石の導き
誰かに呼ばれた気がして、ふと、ユルユルは顔を上げました。
ユルユルの腕の力の緩んだ隙を突いて、からすが派手な音を立てて羽ばたいて逃げました。ユルユルはからすの行先には目を向けず、誰に呼ばれたのかをきょろきょろして探しました。けれどあたりには、誰の姿もありませんでした。
ユルユルがあたりを見回していますと、また何か音が聞こえました。今度はユルユルにも、その呼び声がどこから聞こえるかはっきりわかりました。
おんなのひとだったもののいたところに、真っ白な石が落ちているのです。それはおんなのひとを支えていた骨と同じ色をしていますが、長い革紐に繋がっているので、他のものとはすこし違うように見受けられました。
ユルユルはそれに近付きました。
石はひとつも動いたりしないのに、また、ユルユルに音を出しました。よく近付いてみますと、六角柱の形をした、細長い小さな白い石なのでした。
側面と両の先端に、細く穴があいています。
ユルユルは、血溜まりからそれをそっと拾い上げました。
「なんだぁ、そりゃあ」
からすがユルユルの頭の上に再び降りたって、それからとてとてと肩に移動して、それから手首に飛びうつって、ユルユルの手元をのぞき込みました。物珍しげに、黒紫の頭が動いています。
「笛か?」
「音してたでしょ」
「音?」
「ここにいるよーって音」
ヨスガはユルユルを振り返って、首を傾げました。それからまた、石を見下ろしました。
「いい石を使ってる」
「そうなの?」
「お前のからだに使われてるのとおんなじ石だ」
「そうなの?」
「こんな小さいのに、綺麗に切り出してある」
ヨスガはたいそう感心している様子でした。
「お前、吹いてみろ」
「ふく?」
「先っちょが穴、あいてるだろ。そこにくちつけて、息を……」
ユルユルは言われるまま口にあててみました。
けれどなんにも起こりませんでした。
「……。そういや、お前、肺、あるのか?」
「はい?」
「なんでもねえや」
ヨスガは飛び跳ねながらユルユルの肩まで戻ってきました。
「まあ、いい。良い石だし、細工ものだから、いざという時なんかの足しにはなりそうだ。どれ、おれ様が預かってやろう。価値のわからねぇお前にゃ、扱い方もわからんだろうよ」
ほれ、とヨスガはユルユルに細くて小さい首を差し出しました。ユルユルはうなずいて、その首に革紐をかけてやりました。
革紐が長すぎてヨスガのからだをすり抜けました。
「馬鹿!」ヨスガはいらだってユルユルの肩で地団駄を踏みます。「わかるだろ! ふつう! 長すぎるって! こうなるって!」
「どうしたらいいの?」
「結べよ! 紐を!」
「むす……ぶ?」
「もう!!」ヨスガは天を仰いで嘆きました。「あかちゃん!!」
ヨスガがいくら嘆いても、ユルユルは紐の結び方なんて知らないのでした。
仕方ないのでヨスガは、ユルユルの腕に革紐をぐるぐる巻いて、それから紐を自分の首にかけるようにしました。ユルユルは言われるまま手を出していただけで、ユルユルの手に紐を巻くのも、ヨスガの首にかけるのも、ほとんどヨスガがやってのけました。ヨスガはとても器用なからすでした。
ぴかぴかの白い石は、ヨスガの胸元で誇らしげに光っています。
そこから、
また、音が、
するのを、
ユルユルは聞きました。
「よーしそれじゃあ本題に戻るぞ石女。お前のせいで時間を食いまくってもう日暮れが近い。急いで元来た道に戻って……」
その時、ぱたり、と音がしました。
ヨスガが、ユルユルの頭のうえで、あ? と言いました。
ぱた、ぱた、と音が続いて、
ぱたぱたぱたぱた!! と音を立てて、
水が降ってきました。
雨でした。
「まずいな」
頭上でヨスガがそんなことを言いました。
気付けば森はいっそう暗く、木の幹は濡れ光って、色んなところから色んな音が聞こえて不気味でした。
