第百十四話 エリザベスVSゴースト篇――その二
「なにッ……!?」
階段を上がりきるやいなや、己を待ち受けていた大破壊シーンに、足を止めて大きく目を瞠る吸血鬼。だが、エリザベスがドアを壊した反動で背後にぶっとんでいくのを視認すると、コウモリたちを飛ばして、彼女の背中を受け止めた。
「大丈夫かい、レディ!? 何があったっていうんだい?」
「はわわ……助かりまじだわ。吸血鬼、わだぐじの部屋の鍵が、勝手に閉まっでいまずの。それで、鍵束を持って来ようと執事部屋に来まじだら、ごちらの鍵も閉まっでいで」
「それで、ドアを力尽くでこじ開けたっていうわけかい。ふむ、鍵が勝手にかかっていたとなると……」
「ええ。あの幽霊の仕業でずわ。わだぐじがポケットに入れでいだ宝石箱を盗んだもの、きっと奴の仕業でず」
「あの宝石箱か。そういえば、まだ聞いていなかったけど、あれには何が入っていたの?」
エリザベスは、周囲を警戒するように視線を巡らした後、怖いものが傍にいないことを確認して、声を低めて吸血鬼に告げた。
「鍵でずわ。小さな鍵です」
「小さな鍵。なるほど……ドア一枚、破壊するだけの価値はありそうだね」
「当然でずわ。わだぐじだって、考えなじにドアを破壊じだりじまぜん。うっかりでなければ」
エリザベスは立ち上がって、ドレスの裾を整えると、すぐに執事部屋から鍵束を持ってきた。
自室の鍵穴を前に、該当の鍵を探すエリザベスの背中を見ながら、吸血鬼がそわそわとサロンの方を見る。
「またあの幽霊が出たなら、ミカが心配だ。あの子は、何かと狙われがちだから」
「ええ、ミカと一緒に居てくだざいまぜ。わだぐじは一人でも大丈夫でずがら。あッ、開きまじだわっ! あらっ……」
やっと鍵穴に見合う鍵が見つかり、ガチャッと心地よい音を立てたドアを、エリザベスは喜び勇んで手前に引いたが、その瞬間、目の前が訳もわからず賑やかに彩られる。なんと、ドアの向こうには、エリザベス自慢の帽子、靴、衣装雑貨の箱、箱、箱の山で、バリケードが築かれていたのだ。ドアが開き、支えを失ったその箱たちは、エリザベスを目掛けてドドドドドと雪崩れ込んできた。
「きゃああああああ、なんてごどを!!」
エリザベスは、腕を頭上に掲げてうずくまる。まあ、反射で退避の姿勢を取ったものの、沢山の箱が降ってきたところでわたくしはゾンビですから痛くも痒くもありませんわ、と、余裕ぶっていたところ、本当に痛くもないどころか、何かが体に当たる衝撃すら来ない。箱が床に落ちるやかましい音が止んでから顔を上げると、エリザベスの頭上で、吸血鬼のコウモリたちが飛び回っていた。どうやら、この小さな体で、必死にエリザベスを箱の雪崩から庇ってくれていたらしい。
ミカの様子を見るためサロンに向かったと思っていた吸血鬼が、引き返してきていた。
散乱した箱を避け、飛び出した帽子を拾いながら、吸血鬼はエリザベスの傍に来て、部屋の中を見る。
よく見ると、ドアの前に築かれたバリケードは衣装類の箱を積んだだけのものではなかった。チェスト、シェルフ、ドレッサーなど、部屋中の家具がドア前に寝かされ、上に積まれており、完全に行く先を塞いでいる。さっき崩れてきた箱たちは、それら家具の手前に積まれていたようで、ドアを開けるとわざと崩れるように設置したものだったのだ。
「ひどいな。あの幽霊が、こんなものまで作ったのか。ああ、コウモリたちの蘇生に最後まで邪魔が入らなかった理由がわかったよ」
「これ……、わ、わだぐじのクローゼットをひっくり返しまじだわね!!?? ああ、どれもこれも、お気に入りの小物ばかりでずわ!」
「落ち着け、帽子なんて使わないだろう、外出しないんだから。それより君、もう一つドアを壊してる」
「え?」
吸血鬼の指さす先には、エリザベスがドアノブを握ったままのドアがある。しかし、そのドアは、哀れ既に壁と別離していた。箱の雪崩に驚いたエリザべスが、ドアを開くと同時にひっぱりすぎて壁の番から引きちぎったのだ。
ドアをゆっくり目の高さまで持ち上げるエリザべスが、筋肉疲労でなく、わなわなと震える。
「わだぐじのお部屋が!」
「それは君がやったんだろう。仕方ない、幽霊がこんなに隠したがってる鍵を見つけたとすれば、ドア二枚分の価値だ」
「わがってまずわよ。それでも許しまぜんわ、全部全部、あの幽霊が好き勝手した結果でずもの……幸い、わだぐじには怪力がございまず。この、道を塞いでいる家具なんて、すぐにどこかへやって、あの幽霊を捕まえてさしあげますわ」
「待って。幽霊は、あの宝石箱を守るために、たっぷり時間をかけて仕掛けを作ったはずだ。これで終わりじゃない。やはり君一人じゃ危ないから、ここはみんなで部屋に入ろう。私がミカを呼んでくるまで、このまま待っていて」
「ミカを? だめでず、危ないでずわ」
