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忌憚奇譚5

 帰宅した六朗を待っていたのは母親の手料理だった。

 何時ものことながら、当たり前のことながら、ありがたいと思った。こうして何の不自由もなく暮らせていることに感謝が尽きない。自分は随分恵まれているのだなと改めて六朗は思う。

「贅沢だよなあ、全く」

「ん? 何か言った?」

 母が反応する。

「いや、別に。何でもない」

「何だよー。気になるなあ」

 箸で六朗を突つく母。

「母さん、行儀が悪いよ」

 窘めると母は、こいつは失礼と言って箸を引っ込めた。

 人の親ともあろう人間がマナーを無視するというのは何とも遺憾だが、こういうやり取りも、母が自分をもう子供として扱っていないということなのだと六朗は解釈している。

「あんたは自分の思ってることを話さない節があるねえ。反抗期もなかったしさ」

 確かになかった。

 とは言え、自分の気持ちを押さえ込んでいるわけではない。特に反抗しようと思ったことがないだけだ。だいたい、これだけ恵まれた環境にあって、何に反抗しろというのか。

「反抗とか、よく判んないよ」

「昔っからそうよ。我が侭言わないし、叱られて泣くこともなかった。素直も素直。手はかからないけど、ちょっと心配だなーとかお母さん思っちゃう」

 思い当たる節はある。六朗は叱られて泣くことなんかなかった。しかし、それは自分が子供で、未熟であると判っていたからだ。

 例えば小学生の時分、サッカーボールで壁当てをして遊んだことがあった。縛り地蔵の下のスポーツ公園だった。六朗は、スポーツ公園なのだからこういった遊びもありなのだろうなと思っていた。しかし、ボールの音が響いてうるさいと近所の老人から怒鳴られたのだ。スポーツ公園という看板が立っていることを考えれば、老人の言い分は多少理不尽であったと今は思う。

 とはいえ、ボールの音が響いて騒音になっていたのもまた事実。だから六朗はその時、素直に謝った。特に悔しい思いもなく、ただ老人の言い分に納得したのだ。それは自分が子供だと自覚していたから。もしかしたら知らぬうちに自分が他人に迷惑をかけているのかもしれないと感じていたからだった。

 手がかからないと言えば聞こえはいいが、結局は主体性に欠けているだけなのかもしれない。


 何となく居心地が悪くなったので味噌汁を啜って場を持たせる。

「心配ないよ。何事も平和に越したことはないでしょ?」

「どうかねえ。平和なら平和で不満もあると思うけど」

 何だろう。どうも何時もと会話の質が違う気がする。母は無用な詮索をするような人間ではないはずだ。

「うーん……急にどうしたの? 何かシリアスだよ?」

「急にどうかしたのは六朗の方でしょ。何かイライラしてるように見えるけど。いや、イライラって言うか疲れてそうって感じかなあ」

「まあ今日は部活だったし、作業が多かったからじゃないかな」

 特に苛々はない。六朗はフラストレーションが溜まるような環境にはない。この辺りは友人関係にも恵まれていると思う。

「ふうん、そっかあ。ま、ならいいんだけどね」

 母が納得の意を表したところで気が付く。最近は結構無理をしているかもしれないと。

 無理というほどのことでもないが、らしくないことはしている。

 中学生の頃からある妙なコンプレックス。それを解消すべく、ふざけてみたり、人との距離を縮めようとしてみたりしている。

 馴れないことをしている。とはいえ必要な努力だ。二年生に進級してから、というよりは鶴子に勧誘を受け始めてから六朗は友人に対しての歩み寄りを始めている。それでもまだまだ贅沢な卑屈は抜けないし、昼食は独りなのだが。


「まあ僕だって意外と家の外では不良かも知れないし、そんな心配することもないよ」

「ほお、例えば?」

 例えば、何だろう。

「人の不幸を笑ったりとか?」

「うわあ、そりゃまた歪んだ不良だねえ」

 歪んでいない不良というのもなかなかお目にかかれないと思うが。

「とはいっても、窘めてくれる友達だっているし、大丈夫だよ」

「うん。そっか。じゃあ頑張りなさい」

 納得されてしまった。人の不幸を笑うとはあながち冗談でもなかったのだが。

 しかし、頑張りなさいとはどういうことだろう。何を頑張ればいいのやら判然としない。

 まあ頑張れというのなら、現在取り扱っている問題について頑張ってみようと六朗は考えた。

「あのさ、母さんが通ってた小学校に七不思議とかってあった?」

 サンプルとして過去の七不思議でも集めてみようと試みる。

「うん? 七不思議かあ。随分と懐かしいことを聞くねえ。うん、あったよ。トイレの花子さんとか、赤紙青紙とか、表情の変わるヴェートーヴェンの肖像画とか。まあでも、そういうのって大体七個に収まらないところがあってさ、その結果、数を増やして十七不思議だったよ、お母さんの小学校は」

「変わってるね、十七個もあるなんて。そんなの覚えきれるもんなの?」

「どうなのかな。厳密に十七話あるって訳でもなかったような……例えば、音楽室に行けばヴェートーヴェンの話になることもあるし、ひとりでに鳴りだすピアノの話になることもあるって感じかな。最終的にはそれが合わさってヴェートーヴェンの幽霊がピアノを弾いてるなんて話にも発展しちゃうもんだから、何話あったかなんてもう覚えてないなー。でも、十七不思議って括りは確かにあったよ」

 なるほど。ここで言う「十七」というのは「八百万」と似たような意味を持つのかも知れない。怪談というのはあまりに増え過ぎた。特定の場所に特定の怪異というルールも遵守し難くなっているのではないだろうか。トイレの花子さんは赤紙青紙と同居しなくてはならないかもしれないだろうし、またその二つの怪異は隣人同士かもしれない。

 そうなると先刻竜二が語った都市伝説と怪談の区別も混迷を極めることになる。余計な情報が増えてしまっただろうか。


「なるほどね。ありがとう母さん」

「どういたしまして。さ、食べ終わったらお風呂入っちゃいなさい」

 夕食の時間が終わる。

 六朗は居間を離れ、浴槽へと向かった。

「イライラしてる、か。やっぱりよく判んないな」

 ただ、母が言うからにはそうなのかも知れない。何せ産まれる以前からの付き合いである。自覚のない感情を拾われてしまっても無理に否定は出来ない。

 何故自分はここまでぐるぐると振り回されているのだろう。

 どう考えてみても、やはり原因は昔の友人に行き着くのだった。

「全く、厄介な遺言だね、薫くん」

 天国の友人に向けてぼやく六朗。しかし、薫は天国に行けそうな質でもない。かといって、地獄も似合わない。ならば辺獄かと問われればそれも違う気がするのである。

 死んでも一筋縄ではいかない。

 六朗はそう思いながら湯船に浸かり、疲れを流した。疲れと共に薫の顔もさらさらと流れて行くような気がして、それはそれで安心することが出来た。

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