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夫婦、邂逅す


「そろそろ行くか……」

「はい」

 両殿下への祝辞行列が途絶えてきた頃、ミカルたちも動き出した。


「この度は……」

 ベッター夫妻の祝いに王太子妃は嬉しそうに応え、レドニス王太子は。

「夫人。貴女の献身によって妃は守られ私たちはこうして婚姻を結べたのだ。貴女も想っていた男爵と結ばれ目出度い事だ」

 立ち上がり、ミカルに握手を求めた。

 建前の公表(パフォーマンス)だ。ミカルは戸惑いつつ笑顔を崩さずにその異例の握手に応じ、王太子とは同士であると周りに示したのだ。

「ベッター男爵も夫人をずっと待っておられて……純愛ですわね」

 うっとりと二人を見たアンジェラ王太子妃も、ありもしないミカルとハウロの馴れ初めをさり気に語りつつ、二人の婚姻には王家の都合など無いと周知させた。

 当然周りは寝耳に水だと二組の夫婦の会話に耳をそばだてる。

 ミカルを生贄の羊に仕立てた令嬢たちは血の気が引いて祝いどころではない。親や同行者に連れられホールを辞する者も何人かいたようだ。


 ミカルには実際のところ、ここまでの名誉の回復は過剰だった。ハウロも、ミカルの何となく沈んだ微笑みを見て、やはりこの王太子にはいい感情は抱けなかった。

 結局のところ故意か不手際なのか分からないが、ミカルを10年も拘束した事を彼らは美談にしてしまったからだ。王家のやる事なので文句は言えないのだが。

(俺が噂通りにこいつを不幸にするような男だったらどうするつもりだったんだ……)

 主役たちの御前を下がり、ハウロはミカルの手を取る。その際、控えている王太子の側近を目端に捕えて、まさかと眉を寄せるのだ。

(ユーゴか。俺たちの縁組……奴が?)

 友人とも、そうとも言えないような複雑な関係の、毅然と前を向く男。ハウロは彼に釣書の提出を促された過去を思った。

(贖罪のつもりなんだろうな……今ミカルが笑って暮らしてるからいいようなものの、最初から俺にしか利点がない縁組だった訳か)

 ハウロは友人である彼が未だに悔いている事を知っている。幼い頃兄の友人として自分を取り囲んで、()()()()()()()事を未だに。

 思うところはあれど、やはりハウロはミカルを引き合わせてくれた事に感謝を覚えてしまう。もう妻の居ない生活は考えられなかったのだ。


 テーブルに戻ってきた二人は、ふっと気を抜いた。

「ふふ、何だか疲れました」

 言いながらもミカルは笑いながらハウロを見上げる。

「ああ……だ、だがまだ気を抜くな。帰るまでが夜会だぞ……」

「はい。これからどうしましょうか」

「一応義理は果たしたしな。俺はもう帰りたい……」

 ミカルを守ろうと気を張っていたハウロはとにかく休みたかった。妻がまだこの場に居たいというのなら留まるのにやぶさかではなかったのだが。

「そうね。折角いいお部屋を手配して貰っているし、旦那様とゆっくりしたいわ」

 目を細め微笑む妻の頬が若干染まってどこか甘い空気を纏わせたのを、夫は嬉しくも切ない気持ちで享受する。


 そんな空気が壊れたのは、二人がホールを出て馬車に乗り込むまでの間、一人の女性が接触してきたせい。

 その婦人は、仄暗い目をしてミカルとハウロをねめつけ、小さく吐き捨てた。

「どうして……」

 ミカルはその悪意が向かう先が自分ではないと察知して、夫の前に立ち塞がろうとするが当の本人に防がれた。何とも言えない顔で妻の肩をそっと抱き寄せるようにして。

「行くぞ」

「……旦那様」

 ハウロはこの婦人を無視するようだ。

 だが、彼女はそんなハウロの態度が余計癪に障ったらしい。

「どうしてっ! どうしてあんたがそんなに幸せそうなのよ!? つまらない出来損ないの男のくせに……!」

 この時点では婦人の正体が掴めなかったミカルだが、彼女の口から次々と発してはならない罵倒が出た事で察せざるを得ず、頭が真っ白になった。

(この人がそうなのね……ハウロ様を誘惑して笑った……)

 ミカルは異性との交わりについてまだ知識外では未知な部分が多かった。だが、ハウロが結婚初日に語った「上手くいかなくて」という言葉から、そういう行為に及ぼうとはしたのだと嫌でも分かる。

(この、人と)

