忌憚奇譚3
「お兄さんたちは何でそんな益体のないのことをしているんですか?」
杉川直は小学生とは思えぬ語彙で六朗たちを批判する。
六朗たちが五橋公園に移動すると、そこには一人、小学生くらいの男の子がトイレの前で立ち尽くしていた。随分長いことその場から動かなかったので、竜二が声をかけると、少年は訝しんだ目をした。
そこで竜二が身分と目的を明かし、直も自分の名を名乗り、今に至るわけである。
「少年、利益があるかどうかは当人でないと判らないもんだぜ?」
「そうですか。でも、僕には大の高校生が七不思議なんて子供騙しを真剣に調べている理由が判りません」
何だか機械のようだと六朗は思う。
話し方は丁寧だ。しかし、丁寧過ぎる。先ほど公園付近のコンビニ前で数人の小学生に話を聞いたが、彼らに比べて直は随分と冷めている。やいのやいのと話の腰を折りまくる少年たちとは反対に、直は整然と受け答えをしている。
「レポートを書くためだよ」
竜二が続けて答えた。
「もうすぐ学祭でなー。そこで出展するもんを繕わなきゃならねーんだ」
「へえ。学園祭で七不思議のレポートなんか提出するんですか? そういう如何わしいのって認めてくれるんですか?」
如何わしいと言われるとぐうの音も出ない。
「ああ。柳田国男、森田正馬に井上円了。色んな人がそういう如何わしいものの研究をしたおかげで、現代に妖怪だとか幽霊なんてモンはほとんどいなくなった。だから、こういうのも結構意義のあることなんだぜ?」
「ふうん。ヤナギダクニオ、モリタマサタケ……知りませんでした」
直は腕を組んで首を傾げる。こういう所作は背伸びをしているようで子供らしいと言えば子供らしい。
「そうか。じゃあ図書館へ行け。あそこはいいぞ。夏は涼しいし、冬は暖かい」
「行ってみます」
素直だ。聞き分けがいい。直からは子供の意地みたいなものが感じられない。
昔の自分に似ている。六朗はそう思った。
「で、直に一つ訊きてえことがあるんだ」
「七不思議のことですか?」
「そうそう。察しがいいのは助かるね」
「僕は七不思議なんて信じていません」
まあそうだろう。彼は七不思議を子供騙しと切って捨てたのだから。
「信じてるか信じてないかはどっちでもいいんだ。どんな噂が流れてるのかが知りたい」
「どんなって……さっきお兄さんたちが説明したまんまですよ。人面犬だとか、呪いのギターだとか」
「その話って微妙に変わってたりすると思うんだけど、どうよ?」
「はい。変わってますね。確か――」
直が説明を始める。
・トイレの太郎くんと花子さんは親に虐待されていた子供の霊で、悪い大人を憎んでいる。
・人面犬に会うと呪われてしまうが、狼が助けてくれることもある。
・口裂け女に、私キレイと質問されたら、自分よりはマシだと思いますと言うと見逃してくれる。
・呪いのギターは悪魔に魂を売ったギタリストのギター。
・地獄に電話をかけると、死んだ後天国に行けなくなる。
・カシマさんはテケテケと友達で、ホームの下から二人で人間の足にについて語り合っている。彼女たちに気に入られると、足を取られる。
・愛宕橋の幽霊は橋から飛び降りた人の幽霊。出会っても安全。特に何をされるでもないが、出会った人に笑いかけて、また橋から飛び降りてしまう。
「ん? 直って八条小学校?」
「はい」
「よく判りましたね、竜二」
雪乃が反応する。
「ああ、俺が八条小学校の生徒に聞いた話と同じだったからな」
確かに今直が語った七不思議はかなりとんでもない方向に変化している。怪異への対策や設定が追加されていたり、本来関係ない怪異が一緒に語られたりしていた。
そこで六朗は思い至る。今流れている七不思議の原型についてだ。確か竜二は、八条小学校が噂の発信源だと言っていた。しかし、竜二が調査を始めた時点で噂は変質しているのだから、原型を知るのは難しいのではないだろうか。それに八条小学校から流れ出た噂がどういった形で他の小学校へと伝わったのかも判らない。これでは益々原型を知ることは困難になる。
