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石の足音が、通路の奥へ消えていきます。
青年は降り注ぐ光を浴びながら、その姿が見えなくなるまで目で追って、それから、足元に落ちているからすに目を向けました。
「いい子だね……」
「……」
からすはもう声を上げるのに疲れ果てて、ぐったりとしているのでした。
「お前、なんだ?」
「なに……とは?」
「目的はなんだ?」
「こういう状態の人間がいたとき……」青年は自身を見下ろして、「この状態から解放されたい、と思うのは、ふつうじゃ、ないかな……?」
「人間? ふつう?」からすは鼻で笑いました。「両腕も腹の中身も無いのに生きてる奴が、ふつうの人間だって?」
青年は薄く笑ってそれを聞きました。
「そもそも人か? なにをどうしたらこんなことになる? なんの罪を犯した? 本当は化け物で、人間に化けているだけなんじゃないのか」
「質問が……多いね、からす君……」
青年の薄笑いは、力尽きようとしているようにも、なにか企んでいるようにも、どちらにも取れるのでした。「仮に僕が、化け物だったとして、……そう聞いてくるからす君に、そうです化け物ですなんて……素直に答えると、思うのかな……?」青年はからすを見下ろします。「その答えを聞いたとて、きみも、はいそうですかと、素直に納得……するのかなあ……」
「いけ好かねえ野郎だ」からすは地面にへばりつきながら、悪態をつきました。
青年は薄笑みを絶やさず、またふと、少女の去った方角に、視線を戻すのでした。
「……あの子は、いったい、なんだ?」疑問が口をついて出てくるのでした。「歩く時に、妙な音が、する。……石の履物でも履いているのか、それに妙に……てのひらが冷たい」
「答えると思うか」
青年はまた目を細めて笑います。
「あの子、良い子だね……」
からすは眼光をさらに強くしました。
「……手を出すんじゃあねえぞ」
「手を、だす」ふはは、と青年は声を上げます。「どういう意味、かな……?」
「最初に目をつけたのは俺様だからな」
「ははあ、からす君、君はあの子が、ほしいわけだ」
「『ほしい』んじゃねえ、『もう俺の』なんだよ」
「そのわりに」彼の緑の瞳が、細められた中からからすを覗きました。
「主導権はあちらにあるようだ、が……」
「やかましい!」
からすはガアと一声鳴きました。青年は意に介しませんでした。
「まあ手を出そうにも……」
少女の消えた通路の奥に視線を戻します。
「出せる手が、ないんだよなあ」
見つけてくれるといいけど、と、青年は、大して期待もしていない風に、呟きました。
※
びきり、ばきり。
ユルユルの足が、複雑な音を立てて石床を歩いていきます。
このままだと砕けてしまうのだろうなということは、ユルユルにもわかりました。今まで歩いてきた土の地面は、どうやら、ユルユルの足を守ってくれていたらしかったのです。
足が砕けたらもうどこにも行けないことも、ユルユルにはわかりました。
だから、早く探さなくてはいけないのでした。
青年の、取り去られた両腕を。
石の通路には相変わらず爽やかに風が吹いていました。洞窟のあちこちは自然光で柔らかに明るく、雨に濡れた石壁や地面がうっすら光を反射しておりました。
人間の腕というものがどこに落ちているものなのか、ユルユルはわかりませんでした。ユルユルには、わかることのほうがとても少ないのでした。けれど、どこかにはあるはずというのを、信じるよりほかにありませんでした。
通路は続いています。
足は砕けそうだけれども、ユルユルはむしろ、飛び跳ねたくなるくらいの気持ちで、通路を進んでいました。だってユルユルは、困っている人にお願いをされたのです。助けてほしいと言われたのです。
そしてやっとユルユルにも、誰かを助けることができそうなのです。
これが嬉しくないなんて、嘘でしょう。
ユルユルは、自分がいた村の誰をも救うことはできませんでした。からすは元の姿に戻れてはいませんし、助けてと願われた女の人は、ユルユルの目の前で死んでしまったのでした。
だから今度こそ、ユルユルは誰かの役に立てるのでした。 ユルユルはそれが、たまらなく嬉しいのでした。
びきり、ばきり。
複雑な足音が、洞窟に響いていきます。
その音が、通路の行き止まりに、たどりつきました。
ユルユルの、琥珀の瞳が開かれます。
