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紅い果実  作者: 酒田青
紅い果実とその他の短い幻想ホラー
30/58

結婚

「信じられない。だって親子でしょ?」

「役の上だよ。八神聡はまだまだ若いし」

「だって、江森ユイカは二十歳だよ。八神聡ってもう……」

「たしか四十八」

「気持ち悪ーい。あたし『真珠』嫌いになっちゃった」

 俳優の八神聡と江森ユイカが結婚した。世間はひどく動揺した。二人はその年の人気映画『真珠』で父娘役を演じていたからだ。

 マスコミは冷たかった。八神聡の『真珠』で登りつめた人気は下り坂になり、アイドル女優だった江森ユイカは一種の奇妙な目で見られた。

 二人は高層マンションの広い無機質な部屋に閉じ籠った。結婚してしばらく後、二人を見たものは無かった。

「ねえお父さん」

 暗い部屋で革のソファによりかかり、ユイカが呟く。聡は薄い皺のある瞼を開いた。

「ユイカ」

 声は低く、小さく、疲れきっている。

「何? お父さん」

 ユイカの声は若々しく、弾んでいる。

「お父さんと呼ぶのはもう止めよう」

 聡はユイカの目を見ずに言った。無精髭が脂に光る。彼は長い間風呂に入っていなかった。

「どうして?映画の撮影の時からずっとお父さんって呼んでるじゃない」

 ユイカは若々しい素肌を輝かせながら無邪気に笑った。丸い目は黒々とした睫毛に囲まれ、唇はうねっている。体じゅうのどこもかしこも弾んでいるかのようだ。

「ユイカ」

 聡は目を閉じた。疲れてしまった。もう、駄目だ。

「私、お父さんのことをお父さんって呼ぶ。その方が好き」

 彼女はソファに寝転んだ聡の首を抱いた。楽しそうに笑って、何の心配もないかのように。

 聡は深い溜め息をついた。ユイカは媚を含んだ声をあげる。

「お父さん、またやろう。あれ」

「もういいよ」

「やる。やるったらやる。……『お父さん、お母さんはどこ?』」

 ユイカの声が急に静かなトーンを帯びた。聡は皺のよった額を上げると、ユイカをチラリと見た。

 俺は、この若い妻が怖い。毎日、毎日――。

「……『死んだ』」

 ユイカの顔が青ざめる。だけどこれは演技だ。

「『何言ってるの?そんなわけないでしょ』」

「『死んだんだよ』」

 聡の台詞は半分棒読みだ。毎日、毎日、この台詞を言わされている。あの映画に出てから。

「『お母さん、出て行ったの?』」

「『そうじゃない。言ってるだろう。死んだって』」

 ユイカがしくしく泣き始める。聡はそれを夢見るような目で見る。

 ユイカはどうしてこの台詞が好きなんだろう。彼女は生き生きと体を動かし、感情たっぷりに泣くのだ。

 ユイカは映画のこの台詞に出会ってから、聡と離れたがらない。彼をお父さんと呼びたがる。彼女の甘えかたがあまりにも真剣で可愛らしくて、聡はとうとう彼女を妊娠させてしまった。

 結婚して一月、今、ユイカの下腹部はうっすらと膨らんでいる。

 ユイカは泣く。

「『死んだのね』」

 聡は目を閉じたままユイカの体の甘い匂いをかぐ。

 もう、駄目だ。

 ユイカはどこか嬉しそうに泣く。

「『お母さん、死んだのね。私、お父さんと二人きりなのね』」

 泣きながら、口の端が笑っている。聡は眠りの海に沈んでいく。

 もう、駄目、だ。

「ニュース見た? 八神聡が自殺したって」

「知ってる。何でだろうね。結婚したばかりなのに」

「やっぱどっか変わってたんじゃない?娘役の子と結婚しちゃうし」

「そうかもね。ユイカはどうしてる?」

「テレビ見たら、泣いてたよ」

「やっぱそうか」

「うん。手で顔を隠して、『死んだのね』って泣いてた」


 《了》

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