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極夜の館―怪物(まよいご)たちのほのぼの日常日記―  作者: 畔奈りき
ずっとこの館で過ごすために
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第百十五話 別離篇

「そんな、くそ、レディ! レディも来て! 早く!」


 吸血鬼は、廊下に居るエリザベスを大声で呼びつけながら、ソファーを覆っている瓦礫を全身全霊で退かしていく。吸血鬼の必死な姿を見て、彼の眷属であるコウモリたちが、館の警備から外れて集まってきた。吸血鬼はコウモリたちと一緒にミカの救助に励み、貧弱な己の筋肉と、コウモリたちの豆粒みたいな力の結集でもって、天井を雑にちぎったような一番大きな瓦礫を、なんとかかんとか持ち上げた。


「誰か、瓦礫の下を見てくれ! ミカは居るかい? 早くしてくれ!」


 力んで顔を真っ赤にしながら吸血鬼が呼びかけると、コウモリの一匹が集団を離れて、持ち上げられた瓦礫の下の空間を覗き見た。そして、そこに空っぽのソファーだけを確認すると、吸血鬼の耳元まで飛んできて、ピーピーと鳴いて現状を伝える。


「何っ!? 居ないだって!? あっ……」


 その事実を聞いた途端、限界を迎えた吸血鬼の全身から力が抜けた。瓦礫はガターンと床に落ちたが、そこに足を挟んで骨折する前に、コウモリたちがご主人様を背後に引っ張り、逃がしてくれる。ドサッと尻もちをついた吸血鬼は、崩れる瓦礫を呆然と見つめた。大きな瓦礫は床に落ちた衝撃で砕け散り、おかげでソファーの現状が露わになったのだが、そこに座っていたはずのミカの姿は、コウモリの報告どおり、本当に見当たらない。


「ああ、はは、そうか天井が崩れる前に、逃げたのか! そうだ私、すっかり忘れていたよ……ミカは狼で、瞬発力と運動能力に優れているからね。天井が落ちるほどの何か衝撃があれば、先に逃げることは可能だ!」


 いや待て、天井が落ちるほどの衝撃? そもそも、そんな大事が起こっていれば、サロンの外に居た吸血鬼とエリザベスも、さすがに危険に気づいているはずだ。それに、天井の崩落音が、廊下に聞こえて来なかったのもなぜなのか?


「いや、そんなこと今はいい……ミカを探さないと。あと、ここに置いていたコウモリの四人方もいなくなっているが……、焦るな私。廊下には出てこなかったから、可能性はあそこしかないさ」


 一人、落ち着きを取り戻そうと、敢えて思考を口にしながら、立ち上がった吸血鬼は体の向きを右に変え、図書室へと降りる小さなドアを見る。ソファーが設置されている場所から図書室のドアまで、さほど距離はない。狼になったミカの足なら、ひとっ飛びで移動できるはずだ。

 吸血鬼の心臓は、意に反して早鐘を打ち、右手で胸を叩いてもおさまらない。早足は、結局駆け足になって、吸血鬼は飛びつくようにドアノブを握ると、図書室のドアを開けた。


「ミカ! ――ッ!? 危ない!?」


 図書室とサロンは、一本の螺旋階段で繋がっている。その螺旋階段の最上段に勢いよく踏み出したと思った吸血鬼は、寸でのところで、そこに足場がないことに気づき、咄嗟に後ろへのけぞって、また尻もちをついた。


「嘘だろ……図書室がなくなっている!?」


 全く、目を疑う他ない光景だった。そこはまさに、「図書室がなくなっている」としか言い表しようがない。この館がペーパークラフトだとしたら、図書室の部分だけ鋏で切り取られたかのように、ドアから向こうの階段や壁、本棚、ありとあらゆるものがなくなって、野外の景色がすっかり見えているのだ。


「キイイイイイッ!」


 突然、コウモリたちが一斉に鳴くので、吸血鬼は肩をびくりと跳ねさせたが、何事かとよく聞けば、どうやら彼らは、下を見ろと促してきている。起き上がって、片膝をついた状態で下を見下ろせば、ポロポロと行き場のない石材の破片が情けなく落ちゆく先、辛うじて残された図書室のものらしき床に、ミカがうつ伏せで倒れているではないか。言葉を失った吸血鬼の背中を、コウモリたちが体当たりして押す。


「は……っ、ミカ!!」


 吸血鬼は全身をコウモリの群れに変化させ、階下のミカに向かってまっすぐに降下していった。傍から見ると、その光景は黒い点描の塊が怪我人に襲いかかっているようにも見えたが、吸血鬼本人は、もう見た目など気にする余裕はない。階下につくと、変化を解くのもそこそこに、ミカを仰向けにひっくり返してその顔を見た。

 ああ、どうしよう。どうしてこんなことに? ミカの額からは血が流れ、傷口は無残にへこんでいる。ミカは完全に意識を失っており、吸血鬼の膝にミカの頭を持ち上げても、睫毛一本、指先一つ動かさない。焦げ茶色の前髪が血でぐっしょりと濡れて額に張り付いていて、それを見た吸血鬼はサッと顔を青くしながらも、一度、生唾を飲み込んでしまった。


