、期待してくれていいと思います。なんせ実際に口裂け女の被害にあったという人から聞いた話ですから」

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