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極夜の館―怪物(まよいご)たちのほのぼの日常日記―  作者: 畔奈りき
追憶:孤高の吸血鬼・ジャクソン
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第百十六話 謎の場所篇

 ミカは不安に駆られて、自分の腕や脇腹を撫で回した。この状況で唯一信じられるのは、もはや自分自身の体しかない……それが、なんと心許ないことか! ミカは何度も両手をグーパーし、瞼を擦り、コウモリたちに頬を叩いてもらったが、どこからどう見ても、ミカの身体は半透明に透けている。これでは、まるで幽霊(ゴースト)そのものだ。


 ミカの周囲を飛ぶ四匹のコウモリたちは、いずれも比較的若い吸血コウモリで、慌てふためく様子を見る限り、あまり頼りになりそうにない。彼らもまた、ミカと同じように半透明の体を持て余している。


 後ろを振り向くと、煉瓦造りのビルがあって、同じような長方形の建物が、道沿いにズラーッと立ち並んでいる。ガス燈は明るく、両脇からミカを照らしてくる。こんな夜だというのに、周囲は開店中の店ばかりで、目の前の建物も、アーチ状の戸口の上にネオンの看板を光らせている。周囲が明るいので極端な恐怖心はないが、店から出てくる男女はスーツや丈の短いドレスに身を包み、酒臭い匂いをさせているので、多分、ミカのような純朴な青年が入っていい店ではないのだろうとわかる。


「とりあえず、ここに居るとなんかやばい気がするから、逃げよう。ほら逃げろッ」

「キィッ!」


 コウモリたちにそう呼びかけ、ミカはわけもなく忍足で歩き出した。しかし、最悪なことに、進行方向に見つけた赤いテレフォンボックスの中で、男女が絡み合っている。


「おえっ! ほんっと、嫌な大人だらけ!」


 とてもじゃないが、気持ち悪くて背を向ける。どこか良いところを探してから移動しようと視線を巡らせたが、なんか……今悟ったが、この通り全体が、田舎者の青年にとって良くない環境のようだ。


「ねえこれ、逃げ場なんかないんじゃね」

「キィ……」


 そうこうしているうちに、泥酔した若い女性が二人、フラフラした足取りで一人の男に連れられて、店から出てきた。


「うわぁ……嫌な大人が近づいてくる」


 顔を逸らしながら、上目遣いでその集団を見送る気だったが、どうやら彼女らはミカに気づかないようで、そのままミカに体当たりせんばかりのコースで近づいてきた。


「あれ、ちょっ、なんでこっちに来るんだよ!? え、ちょっと待って、待って!」


 慌てて、ミカとコウモリたちは後退りしたが、しかし、背後は車の行き交う車道である。

 歩道の端ギリギリまで退いたとき、帽子みたいな形の黒塗りの車が、横からグイーンと曲がって、なんとミカを目掛けて突っ込んできた。


「うわああああああっ!」

「ピィイィイイ!」


 突然のことに逃げる間もなく、悲鳴を上げるのみだ。無情にも、車は、ミカたちの悲鳴が終わらぬうちに、そのまま歩道に横付けした。

 ミカの体を貫いて。

 ミカの体を貫いてだ。

 その黒い車は、そこに人なんて存在しないというように、ミカが立っている場所へ停車したのである。いや、霊体となったミカのことなんて、実際、ドライバーには見えていないのだろう。

 呆然としたミカが車のボンネットに刺さったままなのに、女性たちは平然と後部座席に乗り込む。無論、女性たちにだって、ミカの姿は見えていないのだ。

 その車はタクシーのようで、女性を連れていた若いスーツの男性は、車に頭だけ突っ込んで、運転手に行き先を伝えている。

 男は運転手に多めの金を渡すと、ふとフロントガラスの向こうを見た。男の様子を伺っていたミカは、前触れなく振り向いたその男と、ばっちり目が合い、びくりと肩を揺らす。

 男が声を漏らす。


「おや?」


 途端、直感的に何かを「まずい」と感じ、ミカは近くの狭い路地に向かって、脱兎の如く駆け出した。


§


 しばらくして落ち着ける場所を見つけたミカは、これまでの経緯を回想する。


 エリザベスが自室を前に奮闘し、吸血鬼がトイレットペーパーのないトイレで絶望していた頃――サロンに残されたミカといえば、パウンドケーキをとっくに平らげ、ソファーの背にダランともたれて寛いでいた。エリザベスと吸血鬼は、ミカのことを品行方正で純粋無垢な青年であると過剰に期待している節があるため、二人の前では、今のようにだらしなくふるまうことは憚られる。別に、ミカが年齢相応に格好つけた(或いは、変に気怠げぶった)振る舞いをしたところで、エリザベスと吸血鬼から嫌われることはないだろうが、まあ、これは、家族の前では猫をかぶり、家の外では友人に調子を合わせるようなものだ。家族ほど近しい仲では、格好つけな一面を見せる方が逆に恥ずかしいのだ。


 ミカが空にしたデザート皿の横には、ティーカップソーサーがあって、もともとは吸血鬼の血液で真っ赤に満たされていた。だが、今や、四匹のコウモリたちにより、最後の一滴まで舐め取られようとしている。一際若いコウモリが「ピッ……ピッ……」と声を漏らしながら、ソーサーの中央の丸い凹みへ必死に舌を伸ばしていて、ミカの顔には思わず意地悪な微笑みが浮かび、衝動のままに、ミカはコウモリの小さな背中を指先でチョンと押してしまった。


