歪みについて教わりました
飯櫃神社はどこの街にもありそうな小さな神社だ。
鳥居をくぐると境内はちょっとした公園のようになっており、綺麗に手入れされた草木が生い茂っているので住宅街の中ではいくらか特別な空間であるように感じられる。その中心を抜ける参道を三十メートルほど歩くと木造の社がある。
お祭りでもなんでもない時には大抵人の姿はないのだが、今日は境内のベンチに老夫婦が座っていた。
そしてその社の裏に回ると家が建っている。
神社からは少し浮いているが、どこの住宅街にもありそうな二階建ての一戸建てだ。ベランダには女ものの衣服が干されており、その中には巫女服がいくつかあった。
社の裏に回ったことがなかったから俺はこんな建物があることは知らなかったのだが、どうやらここが巫女服コスプレ女の家のようだ。
女に促されるままリビングに入り椅子に座る。女は冷蔵庫から持ってきた麦茶を、これも持ってきた二つのグラスに注いで俺の正面に座った。
「さて、そういえば名乗ってなかったのでまず自己紹介しますね。私は人見桃花っていいます。人が見る桃の花で人見桃花です」
「人見桃花さん。俺は天野陽――じゃなくて陽ノ下ひかり。太陽の下でひかりは平仮名。ノはカタカナです」
「ふむ、天野陽太さんではなく、陽ノ下ひかりさんでいくのですね。分かりました」
なんでこの人普通に俺の本名知ってんの? いや、ほとんど自分で言いかけたけどさ。
まあでもいちいち不思議な事に突っ込んでいては話が進まなさそうなのでグッと飲み込む。
「陽太ってこんな可愛い女の子が名乗るのは違うかな、と思ったので」
「自分で可愛いって言っちゃうんですね」
ニコニコ笑って、何の悪気もなく桃花は毒を吐く。
「いいじゃないですか、本当に可愛いんだから」
「女の子の世界だとそういうの嫌われる場合もあるので気を付けてくださいね」
「女の子の世界って、すぐ元に戻るんじゃないんですか?」
桃花は原因を知っていると言っていたから、数日でおっさんに戻されてしまうのだろう。嬉しいような悲しいような。
「残念ながら戻り方までは分かりませんので、いつ戻れるようになるかも分かりません。ただひとつ言えるのは自然に戻ることはないだろうという事ですね。それに正直なところあなたにはそのままでいてほしいんですよ」
「ほーん、それは残念ですねえ」
「大して残念に思ってなさそうなのはよく伝わってきました」
この女、空気は読めないくせに察しはいいな。
「まあ、あれですね。見た目は子供、頭脳は大人って日本人なら誰でも一度は言いたい台詞じゃないですか」
「そういう事にしておきます。それでは本格的に説明させていただいても?」
「……はい」
桃花はふふふと優しく笑うと、行儀よくグラスを傾けた。
「まず全ての基本のワードとして『歪み』というものを知っておいてほしいのです。ひかりさんは魔法少女とかも好きですか?」
話が突然一八〇度変化する。
「……好きですけど」
魔法少女が嫌いな男なんていない。知らんけど。
「それなら話は早いですね。歪みというのは魔力のようなものだと思って下さい。何かを大好きな感情と、それが認められないもので間違った感情だーという自己否定の感情。それらがぶつかり合って爆発するエネルギーが歪みです。まあようするに特殊な嗜好の持ち主ってことですねえ」
俺が麦茶を一気に飲んで机に置くと、すぐに桃花がおかわりを注いでくれる。
なるほど、俺のロリコンがその歪みとやらになったってことだな。
喜んでいいのか……?
