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何故踊る4

 雪乃は帰宅の準備を進めている。一人じゃ大変だからと祖母も手伝いに来てくれた。

 雪乃は小物をキャリーバッグに納め、祖母が畳んでくれた衣類をその上から詰め込んだ。

「ありがとうございます」

「雪ちゃんもう帰っちゃうんだねえ。お婆ちゃん話し足りないよ」

「お世話になりました。楽しかったです」

 本当のことだ。雪乃は嘘を吐かない。

 色々あったとは言え、ここでの生活はいい気分転換になった。

「雪ちゃん、この地域に伝わるお伽噺を知ってるかい?」

 祖母は突然切り出す。

 雪乃は背骨が一気に抜き取られたかのような感覚を覚えた。

 最後に祖母からその話を聴かされるとは思わなかった。

「水蛭子様のお話ですか?」

「おや、知ってたかい? 本当は成人してからじゃないと知ることの出来ないお話なんだけど、誰から聞いたんだい?」

 成人してから知ることが出来ないとは初耳である。諏訪家で事件が起こったのが何時なのかは判らないが、菜砂と畔明は今年二十歳になったばかりなのだから、水蛭子の伝説を聞いたのは未成年の時分であるだろうと思う。ならば誰が二人に話を吹き込んだのか。

 答えはすぐに出る。祖母だ。現在未成年である雪乃に平気で話を持ちかけているのだから、同じような形で菜砂と畔明に話をこぼしたのだろう。

 まあそんな推測は置いておくとして、雪乃はやや返答に困る。正直の矜持故、一問一答形式の質問は誤魔化しようがない。正直に言うしかないだろう。

 雪乃は心の中で菜砂に謝罪する。

「ああ、言わなくても良いよ。こう言うのは言い難い事だものね。特に雪ちゃんは優しいしねえ」

 白状しようとした矢先に祖母は理解を示してくれる。

 しかし雪乃が優しいと言うのはどうだろうか。

 雪乃は自分のことを優しい人間などとは思った事がない。何でも正直に言うものだから、今の祖母がしたような誤魔化しきれない質問をされたときにはどんな重要な秘密であろうと喋らなくてはならない。正直であれ、というのが雪乃の矜持なのだから。

 見る人が見れば恐ろしく口の軽い人間に映るだろう。実際にそう思われて崩壊した人間関係も少なくない。

 他人からの評価は絶対だ。そう簡単に覆す事の出来るものではない。

 マイナスイメージを払拭しようと弁舌を奮っても、相手は言い訳としか受け取らないだろう。

 他人から見た雪乃のイメージの一つに、口の軽い性悪女という見解がある。

 それは学校の、しかもクラス内での雪乃に関するイメージの一部に過ぎないが、そう思われるということは少なくともそう思われるだけの振る舞いを雪乃自身がしているのだ。

 だから雪乃は自分を優しい人間などと思った事はなかった。

 むしろ、厄介な人間だと思っている。

 それこそ嘘つきの幼なじみよりも厄介な人間だ。

「多分雪ちゃんが聞いたのは、水蛭子様が本殿に閉じ込められて、夏になるとその恨みを晴らす為に外に出て行く。って所までだと思うけど、実はその後に続きがあるのよ」

 雪乃の自虐思考など知る由もなく、祖母は続ける。

「続き、ですか」

「そう。ある夏の日、水蛭子様はね、畑の案山子にお叱りを受けるの。自分がされて嫌なことは他人にもしてはいけないことなんだよってね。でも水蛭子様だってその位は判るわ。判るけれど納得がいかなかった。恨みっていうのはそう言うものだものね。だから案山子は水蛭子様用のサンドバッグになることを決意したの。恨みを抑えられなくなったら自分を殴ればいい。自分はいくらでも作り直されるから壊れても問題ない。って言ってね。それからと言うもの、祟りはなくなったのよ。最終的には水蛭子様は恵比寿様になって、この辺り一帯の五穀豊穣に貢献したの。どう?」