「ち、血の匂いで、酔いそうだ。君たち、ミカの手当を手伝ってくれ。そうだ、階段を昇るのは危ないから、食堂の椅子を並べて、そこに寝かせよう。ああ、どうしてレディはまだ来ないんだよ!」

「キイ……?」

「キイ……」


 その時、主人の命令に対して吸血コウモリたちの返事が曖昧だったのは、彼らが、ミカの周囲に倒れた四匹の同僚たちを見つけていたからだ。その倒れたコウモリたちというのは、もちろん、ミカの護衛とお世話を任されていた四匹の吸血コウモリたちで、べちゃっと床に落ちたまま、ピクリとも動かなくなっている。いつかのコウモリたちが全滅した時を思い出させる姿に、吸血鬼はぎゅっと胸を締め付けられ、仲間のコウモリたちは悲し気な鳴き声を上げていた。切ないその光景を見ると、ミカを運べと指示することも忍びなくなったが、ふと吸血鬼は首を傾げ、「ん? ちょっと待て」と言った。


「その子たちは、なぜ床に倒れているんだ? ミカが倒れているのは、まだわかる。きっと、天井が崩落しそうになったサロンから慌てて飛び出し、図書室の二階部分がなくなってたせいで、落ちて頭を打ったんだ。だが、彼らは? ねえ、私の妖精たち。君たちは、床がなくなっていようと、落ちて頭を打つことはない……だって飛べるんだもの」


 吸血鬼は、ミカの隣に立ち、上を見上げた。頭上の戸口からは、サロンの崩落した天井が見える。


「いや……ミカが倒れているのだっておかしい。せいぜい、一階から二階までの高さで、狼が着地に失敗することなんてあるかい? 足をひねるとか、骨折することはあっても、頭から落ちてうつ伏せに倒れるなんてことが?」



 吸血鬼の言葉を聞いて、違和感に気づいたコウモリたちは周囲を警戒し始め、何か異常はないかとグルグル飛び回り始めた。いや、図書室が半壊している時点で異常はありまくりなのだが、はっきり言うと、「ウィジャボードの幽霊」がまた悪さをしているのではないかと疑っているのだ。


「ピィ! ピィ!」


 小さなコウモリが一匹、吸血鬼を呼んだ。振り返れば、その子は床に立って、倒れた先輩コウモリを抱き起こしている。吸血鬼は肩膝をついて、そのコウモリの話に耳を傾ける。


「何々? 怪我していない? 死んでいない? そりゃそうだ、君たちの軽い体なら、空中で突然気絶して落下しても、怪我なんかするわけないさ。だから、この状況はおかしいって言ってるわけだよ。死んでないっていうのも、そもそも君たちアンデッドなんだから、気を失っているだけで……」


 言いながら、吸血鬼はついと視線を横にずらして、ミカの血の気のない表情を見た。頭をひどく打っているのに、ミカは恐怖を感じた瞬間も、痛みに身構えた瞬間も無かったというように、眠るように穏やかな顔をしている。


「まさか、落ちる前に気を失ったのか? 確かに、投身自殺では落下前に気絶するようだが、でもこの高さではそんな時間はないはずだぞ」


 それに、ミカの狼男としての能力といえば、蘇生だ。彼は、一度致命傷を受けても、傷口がみるみるうちにふさがって、回復する。その性能の高さは、彼が過去、オカルト学者によって施された実験によって、証明されている。


「ミカも、コウモリたちも、空中で気を失って落ちたということか。そして、ミカの傷がまだ治っていないのは、彼の意識が回復しかねているからだとしたら? ……いや、蘇生にミカの意識は関係ないはずなんだが」


 以前ミカが死にかけた時、彼は気絶したまま狼に変身して、凄まじい速さで治癒し、蘇生した。それなら、今、自己治癒能力が発動しないのはどういう了見だろう。

 吸血鬼がもう一度足元を見下ろせば、コウモリたちが救急箱を持ってミカの周りに集まっていた。また、一部のコウモリたちは、サロンのテーブルで無残に割れていた皿の中から、吸血鬼の血をスポイトで吸ってきて、倒れた仲間の口にあてがってる。

 けれど、ミカも、コウモリたちも、気絶したまま微動だにしない。


「キイイイイイィィィ!!!」


 突然、頭上を忙しなく飛んでいた一匹のコウモリが、悲鳴に近い声を上げた。彼は、図書室の元は二階があった高さまで飛び上がっていて、失われた壁の上から、外を見ていた。

 そのコウモリは、しきりに「外を見て! 外を見てって! やばいって!」と、主人に訴えている。

 図書室の一階の壁は、茨に貫かれて崩落しきっていて、成人男性が自由に外へ出入りできるほどの穴が開いていた。吸血鬼はそこから、館の外に出た。

 館の外は、館の屋根を覆うまで伸びた茨の枝で、完全に塞がれているはずだった。

 しかし今、外に出た吸血鬼の目に見えたのは、山の頂上付近から見る、見通しのいい景色だ。

 そういえば、サロンの崩落した天井の向こうには、星空が見えていた。その時点で気づくべきだったのだ。極夜の館はもともと、茨の木々に完全に覆われているはずで、天井が落ちようが屋根が落ちようが、星空が見えるわけないのだということに。