いやでもおかげで魔法少女になれるのなら喜んでいいのだろう。うん。魔法少女になるのは全人類の夢だし。知らんけど。
「ただしこれは特殊嗜好の人なら誰でも使えるわけではありません。幼く無垢な女の子で、かつその中でもほんの一握りの才能を持った子だけが歪みを体外に発生させ、操ることができるのです。それから普段歪みを扱えない幼い女の子でも、特殊嗜好と自己否定のバランスが崩れると低確率で歪物になってしまうことがあります」
途中までは小学校の先生のように話していた桃花だったが、後半は深刻そうに目を閉じた。
あの化け物の正体は女の子だったという話をしているのだ。深刻にならないわけがない。
そしてそれが嘘ではないことも俺にはすぐに分かる。さっきの熊を倒した後、そこにいなかったはずの女の子が倒れていた。
彼女こそが歪物の正体だったのだろうという推測が容易にできてしまったから。
「歪物っていうとさっきの熊みたいなやつですね。特殊嗜好と自己否定のバランス……?」
「ええ、ただ歪物の形はその子の歪みの形によって異なるので一定ではありません。それからバランスっていうのは要するに気持ちの問題ですよね。例えばひかりさんはロリコンかもしれませんが、それは間違っていると自覚しつつも、その接し方をわきまえることで気持ちに折り合いをつけているのではないでしょうか?」
「……まあ、そうですね」
内心を見透かされているようでなんだか気持ち悪いがおおむね彼女の言う事は正しい。俺はロリコンで、小さい女の子が好きだ。もはやそれ自体は仕方のないことだが、その子に必要以上に近づいたりはしない。俺なんかが触れれば美しかったそれがけがれてしまうことは間違いないから。
「どうしてそんなことが分かるのかって顔してますねえ?」
「……そりゃあ、ね。もしかして人の心の中が見えたりします?」
ここまで不思議な事しかないのだ。そのくらいできるやつがいてもいまさら驚くことでも何でもない。しかし、
「まさか。わたしはただたくさんの特殊嗜好の持ち主を見てきたので、なんとなくそうかなって思ったんですよ」
と奇跡でも魔法でもない返答。
がっかりしたような安心したような……。
「それで、バランスっていうのは?」
「そうですね、その話でした。ではどうでしょう、もしあなたがその折り合いをつけられなかったとしたら。歪んでいると知りつつもその気持ちを正当化して、本能のままに動こうとするかもしれません。逆もしかりです。自己否定しすぎて心が壊れてしまうことがあるかもしれません。簡単にいえばそういう事です。そういう状況になってしまっている子の中で運が悪いと歪物になってしまうのです」
「んー、まあなんとなく分かったかな……?」
要は心が不安定になると良くないってことだ。多分。
「今分からなくても少しずつ分かりますよ」
桃花は柔らかく笑った。
お互いに麦茶を飲んで一息つく。
………………
…………
……
俺は話の続きを待っていたのだが、桃花はにっこりと笑ってこちらを見るばかりだ。
このままでは永遠に部屋に入ってくるセミの鳴き声を聞くことになりかねないので、俺から話を振る。
「……それで、俺はどうしてこの姿になったんですか?」
俺は幼い女の子ではなかったから桃花が言う魔法少女の条件には当てはまらない。歪物もそうだ。だから本来なら歪みとやらとは無関係なはずだったのだ。
「あ、そうですね。その説明をしてなかったですね」
どうやら忘れていたようだ。俺にとっては大事なことだが、彼女にとっては特段気にすることでもないらしい。
「あんまりいっぺんに言っても覚えきれないと思ったので言おうか迷ったのですが、まずこれを知っておいてほしいのです。世の中には歪みを悪用しようとする輩がいるということを」
「なるほど……」
魔法みたいな力があるのなら利用したくなる人間が出てくるのは当然と言えば当然だ。さきほど俺自身が使った力、あれさえあればそれがどんな巨漢であったとしても人間相手に喧嘩して負けることはまずないだろう。犯罪や軍事利用なんて容易いことは想像に難くない。
