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極夜の館―怪物(まよいご)たちのほのぼの日常日記―  作者: 畔奈りき
追憶:孤高の吸血鬼・ジャクソン
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第百十七話 貸し部屋篇

「吸血鬼さん!」


 彼の登場に、ミカは驚きながらも安心して、声高に呼びかけた。しかし、やっと一息吐けると思った矢先、吸血鬼の普段の様子からは想像もできないような舌打ちが聞こえて、ミカはビクリと肩を跳ね上げた。


「吸血鬼さんだって? よくわかったね、ずいぶん親し気な笑顔を向けてくれてありがとう。でも状況が理解できるなら、逃げた方がいいと思わない?」

「え……っと?」


 刺々しい声音に、ミカはすくんでしまって動けなかった。いつもの彼の穏やかさ、気さくさ、世話やきたがりの寂しがり――そんな様子が、目の前の彼からは全く感じられなかった。

 驚きにまじまじと観察すれば、その吸血鬼の顔は、記憶にあるよりも幼く見える。また、いつものタキシードとは程遠い、デニムジャケットに幅広のデニムパンツというスタイルで、ジャケットの中にはシンプルでくたびれたシャツを着ていた。この世に二つとない美しい顔だが、もしかして、別人なんじゃないかという説が、ミカの頭に急浮上してきた。

 ミカの知る吸血鬼――によく似た人物?――は、ミカに言葉が通じたのを認めると、害のないゴーストであると判断したのか、ツカツカと部屋の中に入ってきた。まさか殴ってくるんじゃ、とミカは身構えたが、吸血鬼(仮)はただ悪態を吐きながら床に落ちた毛布を拾い上げて、角を揃えて畳み、椅子の背もたれにかけた。

 その時、階下の玄関が開く音が聞こえた。吸血鬼(仮)が苦い顔でつぶやく。


「うわ。もう来たのか」


 階段を上がってきたのは、なんと、つい先ほど見た覚えのある男性だった。あのネオンきらびやかな店の前で、二人の女性をタクシーに乗せていた彼だ。その男性は、あの時と変わらずピンと伸びたスーツに、ばっちりと固めた髪型をしているが、大きな荷物を両肩にそれぞれ担いでいて、気取った感じは消え失せている。

 男性は部屋に入ってくると、吸血鬼に向かい、片眉を上げて笑顔を作る。


「よう、ジャック。相変わらず貧相だな」

「ジャックじゃない。僕は息子だ」


 一方の吸血鬼(仮)は、無表情のまま男性に右手を差し出す。


「はッ。変わったもんじゃないだろ」


 男性は、二つの荷物を床に転がすと、吸血鬼(仮)が出した手に紙幣を何枚かグシャリと置いた。

 音を立てて床に落ちた荷物は、落下の衝撃で何度か跳ね、ミカの足元まで転がって来た。自然とミカはその荷物を見下ろし、中身を見るや否や、「うわああ!」と悲鳴を上げてその場から飛び退き、勢いのまま尻もちをついた。

荷物は両方とも毛布に包まれていたが、転がるうちに毛布はめくれて、その中身を露わにしていた。それは長細い丸太状の包みだったが、一方の端からは人間の足が、もう一方の端からは人間の顔が露出していた。この毛布に包まれている人間は、ミカの記憶が正しければ、そこにいるスーツの男性によってタクシーに乗せられていた女性たちだ。彼女らは、床に転がされても、頭を打っても、ピクリとも動かない。


「待って、嘘だろ。死んでるんじゃ……」

「あははははッ!」


 背筋を凍らせるミカだったが、相反して、スーツの男性が噴き出し、声を上げて笑った。

 尻もちをついた姿勢のまま男性の方を見上げると、スーツの男性はミカを指さして大笑いしており、その向こうで、吸血鬼(仮)が渋い顔をしていた。


「おいおい、ジャック! ずいぶんビビりなゴーストを飼ってるじゃねえか! 死人がそんなに珍しいかよ、自分だって墓から這い出て来たんだろう?」


 男性は両腕を広げ、大仰なジェスチャーでミカを笑いものにしてくる。たまらず、ミカはカチンときて、飛び起きて言い返した。


「あ、あのなあ、俺は別にゴーストじゃねえんだよ! それよりあんた、この女の人たちどういうことだよ。あんたが殺したのかよ!?」


 堂々と喧嘩を売るミカに、コウモリたちが肝を冷やして悲鳴を上げ、吸血鬼(仮)が勘弁してくれと額を押える。ミカとしては、このまま殴り合いも辞さないつもりだったが、スーツの男性は、逆に落ち着きを取り戻して、ふうむ、と顎に手を当て、ニヤニヤとミカを観察してきた。


「なるほどねえ、死を自覚していないってやつか。ああ、可哀そうなボク。いや、すまない、虐める気はなかったんだよ。君、さっきタクシーの前に居たろ?」

「あ。やっぱり、さっき目が合ったよな」


 ミカは、繁華街での出来事を思い出して言う。ミカは、彼と目が合ったと思って、びっくりして逃げてきたのだ。

 スーツの男性は、いかにも親切そうに両眉を上げて頷いた。


「ああ、目が合ったさ。安心しろよ、俺は、人ならざる者同士、差別なんてしないぜ。だからそう、いいこと教えてやろう。この女どもはまだ死んでない。強い薬で眠ってるだけだ。いいか、血を吸うときは先に殺しちゃいけない。心臓が止まると血が噴き出してこなくて、飲みにくいからな」