六朗はその疑問を口にしてみる。
「ああ、噂の原型な。あれはほとんど俺の推測だよ。小学校別に見て、そこから想像してみたのが部室で説明したやつだ。原型と言っても仮って感じだな。で、話が一番トンデモな感じだった八条小学校を発信源と推測してみたってワケ。変化が一番判りやすいのはカシマさんの話だな。他の小学校では大体カシマさん単体なのに対して、八条小学校ではテケテケと一緒に語られている」
なるほど、と六朗は頷く。
そもそも噂の流布に立会ってでもいなければ、噂の原型を知ることは不可能だろうから、結局推測になることは仕方のないことかもしれない。
「そうですね。最初はカシマさんだけでしたよ。でも、皆好き勝手に話を付け加えて、いつの間にかあんな形に」
「へえ、直くんは噂の最初の形を知っているんですね」
これは僥倖。この辺りで七不思議の原型を改訂して、完全なものにしておいた方が、竜二も論文が書きやすいだろう。
「直くん、教えてくれる?」
「いいですよ。って言っても、さっき竜二さんが言ってたのと同じです。ただ、地獄へ繋がる公衆電話なんですけど、初めは天国へ繋がる公衆電話だったんです。何かネガティヴな方向に話が変わっちゃいましたね」
なるほど。しかし、確かに天国というのはどうも話題性に欠ける。天国に電話をして、誰と何を話すのかというような問題や通話後のペナルティについての後付け。その辺りを広げ難いというのはあるだろう。死者と話すとしたところで、彼ら小学生はまだ身近な死を体験していない場合がほとんどだ。
だから地獄。果たしてこの後、どう噂が変異するのか。悪魔でも出てくるのだろうか。
「なるほどねえ。いやあ、それにしてもよく知ってたな。かなり助かったよ」
「まあ噂を作ったのは僕ですしね。お役に立てたなら幸いです」
「へ?」
混声三部で首を傾げる。
「七不思議って直くんが作ったの?」
「ええ」
短く答える直。
六朗は雪乃に目線を送る。
「さっきは七不思議なんか子供騙しだって言ってましたよね? なのにどうして自分の意にそぐわないような話を作ったんですか?」
「子供を騙してやりたかったからですよ」
「どういうことです?」
雪乃は訝し気な目をしている。嘘は吐いていないと判断したのだろうか。
「妹がこういう話に興味を示すんです。怖い話だとかお伽噺だとかね。話を作ったのは僕ですけど、話を噂として広めたのは多分、妹です」
「妹がいるんですね。でも何故騙してやろうなんて意地の悪いことを言うんです? 仲が悪いのですか?」
少し踏み込み過ぎかなと思う六朗。話が逸れてしまいそうだ。
「別に仲が悪いってことはないですけど……」
どうにも答え難そうである。それはそうだ。いきなり家族の問題に踏み込まれて躊躇のない対応が出来る人間などそうそういるものではない。ましてや、直は子供なのだ。
「まあ、何にしてもだ——」
察したのか竜二が会話に入る。
「話を作った本人がここにいるってんだから、俺らとしては僥倖ってヤツだよなあ。直、もう少し七不思議について話、聞かせてくんねえ?」
「はあ、構いませんけど」
直は雪乃の質問から逃れて少し安堵した様子を見せる。それに合わせて六朗も安心した。何故と言えば、雪乃が仲が悪いのかと訊いた時に、直を取り巻く空気が剣呑なものに変わったような気がしたからだった。
それはそれで六朗の興味を引くものだったが、今回は怪異の正体を暴くような活動ではないので、出歯亀根性は胸の内に仕舞っておく。
雪乃も理解を示したのかそれ以上は追求しなかった。
直と竜二はどんどん情報を交換していく。交換というよりは直の一方的な譲渡といった方が正確かも知れない。
先刻も考えたことであるが、竜二は随分歳の離れた子供との対話の仕方を心得ているようである。幾ら直が大人びているとは言え、話してみればやはり年相応に小学生だということが判る。自分ではとてもではないが手に余ると六朗は思う。
