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極夜の館―怪物(まよいご)たちのほのぼの日常日記―  作者: 畔奈りき
ずっとこの館で過ごすために
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第百三話 日記を開く条件篇

 聖書の装飾写本よろしく飾り立てられた装丁、宝石でできたモザイクアートに埋もれるように記された、「MIKA」の文字。吸血鬼は、その美しい「日記」をミカとエリザベスの目の前に掲げたが、二人の予想に反して、表裏二枚の表紙をつなぐ錠前は固く閉じたままだった。


「え、ほんとに? かしてください!」


 ミカは吸血鬼から日記をひったくり、錠前に指をかけたが、やはり、どれだけ引っ張っても鍵は開かない。


「えー、なんで?」

「簡単だ。君はまだ、日記を開ける条件を達成していないということだよ」


 吸血鬼は、「ほら、私の言ったとおりだろう?」と言わんばかりに足を組んで椅子に座り、悠々と紅茶のおかわりをカップに注いだ。ミカの話を聞くために多めに淹れたポットの中身を、責任持って全部飲むつもりである。


「クリアするまで待てなかったんじゃないんすか?」

「私に聞かれても知らないが、まあ、それとこれとは別なんじゃないか。君は、知るべき部分だけ知らされたってことだ」

「じゃあ、日記を開ける条件って?」

「そうだな……『もう彼は人間だ。囚われる必要はない』と、日記に書かれること、とか。レディ、それ以上錠前を引っ張るのはやめるんだ。君の怪力なら本当に壊しかねないから。アレが出てきても知らないぞ」


 ミカに代わって日記の錠前に指をかけていたエリザベスは、動作を一時中断して吸血鬼の方を見た。日記をクルクルと回して、裏側に向けたり、表側に向けたり、不服そうにしている。


「……ミカの日記はまだ終わりではないどいうごど? じがじ、ごのどおり鍵がかかっている上に、ごれは図書室の金庫に入れているのでじょう? どうやって、文章を足じでいぐどいうのでず?」

「さあね。相手は幽霊なんだ。ポルターガイスト現象で何でもできるんじゃないか?」

「なんか投げやりな言い方でずごと。ぞれにしでも、一体どのような条件を達成ずれば、ぞの最後の一文が足ざれるのがじら?」


 エリザベスと吸血鬼の会話を聞いて頭をひねっていたミカが、ここでやっと合点がいったようで、「あっ」と声を上げた。


「もう人間だ、囚われる必要はないって、セレーンさんとか姉さんの日記の、最後に書かれていた言葉っすね!」

「そうだ。物語でいうところの、『めでたしめでたし』。音楽でいうところの『Fine(フィーネ)』にあたる。ジ・エンドだ、それがないと日記は開かない」

「なんで俺のには書かれてないんすか?」

「君はまだ人間ではなくて、囚われる必要があるからだ」

「はあ? そりゃ、俺はもとから、狼男っすけど」


 ミカは困惑したように顔をしかめて、後半の部分は、少し悲し気に視線を落として言った。

 吸血鬼は人差し指を立ててミカに向けて数回振り、彼を肯定する仕草をしてみせる。


「その通りだ。ミカはありのままで狼男だし、私もありのまま吸血鬼なのに、この館は解放の条件設定をミスったに違いない」


 吸血鬼は両肘をテーブルについて、両手を重ね、その上に顎を乗せたポーズで、テーブルの向こうにいるミカと目を合わせてきた。なんだが、秘密の話し合いでもするかのような、もしくは、ミカに大事なことを言い聞かせるかのような雰囲気だ。


「いいかい。その日記が開くかどうかは、あまり重要じゃない。それはただの記録であって、日記が開くことは付随的な効果にすぎない。まだ日記が開かない私たちに求められているのは、『人間になること』、その結果のために行動することだ。私たちは人間になれば、この館での物語を終わらせることができる。それイコール、館からの解放であり、イコール、日記の開放なんだ」


 ミカの頭の中で、「かいほう」というワードがグルグルと回り始めた。吸血鬼の言っていることが、ミカにはいまいち理解できない。付随的な効果とか、ソレイコール、アレイコールナニとか、難しい連鎖をいちいち説明されても、よくわからないし、ミカにとっては重要なことではないように思えてしまう。ただ、「人間になること」を求められている、という部分だけは、しっかり頭の中に居残った。


「そんなの無理じゃないっすかね」

「ああ無理だ」

「博士でもできなかった」

「DNAからはやり直せないからな。でも、問題ない」


 吸血鬼は格好つけて、パチンと指を鳴らす。


「私はこの館を出る気はないからね」


 ミカはふいを突かれたような気分になって、目をパチクリとさせた。

 そうか、館を出る気がないのなら、館が設定した条件をクリアする必要もない。

 ミカはすとんと納得して、


「そっすね」


と、朗らかに笑った。


 と、ここで、エリザベスが胸の高さに挙手をした。


「あ゛の~。わだぐじ、『もう彼女は人間だ』と日記に認めでいただいでおりまずげれども、ごのどおり、ゾンビのままなんでずげれども」


 エリザベスは、可憐なドレスの袖や襟口から覗く灰色の肌を見せつけるように両手を広げた。

 吸血鬼は腕を組んで「う~ん」と唸りながらエリザベスを観察し、すぐに、自分のほっぺを片手でムニムニと揉んで示した。


「だが、肌の弾力はだんだん取り戻してきているだろう?」

「え゛ぇ!?」


 エリザベスは素っ頓狂な声を上げてほっぺを両手で包み、慌ててミカと吸血鬼へ背を向けた。それから、壁際までドテドテと走っていくと、ドレスの襟口から胸元へ手を突っ込んでしばらく服の中を漁り、やっと中からコンパクトミラーを取り出すと、顔面を確認する。