「あなたはある種それに巻き込まれたんですよ」
「は? 俺はもともとおっさんですよ?」
「そうですね。最近はおっさんを歪みの力で幼女化させることで歪みを発生できる状態にさせてから、催眠術で心のバランスを崩させて歪物にさせるやり方がブームみたいですねえ」
「おっさんを? そんな手間をかけずに普通の女の子に催眠術をかければいいのでは? いや、倫理的にマズいからとか?」
「いえ、あの人は倫理とかそんなのを気にしている人ではありませんよ。ちょっと前まではあの人もひかりさんが言うように本物の女の子を歪物にしていたんです。でもおっさんの方が性癖こじらせて大きな歪みを生むことが多いのではないでしょうか。そうなるとより簡単に歪物化させることができて、かつ強い歪物になる可能性が高いみたいなんです」
あの人っていうと桃花は黒幕のことを知っているのか。もっとも、そいつのことを訊いたって知らない人でしかないから俺にとっては仕方のないことだが。
なので今はもっと手前のことで気になったことがあった。
「歪みを操れる魔法少女じゃなくて歪物にするんですか? 歪物には理性もクソもなさそうで利用するには不都合がありそうですけど、それを操れるとかなんですかね?」
さっき見た光景は忘れられない。この世のものとは思えない化け物の姿。あんな奴を操れるとは到底思えない。
「おそらく、あの人にもそんなことはできません。歪みさえ抱えている女の子なら誰でも歪物になる可能性がありますが、それを操れるようになる子は稀も稀です。ですので歪物の方がお手軽なんでしょうね」
「なるほど……。今の話的にその『あの人』とやらに俺は歪物にされそうになっていたわけですよね。でも俺はあんな化け物にはなってないですよね?」
「そうなんですよ、実は私もこんな状況を見るのは初めてなんです。ひかりさんの理性が彼女の洗脳を上回ったってことなんでしょうね……」
桃花は真面目に考察を語っているようだから申し訳ないんだが、もしそうだとしたら俺めっちゃ主人公みたいじゃない? 魔法少女の才能もあるみたいだし、かっこよくない?
「今、自分が主人公みたいでかっこいいなって思いませんでした?」
「な、なんで分かるんですかッ!」
もう鋭いとかそういうレベルじゃない気がするんだけど、この人。
「ふふっ、男の子はそんなものですよ。でもあなたは本当にその資質があります」
「……分かりましたっ! 俺が歪みの力を使ってその歪みを悪用しようとする輩を倒せばいいんですね!」
資質がある、というのは歪みを操れる子は稀だと言っていたからそのことだろう。さっきの戦いで俺は歪みを操れていたのだから。
「話が早くて助かります。でもちょっと違いますね」
「え、違うの!?」
漫画のように椅子からずり落ちそうになるのを、ひじ掛けを強くつかんで止める。今の俺は床に足だって着いていないからずり落ちたら痛そうだし。
「まあ、おおよそその通りなんですけど。あなたにやってほしいのは歪物の退治だけです。ひとまず彼女のことは忘れてください」
「でもそれじゃあ永遠に歪物が生み出され続けることになりますよね?」
「それは彼女がいなくても同じことです。彼女がいなくなったって女の子がいる限り歪物は生まれ続ける。だからそれと戦える可能性のあるあなたを今失うわけにはいかないのです」
「失うって。そんなに強いんですか、その人は」
正直さっきの力があれば誰が相手だろうと負ける気がしない。
「少なくとも今のあなたが戦えば一瞬で殺されます。なのでひとまず歪物を修正することだけをお願いしたいのですが。引き受けてくれますか?」
殺される。
その言葉に身の毛がよだつ。
黒幕がどんな奴かは知らないが桃花の言う通り関わらない方がいいのだろう。
「そいつを避けていれば死ぬ危険はないんですか?」
「ない、とは言い切れません……。ただ苦戦することがあったとしてもあなたが普通の歪物に負けるとは到底思えません」