「ここに留まるか、いや元来た道に戻るか、」
「なにがまずいの?」
「暗くなる前にどこか屋根のあるとこに行かねえと、お前はともかくおれ様は、雨で体温奪われて最悪死ぬんだよ」
「しぬ」
「濡れねえとこに行きてえが、的頭の小屋までまだ歩く。方角も改めて確認しながらだと日が暮れちまう。といって他に目指す場所もない……適当に散策してでかい木の影にでも……」
「ヨスガ」
ユルユルは、暗い見通しの悪い森の奥を、すっと指さしました。
「こっちだって」
ヨスガは、は? と言いました。
「白い石が言ってるの、こっちに来てって」
「喋る石にそう言われたんじゃ、信じるほかねえだろうが……」
「? ヨスガもしゃべるでしょ?」
ユルユルはヨスガが濡れないように抱えながら、雨の森を進んでいきます。
ヨスガの首にかかった白い石から、呼び声のようなものがずっと聞こえています。それはどうやらユルユルにしか聞こえていないみたいで、ユルユルをどこかに導きたがっているのでした。
地面はぬかるんで滑るので、一歩進むのにも大変気を使いました。ユルユルが間違って転んでしまったら、もしかしてヨスガがユルユルに潰されてしまうかもしれませんでした。
ユルユルがせいいっぱい抱えても、からすの身体は容赦なく雨に濡れていきました。ユルユルの身体はどうやらあたたかさとは縁がないようで、時間が経つごとにからすの身体は震えていきました。
「そもそも、石の言うことがどこまで信用できるのかもわかったもんじゃねえけどな」
「わたしはうそついてないよ」
「お前が嘘ついてなくても、石が嘘ついてたらしょうがねえだろ。誰も嘘ついてなくたって、最悪の事態に陥る時は陥るんだよ」
「わかんない」
「わかんねえだろうな」
ヨスガの声は震えていました。
しばらく石の声に従って進みました。ひとりと一羽には、そうする以外ありませんでした。石の声はだんだん強くなって、そうして、
とある石の洞窟に、彼らはたどりついたのでした。
「……」
洞窟といっても、少し屋根がある程度の、少し雨がしのげる程度の、そういう場所でした。
洞窟を覆う岩石はとても大きいのに、入口がなんだか不自然に狭いのでした。けれどユルユルには、それが不自然とはまったく思いませんでした。
腕の中ではからすが、もうぐったりとしていました。
軒下に入ると、雨がしのげました。五歩も歩けばもう壁に当たってしまうのですが、いまはそれで十分でした。
腕の中に抱えたからすを見下ろします。
からすはかすかに呼吸していました。ユルユルは壁に背中を預けて座りました。三角座りをして、からすを抱え込みます。そうすることがからすにとって良いのか悪いのか、それはわかりませんでした。
ユルユルはまったくあたたかくないものですから。
からすが言うには、からすは濡れたままだと死んでしまうらしいのです。なので、このままだと良くないことはわかりました。けれどじゃあどうすればいいのか、それはユルユルにはわかりませんでした。
ずっとこうでした。
良くないことだけがわかって、どうすればいいかが、ユルユルにはいつもわからないのでした。
からすはふっと顔を上げました。
自分が軒下にいることに、いま気が付いたみたいでした。
「……」
からすは無言で、ユルユルの腕の中から、ぴょん、と飛び跳ねました。ユルユルはヨスガのしたいようにさせました。ヨスガはユルユルの腕から逃れると、ばたばた、水を払うように身震いをして、それから、またユルユルの腕の中に戻ってきました。
ユルユルの腕の中から、ぴょこんと顔だけ出して、雨を眺めます。
「……お前は冷たすぎる」
腕の中でからすが言います。
「うん。ごめんね」
ユルユルは謝りました。