「た、確かに、ごんなにも喋っだり食っだり飲んだりを繰り返じでいるのに、顔のひび割れがない……! いつから気づいて!?」


 バッとドレスを翻して吸血鬼を振り返るエリザベス。


「今だ。パッと見て、そうかなって」

「もっど早くお気づきなざい!」

「無茶言うな、本人が気づかないことを」


 そのとき、ミカの片手がピタリとエリザベスの頬を包んだ。エリザベスは、突然頬に感じた手のひらの温かさにぴたりと動きを止めて、黙り込む。じわじわと心が温まってきて、眠れない夜にホットミルクを飲んだ時のような気分になる。

 ミカは、事の真相を確かめるため、親指と人差し指でそっとエリザベスの頬を摘んだ。灰色の皮膚の内側には、確かに柔らかな「頬肉」の存在を感じる。


「はわわ」


 ミカの無邪気な仕草が可愛くて仕方なく、エリザベスはついつい猫撫で声を出してしまった。


「ふ、ふにゃ〜ん、ミカったら、小ざい子みだいでずわ」

「すみません」


 ミカはパッと指を離し、「でも、ほんとっすね」と呟いた。


「姉さん、ゾンビっぽくなくなってきてます。姉さんは元々人間でしょ? きっと元に戻ってるんすよ」

「ふにゅう……ぞう? でも、かなり長い年月をゾンビとして過ごしてぎまじだのよ。今更人間になるなんで、どういうきっかけなのがじら」

「喋れるようになったのは?」

「あれは、神様に祈っだがらでずわ」


 エリザベスが澄んだ目でミカに答えたが、そこに、吸血鬼が目を眇めて口を挟んだ。


「神様じゃない。君が人間になる条件を満たしたからだ。その条件を作ったのはこの館で、館を牛耳っているのは……」


 そこで、吸血鬼は口を噤んだ。目をキョロキョロと泳がせて、椅子から中途半端に腰を浮かせる。

 ミカも目をパチクリとさせて周囲を見て、ふと下を向いて、床に手を当てた。


「もしかして、揺れてます?」

「え? まさが、地震でずの?」

「地震のようだが、おかしい。今までこんなに揺れたことがない」


 次第に揺れは酷くなり、立つこともままならなくなったエリザベスは、「イヤ!」と悲鳴を上げて、頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。ミカもまた、その場で姿勢を低くしたが、彼の身を案じたエリザベスが顔を上げ、彼の背後の様子を目の当たりにしてハッとする。


「ミカ、そこじゃなくて、テーブルの下に……」

「もう遅い!!」


 エリザベスの言葉を遮って、吸血鬼が叫んだ。吸血鬼の意を汲んだエリザベスが咄嗟にミカの腕を掴み、後方へ放り投げる。ミカの体が宙に浮いたと同時に、重たい衝撃音が鳴り、そこで地震は目的を達したかのように、ようやく鎮まった。


 遠く離れた床に転がされたミカは目を回してしまい、床は安定しているのにまだフワフワした感覚が続いている。額を抑えて起き上がると、何事かとエリザベスの方を振り返った。


「いてて、姉さん? なんで……?」


 しかし、その惨状を見れば、あえてなぜミカを投げ飛ばしたかなど問う必要はなかった。先ほどの地震の最中、ミカがしゃがみ込もうとしていた場所には今、倒壊した石像の破片が散らばっている。

 エリザベスは胸元からコンパクトミラーを取り出す際に壁際まで移動していたが、その後、彼女の頬を触りに行ったミカも、彼女と並んで壁際に立つことになった。地震が起きた際、二人は同じようにその場にしゃがみ込んだが、たまたま、ミカがいた場所は、壁際に飾られた石像の真ん前だったのだ。その石像とは、悪魔を模った石像だ。まるで、邪悪な牙をミカに突き立てようとしたかのように、石像は前方へ倒れ、ミカの背中を襲った。吸血鬼とエリザベスは倒れてくる石像に気づき、エリザベスはミカを助けるために、投げ飛ばしたのだ。


「あ、危ながっだ……」

「なんなんだ、いきなり」


 吸血鬼は席を立ち、割れた石像の破片が、ミカやエリザベスに刺さっていないことを確認する。さっきまでミカがいた場所で石像が盛大に割れるのを見たエリザベスは、腰が抜けたのか動けずにいた。


「大丈夫かい、ミカ」

「は、はい。姉さんごめん、ありがとうございました」


 吸血鬼の手を借りて立ち上がったミカは、遅ればせながら命の危機を実感して、心臓がバクバクとなり始めていた。震える声で心からのお礼を言い、エリザベスの元へ駆け寄ろうとした時、ミカの頭の中に冷たい何かが侵入してきて、ミカはぴたりと足を止めた。


 その冷たい何かは、ミカの聴覚神経に直接、不協和音のような醜い声で囁きかけてくる。


『なぜ、お前たちだけ幸せでいる。なぜ、お前だけ幸せでいる!』


 ミカは、ハッと上を見上げた。天井画に描かれた黒い人影が、ミカを罵って蠢いていた。

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