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第九十五話 ミカの祖母篇

 久々、というより、もはや初めてまともに座ったとすら言える教室の自席で、教科書を開いたミカは思った。


(全然、わっかんないなー……)


 地元唯一の中学校なので、生徒に限らず、先生までも知り合いが多い。皆、ミカに優しく接してくれたが、どうしてか疎外感を抱いてしまう。


(仕方ないよな。結局、最後までほとんど来れなかった学校だ)


 ミカは、年齢だけで言うなら既に卒業年であった。しかし、ミカの学力は、本来身に着けるべきレベルまでほど遠い。何せ、教科書すらまともに読めないのだ。ミカは授業内容を理解することは諦めて、「学校」という場所の雰囲気を楽しむことにした。


 中学校に来る途中、姉のソフィアが通う高校に顔を出し、先生に彼女の欠席を告げた。ソフィアをよく知る女性の先生は、ミカが顔を出しただけで、すぐにソフィアの欠席を察してくれた。ソフィアはよく学校に馴染み、体調の変化にも理解を示され、普段から周囲によくされているらしい。


 先生が教科書を読み上げる声を耳のどこかで聞きながら、ミカはこっそり肩を落とす。自分が、明日も学校に来たいと思っているのか、わからなかった。


§


 学校から帰宅すると、家の中にソフィアの姿が見えなかった。すぐにも姉に甘えたかったミカは、キッチンで夕飯の支度をしている母にソフィアの居場所を尋ねようとする。しかし、母の後ろ姿に近づいた時点で、今はダメだと悟った。母の背中は、すっかり殺気立って見えたのだ。きっと、朝に父と交わした口論がまだ尾を引いているのだ。ここで、ミカがソフィアの居場所なぞ聞こうものなら、弱まった火に風を送るに等しい。


 その時、ツンツンと肩を叩かれ、振り返るとそこには祖母が立っていた。祖母はミカの腕をゆっくりと引いて居間を通りすぎ、祖母の自室にミカを非難させてくれた。


「そこへお座り。お菓子を食べていいからね」


 ミカは大人しく、窓際にちょこんと置かれた木製椅子に座り、小さなテーブル上の菓子かごを眺める。祖母はベッドに腰かけて、ミカのためにクッキーの箱を新しく開けてやった。


「お姉ちゃんは、いつもの納屋だよ。気の毒にね。この時期は仕方がないようね」

「姉さんはやっぱり、具合が悪いと一人になりたいかな」

「お母さんは、そう思っているのかもしれないねえ」

「でも、納屋では寂しそうにしているよ」

「おや、行ったことがあるのかい?」


 ミカはびくっとして祖母の顔をうかがった。ソフィアが納屋にいる間、ミカはそこに近づいてはいけないと母にきつく言われている。ミカは表向き、その言いつけを守っていたが、しかし、どうしても寂しくなってしまったときに、こっそり会いに行っていることも、親や祖母にはバレていながら見逃してくれているものとばかり思っていた。実際、バレているのはそのとおりで、どうやら祖母の今の発言も、ミカをドキリとさせるためのいたずらだったのだと、祖母の顔を見て思った。


「ばあちゃん。姉さんが納屋に入るのは、具合が悪い時に俺の病気がうつると大変だからでしょう? 俺の病気は、一昨日の治療で治ったって聞いてたんだけど……違うの?」

「……ミカは、自分の体が元気に感じるかい?」

「俺は、俺の体が悪いと感じたことなんてないよ。母さんや博士が『病気』って言うから、そう信じてただけだ」


 ミカの手はクッキーを持ったまま、それを口に運ぶ気配がなかった。祖母は、ミカの話をウンウンと頷きながら聞いている。


「最近、父さんと母さんの仲が悪いのも……っていうか、母さんの機嫌がどんどん悪くなってるのも、全部俺の病気のせいなのかな。治ったって言ってたのに、どうして俺の家族の仲は、悪化してるんだろう……」


 祖母は、足腰をかばってゆっくりと立ち上がり、そろそろとミカに近づいた。それから、椅子に座るミカを胸に抱きしめて、その背中をポンポン、と叩く。


「ミカ。かわいそうに。ミカは何にも悪くないのにねえ。毎日頑張って仕事をして、治療にも耐えて、今日は学校にも行って、こんなにいい子なのにねえ」


 ミカは、祖母の胸に安心して頭を預けた。祖母の甘やかし方は、ソフィアのそれによく似ている気がする。そう思ったあと、もしかしたら逆なのかも、とミカは考えた。ミカはそんな場面見たことないが――ソフィアもまた、祖母によく、このように甘えているのかもしれないのだ。


「ミカ。何か悪いことがあった時は、ぜーんぶ、このばあちゃんのせいにするんだよ」

「え? なんで? ばあちゃんのせい、みたいなこと、一個もないよ」


 ふいに祖母が言った慰めの言葉が、本当に突拍子もなかったので、ミカは思わず笑ってしまった。


「いいや。ミカやソフィアを苦しめることは、ぜんぶ、全部、ばあちゃんのせいにしてほしいのさ」


 祖母はそう言ってミカを慰めながら、顔を上げて窓の外を見た。

 外はもう日が落ち、暗くなってしまっていた。羊たちは寝床に入り、ミカの父も仕事から帰ってくる頃だ。夕飯のスープの匂いがこの部屋にも漂ってきて、ミカはお腹が空いてきたのだろう。ミカは祖母の胸に頭を預けたまま、顔を横向きにし、やっとクッキーをかじり始めた。喜ばしいことだ。


 祖母は窓の外を眺めながら、まだミカの背中をポンポンと叩いている。


 ポンポンと叩いている。


 ポンポンと。


 ポンポン。


 祖母の目が、ハッと見開かれた。


「あなた」


 ミカは頭を起こして、不思議そうに祖母の顔を見上げた。


「何?」


 祖母の表情を見たミカは、突然のことに驚き、胸騒ぎに襲われる。なぜだかわからないが祖母の顔は驚愕に満ちていて、ミカの背中を撫でる手も、自分の口を押える手に変わってしまったのだった。

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