「竜二くんって色々と馴れてるよね」
雪乃に話を振ってみる。
「色々?」
「いや、子供の扱いが上手いというか……」
扱いというと乱暴な感があるけれど。
「ああ。竜二にも妹さんがいますし、私たちが知らないところで子供たちから噂を集めて周っているようですからね。馴れていても別に不思議ではないのでは?」
「ん? 妹? 竜二くんって妹がいるの?」
六朗としては初耳である。
「あなた……本当に竜二の友人なのですか? 友人でなくとも近くにいれば嫌でも知れることでしょうに」
呆れられた。まあ雪乃の呆れも尤もだろう。六朗が一番時間を共にしているであろう友人が竜二なのだ。その竜二の家族構成すら知らないというのは何とも不自然である。否、知らないこと自体に不自然はそれほどない。
竜二のような、所謂フランクな人間ならば、自分の妹を話題として挙げることも当然ある。事実、雪乃は知っていたのだから、話題に挙ったことはあったのだろう。それを聞き流していた自分に不自然を感じるのだ。
六朗が己に対する嫌悪を募らせることは珍しいことではないが、これは流石にぐさりと来るものを感じた。
「何かショック……」
「勝手に落ち込まないで下さいよ……」
「やっぱ考え直した方がいいよなあ……」
「そうですね。あなたが竜二の友人だと、あくまで言い張るのなら、その性格は考え直すべきでしょう」
雪乃は薄く笑って言う。
やはり、そろそろ真面目に考えてもいい頃かもしれないと六朗は思った。
「ありがとなー、直。参考になったよ」
「いえ、こんなもんで良ければ」
どうやら情報収集も終わったようである。竜二は快活に笑って礼を言っている。直は依然乏しい表情で受け流している。
受け流し。謙遜だとか遠慮だとかそういう謙った類いの対応ではない。
全く難儀な小学生もあったものだと六朗は自分を棚に上げて呆れてみる。
最低だなと思ったので表情には出さずに礼を言った。
それも同じく受け流されてしまったが。
「じゃあ、僕はそろそろ帰ります」
「そうかー、気を付けろよー」
竜二が手を上げて見送る。雪乃も手を振っている。
それに合わせて六朗もじゃあねと別れを告げた。
「さあてと——俺たちも一度部室に戻ろうぜ。噂の方は粗方集めたから、後は図書室で文献集めて書くだけだ」
「あ、私はこの後沙村さんたちと約束があるのでここで失礼します」
「え!? 聞いてない!」
確かに聞いていない。しかし、聞いてないといえば、論文を書くことだって部室に集まってから聞いたことである。雪乃としては、約束の時間までのいい暇つぶしのつもりだったのだろう。これに関してはもったいぶって事前に活動内容を伝えなかった竜二に責任がある。
「言うタイミングがなかったものですから」
「結構あったと思うけどなあ……」
「明日からはちゃんと手伝いますから、大丈夫ですよ」
「そうかあ……まあ沙村さんとの約束なら仕方ないよなあ」
納得するポイントはそこなのか。
「あ、僕もお婆ちゃんと約束があるからこれで失礼するよ」
唐突に逃亡を図ってみる。
「貴様は逃がさん! 大体お前の婆ちゃんは千葉県在住だろうが!」
失敗した。と言うか——
「あれ? 何で僕のお婆ちゃんが千葉県に住んでることを竜二くんが知ってるの?」
「お前が言ったんだろうが!」
言ったっけ、と六朗は首を傾げる。
「これだもんなあ……たまにお前との友情を疑いたくなるよ」
気苦労の耐えない部長だなと同情する六朗。
「疑ってかかるべきでしょう」
「いやいや、見くびってもらっちゃ困るよ」
「別に見くびっちゃいねえけどよ……」
それは嬉しい限り。
「私は見くびっていますが」
それは悲しい限り。
「と言うか見限っていますが」
立ち直れないかもしれない。
「まあなんだ——雪乃はともかくとして、六朗には手伝ってもらうからな」