 ミカルは嫌な感情が心を蝕んでいくのを、どうしようもなく拒めなかった。

 ハウロの心を気遣う思いや、一時でも男女の仲になり彼に傷を付けた女性への軽蔑と、嫉妬。全てが織り交ざり、吐き気すら覚えた。

「くそ……だから嫌だったんだ」

 ハウロの呟きにも心を痛めたミカルだが、そんな彼はずっと妻の肩を抱いていて、むしろ婦人の方には意識を向けていないような様子だった。

 ハウロは自分の事よりも一番に、あのような口汚い悪意を優しい妻の耳に入れたくなかったのだ。

「旦那様!」

 駆けてくるその声は馬車に待機していた護衛だった。輿入れの際ミカルをエスコートした彼である。

 30前後のナイゼルは護衛、御者も兼任するベッター家の使用人。そんな彼は領主夫妻の前に立つ。

「お二人は馬車へ」

「ああ、頼む」

 ハウロはまるで何事も無かったかのようにミカルをやんわりと誘って背を向ける。

 遠ざかる支離滅裂な罵倒を背に、二人は馬車に乗り込んだ。


 馬車に揺られ並んで座る二人の間には何とも言えない沈黙が広がる。しかしその距離は隙間無く、ミカルはハウロの腕にそっと頭を寄せ、ハウロはそんな妻の肩を抱いている。

(ずっと笑いかけて楽しませるって……決めたのに)

 未だかつてなく混濁とした心情を抱えた妻に、ハウロは上手く言葉が出なかった。伝えたい事など沢山あるというのに。


「ミカル」

 一瞬、逡巡して、呼ばれた妻は顔を上げた。

 ハウロは信じられないくらいに赤面して、顔を逸らしていた。

「あ、あのな……俺はお前が、その。笑ってるのが、すっ……好きだ」

「旦那さ……」

「あ、か、勘違いするなよ。無理して笑えって言ってるんじゃなくてだな……」

 口下手な夫が必死で言葉に乗せて気持ちを伝えようとしている。

(辛いのはハウロ様なのに)

「俺が何か言われた事で、お、お前が辛い思いをするのが……嫌だ」

 ミカルはハウロが何を言いたいのか理解して、そして自分勝手な感情を恥じた。

「違うのです。私、あの方に、嫉妬をしてしまったの」

 嫉妬。と呟いたハウロはぽかんとして、俯いて赤面する妻を凝視した。

「旦那様の心が整うまでいつまでも待つ、なんて言ったのに。私……あなたが触れたあの方を、その、羨んで……」

 ミカルはハウロを傷付けた相手を羨んでしまった自分を、何よりも許せなかったのだ。

 それがハウロの脳に行き渡るのには少し時間を要した。

 だが。

「お、お前……お前な!?」

 ミカルの頭を優しく自分の胸に押し付けて、ハウロはどうしようもなくなって天を仰いだ。服越しで抑えられても感じる夫の鼓動がミカルに沁み渡る。

 ハウロはこんな時の対処法が分からない。自分と関係のあった女性に嫉妬する女性の存在など今までは有り得なかったから。

(今だけ)

 ミカルは、今この馬車の中、ホテルに着く間の短い時間だけは、抱え殺せない負の感情を隠さず夫に甘える事に決めた。


 そろそろホテルに着く、という頃、合流した護衛のナイゼルが中にいる夫婦に声を掛けた。

「旦那様、しばしそのままで」

 扉越しのくぐもった声にハウロは応える。

「……どうした」

「……ビルノーツ公爵様です」

 密着するハウロの肩がぴくりと動いたのを、ミカルは心配そうに見上げた。

「旦那様」

「お前は出るなよ。いいな」

 ハウロはミカルに言い聞かせて、自分一人で馬車を降りようとしていたので彼女は慌てた。

「待って。私も一緒に」

 戸惑ったハウロだが、ミカルのその明瞭な表情に何も言えなくなった。内心でも妻に傍にいてほしいという思いもあり。

「わ、わかった。ナイゼル、そのままホテルにつけてくれ」

「承知しました」

 二人の馬車にビルノーツ公爵家の馬車がつけているのだとナイゼルは言う。ハウロはそのままホテルで元兄と相対するようだ。

 公爵だからと言って、いや、この国の公爵だからこそ、あのホテルで好き勝手は出来ないとハウロは目論んだ。


 ホテルシャルメイアのロビーラウンジ、高級なソファにミカルたちは座る。そこに若干早足で歩いてくるラウノ・ビルノーツは一人だった。

 彼の妻も一緒だと思っていたハウロは拍子抜けしたが、公爵の目が自分を見下しつつミカルを見ている事に気付く。

(くそ……やっぱり。絶対ミカルに目をつけると思ってた)

