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極夜の館―怪物(まよいご)たちのほのぼの日常日記―  作者: 畔奈りき
ずっとこの館で過ごすために
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第百四話 新しい日常篇

 「お前!!!」


 ミカは、天井の黒い人影に向かって、怒りを込めて叫んだ。吸血鬼とエリザベスも、ハッと気づいてミカの視線を追い、天井を見上げる。しかし、エリザベスの方は天井画をしばらく眺めた後、首を横に振った。


「ミカ。地震に驚いだのでじょうが、どうが落ち着いでぐだざいまじ。アレはただの絵でず」

「姉さん、そうじゃなくて」


 エリザベスは、両手を床に着いて立ち上がり、破壊された石像の破片がドレスに飛び散っていないかと、慎重な手つきで裾を払った。ミカは、そんなエリザベスにちょっと視線を向けた後、再び天井画を見上げる。


「あれ?」


 そこで、ミカは目を瞬かせた。何度も目をこすり、天井画をよく見る。しかし、そこに居たはずの黒い人影はもういない。それどころか、さっき見た絵と、今ここにある絵は、全く違っているような気がする。


「なんで、おかしい。さっきはここに、ウィジャボードの幽霊がいて……」

「ミカ、足元危ないでずわ。上ばっかりを見でいないで」

「ねえ、姉さん。ここの絵って、前からこの絵でした?」


 ミカは、床に散らばった破片をひょいひょいと避けながら、エリザベスの隣まで歩いてきて、ちょうど真上にあたる天井画をピッと指さした。

 大食堂の天井には、格子状に梁が走っていて、まるで四コマ漫画のように、天井画を四つに区切っている。ミカが指さしている絵は、そのうちの三番目にあたる絵で、パッと見は真っ黒に塗りつぶされているようで、何が描かれているのか理解しにくい。よく見れば、それが魔物の変身のシーンだとわかるのだが、目を凝らしているうちに、眩暈がしてくるような代物だ。


「え゛え、ごごの絵は、まるで何を描いでいるのがわがらない、趣味の悪い……」

「……そうっすよね。この絵は、もともとこれだから、おかしいのはさっきの方だ」


 エリザベスが天井画についてクドクドと文句を言う傍らで、天井画を注視するミカは、だんだんと背筋に寒気が伝ってゆくのを感じていた。慌てて顔を俯かせると、石像の破片が飛び散った床が目に飛び込んでくる。ただ散らかっただけで済むはずの風景が、急にとてつもなく恐ろしいものに思えた。心臓のすくんだミカは周囲を警戒するように見回し、そこで、シャンデリアがまだ地震の余韻で左右に揺れているのを発見した。グラーン、グラーン、揺れは不自然に長続きしている気がする。焦りに駆られたミカは、エリザベスの手を取り、脱兎のごとく駆けだした。


「出ましょう、姉さん! 吸血鬼さんも!」

「え゛え!? ミカ、出るっで、床の片付けは?」

「後で! 吸血鬼さん!」


 ミカの呼びかけに、吸血鬼は案外と素直に応じてきた。ミカたちは急いで大食堂を出ると、ミカは扉を勢いよく閉めて、まるで悪魔を中から出さまいとするかのように背中を扉に押し付けた。

 エリザベスの手首は、大食堂を出たところで、パッとミカから解放され、エリザベスは、つんのめりながら困惑した表情でミカを振り返る。


「ミカ? 急にどうじだっで言いまずの? 地震なら、もうおさまりまじだわ。天井画が落ちでぐるようなごども、まさかございまぜんのに」

「違うんす。さっき言ってた絵、地震の後すぐに俺が見たときは、もっとはっきり描かれているものが見えたんです」

「え゛? もっどはっぎりっで……、何が?」

「ウィジャボードの幽霊っすよ。アイツがココで、俺を向いて怒ってた」

「まあ゛」


 エリザベスは再び天井画を見ようと扉を開けようとしたが、慌てたミカに「ちょっとダメですってば」と阻止される。エリザベスが首をひねる中、少し離れたところから、吸血鬼が言う。