「判ってるよ。軽い冗句さ」
これくらい言っておかなければ友達甲斐がないというものだ。尤も、自分にそんな甲斐性があるとは思わないが。
しかし、それにしたってちゃんとしたいと思うのだ。
ちゃんとしたい。一体どうちゃんとするのかは全く判らないが、それを考える努力ぐらいはしてみようと思う六朗だった。
*
部室に戻った六朗と竜二は早速論文製作に取りかかっていた。とは言うものの、噂の変遷に関する論文というだけでは曖昧過ぎて何が何やら判らない。何か表題みたいなものはないのかと六朗が聞けば、竜二はしばし思案し、『現代怪奇論』でどうだと笑いながら言ってのけた。
余計に判り難くなっている。読者に対しての配慮が一切感じられないうえに、自分たちが何を書けばいいのかすら判らない。
まあ執筆は竜二の担当であるから、文献のまとめを担当する六朗としては本人がそれでいいのなら文句はない。
文献のまとめは——まあ何とかなるだろうと適当に思っておいた。恐らく推敲は雪乃の担当になるだろうから、考え直すならば彼女の意見を聞いてからでも遅くない。とにかく今はやってみるところから始めることにする。
しかし、都市伝説関連の文献というのは決して多い訳ではない。ましてや学校の図書室ともなれば数はかなり限られてくる。なので、単純な怪異譚を集めたような本にも頼る羽目になった。
「やっぱりメディアテークに寄ってから戻ってくるべきだったと思うよ」
六朗は呟く。
メディアテークとは仙台市内にある公共施設である。二〇〇一年に開館、その際に市民図書館はメディアテークへと場所を移した。基本的には芸術作品の展示場所として開かれているが、大方の利用者は図書館の利用を目的としている。
「んなこと言ってもよー、遠いんだよ。それにブルンヴァンくらいなら家にあるし、わざわざ借りることもあるまいよ」
竜二は机から目を上げずに答える。
「僕は持ってないんだけど」
「じゃあ帰りに借りてけ」
「そうしよう」
決心して、六朗も作業に戻る。
一時間、二時間と時間は過ぎていく。一つの会話もなく作業を進める二人。部室にはエアコンの呼吸する音だけが響いている。今にも止まってしまいそうな呼吸だが、エアコンより先に音を上げたのは竜二だった。
「駄目だ。疲れた」
「休憩しよっか。僕も何だか疲れちゃった」
一時休戦。六朗はショルダーバッグから魔法瓶を取り出し、中身をキャップに移す。
「……すいとん」
竜二が絶句する。
六朗は冷房で体が冷えるのを見越して、魔法瓶の中身を暖かいものにしている。
「竜二くんも食べる?」
「いや、ちょっと待って。水筒に——すいとん……」
絶望的な顔色になっていく竜二。
「お前は俺に何を求めてるんだよ!」
「友情かな」
「いや、今はそう言う話はしてない。お前の用意周到なしょうもないギャグに俺がどう反応すればいいのかということを話しているんだよ」
ノリがいい部長だなと六朗は考える。
「そういう反応で充分だよ。気付いてくれただけでも十全」
「やっぱり仕込んでたんだ……」
これも歩み寄りというやつだと六朗は思っている。竜二としては食傷気味なようであるが。
食傷気味とは言っても竜二も体が冷えただろうと、六朗は自分の分ともう一膳箸と魔法瓶のキャップをバッグから取り出し、すいとんを注いで竜二に差し出した。
「準備が良過ぎるだろ。完全に狙ってたんじゃん……」
「雪乃さんの分も持ってきたんだけどね」
「抜かりないねえ」
こうして遠回しにしかスキンシップを取れないとは常々面倒くさい性分である。
鶴子の言う不器用というのはどうにも的を射ているようだった。
しかし、一方雪乃には友情を感じている六朗が胡散臭く感じるらしい。
どちらが正鵠を得ているのかと言えば、どちらも言い当てているのだろうという曖昧な答えしか出てこない。
確かに雪乃の言うことも尤もなのだ。