 そんなハウロの心情を分かっているのか、馬鹿にしたように笑んでいる公爵だが、その端正な顔に含まれるのは嘲笑ばかりではなかった。

「久しいな、男爵」

「……お久しぶりです」

 冷え冷えとした挨拶を交わしながら、公爵は夫婦の前に座り足を組む。

「不肖の身内が苦労を掛けているだろう。夫人」

「お気遣いありがとうございます。不肖なんて……ハウロ様はとても優しく私によくしてくださいます」

 本当に、本心から甘さを匂わせるミカルに横にいるだけのハウロは気恥ずかしくなる。

「優しく、か。逆に言えばそれしか取り柄が無い男だ。夫人のような美しい女性には物足りないのでは?」

 目を細めた公爵に視線でなぞられ、ミカルは得体の知れない寒気に襲われた。思わず目線が重くなった時、隣の固く握られた細い手が見えて。

 夫の膝の上で握られた手にそっと、自分の手を重ねた。

「ハウロ様は領主としても夫としても素晴らしい方です」

 人と関わるのが怖いというハウロだが、前当主から受け継いだ領地を不足なく治め、彼の時折見せる飾らない素は領民にも好意的に受け入れられている。

 ミカルは夫を異性として好いているのは確かだが、それと共に、尊敬の念をも抱いているのだ。

「取り柄が無いのは私の方です。そんな妻を娶ったハウロ様が今幸せだと思って下さっているのなら、それが私には幸甚の極みです」

 頬を染め目を伏せて夫に手を添える妻。ラウノは間近で見せつけられた女の様子に焦燥し、培った憎しみを荒れさせた。


 幼い頃から嫉妬と侮蔑の対象だった弟が何故、ここまで愛されるのか本気で理解できないラウノ・ビルノーツ公爵。

「……もし不都合や不便があれば、いや。快適に憂い無く過ごせる環境を望むなら、私が君を保護してもいいが」

 ミカルは目的が読めず首を傾げるが、ハウロはこの公爵の遠回しな要望に眉を歪めた。

「私の妻を……っ、愛人にすると言うのですか」

 ハウロは未だかつてないほど憤り、散々苦しめられてきた嫌いな男に対して初めて怒りの感情を抱いた。

 当然ミカルは夫の発言に驚く。

(そこまでして……ハウロ様を貶めたいの?)

 ミカルは自分が本気で望まれているとは思っていない。だからハウロを心配するのだが。

 まるで肯定するように公爵が何とも言えない表情で、目で、ミカルを捕えたために、寒気とは違う黒いものが彼女の中に生まれる。本気だろうと、当てつけだろうと。

(この人の、愛人……? 嫌……)

 夫を苦しめ続けてきた、このラウノ・ビルノーツ公爵。ミカルは明確に生理的な嫌悪感を抱いてしまった。


 ミカルは恐怖心を押し殺してそれでも公爵の真意を問う。

「私がそうする事でハウロ様にどのような利点があるのでしょうか」

 公爵に聞いているようで、ミカルは夫にも言っている。

「何もある訳ないだろ……」

 即答した夫とは裏腹に、公爵はゆっくりとほくそ笑んだ。

「男爵は病弱だろう。君は満足できているのか? 私のような健康な男にしか与えられないものはある。そう思わないか」

 ミカルは本気で公爵の言いたい事が分からない。ハウロを不幸にしたいがために妻を引き離したいのかとそんな予想しか出来ない。

 しかし公爵の思惑は、ミカルの良識を塗りつぶす。

「それは幼い頃から薬漬けだ。持病で常に高熱を出し……」


 公爵の明け透けな言葉に、ミカルはカッと顔が、頭が熱くなった。羞恥と、怒りで。

 要は夫としての務め――を揶揄しているのだ。

「私は旦那様……ハウロ様を愛しています」

 横で息を呑むハウロ。

 ミカルはもう公爵を見る事なく、しっかりと夫を見上げていた。瞳を揺らしながら。

「一人の人として……一人の男性として。ハウロ様が健康でも、そうでなくとも。この気持ちは変わらなく……お慕いしています」


 ハウロに愛想をつかすどころかむしろ縋りつく勢いのミカルに、公爵は内心混乱して、沸々と怒りが溜まる。

 ラウノ・ビルノーツは今まで割と順風満帆な人生を送ってきた。両親の関心も爵位も、世間の目も、女も、結果思い通りになったが、ここにきて。

 ラウノはミカルを世間知らずの、まだ少女だと見くびっていた。

 これまで浮いた噂は無く、ようやく結婚となり夫になったハウロしか男を知らない。だから夫を愛していようが、他の――ラウノに誘われれば簡単にふらつく程度の想いなのだと、少女さながらの移ろい易さを利用しようとして近づいた。

 実際はミカルの方が、ハウロに捨てないでくれと懇願しているような様子。


 ラウノは顎が痛む程の歯噛みをして、その光景を不愉快なものとして見るしかなかった。

 所詮出来損ないの男に心を寄せる程度の女なのだと一緒くたにしようとしても、公爵の中の燻る嫉妬は消えない。

 強引な手はいくつも思いつくのだろうが、公爵は妙な自尊心がある。あくまでもミカルの方から望まれる事実を欲していた。これまで思い通りになったように。


 しかしそれは叶わなかった。


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