 どう、と言われても。

 纏まりの悪い話だとしか思えない。水蛭子が案山子を殴ってストレスを解消した話にしか聞こえなかった。

「それはなんと言うか……何とも言えない話ですね」

「そうよねえ。それも仕方のないことだわ。だって今私が即興で作った話だもの」

 祖母は無邪気に笑っている。

 どういうつもりなのだろう。

 この話はこの辺りでは禁忌であるはずだ。それをこんなにも適当に改変して良いものなのか。

「結局ね、何でもいいのよ、こういうのは。人が作ったものなんだから。お話はお話よ。フィクションよ。実際の団体、人物、事件とはなんの関わりもないことなの。人が死ぬのには死ぬに足る理由が道理としてちゃんとあるのよ。祟りで人が死ぬことも、人が狂うこともないの。全部人の所為」

 オカルトが大好物の祖母からそんな言葉を聞くことになるとは思わなかった。否、オカルトを娯楽として楽しむには、オカルトを信じない心も必要だろう。

 もしオカルトを全面的に信じている人間がいたとしたら、その人間はとてもではないが娯楽として楽しむことなどできないはずだ。不謹慎だと切り捨てるに違いない。

 祖母がオカルトを目一杯楽しめるのは、祖母がオカルトを否定する気持ちが強い人間からだ。だから菜砂と畔明にも水蛭子の伝説を話して聞かせたのだろう。

「噂に振り回されると碌なことがないわ。だから雪ちゃんも部活では冷静にね」

「ありがとう御座います」

 結局祖母が何を言いたいかは判らなかった。否、判る。危うく判らないフリをする所だった。

 祖母は畔明と菜砂について雪乃が戸惑っていたことを知っていたのだ。多分、それについて調べていたことも知っているのだろう。

 全部筒抜けだったのだ。

 そうでなければ未成年である雪乃に「知っているかい?」などと言うような聞き方をするはずがない。この話は成人してからでないと知ることが出来ないはずなのだから。

 ちょっとカマを掛けてみただけなのだろう。

 そして雪乃が水蛭子の話を知っていたから、惑わされないようにと忠告したのだ。

 祖母は何でも見通す。畔明と菜砂の兄妹と言う枠を超えた関係に着いても、狂ったフリをしていることについても見通しているだろう。それでいて二人の関係を黙認している。

 それでいいのだろうか。

 判らない。そこまで突っ込んで聞く勇気は雪乃にはなかった。

「そろそろ行きます。本当にお世話になりました」

「そうかい。そこまで見送るよ」

 雪乃と祖母は玄関まで移動する。

 玄関では畔明と菜砂が待っていた。

「いやあ、二泊三日なんてあっという間だったね。雪乃ちゃん、駅まで送るよ」

「いえ、お構いなく」

「まあそういわずに」

 畔明はやたらと食い下がる。何だか断っても勝手に着いてきそうだ。

 少し考えてから、雪乃は了承した。

「雪ちゃん……ごめんね」

 菜砂は小さな声で謝罪する。

「お気遣いなく。気にしていません」

 一通り挨拶を済ませると、雪乃と畔明は玄関を潜る。

 縁側の方を見ると、醍醐がこちらの様子を伺っていた。

 雪乃は醍醐に近づき屈み込む。

「……」

 言葉が出ない。本気で寂しい。

 醍醐はこれからもこの家で、この歪んだ世界で生きていかなければならないのだ。それはあまりに残酷ではないだろうか。

 否、醍醐の事情は関係ない。単純に雪乃が醍醐と離れたくないのだ。

「畔明兄さん」

 今雪乃はとんでもないことを口にしようとしている。

「なんだい?」

「醍醐を私に譲って下さい」

 言ってしまった。

 顔が熱くなる。気温も相まってかなり熱い。

 恥ずかしい。

 しかし恥をかくことなど判りきっていたことだ。その上で口にした。だから後悔はない。

「え、それは……うーん……どうなんだろうな」

