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何故踊る3-2

 最近の醍醐は昼夜問わず寝ていることが多い。少し前まではそんなこともなかったのだが今の季節は暑さと退屈であまり動く気にはなれない。

 ただ、退屈というのは半分嘘だ。雪乃が来てから少しだけ退屈が紛れている。この娘は昨日の夜に続き、今日も醍醐に話しかけている。

 醍醐は人間の言葉を操ることが出来ない。

 雪乃は何が楽しくて自分に話しかけているのだろうと醍醐は思う。

 否、楽しくはないのか。今の雪乃はとても楽しそうに話しているという風ではない。

 醍醐の分析に依れば、今の雪乃の声は昨日の声よりも震えが多い。口の端が上に向いているので笑っているように見えるが、眉は少し下がって見える。

 この表情は憂いという感情を表しているということを醍醐は知っている。

 畔明と菜砂の両親もこんな表情をしている時がある。

 こんな時は皆決まって、家族の話をするのだった。

「私には兄弟がいないんです。きっと醍醐にはいたんでしょうね。犬は一度に沢山子を産みますから」

 産まれた頃の記憶など醍醐にはない。犬の出産がどのようなものかも判らない。雪乃の言葉を信じるならば、醍醐には幾匹か兄弟がいたことになる。とは言え今はいない。いもしない兄弟に思うところなどない。

「羨ましいです。でもまあ、私にも妹みたいなものはいましたよ。ずっと私が面倒を見てきたのですけれど、なんと言うか、不良娘に育ってしまいまして。世間から見れば優等生なのでしょうけど、私から見れば狡い人間にしか見えません」

 また醍醐の知らない言葉が出てくる。「セケン」とはなんだ。

 セケンには見られるものなのか。セケンに見られるのはいいことなのだろうか、それとも悪いことなのだろうか。

 醍醐には全く判らない。

「しかし、そうは言っても彼女を狡い人間に育ててしまったのは私かもしれないのですけれどね。彼女の姉弟はとても健全な人たちですから、両親の教育が悪かったということではないのでしょう。だとしたら原因は私です。いつも一緒でしたから。彼女なりに私に影響されたところがあったのでしょう」

 雪乃は自分にとって大切な人間を歪めてしまったことに後悔があるらしい。

「彼女とは随分前に縁を切りました。家族も同然だったのですけれど、私は彼女の素行に耐えられませんでした。縁を切ってしまったことに着いて思う所などなかったのですが、今になって無責任に突き放したことが自分の中で歪みを生むだけで何の解決にもならないことが判りました。彼女は私のことが大好きでしたし、私も彼女のことが大好きでしたから。切っても切れないものです」

 人間とはほとほと面倒くさい生き物だと醍醐は思う。しかし人間に限りなく近い犬である醍醐にとって、悩みや葛藤は他人事ではない。

 雪乃は、はあとため息を吐く。

「家族とは一体なんなのでしょうね。全然判りません」

 改めて言われると確かに判らない。

 醍醐の家族はこの家の者たちだ。拾われた頃から大事に育ててもらっている。

 自分に自我が芽生えた後もやはり大切にされていると感じるし、家族は大事な存在だった。しかし、家族という共同体が一体なんなのかと問われれば、家族は家族であるとしか返しようがない。

 返せないけれど。

 醍醐が考えていると雪乃は、それにしてもと気分を変えた。

「お話し出来るのも今日で最後ですね。私、明日には帰らなくてはいけません。結局散歩も出来ませんでしたね」

 そうだ。失念していた。雪乃は客だったのだ。

 家族以外には興味を示さない醍醐だったが、雪乃には随分と気を許してしまっていた。

 これは醍醐自身としても驚くべきことだ。

 そうとなれば何だか寂しい気持ちが湧いてこないでもない。こうして夜に話す相手がいなくなってしまうのだから。話すとはいっても雪乃が一方的に話すだけなのだが。

「うーん」

 雪乃は何やら考え込んでいる。

「触らせて下さい。頭を撫でさせて下さい」

 雪乃は醍醐に詰め寄り、目を輝かせる。

 突然何を言い出すのかと思ったが、それくらいならば構わないだろうと醍醐は雪乃の足下まで近づく。

「まあ。感動的ですね」

 雪乃は嬉しそうに醍醐の頭の上に手を置く。その手はこの家の老いた女性の手の柔らかさに似ていた。

 この家の空気がおかしくなり、皆が変わってしまう中、変わらず醍醐を愛してくれた柔らかさに似ていた。

 しかし、似ているという言葉は同じという意味を持たない。

 この手は間違いなく雪乃のもので、老いた女性とは違う感触があり、これが友情というものなのだなと醍醐は思った。

 ますます寂しくなった。

 人間になればなるほど苦悩は増える。

 心臓が胃の辺りまで下がったような感じがして、醍醐は動くことが出来ない。


 その間、雪乃はずっと醍醐の頭を撫で続けているのだった。

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