「え。血を飲むって、じゃあ、今からこの人たちは……」


 ミカの頭の中を、刺激的な言葉が駆け巡っていく。眠っているだけだという女性たちの顔は、見れば見るほど青白い。一体、どんな薬で眠らせているのか。

 スーツの男性は、ミカの肩を抱かんばかりに近づいてきて、内緒話をするように、これから女性たちがどうなるのか、ささやいてくる。ミカの身も心も、非常事態に現実感を失って、「これはただの食事だ」と、丸め込まれそうだった。

 そこへ、イラついた様子の吸血鬼(仮)がズンズンと歩いてきた。彼は、ミカからスーツの男を乱暴に引きはがして、


「おい、もういいだろ。そいつは部外者だ。金はもらったから、僕はしばらく出ていく。いつもの通り、一晩だ。朝になったら、跡形もなく掃除して帰れ」

「あー、女は二人居るんだが、別に四分の一くらい分けてやったっていいんだぜ。そうすれば俺とお前は共犯になって、この部屋の掃除も折半だ」

「いらない。掃除はお前が責任を持ってやれ。嫌なら初めから部屋を汚すな」


 スーツの男性と吸血鬼(仮)は、こんな遣り取りを、やたら事務的な空気で交わした。吸血鬼(仮)はまた、ミカにも一瞥をくれ、


「そこのゴーストも。はやく」


 とだけ言う。当然ながら「はやく部屋を出ろ」という意味らしく、ミカが動くかどうかも確認しないまま、吸血鬼(仮)は、さっさと部屋を出ようと踵を返した。


「え、ちょ、ちょっと待ってよ」


 ミカは吸血鬼(仮)にそう呼びかけたが止まってくれる様子はない。ミカは、スーツの男の目を盗み、毛布に巻かれた女性たちを揺さぶり起こそうとした。しかし無情にも、ミカの手は女性の体をすり抜ける。この部屋で、今から二人の若い女性が、吸血され、血まみれにされ、殺される。それがわかっているのに、ミカには、何も為す術がないのか。


 真っ赤になった部屋を、ミカは鮮明に想像することができる。

 ミカの視界で、眠る女性の横顔と、狼に喰い殺された姉の姿が重なった。


 気づけば、ミカは狼の姿に変身し、スーツの男に向けて牙をむき出していた。ミカの背後で、コウモリたちが不安で震えている。若い吸血コウモリたちに、衝動的な若者を制止できる実力や経験値はない。ミカだって、ここで怒りに任せて変身したのは、軽率だったかもしれないとわかっている。でも、この女性たちを守るには、スーツの男を追い払うしかないのだ。そのために今のミカにできることといえば、狼の姿で威嚇するより他はないじゃないか。


「ん? ……おお」


 獣の唸り声に反応し、こちらを振り向いたスーツの男は、一瞬驚いて目を瞠った。しかし、すぐに、気味の悪いニヤケ顔になって、余裕綽々で腕を広げてみせた。


「これはすごい。狼男(ウェアウルフ)のゴーストなんて存在するのかよ。ほら、こっち来てみろよ。俺を殺せるのか? 俺は吸血鬼(ヴァンパイア)だぞ!」


 スーツの男性はヘラヘラと笑う。悔しい。このまま飛び掛かっては、ミカが何もできない霊体の狼だとバレてしまう。いや、もうバレているから、この男はこんなにも余裕なのかもしれない。女性たちを背負って逃げることもできない。この男を止めることもできない。ああ。俺の目の前で、この部屋は血まみれになるんだ。


「ゴースト」


 その時、部屋の外から、吸血鬼(仮)が呼びかけて来た。彼は、開け放したドアの向こうに立ち、半身でこちらを向いている。

 彼は、スーツの男性越しにミカとまっすぐに目を合わせて、首を横に振った。


「早くおいで」


 あ。


 ――やっぱり、吸血鬼さんじゃん。


 ミカの心臓あたりに、もわりと生暖かい霧が圧し掛かってくる感覚がした。急に脳が冴え渡って、今、ミカが取るべき行動が明白になった気がした。

 なんのことはない。ミカができる行動なんて、最初から「目を逸らして逃げる」一択しかなかったのに。ただ、意地になって動くことができなくなっていたところに、吸血鬼が逃げる口実を作ってくれたのだ。

 ミカは、文字通り踏み切って、四つ足でスーツの男を飛び越えた。その勢いのままに、部屋を駆け出し、人間の姿に戻ると、部屋の中を振り返る。

 コウモリたちがミカを追って部屋を出てくると、吸血鬼は部屋のドアをキイ……パタンと閉めた。少し時間がかかったのは、閉めようとした矢先、スーツの男性がフンと鼻で笑ったので、一瞬、ドアノブを握る手が止まったからだ。


「はみ出し者同士仲良くしてもらえよ、ジャック。でも忘れるなよ。お前は一口でもいいから血を飲めば、その全裸野郎のお隣さんを辞められるからな」


 吸血鬼は、その嫌味な親切心に返事をしないまま、無感情にドアを閉じたのだった。

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