 流石に畔明も予測出来ていなかったようで、悩んでいるというよりは虚をつかれて戸惑っているという風だった。

 それはそうだ。雪乃のような人間がいきなり子供みたいな我が侭を言ったなら誰だって困惑する。

 雪乃は思い直し、醍醐の頭を撫でると立ち上がる。

「すみません。忘れて下さい。醍醐、さようなら」

 踵を返し、先を行く。

 畔明は何か気まずそうな様子で後を追いかける。

 仕方のないことだ。醍醐もこの家の家族ならば、譲ってくれと頼む方がおかしい。

 譲れるはずがない。家族なのだから。家族が一体何であるかなど雪乃には判らないが、そう易々と他人に譲渡出来るものではないということくらいは流石に理解している。そんなことがまかり通ってしまっては世界が成り立たない。

 それにしても寂しい。

 雪乃は金輪際ここに来る気がない。ならばこれは今生の別れだ。もう二度と醍醐と会うことはない。

 田園風景は行きと変わらぬ美しさでそこにある。狭苦しい路側帯も変わらない。そして今肩を並べて歩いているのは畔明だ。

 向かう方向だけが違う。

 行きと同じく、畔明は笑っている。能面の笑顔で笑っている。

 この笑顔は嘘なのだ。雪乃の大嫌いな嘘なのだ。この笑顔で家族を騙しているのだ。

「雪乃ちゃん。菜砂から全部聞いたんだってね」

 畔明は笑顔を崩さず言う。

 そう言えば畔明からは何も聞いていなかった。どうせ最後だ。畔明からも適当に何か聞き出しておこう。補足程度にはなるだろうし。

「はい。聞きました。畔明兄さんと菜砂ちゃんの間に赤ちゃんが出来たことも。おめでとうございます」

「皮肉かい?」

 畔明は困ったように笑う。

「まあ半分くらいは。いつからですか? いつからお互いのことを意識し始めていたのですか?」

「うーん……いつからだろうねえ。小学生くらいの時にはそうだったような……少なくとも菜砂はその頃から、将来はお兄ちゃんのお嫁さんになるとか言ってたよ。可愛いねえ」

 小学生。そんな馬鹿な。流石にそれは子供の戯言だろう。否、そうでもないか。

 戯言に聞こえるだけだ。聞こえるだけで当の本人は本気なのだ。

 本気も本気。子供の言うことほど本当のことはない。

 幽霊を見た。UFOをみた。怪物を見た。全部本当だ。それが枯れ尾花であろうと、窓に映った蛍光灯であろうと、狢の類いであろうと、子供はそれらを見たのだ。だから、本当のことだ。嘘ではない。

 菜砂は本気だったに違いない。

「全く気付きませんでした」

「そうだろうねえ。人前では全然言ったことなかったから。空気の読める子供だったんだよ、菜砂は」

 そこまで分別のある子供には雪乃の目には映らなかったが、人は見かけに依らないものだ。

「僕も中学生のころには菜砂が好きだったなあ。僕たちって変なのかな?」

「訊くまでもないでしょう」

 変なんてものではない。禁忌を犯しているのだ。

「兄妹同士が恋をする、というのは百歩譲れば理解も出来ますが、それを家族に無理矢理認めさせるなんて考えに至るのはどう考えてもおかしいですし、そのやり方も強引で、稚拙で、とてもではないですが普通とは言えません」

 普通と異常の境界など曖昧なものだが、それを承知した上で見ても諏訪兄妹の行動は常軌を逸している。

「まあそうかもしれないね。でもさ、百歩も譲って貰わないと理解してもらえないくらいの事なんだから、多少強引でないと周りは認めてくれないんだよ」

 それはそうだ。

 というか認められてなどいない。諦められただけだ。

「畔明兄さんは狂っています。狂ったフリをしている積もりなのかもしれないですけれど、あなたは救えない人間です。だって認められないと知ったなら普通は諦めます。どうしようもないことですから。どうしようもないことが諦められない人間はどうしようもない人間です」