 鋏で切り取られたようになくなっていたのは、図書室の二階だけではなかったのだ。

 図書室、サロンの周辺を覆っていた茨もまた、すがすがしいほどになくなって、眼下の景色が望めるほどになっているのだ。茨の森の一部が齧られたように、不自然になくなってしまっていた。上から半分が引きちぎられたように残された幹や、もはや根っこしか残っていないような死屍累々を見ると、肝が冷える。


「これは、図書室がなくなったわけじゃないんだな。空間をまるごと切り取られたみたいだ。……ていうか」


 この現状は、不可思議な点が多すぎて立ち止まっている暇もない。失われた茨の隙間から、山のふもとの情景を見た吸血鬼は眉をひそめた。


「ねえ、君たちがさっき買い物に行った時は、外の時代は何世紀だった? トイレットペーパーは無い時代だったよね」


 吸血鬼の元に集まってきたコウモリたちが、互いに顔を見合わせて、コクンと頷く。

 吸血鬼は、その事実を改めて確認してから、それにしては明るすぎる街の景色を見下ろした。


「でも、これじゃあ、まるで『現代』じゃないか」


 現代というのは、吸血鬼が極夜の館に来た頃の時代、極夜の館が渡り歩く中で、最も新しい時代のことだ。

 今、極夜の館は山の上にあった。山のふもとには人が住む街があったが、空はすっかり夜だというのに、道は街灯に照らされ、立ち並ぶマンションや家の窓には明かりが灯っている。ひっきりなしに車が行き交い、信号がピコピコと変わる。都会とは言い難い発展具合だが、田舎とも言えない、普通のベッドタウンがそこにある。ここで、トイレットペーパーが買えないわけないだろ。

 コウモリたちが、不安そうに吸血鬼の頬に寄り添ってきた。


「不思議なことじゃない。館が時代を移動しただけだ。ただ、すぐさっきのタイミングと、この惨状が重なるなら、勘繰ってしまうわけだよ」


 吸血鬼は、切り取られた図書室と、茨の森を振り返り眺めた。


「時間移動に失敗したのか」


 サロンの惨状を見た吸血鬼は最初、またウィジャボードの幽霊が何かを企んでいるのかと思った。しかし、あの黒い幽霊は今、エリザベスが見つけた鍵を隠すのに必死になっているはずだ。それに、いくら住民に嫌がらせをしたいからと言って、住民を館に閉じ込めるための茨の森を半壊させては、元も子もない。これは、ウィジャボードの幽霊の意志とは関係ない、館のシステム上のバグとかじゃないだろうか。


「時間移動に失敗して、図書室の二階が失われたのなら……そのタイミングでミカたちが外に飛び出したなら、どうなるんだ?」


 吸血鬼と、コウモリたちは顔を見合わせた。ぐるぐると目を回しそうな思いで館の中に戻ると、救護班のコウモリたちが、ミカの頭に包帯を巻き終わって、彼の体を担架に乗せているところだった。コウモリたちは吸血鬼の指示どおり、ミカを食堂まで運び、寝かせるつもりであろう。

 担架に乗せられたミカが、図書室のドアをくぐり、廊下に出ていく。ミカの頭が吸血鬼の視界から消える直前、ついでに担架に乗せていた包帯の余りの束が床に落下した。


 包帯の束は、ミカから離れてコロコロと床を転がり、吸血鬼の足元まで来て、靴に当たってコテンと倒れる。

 吸血鬼の顔から、サッと血の気が引いた。


「まさか……ミカの怪我が治らないのって」

「キィ……」

「不死身のコウモリが起き上がらないのって」

「ピィ……」

「――時間移動の時、途中で意識だけ落っことしたってことかい?」


 意識と言えばいいのか、あるいは、魂と言えばいいのか。

 それは、いわゆる幽体離脱のように。


§


 透き通る体――霊体となったミカは、にぎやかな繁華街のネオンの下に居た。

 ミカの隣には、吸血鬼がお目付けに置いていってくれた四匹のコウモリがいる。しかし、彼らもまた霊体で、小さな体をよく見ると、向こう側の建物が透けて見える。

 周囲は、ミカが見たこともないほどの都会だった。博士に連れられて行った街中とも印象の違う場所だ。夜とは思えないほど明るいが、表通りから少し離れると、しんと影に満ちる、そんな不気味な街だった。

 ミカと吸血コウモリたちは、お互い、サロンでのんびりとおやつタイムを楽しんでいたはずだった。それなのに、なぜ。なぜこんなことに――?


「ここどこだよ~~~!! 吸血鬼さ~~ん!! 姉さ~~~ん!!??」

「キィィィィィィ!!!???」


 一人と四匹の情けない叫び声が路地に響いたが、呼びかけた相手には、当然聞こえない。

 それどころか、霊体である彼らの声は、行き交う人の誰一人にも届かない。

 ミカたちは、この街で孤独に苛まれていた。

 この時代で、孤独に苛まれていた。

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