そこに、何かが、落ちているのでした。
※
びきり、ばきり。
何か壊滅的な音を立てながら、広間に戻ってくる影がありました。
青年は顔を上げます。
細い通路を背に、ちいさなおんなのこが、何かを大事そうに抱えて、こちらに歩いてくるのでした。
びきり、ばきり。
その足元を、青年はようやっと、ちゃんと目の当たりにしたのでした。
少女の足は石で出来ているかのように、ひび割れて、美しい剥片を点点落としながら、進むのでした。青年の目には、どう見ても石の足が、動いているように見えました。
そしてそれは、ほとんど壊れかけているように見えました。
「うで、」少女は自分の足の状態なんて、気が付いていないみたいな顔で、青年に話しかけるのでした。
「あったよ」
青年は微笑みかけました。
「ありがとう」
彼女のちいさな手に抱えられたものは、人間の片腕でした。青年には見覚えがあるような、ないような気がしました。自分の身体の部位なんて、そんなものなのかもしれません。
びきり、ばきり。
少女の足から剥がれていく石の形が、
徐々に大きくなっていくのが、青年に見て取れました。
少女は青年の視線を意に介さず、腕を青年の身体に軽くあてがうようにしました。確かめるように色んな角度から眺めて、正しい向きを探っているみたいでした。
「わたしのうでの向きはこうだから、」何か吟味して、「こっちの向きで正しいのかな」自分の腕と青年の腕とを見比べます。
「右腕だから、その向きで合っているよ」
青年はやさしくうなずきました。
少女は青年の顔を一度見て、まねしてうなずいて、それから、首をかしげました。
「にんげんのうでをつけたことがないんだけれど」
「ああ、」
「にんげんって、どうやったらうでとからだがくっつくの?」
それはもっともな問いでした。
「簡単だよ」青年はいかにも優しげに答えます。「ぼくの右肩に、その切り口をくっつけてくれれば、それでいいんだ」
少女は、とても重大なことを聞かされた顔をして、重々しくうなずきました。
少女のちいさな手が、長い青年の腕を、おっとっと、と動かして、その切り口を肩にあてがいました。
青年の肩口にあてがわれた腕は、一瞬他人事みたいな顔をしたあとに、肩の骨や肉や皮と、お互いの存在を確かめ合って、ゆっくりと溶け込んだのでした。
少女はその様をただ黙って、じっと見ていました。
そして興味深そうに、肩と腕のくっついたあたりを眺め回すのでした。
「にんげんってこうなんだね」
青年は直接答えませんでした。
青年が命令を出しますと、右腕は、まるで切り分けられていたことなんか忘れたみたいに、青年の命令に従って滑らかに動きました。青年は地面に縫いつけられたまま、自分の肩の状態を確かめて、右手を握ったり開いたりしました。
なんの違和感もありませんでした。
それで、うん、と青年はうなずきました。
「もうひとつ似たようなものが落ちていると思うんだけど?」
「うん、片方しかなかったの」少女は乏しい表情で答えました。「きっと反対側の通路にあるんだとおもう」
「そうだね」青年は何度もうなずきました。「そうに違いない」
「わたし、さがしてくるね」
「頼んだよ」
少女の声はどこか弾んでいました。声の調子と同じく、足取りも弾んでいるようなのですが、びきり、ばきりと、足音だけは、声のように軽くとはいかないようでした。
気持ちだけ軽快に歩き出そうとした少女は、不意に足を止めます。
そして、
青年の足下を、見下ろしました。
「ヨスガ?」
ぐったりしたからすを、不思議そうに見ています。
「ヨスガ?」
返事はありません。
身動きすらしません。
少女はちらと、青年を見ました。
「なにかあった?」
「なにも。気付いたらこうだったよ」青年もからすを一瞥しました。「寝てるんじゃないかな?」
「ん……」少女はちょっと下唇を突き出して、考えるそぶりをしました。
「だいじょうぶかな」
その足が、通路から逆戻りしそうだったので、青年は声を上げました。
「ぼくの腕をもうひとつ持ってきてくれれば、からす君もなんとかなるんじゃないかな」
「なんとかって?」
「君がぼくを助けてくれるのなら、からす君もきっと助かるよ」
「そうなの?」
よくわかっていない顔をした少女に、青年は強くうなずきました。
「そうなんだよ」
「そうなんだ」
念押しされると、少女は突然すべてを納得したような顔になって、わかった、と返しました。




