第百二十四話 地下学会のアジト篇
ジャクソンが目を覚ますと、そこは何処か建物の中だった。埃っぽい床にうつ伏せで倒れていて、気分は最悪だ。室内の照明は唯一、壁に燭台が一つ取り付けてあって、小さな火が灯っている。あまりの暗さに、まさか夜になるまで気絶していたのかと驚かされたが、落ち着いて、ぐるりと目玉を動かして辺りを見渡せば、窓が悉く塞がれている。これでは、夜になったのか、単に室内が暗いだけなのかはわからない。
首を動かさずに目で追える範囲だけでは情報が限られるが、それでも目玉しか動かさないのはジャクソンが怠惰だからではない。彼は、手首、足首を頑丈な黒い縄で縛られているのだ。しかも、背後に人の気配があり、何やらコソコソと喋っているのが聞こえる。このまま気絶したふりをして耳をそば立てていれば、現在の状況について何か手がかりを掴めるかもしれない。
背後にいる人数は二人ほどで、どちらも女性のようだ。彼女たちは声量こそ意識して落としているものの、その口調は興奮を抑えきれないことが丸わかりで、ぺちゃくちゃと喋った。
「ええー! ほんとに、この坊やがヴァンパイア様なの?」
「ほんとうよー! わたし聞いたの、しばらく日光の下に置いておいたら、肌がちょっとずつ焼けて灰になって落ちたんだって!」
「ええーーーー! でも、なんでヴァンパイア様がこんなところに来たのかしらね」
「わからないけど、警備班が外回りしている時に村の入り口で見つけたんだって。最初は普通の人間だと思ってて、捕まえた後、教会の前に野晒しにしてたらしいんだけど」
「ああ、実験班が来るまでね」
「そうよ、実験班が来るまで! でも今日、あの人たち忙しいじゃない? それで、日の下でしばらく放置してたらしいのよ」
「で、いざ実験班が来てみたら、灰になってたってわけ? はー……」
「全部じゃないわよ。ちょっとずつ、端っこから灰になっていったんだって」
怪しい女性二人の一連の会話を聞いて、ジャクソンはこの部屋の有様に納得する。ジャクソンの正体がヴァンパイアだと知っているのなら、確かに日光が入らないよう窓を塞ぐだろう。しかし、わざわざ手間をかけて部屋を整えるなんて、彼女らはジャクソンを歓迎しているとでもいうのだろうか……いかにも怪しい黒い縄で固く縛って雑に床に転がしているのに? 一方で、ヴァンパイアに「様」をつけて呼ぶのだから、こいつら、何を考えているのかさっぱりわからない。
とにかく、今、判明したのは、この奇怪な誘拐事件が組織的な犯行であるということだ。ジャクソンをここに連れてきたのは、間違いなく「地下学会」の奴らだ。ジャクソンは、「地下」の奴らの滅茶苦茶っぷりを知っている。彼らは馬鹿で、悪魔やら黒魔術やらを崇拝しているが、同時にそれらを恐れてもいる。だから、やることが支離滅裂になるに違いない。
そうと決まれば、ジャクソンが恐れることはない。相手はただの人間だ。彼らが好きな「ヴァンパイア様」を演じてやって、隙を見て逃げればいい。
ジャクソンは、わざとらしく、ゆっくりと身体を起こした。まるでヴァンパイアの始祖が千年の眠りから目覚めるような、重々しい雰囲気を醸し出す。ジャクソンの動きに気づいた地下学会の二人が、ヒッと小さな悲鳴を上げた。
起き上がったジャクソンは、低く唸るような声を作って、言った。
「……お前たち、地下学会の者だな? 愚かな真似をするものだ。こんな縄で、私を封じたとでも思ったか」
まだ二十歳に満たない少年であるジャクソンの爽やかな声帯では、自分が思っていたよりも高圧的な発声というものに限界があった……だが、後に引けないジャクソンは勢いに任せ背後を振り返り、キッと鋭い目で相手を睨みつけた。ついに相見えた女性たちは、想像通りの姿格好でまあ見ても見なくても変わらないというか、「すごくそれっぽい」黒ローブで全身を包み、フードで頭を覆っていた。
ジャクソンに睨まれた二人は即座に跪いて、床に打ち付けるほど頭を下げた。上から見ると二匹のでかいナマコのようだ。
「も、申し上げますヴァンパイア様ッ。我々の無礼をお許し下さい。まさか、人が作ったそんな細い縄で、貴方様を繋ぎ止められるとは毛頭思っておりませんッ」
「ふん。では、贖罪の機会をやろう。この縄をお前の手で外せ」
「それはできません」
「はあ? い、今なら許してやると言っているんだぞ」
ジャクソンが身体を捻って、後ろ手で縛られた手首を見せてやっても、女性たちは頑として動かなかった。
「恐れ多くもヴァンパイア様には、これから我々組織の発展に御尽力いただくため、ここに居ていただく必要がございます。しかし、我々人間は、気高き貴方様と有りのまま向き合うことは許されざる身でありますから、やむを得ず、その、見かけの不自由をおかけしていますけれど……愚鈍な人間のすることと思って、どうかお許しくださいませ」
「……なんで私側に不自由を強いるんだ……」
「貴方様は、霧になったりコウモリになったり、怪力を持っていたりするんでしょう! わたくしたちの手で貴方様を捉えることなど、不可能なのは承知してます! これは見かけの、見かけだけの儀式なんです」
「そ……」
そんな芸当ができたら目覚めた瞬間から逃げてるに決まってるでしょ!
