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第九十話 博士の真実篇

 ソフィアは今日の夕方から月のものが始まったせいで、古い納屋で過ごすことになっていたが、今は一時的に外に出ていた。無論、ミカが家に帰ってくるからだ。弟が無事である姿を一目見てから眠りたく、ベルトで股のところに固定した布が落ちないように気をつけながら、家の庭にしゃがみ込んで潜んでいた。


 ソフィアは、あの「博士」とやらのことをいけすかなく思っている。理由は特にない。直感だ。多分、あの頭がすこぶる良いらしい人は、ソフィアたちの母親を下に見ている。外面だけ丁寧に接するから、ソフィアの母は博士のことをすっかり信用してしまっているが、ソフィアから見れば、適当に聞こえのいいことを言って母を黙らせているだけだ。

 そんなわけなので、ミカが博士と二人きりになる「治療期間」では、ミカのことが心配でたまらない。何か変な新薬の実験台などにされていないか疑って、夜眠るのもままならない。

 以前、博士の元に通うのをやめさせてほしいと母に言ったことがあるが、母には「弟の病気を治したくないの!? 思いやりのない子!」と怒られてしまった。父に言っても、「母さんの気持ちをわかってやってくれ」と言われるばかりだ。ソフィアにはもう、ミカに優しくしてやって、心配してやることしかできない。


 さて、時間をみて家の様子を見にきたつもりだったが、体調が優れないためか、どうやら時間を見誤ったようだ。ソフィアが家の庭に潜んだ時にはもう、ミカは家の中に入ってしまっていた。それどころか、博士は母に今回の治療結果を報告し終えていて、もう帰っていくところだった。

 ミカの様子を見ることができず、その代わりに嫌な博士の顔を見ることになってしまうなんて、とソフィアは自分のミスを恨んだ。しかし、ぼんやりと聞こえてきた母と博士の会話から察するに、ミカは今日も元気な状態で帰って来たようだ。博士は、母にこう言って別れる。


「では、来月もミカくんを迎えにきます」


 一生くるな! とソフィアは思ったが、もちろん口には出さない。博士は家のドアを閉めると、家の前に駐車している車に近寄った。車の前には、博士の助手の女が立って待っている。


「お疲れ様です、博士」

「やあ、君も待たせて悪かったね。少し休憩してから帰るとしよう」


 助手は博士にタバコを手渡した。博士がそれを一本咥えると、ライターで火をつけることまでしてやっている。

 博士は煙を燻らせながら立つ姿勢を崩した。


「あの母親はまるで大人しいな。まだ教会通いも続けているようで、敬虔なことだ。今まで全く変化がないっていうのに」


 ソフィアは、やっぱり! と拳を握りしめた。ソフィアは今、疑い続けた博士の本性を目の当たりにしようとしている。

 しかしソフィアは、博士の続く言葉に眉を顰める。


「しかし、彼女もなかなか口を破らないな。本当の父親が誰か、僕がどれだけ誘導してやっても、それらしいことすら言わない」


 本当の父親、その言葉が何を言おうとしているのか、ソフィアはすぐにはピンと来なかった。

 その時、母がヒステリーを起こした声が家の中から聞こえてきた。ミカが理不尽に怒られているらしいのを知って、ソフィアの足が無意識に家へ向こうとする。

 博士たちもまた、わざとらしく怯えたような仕草で母の声に反応した。


「おお、怖い怖い。夫もよく耐えるものだよ、息子のためにと言えど。実の子じゃないってわかってるだろうに」

「! 博士」


 助手が博士の肩を叩き、ソフィアがいる方向を指差した。


「ん? おい、そこの赤いの。誰かいるのか?」


 赤いの、と博士が言うのを聞いたソフィアは慌てて、頭につけたお気に入りのスカーフの結び目を握った。外してしまおうかと思ったが、居場所がばれていては今更仕方がない。ソフィアは潔く立ち上がって、博士たちに姿を見せた。