暗い森の色んなところから、水音がしています。雨音はもうぱたぱたとは言わず、さぁさぁという透き通った音に変わっていました。闇は見通せず、音だけがやけに大きく聞こえてきました。
「ヨスガも死んじゃう?」
からすの身体は相変わらず震えていました。
「……」
ヨスガの返事はありませんでした。
ユルユルはその小さな身体を抱え込みました。
「また助けられないのかなあ」
雨が降り続いています。
「どうしたらいいんだろう……」
ユルユルの言葉を誰も聞いていません。
雨は降り続いています。
ユルユルはそれをただ眺めています。
雨は降り続いています。
からすはかすかに動くので、生きていることだけわかります。
雨は降り続いています。
ずっと雨を見ていました。
なにもかも、変わらない景色でした。
「どうしたら助けられたかなあ……」
やがて雨音が小さくなっていきました。
暗がりの木々の輪郭が、ぼんやりと見えるようになりました。どこからか光が差しているようなのです。それは太陽の光なのでした。
世界は白く霞んでいました。光が拡散して柔らかく光って、ユルユルは眩しくて目を細めました。
立ち上がって、ゆっくりと足を踏み出しました。
土がぬかるんで、ユルユルの足にぬるりとまとわりつきます。顔を上げれば透き通る緑を伝って、透明な雫が落ちてくるのでした。それは光に反射して、まっすぐに光り輝くのでした。
音のない世界でした。
いや、音はありました。
ヨスガの首にかけた白い石が、ユルユルを呼ぶのです。
吹いて、とユルユルを呼ぶのです。
「……」
ユルユルは白い石を見下ろしました。
ふく、がなんなのかユルユルにはわかりませんでした。たぶん、ユルユルにはできないことだと思います。
ユルユルの小さな手が、ヨスガの首にかかった笛をとります。
ヨスガの首にかかったまま、ユルユルはその笛を口に当てました。
そこから先がわからないのでした。
「ヨスガ」
からすを揺すってみます。
一度揺すって、起きないので、もう一度揺すってみました。
起きないかもしれませんでした。
それが、ユルユルは少し怖いです。
もう一度揺すりました。
すると、ヨスガは目を覚ましました。
黒いまなざしがユルユルを見ました。
ユルユルと目が合います。
「……なんだその顔」
「ううん」ユルユルはヨスガに笛を示しました。「ヨスガならこれ、吹ける?」
「なんだぁ……? ひとの寝起きにいきなり……」
言いながらヨスガは、ユルユルの腕の中で、ユルユルにかまわずにばたばた! と身震いをしました。残っていた水滴が弾けて、ユルユルの頬に飛んできました。
「吹いてって言ってるの」
「石がぁ?」
「うん」
「ふーん……」
ヨスガはしばらくユルユルが指先でつまんだ笛を、疑い深そうに眺めましたが、不意にくちばしで笛を突きました。あっと思ってユルユルが手を離しますと、ヨスガはそのまま器用にくちばしを操って、笛を咥えました。
そしておそらく、吹きました。
おそらくというのは、音が全くしなかったのです。
おそらくというのは、それでも、吹いたことがわかったからです。
風向きが変わったのでした。
いままでその辺をただなんとなく漂っていた風が、明確に、ユルユルとヨスガに向かって吹いてくるのです。いえ、そう思えただけです。
風が集まってくるのは、後ろに壁がないからです。
あるのに、ないのです。
ユルユルもヨスガも後ろを振り返りました。
そこには相変わらず壁がありました。けれど風がそこを通り抜けていくのです。ふたりにはもう、そこに壁がないのがわかりました。あるように見えるだけで、壁はなくなっていました。
扉が開いたのでしょう。
「……」
ふたりは、まったく同じように、背後を見て、顔を見合わせました。
「『開いた』みたい」
「……」
からすはなんだか納得いっていないように首を回して、
「罠じゃねえか?」
相変わらずなことを言いました。