と、口に出す訳にもいかず、ジャクソンはこめかみをひくつかせてぐぐ、と押し黙るしかなかった。霧になったりコウモリになったり、というのは、確かにできないわけではない。しかし、ジャクソンを縛っている黒縄には特殊な術が施されているようで、今は、どうにも、変身能力を使うことができないのだ。もし、彼女らが言うような「気高きヴァンパイア」であったなら、こんな黒縄なんて力ずくで突破したかもしれないが、生憎、ジャクソンは人間の血を吸ったこともない若輩ヴァンパイアだ。変身能力は最低限レベルだし、怪力なんかもってのほかだ。ジャクソンが飲めるのはスプーンの上のスープくらい……。
「待て、そうじゃなくて」
今は、冷静にならなければならない。なぜなら、変身能力が使えないことよりも、もっと重要で最悪なことを、黒ローブの女性たちは口にしていたからだ。ジャクソンは背中に冷や汗を感じながら、厳しい顔で女性たちを見つめる。
「お前がさっき言った……私がお前たちの発展に尽力するとはどういうことだ? 私はお前たちに協力などしないぞ。地下学会の愚行を許したことなど一度だって有りはしないからな!」
不安や怒りが綯い交ぜになりながら、ジャクソンが、ガンと怒鳴りつけると、女性たちは「まあっ……」と心底驚いたように口をあんぐりと開けて――いやなぜ驚くのか、間抜けすぎる――両手を振り乱しながら言った。
「お、お待ちください、落ち着きください、ヴァンパイア様!」
「あ、貴方様がこの村にいらっしゃったのは、我々を哀れに思う悪魔様のお導き! 悪魔様が貴方を遣わせてくれたに違いないのです!」
「はあ……?」
あまりに自分本位な考え方に、ジャクソンは呆気に取られた。どうやら、ヴァンパイア様ことジャクソンの上には、「悪魔様」という上位存在が居て、ジャクソンが今日ここに来たのはジャクソンの意志ではなく「悪魔様」による地下学会への餌やりなのだ、というのが、彼女らの解釈であるらしい。なるほど、正気でないのは確かだ。
「悪魔様の導き? 何を馬鹿なことを……」
ジャクソンが、さらに女性たちを詰めようとしたその時、キイ、とドアが開き、一筋の光が差し込んだ。もちろん、希望の比喩などでは決してない。別の誰かが部屋に入ってきたのだ。その誰かは、室内がやたらと暗いのを見ると、「うわっ、暗っ! 何も見えないじゃない!」と文句を垂れて一度引き返し、ランタンを持って再び現れた。
「ちょっと、おばさんたち、跪くなんてやりすぎじゃない? そんな、そいつに畏まらなくていいわよ。だって、まだ子供なんでしょ? 人の血を飲んだこともない雑魚のはずよ」
新たに室内に入ってきたその人物は、身長が二メートル近くありそうな大男だった。黒いローブで全身を覆っていて、体型は正確にはわからないが、肩幅の広さはボディビルダー級である。フードを被らず個性を主張していて、坊主頭が見えている。ツルツルの額の下には、マスカラをふんだんに塗ったパッチリお目目がある。
かなり個性が強い人なので、なんとなくだが、地下学会の中では上位の身分にあると思われる。ヴァンパイアについての知識も豊富そうだし、オカルト知識の指導者的な立場なのかもしれない。
これは旗色がまずくなった。ジャクソンは新たな敵を警戒して、ひとまず口を閉ざす。
もともと部屋にいた女性二人は、恐縮して立ち上がり、身を寄せ合って壁際に下がった。
女性の一人が言う。
「ですが、アルバート様……。そちらのヴァンパイア様は……まるで、ヴァンパイアの始祖が千年の眠りから目覚めるような雰囲気を醸し出しておりました。只者ではありません!」
アルバート、と呼ばれた上役は、大きな手を自分の頬に当てて、呆れたようにため息をついた。
「これだから、一般信徒のおばちゃんは……。そう、坊ちゃんはヴァンパイアで大根役者なのね。あんた小細工したって無駄よ」
大男が、ジャクソンにキャットウォークで接近してきた。床に座り込むジャクソンを、ニメートル直上から高圧的に見下ろしてくる。「ヴァンパイア様」を演じる作戦は破綻したとみて、ジャクソンは渇いた喉へゴクリと唾を流し込んだ。
さて、殴られるか、蹴られるか。地下学会は、ジャクソンをどんな目に合わせようというのか――ジャクソンは緊張に肌を泡立てる。
そんなジャクソンの内心を察してか、アルバートは口元に余裕の笑みを浮かべ、
「なぜ、あたしがヴァンパイアに詳しいかわかる?」
と、嫌味ったらしく語り出した。ジャクソンは当然黙ったままだったが、彼が答えるか否かに拘らず、アルバートは一方的に続ける。
「昔、地下学会にはあんたと同じヴァンパイアが居てね……」
その一言に、ジャクソンはハッとして息を呑んだ。