「レディ、ミカを信じよう。なぜなら、私も見たから」


 まさか、あの超常現象否定派な彼も、ミカと同じものを見たというのか。ミカが、意外そうに目を丸くして返す。


「ほんとに? 吸血鬼さんも?」

「ああ、見た。その一画の絵が、一瞬だけ黒い人影を象っていて、君を睨んでいた。一度目を離すと、もう元の絵に戻っていた」

「そう、そうなんすよ!」

「もう二つの絵とは違う人影に見えた」


 吸血鬼が言うのは、天井画の一番目、二番目にあたる絵で、それぞれ、黒い影のような魔物が街を荒らす場面と、その魔物が、逆十字に磔にされている場面が描かれている。

 ミカとエリザベスは、それぞれ頭の中に天井画の絵面を思い浮かべた。こめかみに指を当てて、ミカが問う。


「違う人影って、どういうこと?」

「わからない。ただ、三番目の絵に現れたのが『ウィジャボードの幽霊』であることは確実だ。アレの見た目は、ちゃんと覚えているからな」

「やっぱり」

「どうじで、わだぐじだけ見ていないのでじょう」


 エリザベスは不安そうに二人の顔を交互に見る。

 ミカもまた、緊張を隠せない様子でうつむいて、両手を握りしめる。


「『なんでお前だけ幸せなんだ』って、言われました」


 吸血鬼は腕組みをして考え込んでいたが、ミカの言葉を聞いてピクリと顔を上げる。


「似たような言葉を、私も言われたことがある。これで確定したな。さっきの地震は、例の幽霊が故意に起こしたものだ」

「そんな! やっぱり、あの幽霊、放っとくとやばいっすよ。だって、俺知ってるんす、吸血鬼さんのコウモリのことも、館の壁を壊してる茨も、両方あの幽霊のせいだって! あいつの目的は、俺たちを殺すことなんです!」


 そう言い切ってしまって、ミカはハッとして息を呑んだ。ミカが最後に口走った発言をきっかけに、吸血鬼とエリザベスの表情が一変したのだ。吸血鬼はミカと同じようにウィジャボードの幽霊の危険性について思い至っていたようで、驚いた様子はなかったが、ただ、ミカが発言したことを責めるように険しく眉間に皺を寄せ、エリザベスを気遣わしげに見ていた。そう、問題なのはエリザベスの方で、見るのも可哀想な心情変化が、全身に現れていたのだ。


 自分たちの命がなぜか狙われている、そう他人に知らせることには、ある種の責任が伴うのだと知った。


「ミカ。それは憶測だろう?」


 吸血鬼が言う。その言葉は、ミカの不用意な発言をフォローするためのものだった。


「……はい……」


 ミカは一度大人しくく頷いたが、しかし、即座に「でも」と続ける。


「でも、黙っていたって何になるんすか。危険なものはちゃんと危険だって知って、何か対策しないといけないでしょ!?」

「そうだが、何も対策のしようがない今では、怯えさせるだけだろう」


 そう言って、吸血鬼はエリザベスの背後に立ったまま、彼女を示すように手を掲げる。

 エリザベスが微かに震えているのを見て、ミカは一層危機感を覚える。


「じゃあ余計に早くなんとかしないと! 姉さんは? 危ない目にあったり、変なこと言われたりしてない?」

「わだぐじは、無い……」


 エリザベスは、二人の会話を聞いてすっかり怯えてしまった。こういうものは、自分が恐怖体験の被害者になるよりも、他人がした恐怖体験を聞いている方が恐ろしくなるものだ。次は自分が標的にされるかもしれない。なぜ、今まで標的にされていないのか、たまたまなのか狙いがあるのかもわからない。そんな恐ろしい存在が牛耳る館に、これからもずっと居続けなければならない。もともと、この館は、エリザベス・アドラー夫人のお屋敷だったはずなのに、どうして今や、幽霊なんかがここを支配しているのか。ミカを襲ったのも、館を茨でボコボコにしたのも、全部、今の館の主たるウィジャボードの幽霊がやったことなのか。

 エリザベスは、出ない涙を目いっぱいに溜める。


「ねえ、わだぐじ、わだぐじが今でもごの館の主人なのだと、ずっどどこかで思っでいで……。幽霊なんて、館に住み着いでいるだげで、わだぐじたちには敵わないのだど、何もでぎないくせして信じていだんでずわ。ミカが幽霊と戦っでいるのを見だどきに、気づくべきでじた。わだぐじ、本当にバカで、頭の中で何も繋がっていなぐっで、今更、初めて実感じまじて」

「姉さん、待って。慌てないで」


 ミカは、エリザベスに駆け寄り、その灰色の両手を握りしめた。落ち着かせるように上下に振ると、エリザベスはようやく、ミカの目をまっすぐに見てくれる。


「姉さんも今度、幽霊の姿を見たら気をつけてください。そうだ、できるだけ一緒に居るのはどうですか? ね、吸血鬼さんも。誰かが襲われたらすぐに助けられるし」

「わかった」

「じゃあ……」

「君はしっかり怯えているんだな。懸命に落ち着こうとしているが」

「え」


 吸血鬼は、ミカの提案をばっさりと切り捨てたのだった。ミカは困惑して、エリザベスと顔を見合わせる。エリザベスを落ち着かせようと握った彼女の手を、気づけば、自分が落ち着くためにぎゅっと握っていた。


「だ、だって、怖いに決まってるじゃないっすか! だから、早くなんとかしようって、今考えてるんでしょ!」

「なんとかってどうするんだ。みんなで寄り集まって過ごして、それから?」

「それから、ウィジャボードの幽霊を……」


 「ウィジャボードの幽霊を倒す!」。そう言いかけて、ミカは思わず止まってしまった。倒すってどうやって? ていうか、どうなったら倒れたことになるの?