友情を感じている風に、精一杯嘘を吐いてみせている。それは間違っていない。とは言え、精一杯嘘を吐いてみせるのはそれが実になることを望んでいるからで、決して無意味に吐いている訳ではないのである。
そう考えれば、自分のやっていることはいかにも感情的で、いかにも人間らしいと思う六朗だった。やはり、鶴子の言うことが正しいのだろうか。
「ねえ、竜二くんて妹さんがいるの?」
「お前はホント、何にも覚えてねえのな」
項垂れる竜二はこのまま死んでしまいそうなほど不健康に見えた。
「ごめんごめん。やっぱり僕ってあんまり人の話聞いてないみたいで」
「そもそも聞いてなかったのか……まあ端からお前に聞き耳なんか期待しちゃいねえけどよ」
はあと竜二は溜め息を吐く。
「そう。いるよ、妹。名前は巳辰。中学三年生。クソ生意気だが、そこが可愛い我が妹だ」
「へえ。初耳だ」
「いやだから初耳なはずはねえんだって」
そうだった。
「で? そのみっちゃんの何について竜二くんは話したのさ?」
「いきなりみっちゃん呼ばわりかよ。まあそれはそれであいつも喜びそうだが――そうだな、確か……あれ? 何だっけか」
「竜二くんも覚えてないんじゃない」
記憶力の悪いことだ。
自分のことを棚に上げて六朗は思う。
「まあでも、今度こそ覚えたよ。巳辰ちゃんね。出来ればアドレスなんかも――」
「教えん。お前に妹は渡さんよ」
「義兄さんは狭量だなあ」
「誰が兄だ。お前が義弟とか考えただけでもゾッとするわ」
冗句にいちいち構ってくれる竜二は面倒見がいい。兄としての気質だろうか。一人子の六朗には判らない感覚だ。自分にも兄弟がいれば何か変わっただろうかと六朗は思う。
まあ考えても栓のないことか。
「くだらねえこと言ってねえで、そろそろ作業に戻ろうぜ」
「そうだね」
二人は机に視線を移す。またも静かな時間が流れる。一時間、二時間と。
六朗にとって、こういった活動は初めてに近かった。もしかしたら自分が覚えていないだけなのかも知れないが、オカルト研究部の主な活動は噂の究明だ。それはつまり、お化け屋敷巡りのようなものである。こうして噂の変遷を辿り、書き物をしたような覚えはない。
だから自分が今していることがどう論文に吸収されていくのか判らない。何とも不安定な心持ちである。
まとめている本のページを捲る。口裂け女の項だった。
口裂け女。その歴史はコックリさんに引けを取らないくらいに長い。都市伝説というのはその伝説が産まれる以前の伝承の話型を受け継いでいるものだから、発生時期が何処であるかというのは結構曖昧であるのだが、それにしたって口裂け女は息が長い。長い上に彼女は全国を駆け巡る怪異のヒロインである。マスメディアの発達に寄り添って、人々の口に寄り添って津々浦々を闊歩した。そして実際に口裂け女を模倣した犯罪も起こっている辺り、最も人々を踊らせた都市伝説と言っていいだろう。
口裂け女の模倣。一九七九年六月二十一日、兵庫県姫路市にて、女が包丁を片手に口裂け女のメイクをして周囲をうろつき、銃刀法違反で逮捕されるという事例があった。
しかし、六朗の記憶に新しいのは三井三菜子だ。昔々に自分の知らない土地で起こった出来事よりは、現在自分の住む街で起こった出来事の方が現実感が湧く。それに三菜子は自身の醜貌を憂うという点で、実に上手く口裂け女を踏襲していた。
どうしようかと六朗は一旦ペンを停める。
三菜子のことを事例として扱うのはどうなのだろう。実際の口裂け女に近いとはいえ、三菜子は一般人である。掲載許可も取っていないのに、勝手に論文にその名を記載するのは如何なものか。
恐らく許可を取りに出向けば、彼女の飄々とした性格からして二つ返事で了承をくれるだろう。しかし、六朗は彼女が今何処に出没するのかも判らないし、住所だって知らない。ならば了解の取りようがない。
やはり諦めるか。
六朗はそう決断してノートから三井三菜子の名前を削除した。
「疲れた。もう無理」