 ソフィアが現れると、博士は一転して柔らかな表情を見せる。


「これはこれは、ミカくんのお姉さんじゃないか。こんな夜更けに外で何をしているんだい?」

「ミカを出迎えにきたんだけど、少し遅かったのよ」

「出迎えにきた……、ああ、今はその時期なんだね」


 ソフィアは顔を顰めた。ソフィアが今家にいないことを仄めかすだけでソフィアの体の事情に思い当たるなんて、それほどソフィアたちの家の事情に精通している博士に虫唾が走る。

 ソフィアは不機嫌さを隠さないままに言った。


「ねえ、あんたたちの話聞いてたわ。本当の父親ってどういうこと? まさか、母のことを疑ってるの!? やめてよ、明らかな名誉毀損でしょ!!」


 博士は一瞬驚いたように目を瞠ると、呆れたようにため息をついた。


「ああ、お姉さん。あなたはまだ知らされていないのだね。でも、残念ながら、大人たちはもうとっくに気づいているんだよ。気づいた上で、黙っているんだ。だって、お姉さん、君とミカくんは半分しか血が繋がっていないと、そうでないとおかしい」

「何がおかしいって言うのよ」

「ミカくんの病気は、遺伝的な要素が強すぎる」

「だから何? 病気になるのは遺伝の問題だけじゃないわ。病気だけじゃ、父親が違うことの理由にはならない」

「おや、もしかしてお姉さん……ミカくんの病状についてもご存知ないのかな?」


 ソフィアは視線を泳がせた。


「生まれた時に大変なことになったんでしょ」

「それだけじゃない。全く、そんな表現で足りるものじゃないよ」

「…………っ、狼が憑いているんでしょ!!」


 ソフィアは家の中に聞こえないような大きさで、けれども、博士たちにこれ以上良いようには言わせないという決意を込めた強い口調で答えた。

 だが、博士はなぜか、それでも首を横に振る。


「憑いているなんてものではない」


 博士はソフィアの腕を引っ張って顔を近づけた。博士の厚顔無恥な笑顔が吐く気味の悪い息が、ソフィアの鼻にかかる。急に足を動かした拍子に、ソフィアの股に付けた布が重くなる。

 博士は言った。


「ミカくんは半分、狼なんだ。狼になることは、ミカくんの能力なんだよ」


 ソフィアはしばらく、博士の言う意味がわからなかった。


「ミカくんを切り裂けば狼になって、その傷を癒す。ミカくんに毒を盛れば狼になってその胃を洗い出す。ミカくんを水死させれば狼になってその命を救う。その代わりに、彼は生まれ変わって死んだ時の記憶を失うがね」


 ソフィアは博士を突き飛ばした。ソフィアの頭の中はまだ混乱していたが、反射的に突き飛ばした。


「あんた、ミカにそんなことしてるの!?」

「責められる謂れはないよ! 僕の実験のお陰で、君の弟の『病気』の正体がわかったじゃないか」


 ソフィアの目の前は真っ赤になった。

 けれど、ソフィアには博士に問いたださなければいけないことがある。博士を突き飛ばしたことで冷静になった頭が、ある最悪の仮説を導き出していた。


「ねえ、あんたさ。ミカの半分が狼の遺伝子だっていうんだったら、それって、『病気』じゃないんじゃないの? ……あんた、ほんとにミカのこと治せるの? っていうか、それじゃあそもそも、何を治すっていうのよ……!?」


 ソフィアは博士を忌々しく睨みつけたが、博士は依然、気持ち悪く笑っていた。


「さあ? それは、あなたのお母様に訊いてくださいな」


 ソフィアは悔しくて唇を噛みちぎった。母にこのことを伝えろというのか? いや、博士は、ソフィアが母に全てを話せないことを見越してこんなことを言っているのだ。もし、これを全て伝えれば、あの敬虔で真面目で、子供思いで、だからこそ追い詰められたあの母は……。


「……ふん。新鮮な処女の経血だ。呪いに使える」


 気が遠くなるソフィアの側で、博士が助手と部下たちに何やら指示を出している。


 気がつけば、ソフィアは博士の車に揺られていた。


 どこに行くとも、いつまで行くとも知れない。

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