 若いコウモリが鼻からソーサーに突っ込んで「ブヒッ」と言った――その時だ。サロンの天井から床までが、ガタガタガタンッ……と、大きく揺れた。それは、ミカがソファーの上で横倒れになりかける程の横揺れで、油断したコウモリの一匹がテーブルから床に落ちるほどの激しさだった。


「なんだ?」


 揺れは長く続いたわけではない。ただ、一度の大きな衝撃で尻まで浮く感じは、車の衝突事故に似ているとミカは感じた。

 その時だ、ミシミシと軋む音と共に、天井からパラパラと埃が降ってきた。ミカの耳が、サロン全体の異様な音声を聞き取る。サロンの壁には、他の部屋同様に茨の枝の攻撃に遭って穴が空いていたが、板を打ちつけた穴から、ひび割れが広がっているのに気づいた。


「逃げるぞ!」


 咄嗟に、ミカはコウモリたちを引っ掴み、そう叫んだ。ミカが床を蹴ったのと、天井が崩落の音を立てたのは同時だった。力んだミカの足は自然と狼に変化したが、体の他の部分は変化する間もなかった。そんな一瞬の攻防の中、自己最高の瞬発力を見せつけたミカは、天井の瓦礫に潰される前に図書室へ繋がるドアを開いた……。


 しかし、それでは助からなかった。


「えっ」


 ドアの向こうは、真っ暗だった。夜空というわけではない。そんな生半可な暗闇ではなく、最奥は存在しないと感じさせるような、非現実的な無限の闇だった。

 その闇に飛び込んだミカは、思考が崩壊する感覚に襲われた。身体はそのまま、空中に留まっているのに、頭だけ上下に激しく揺さぶられているようで、その感覚は痛覚を超えている。

 視界もすぐに定まらなくなり、灰色の幾何学模様が見えたと思った。

 もしかしたら気絶していたのかもしれないが、その時間は短かったはずだ。揺さぶられるような感覚が終わり、平衡感覚を取り戻すと、灰色の幾何学模様が同色のレンガと化した。目をパチパチとしてみると、周囲に見慣れぬレンガ造りの建物群を認める。

 ああ、回想しても何一つ事情がわからない。

 ミカは本当に突然に、極夜の館のサロンから、謎の街に瞬間移動してきたのだ。


「ねえ何が起こってんの? まさかとは思うけど、俺って死んだんじゃないよな?」

「キィ!」

「ピィ!」

「あ〜! 俺、吸血鬼さんじゃねえから、言ってること、わっかんねぇんだよなぁ!」


 ミカは、もどかしさに声をあげる。コウモリたちは泣きながら、お互いの背、そしてミカの肩を、元気付けるように翼でバシバシと叩いた。もう、このようなボディランゲージに頼るしかない。

 この中では一番血の濃い(年嵩の)吸血コウモリが、ミカの手のひらに降り立って、翼を畳んだ腕で力瘤を作った。


「え?」


 何を伝えようとしているのか、見ていると、妙に元気をアピールしているように見える。次に、急にパタンと横に倒れて、それから元気に起き上がって見せた。


「……あ、あっ、そっか! お前らって不死身だもんな! だから、死んだから幽霊になったわけじゃねぇはずだって、そういうこと言いたいんだろ?」

「キィ!」


 こくんと頷くコウモリ。彼のことは一番上だから、イチと名付けよう。

 イチの推測を聞いて、ニ、サン、ヨンもいくらか安心したようだった。


「それじゃあ、やっぱりここは、死後の世界じゃないってことだなぁ。だって、全然そんな感じしねぇもん」


 ミカは、窓の外を覗き見た。ここは、先ほどの通りを離れた路地にある、空き家の二階である。ミカが最初に立っていた場所に比べれば静かで、道幅が狭いためか車の往来も無いが、人通りは多少ある。

 空き家といえども、ちゃんと管理されているのか、玄関には鍵がかかっていた。ミカたちは、先ほど車を貫通した例を見て、物は試しと、壁を通り抜けてみたのだ。結果、誰にも気づかれず、この部屋を避難所にできた。


「やっぱ、どっか知らないところに来ちゃったんだろうな。極夜の館って、場所を次々移動してるんだろ? 移動の途中で壁が壊れて、投げ出されちゃったんじゃねぇかな。なんで体が透けてんのかは、よくわかんねぇけど」


 ミカが、コウモリたちに現状の推測を述べ、コウモリたちもまたそれに同意した時だ。突然、部屋のドアが開いた。


「やべっ、空き家じゃなかったのか」


 ミカは急いで振り返ったが、あまり焦ってはいなかった。この霊体は、どうやら人の目には映らないとわかっていたからだ。もし、この部屋に人が住んでいるなら、黙って出ていけばいい。

 しかし、部屋に入ってきた人物は、入室した瞬間にミカの姿を認め、警戒を顕に背後へ飛び退った。

 その人物は、野生の獣のように姿勢を低くし、ミカを鋭い目つきで見据える。


「なんでゴーストごときが僕の寝ぐらを盗ってるわけ?」


 ミカと、コウモリたちは目を瞠る。その人物は、月光のように輝く金髪と赤い目を持つ、美しい男だった。

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