またも竜二が音を上げた。
「そろそろ帰る?」
気付けば既に西日が射している。そろそろ校門が閉まる時間だ。
「そうだな」
二人は帰宅の準備をして、エアコンを切り、廊下へ出る。
「竜二くん」
「あん?」
「この先、七不思議はどうなるんだろうね」
結論在りきでなければ論文は書けないのだから、とりあえずここらで竜二の意見を聞いておくことにする。
「まあ、近いうちに語られなくなるんじゃねーの?」
「なんで? 周囲の小学校にも流布してる噂なんだからそれなりに長く続きそうではあるけど」
「この七不思議ってのは、結構適当に出来てるんだよな。ありものの怪異を使って作られているっつったらいいのかな。とにかくメッセージ性に乏しいのも、一つ理由として挙げられる」
確かにかなり雑な作りだとは六朗も思う。
「なるほど。口裂け女とかカシマさんとか、確かにちょっと前に流行った怪談が入っていてもあんまり盛り上がらないよね」
「そう。盛り上がらないんだ。それはつまり不安を煽らないってことなんだな。過去にただのでっち上げだってバレちゃってるヤツらを使ってる都市伝説ってのは二流だよな」
なるほどと六朗は納得する。しかし、納得がいかないこともある。
「でも、事実七不思議は都市に流れているじゃない。子供たちの口に乗ってさ」
そうだ。実際、七不思議は子供たちによって広く語られている。その事実は無視出来ない。
「そうだな。じゃあ都市伝説が長く語られる要因について考えてみよう」
ここで二人は場所を旧校舎から校庭に移す。夕日は赤く、学園を照らしている。竜二の顔の影が濃くなった。
「まずは先にも言ったように、メッセージ性だな。これは外せない。例えばカシマさんであれば、戦中の爆撃の恐怖を描いたものになる」
「カシマさんてそんなに古い怪談なんだ」
六朗はカシマさんを現代妖怪と認識していただけに、戦中まで話が遡るとは思っていなかった。
「ああ。カシマさんといえば足のない妖怪だ。けどそれだけじゃない。火傷の跡も彼女の構成要素として無視出来ないものなんだ」
六朗は、へえと頷いてみせる。
「それから、爆撃で足を持っていかれちまう人が実際にいたこともカシマさんのキャラを立てる要素になっている。これが次の要因。実際に起こったと信じられる要素をもっていること、だ」
「実際に起こったことか。カシマさんだと、足がないまま這いずる人を見て戦いた人がいたってのも原因なのかな」
そうだなと竜二。
「まあこれはあんまり怪談には当てはまらないから、怪異の現れる理由なんかが代案として採用されるんじゃねえかな。カシマさんだったら、戦争で足を失った人間の霊であるとか、鉄道事故で足を失った人間の霊であるとかな。この要素は、口裂け女で説明した方が判りやすいかもしれん。口裂け女は美容整形に失敗してオカシくなっちまった女である、とか」
なるほど、美容整形に対する不安感があれば、手術失敗の憂き目にあってしまった女性がいてもおかしくはなさそうだと思ってしまうだろう。
「そんで最後は魅力だな。これは強烈であればあるほどいい。またカシマさんを例に出そう。カシマさんの一番のアピールポイントは、周りに広めなければ夢に出てくるという点だと俺は思う。これは噂を広める上手い装置にもなっている。カシマさんに呪われたくなければ、三日以内に同じことを五人に伝えなくてはならないってヤツだな」
幸運の手紙や不幸の手紙にもこの装置は使われていたねと六朗は同調してみせる。
「そうだな。ねずみ算式に周りを巻き込んでいく広め方ってのは、四五四年に今の中国で出回った書簡が一番古いとされているらしい。日本だったら多分幸福の手紙なんだろうけど」
幸福の手紙。三十年代に出回ったチェーンメールの元になった手紙である。
「まあそれはともかく、以上三つの要素が噂を広めるための必須要素なわけだ」
メッセージ性のあること、実際にあったと信じられるような根拠を持っていること、強い魅力のあること。