「この館では、誰かが一人になる方が危ないんだ」
吸血鬼は、エリザベスを宥めるように両手を床に向けて数回振り、それから、「ステイ」と言って、両手をそのまま、3秒静止する。エリザベスが外れたドアを壁に立てかけ、吸血鬼を見つめ返しつつ、直立不動となったのを受け、彼はサロンへと歩き出した。
「さてと、でずわね」
吸血鬼がこちらに背を向けたのを確認して、エリザベスは両手をぐーぱーし、バリケード解体に取り掛かる。
吸血鬼には「このまま待っていて」と言われたが、エリザベスは一度も頷いていない。こちらが了解していないのに、何かしら思い込んでこの場を立ち去ってしまった吸血鬼が悪いのだ。
まだ幽霊の罠が仕掛けられているかもしれない部屋に、ミカを連れて部屋に入るのは、彼を危険にさらすだけだと、エリザベスは思う。守るべき子供に守られるなんて、それが大人の在り方かと問いたい。つくづく、吸血鬼とエリザベスでは、保護者としての意見が一致しなかった。
エリザベスはバリケードの頂上に逆さまの状態で積まれたドレッサーを降ろす。それから、横向きに寝かされたチェストを取り除きたいのだが、このままの向きではドアを通らないので、まず引出しを出しきって手でつかめる場所を作り、壁に足をかけて、チェストをスライドさせるように手前に引っ張って……。
――などと、エリザベスがドタバタやっているのには吸血鬼も気づいていたが、もうわざわざ止めやしなかった。彼女と吸血鬼の意見が食い違った時には、何度意見をぶつけても聞きやしないのだから。
さて、手持ちのタオルを道中の自室にポイと放り込んでから、サロンに着いた吸血鬼は一応マナーとしてノックをしたが、まあ共有部屋だしなと、さして返事も待たずにドアノブをひねった。またウィジャボードの幽霊が悪さをしているようだとはいえ、最近はシャンデリアが落ちて来ようと床が抜けようと、そういった悪戯には、ミカも吸血鬼も慣れっこだったし、ミカの傍を離れる際には、コウモリを数匹置いてきている。だから、今のところはミカの方は無事だろうと高を括っていた。宝石箱の中身について事情を説明して、ミカと一緒に、あのお転婆美魔女をサポートしなければと、冷静に手順を考えていた。
だが、ドアノブをひねっても、サロンの扉は開かない。そうだ、開かない。サロンの扉が開かない。ガチャガチャガチャガチャガチャガチャ、二枚ある扉をどちらも激しく押し引きしたが、無常な音が鳴るだけで、扉がロックに引っ掛かる度に頭の芯が氷のように冷えていく。
吸血鬼は焦って背後を振り返ったが、見えたのは、向こうでエリザベスがよっこらしょとチェストを引っ張っている呑気な光景だった。ああ、本当に呑気なものだな。いや、違う。彼女のドレスのポケットには、今、執事部屋から取ってきた鍵束が入っているではないか!
急いでエリザベスに駆け寄った吸血鬼は、いきなり彼女の腰のポケットに手を突っ込んだ。
「ちょっと借りるよ」
「あ、吸血鬼、これは――え、ちょっと? え?」
有無を言わさず吸血鬼は鍵束を手に入れ、またすぐにサロンへ戻る。
エリザベスは、てっきり、一人でバリケード解体に取り掛かっていることの文句を言われるのだと思っていたので、拍子抜けするとともに俄然、腹を立てる。
「もう、何だって言いまずのよ、勝手に手を入れてくるなんで、失礼じゃございまぜん!?」
と、イライラに任せて引っ張ったチェストがついに縦方向へ向きを変えて、ドアをくぐってズルリッと外に出てきた。途端、乱暴に解体されたバリケードが、激しい崩落の音を立てる。エリザベスは衝撃音に耐えるため耳を塞ぎ、目もぎゅっと閉じた。
――サロンの扉を開錠し、室内に踏み入った吸血鬼。崩落音がおさまって、そっと目を開けたエリザベス。二人は同時に、それぞれ別々の衝撃的な光景を目の当たりにする。
エリザベスの居室内。家具が全部ドア前に集められバリケードとして組まれたせいで、崩れたそれの後ろはあまりに殺風景だった。
そんな、絨毯が敷かれただけの何もない部屋の中心で、黒い影が膝を抱え、丸くなっている。エリザベスはその黒い影を見て、ふと「子供」と呼んで震えた。
吸血鬼は、「ミカ」と一言、小さな声で呼んだ。そんな、情けない声しか出なかったからだ。瓦礫を踏みしめて、サロンの中を奥へと進む。そうだ、足元に散らばる大小の瓦礫は、元はここの天井だった。しかし、今や天井は全て落ち、頭上には星空が広がっている。
「ミカ!!」
吸血鬼は、喉を叱咤し、瓦礫の山の中へ呼びかけた。ああ、あろうことか、瓦礫は容赦なくソファーの上にも降り注いでいるのだ。そこで寛いでいたはずのミカは、サロンの中を見回しても、どこにもいない。もしや、天井が崩れきる前にどこかへ逃げたのか? あるいは瓦礫に埋もれてしまって、姿も見えず、声も聞こえないというのか!