死の危険がないとは言えない。危険であることは間違いなさそうだ。
そうなれば二つ返事で引き受けるわけにもいかないだろう。
「まあ、そうですね。危険が伴うことですのでじっくり考えてください。どちらにしてもあなたの身の回りのお世話は全部私がさせてもらいますので」
そうか、確かに今のままでは俺は普通に生活することすらままならないもんなあ。どちらにしても桃花のお世話になるわけか……。
などと考えていると桃花は席を立って、キッチンへと入っていった。
「お昼、簡単に作ってきますね。苦手なものはありますか?」
桃花のいるキッチンと俺のいるリビングはカウンターテーブルで仕切られており、顔を見ながらしゃべることができる。
「いや、特にないですね、味覚が変わっていなければ。ていうかごちそうになります」
話の流れ的に自分が食べる分だけの昼食を作るわけではないのだろう。なんだか申し訳ない。
「遠慮とかしなくていいですからね。うちの子になったと思ってくつろいでください」
「……ありがとうございます」
気遣いを無下にするのも忍びないので、あはは、と笑ってごまかしておく。人の家でそんなにくつろぐことはできない。いっそのこと心まで小学生に戻ってくれればもっと図太くなれたんだろうけどな……。
キッチンから下手くそな鼻歌と、軽快な包丁の音が聴こえてきた。
魔法少女、か……。
それに歪物。歪みの根源なるものを破壊することで元の女の子に戻っていたのを見るに、俺は彼女を救うことができたということなのだろう。
もしあの化け物を放置していたらどうなっていたのだろうか……?
「歪物は歪みの原因をまず殺そうとしますよ。理性はないので障害になるものがあればそれも壊して進みます。そしてターゲットを殺すと行き場がなくなり、あたりかまわず攻撃するようになります」
「もしかして、声に出てました?」
桃花はええ、とにこやかに言った。
いつもモニターに向かって一人で喋っていたからすっかり独り言が癖になってしまっている。気を付けた方がいいな。
と、今はそんなことはどうでもよくて、誰かを殺そうとするなんてやはり物騒なこと極まりないな。歪物。
ちょっと周りと違っていて、それは間違っているのでは、なんて自分で思っている。そんなの子供なら――いや、大人になった俺にだって普通にある感情だ。
歪物は普通の女の子なのだ。誰かを殺したいなんて思っている子はそういないだろう。それなのに何かの手違いで意思とは関係なく暴れてしまう。そんなに悲しいことはない。
普通の女の子、か……。
「そういえば桃花さんは幼い女の子って感じじゃないですけど、人間離れした動きをしてましたよね?」
桃花は熊と戦った時、光る弓矢をどこからともなく出して戦っていた。しかし彼女は彼女自身が言っていた歪みを発生させる条件を満たしているようには思えない。
「ああ、あれはですね。歪みを簡単に発生させるアイテムを使ったんです。でも体力の消耗は激しいし、体内で発生させる歪みの出力には遠く及ばない。それでいて超貴重品なんです。なので歪みを普通に使えるひかりさんには関係のないものです。今度また改めて説明しますね。現物もさっきのが最後の一つだったので」
確かに桃花は石のようなものを使っていた。俺が歪みを使うのには道具なんて必要なかったのに。
「さて、間もなくお昼ができるのでお箸を出してもらってもいいですか?」
桃花はキッチンからカウンターテーブルに箸を出した。
俺は椅子から跳ねるように降りると、背伸びしてカウンターの上から箸を取った。その数は六本、三膳分だ。
「一膳多くないですか」
「ああ、言っていませんでしたっけ? もうすぐもう一人の魔法少女の子が来ますのでその子の分です」
――ぴんぽーん
と、ちょうどインターホンが鳴った。
「鍵開いてるのでどうぞー」
桃花がフライパンから皿に焼きそばを盛りつけつつ、玄関の方へ叫ぶと扉が開く音が聴こえた。
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