確かに五橋の七不思議はこれらに当てはまっているとは言い難い。
有意義なメッセージ性も感じられないし、既存の怪異を使っているから実際にあったこととは誰も取らないだろう。魅力に関しては個々の感性にもよるから魅力がないとは断言出来ないが、万人がこの話に耳を傾けるとは思えない。
「んー、確かにこうやって並べられれば、竜二くんが、すぐに語られなくなるって言うのも判らないではないよ」
「理解を得られて何より。じゃあここで、何で広まったのかってことだが、これは語り手の問題もあると思うね。怖い話を聞かせる時ってのは身振りや手振り、口調なんかも聞き手を怖がらせるうえで重要になる。だから、流したヤツはかなり話し上手だったんじゃないか?」
竜二は自信ありげに言うが、いまいち得心の行かない六朗。
「どうかな。それだけじゃない気がする。流した子って多分直くんの妹さんだと思うんだけど、小学生がストーリーテラーみたいなことをそう易々とやってのけるかな? それに七不思議は直くんの妹さんの手を離れた後、託された子供たちによって流されることになるよね? 今時の子供たちがみんな話し上手なんてことはないだろうし、広まった原因としてはまだ弱いんじゃないかな」
そもそも都市伝説として語られるならば、語り手のスキルは二の次になりそうなものである。
都市伝説は語り手を選ばない。だからこそ先に語った三要素が重要になるのではないか。
「ははっ、流石六朗。そうだな、小学生に語りの技術なんか期待出来ない。でも直の妹に限っては期待出来るんじゃねえか? 何せ七不思議を広めた本人なんだからよ」
「そうは言ってもやっぱり彼女の語りスキルだけじゃ不十分ではあるんだよね?」
「ああ、そうだな。ならこんなのはどうだ? 時代が関係している、とか」
時代。それは現代の子供たちを取り巻く環境ということだろうか。
「今ってさ、全然ホラー番組やらねえだろ?」
「そうだね。昔は毎週のようにやってたけど」
「うんうん。心霊写真特集とか都市伝説の再現ドラマとか、色々あった」
しかし、今となっては落ち目も落ち目。夏にインターネットの動画投稿サイトから引っ張ってきたような心霊映像が特集されるばかりで、放映の頻度も少なく、都市伝説を特集した番組などはほとんどなくなってしまった。
「今の子供たちは俺たちほど怖い話に触れる機会がない。でも全く無縁って訳でもない。だから根拠のない怪談話も彼らの琴線に触れるんだ」
なるほどと六朗は思う。
需要はあるが供給がされない。子供たちは悶々とするだろう。インターネットで怖い話と調べても、大人たちはそんな話は嘘だから踊らされてはならないと現実塗れなことを言うどころか鼻で笑う態度さえ見せる。これでは集団に流布しようという気すら削がれてしまう。
「じゃあ子供たちは怖がりながら話しているというよりは、楽しみながら話しているって感じなのかな?」
「そうかもしれんな。そうだとするなら、これはただのちょっとした流行だ。トレンディ。まあそもそも都市伝説ってのは流行みたいなモンだけど、これはどちらかといえば怪談。しかも土着性が薄い結構特殊なヤツ」
「なるほどね。でも怪談ってのはそもそも土着性とは無縁じゃないの? ただ単に怖いだけの話ってイメージがあるよ」
「いやいや、怪談ってのは土地の歴史に寄り添うもんだ」
どういうことだろうと六朗は思案する。怪談という言葉は幽霊話や妖怪話を意味している。そこに土地性など関係するものだろうか。
「例えばよ、学校の怪談てのがあるだろ? これは学校に代々伝わっているという体で語られているものだ。じゃあ何故そういう体が出来たのか。それは歴史を提示することで説得力を付けるためだ。学校の怪談は学校の幽霊話とも言い換えられる。だから科学的にまだ怪しいところのある幽霊話を少しでも不気味にするために説得力を付加する必要があるんだな。これは都市伝説とは一線を画すものであると俺は思う。都市伝説には社会性が求められる。必ずしも幽霊譚でなくてはならないという決まりはないんだ。ニャンバーガーとかエイズメアリーとかそうだろ?」