 吸血鬼はミカの思考回路などお見通しのようで、ふんと鼻で笑い、「まったく……」と呆れたように呟いた。それから、彼にしては珍しいくらい大きな声で言う。


「怖がるな、同居人たちよ!!」


 腰に手を当てて声を張り上げた吸血鬼は、ミカが背中を離した扉の前に立った。大食堂の扉はとても大きい二枚扉で、大人が力いっぱいかけてやっと開け閉めできる。

 その二枚扉を、吸血鬼は大胆にも両手で一気にバーンと押し開けた!

 

「ぎゃああああ!」

「えええ!? ちょっと!! 何開けてんすか、せっかに逃げてきたのに!!」


 エリザベスとミカの悲鳴などどこ吹く風で、吸血鬼はテクテクと大食堂の中に戻っていく。エリザベスとミカが部屋の外からこわごわ見守る中、吸血鬼は部屋の中をぐるりと見て、安心したように頷いた。


「よしよし。もう怪しいものはいないみたいだ。さ、石像の破片を片付けるぞ。ミカとレディは、すまないがテーブルの上のものを片してくれ。食器はちゃんと洗って、拭いておくんだぞ」


 彼は、まるで何事もなかったかのように普通の日常を再開しようとしている。ミカとエリザベスは唖然として、エリザベスなど、涙も後悔も全部引っ込んだ。


「ちょっと、吸血鬼さん! え? ……大丈夫なんすか?」

「愚問だな。もちろん、現状この館での生活は、君の言うとおり常に危険に晒されている。しかし、こうなった以上、危険がないか確かめながら過ごし、そして安全確認が済んだのなら、日常を再開する勇気が必要だ。みんなして怯えて、一緒に行動し続けるのもいいが、我々が個人である限り、ずっとそんな調子でいるわけにもいかない。今、私たちに求められているのは、現状に妥協して、日常を続ける能力だ。だって、今のところ私たちは、この館から出られないんだからね」


 そう言ってウインクする吸血鬼に、ミカはエリザベスと呆れて顔を見合わせ、それから、ゆっくりと大食堂に足を踏み入れた。吸血鬼は大食堂の中を堂々と闊歩していて、掃除道具を持ってくると、ザッザ、ザッザと音を立てて床を掃き始める。なるほど、確かに、これだけ堂々と日常を送られると、ミカたちを脅かさんとするウィジャボードの幽霊だって、拍子抜けしてしまうだろう。緊張を抜かれたのはミカだって同じだ。


「あーあ、幽霊も気の毒っすね。俺らがこうも普通にしていちゃ、驚かそうにも苦労するでしょ」


 ミカはわざとらしく声を張り上げてそう言い、大食堂のテーブルに向かって一直線に走って言った。エリザベスは、吸血鬼に釣られてミカまでふてぶてしくなったと、ちょっとだけ顔を引きつらせたが、やがて、彼女もまた、大食堂に入り、食器の片づけにとりかかる。


「吸血鬼さんの言うとおりっす。どれだけ危険を避けようとしても、ここから出られないんじゃキリねえっすからね。それなら、大食堂は使える方がいいし、風呂にも入れる方がいいって、そういうことでしょ? 吸血鬼さん」


 ミカがヤケクソっぽく言うのに、吸血鬼が答えようと振り返る。ミカは、ちょうど食器を集めてトレイに乗せたところで、通用口からキッチンに入ろうとしているところだった。

 だが、その時、通用口の上に飾られていた壁掛けレリーフが、ミカの頭上めがけて降って来た。


ガシャン!!


 ミカはさすがの反射神経で退いたので、石造りのレリーフは、そのまま床に落ちることになった。象られた悪魔の顔が、中央から真っ二つになって悲惨である。


 三人とも、パッと天井画を振り返った。天井画の三番目の絵は、確かに一瞬ウィジャボードの幽霊を描いているように見えたが、しかし、瞬きを一回するうちに元の絵に戻ってしまっていた。


「見えました?」

「見えながっだでずわ」


 吸血鬼がため息をついて、レリーフの破片を、箒で集めにくる。キッチンまでつながる道を綺麗にしてやると、吸血鬼は、ミカにその道を行くように促すジェスチャーをして、それから肩をすくめた。


「これが日常になるってことさ」

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