「いやあ、そんなロマンチックなものじゃないよ。僕はただ菜砂が好きで、菜砂はただ僕の事が好きだっただけ。それだけだよ」

 いけしゃあしゃあと。

「人が狂うのにロマンとかドラマとか、そんなものは必要ありません。ただ現実があり、人があり、感情があればそれで充分です」

 畔明は、厳しいなあと受け流す。

 駄目だ。まるで手応えがない。暖簾を押しているような感覚だ。

 しかし雪乃の主張を受け入れられないというのならば、やはり畔明は狂人なのだろう。

 雪乃は諦めて顔を上げる。田園風景はまだ続いていた。

 そろそろ街に出る。そうしたらもうこの話は終わりだ。終わりにしよう。

 そう思ったとき、雪乃の視界に白い人影が映り込んだ。

 なんてタイミングなのだろう。というか本当に、アレは何なのだろうか。

「畔明兄さん、アレって何なのでしょうね」

 雪乃は指を指す。

「水蛭子様、だろ。今年は本当によく出るなあ」

 水蛭子。

 否、違う。祖母は言っていた。何でも良いのだと。

 何でも良い、か。もしかしたら局地的な蜃気楼か何かかもしれないし、本当にただの案山子なのかもしれない。

 雪乃は何だかどうでも良くなって来た。

「畔明兄さんは水蛭子だと思っているんですね」

「そうだねえ。一応お世話になったし、敬意を込めてそう思わせて頂いているよ。雪乃ちゃんは何だと思う?」

「さあ。何でしょうね。ドッペルゲンガーですかね。いえ、白蛇かも。そうでないとしたら、くねくねとか、ただの案山子という可能性もありますかね」

 雪乃はほとんど適当に答える。

「アハハ、なんだいそりゃ」

 何でもない。こんな話なんか出すんじゃなかった。

「別に何でもいいです。特に意味はありません。勝手にどうとでも解釈して下さい」

 畔明は雪乃の返答に吹き出す。

「くくく……いやあ、そりゃあ無いだろ雪乃ちゃん。くくく……」

 腹を抑えて笑い始めた。

「アハハハハハハハッハハハッハハッハハ!!いやいや、雪乃ちゃんは可愛いなあ。一生懸命抵抗しようとするんだもんなあ!本当に頑固だよ。アハハハハッハハハッハッハハハハハハハ!!!」

 狂ったように笑い出す。

 笑い狂う。

 雪乃は自分の言葉ながらに実感する。この人は救えない人間なのだと。

 兄妹として産まれてしまった現実、人の世のルール、恋という感情。愛という概念。雪乃の従兄妹を変えてしまった全ては一切が当たり前に誰にでもあるものだった。だとするならば、これはどう努力した所で変わらないことだ。変わらないが故にどうしようもない。

 菜砂の中にいる赤子は幸せになれるだろうか。

 どうしようもない両親の元に産まれて、真っ直ぐ育つのだろうか。

 やめよう。どうしようもないことには目を瞑るに限る。

「さようなら、畔明兄さん。明日から両親がお世話になると思いますが、その時は目一杯驚かせてやって下さいね。見送りはここまでで結構です」

 とてもではないが付き合いきれない。

 雪乃は両親と共に行動するのを嫌って、我が侭を言い、一人でここまでやって来たが、その判断は間違っていなかったと感じた。

 両親と一緒に来たならもっと面倒な事になっていただろう。

 否、案外巧いこといっていたのかもしれない。

 まあ選ばなかった選択肢のことを考えても仕方が無い。

「あれ?怒っちゃった?くくく……いやー、ごめんね。折角来てもらったのに。ご両親のことは心配しなくて良いよ。バレないように巧くやるから。菜砂にも口止めしとく。じゃあね雪乃ちゃん」

「ええ、さようなら」

 改めて挨拶をする。もう二度と会う事は無い。

 雪乃は踏切を渡り、街へと出る。

 妹のような幼なじみが少し恋しくなったような気がした。


 それはきっと、疲れのせいだった。

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