「そうかもね。でも社会性という言葉の中には土着性も内包されているだろうし、同じように都市伝説の中には怪談が内包されているはずだよ。なら一線を画すってのは言い過ぎじゃない?」
指摘すると竜二はくすりと笑って、そうかもなと答えた。割と適当である。
「でも区別はされるべきじゃねえか? 俺は怪談の説明と都市伝説の説明が全く同じになるとは思わないよ」
それは確かにそうだ。先ほどから語っている竜二の論には納得出来るところもある。
「怪談は何処其処でこんな不気味なことがあったという風に語られる。例えば幽霊物件。例えば幽霊トンネル。特定の場所で遭遇した特定の怪異を語るんだ。一方都市伝説は何処であろうと語られる。それが怪談の性質を内包していて場所の指定があろうと、全国で同じ怪異が語られる」
六朗はなるほどと頷く。
「だから五橋の七不思議はどちらかといえば怪談だ。でもこれは最近になって直が妹のためにでっち上げた話な訳だろ? それって実際に長く語られていたような怪談とはちょっと違うよな」
「でも直くんは妹さんに話して聞かせる時『五橋にはこんな七不思議があるんだよ』って感じで話し始めたんじゃない? そうじゃなきゃ妹さんの方も盛り上がらないでしょ? ならでっち上げとは言え、一応竜二くんの言う怪談の体は保たれるんじゃないかな?」
「うん。けど、そういう体でもって、実際に長く語られるのが怪談だと思うんだ。そうして初めてその怪談は都市伝説のカテゴリの中に名を連ねることが出来る。五橋の七不思議が長く語られる可能性だってないではないが、先に挙げたような三要素を含んでいないからこの七不思議が実際に根付くとは思わんってことだよ」
六朗は頭の中でまとめる。
都市伝説が広まるのには三つの要素がある。五橋の七不思議はこれには当てはまらない。だからそこまで広範囲には広まらない。一時的とはいえ広まっているのは需要があるから。
加えて、五橋の七不思議は怪談である。怪談はある特定の場所に根付くものだが、五橋の七不思議は地域に根付く可能性は薄い。故に少し特殊である。
「んー。何となく判ったような判らないような」
六朗は首を傾げる。話が込み入っていて上手く物事を処理出来ないといった感じだ。
「まあいいんじゃねえの? 俺も大概説明下手だからな。ちゃんと伝わったとは思ってないさ」
「ぶん投げたね。でもそれって論文を書くうえでは不味いんじゃないの?」
六朗は意地悪く竜二を突つく。
「大丈夫だ。雪乃の推敲があれば何とかなる。はず」
「常々思っていることがあるんだけど、雪乃さんって読書の才能ないよね?」
「……」
黙り込んでしまう竜二。心当たりがあるらしい。
川端康成の『禽獣』を動物愛護の話であると解釈したり、夢野久作の『何でもない』をハートフルコメディと解釈したり。六朗は、雪乃が本当に物語を追っているのだろうかと疑うことが多々ある。
そんな雪乃に推敲など出来るのだろうか。
「大丈夫だ! 何事も経験だろ。とにかく、役割は分担したんだ。雪乃の推敲で何とかする!」
竜二は力強く宣言する。
不安で仕方ないのだろうが、まあやることに意義があるのかなと六朗は考え、それ以上は追求しなかった。
随分話し込んだ。気が付けば二人は仙台駅まで辿り着いていた。
「じゃあ俺はこっちだから」
竜二は東口の駐車場の方を指差す。
「うん。また明日ね」
「ああ、明日は大体一時くらいからでいいか?」
「大丈夫」
「判った。雪乃には連絡しておく。じゃあな」
「じゃあね」
別れの挨拶を済ませると、六朗は西口を目指して歩き出した。
どうにも困苦を嘗めることになりそうな論文製作ではあるが、まだ提出までは期間がある。精々頑張ろうと思う六朗だった。




