根源を知りました
街灯に照らされてきらきら揺れ落ちる雪の軌跡をたどるとやがて曇天に突き当たる。いったいいつからこの雪は降り始めたのだろう。少なくともこのベンチに腰を下ろした時には降っていなかった。
今年はよく降る。あまり雪の降る地域でもないのに。
腕時計を見ると二十時前。
真っ赤になった手の平に雪が降りて溶けた。その冷たさはほとんど感じられない。
俺はこの手で何を砕いた?
それは硬かった。
それは温かかった。
それからは想いが溢れ出していた。
それを砕けば歪物は元の姿に戻れる。
それは歪みの根源と呼ばれる結晶。
ああそうだ。
俺はここでその正体を考察していたのだった。
自然とたどり着いた最悪の答えを否定できる模範解答を探していたのだ。
「ひ、ひかりさん!? どうしたんですか、こんなところで! 家の鍵なくしちゃいました!?」
雪に足跡をつけて駆け寄って来た巫女服の女。黒い折りたたみ傘のスペースを半分くれた彼女は、俺の頭から雪を払った。
「……桃花さん、ひとつ訊いてもいいですか」
「何でしょう」
桃花はいつも通り感情の読めない笑顔で答えた。
「やっぱりなんでもありません。まなさんたちを見送ってすぐ戻るつもりだったので鍵はかけないで出ちゃいました」
「不用心ですよお。そういうちょっとしたタイミングを狙われるんですからね」
「気をつけます。帰りましょうか」
「もしかして私を待っててくれました?」
「まあ、考えようによってはそうかもしれませんね……」
よっと立ち上がり歩き出した俺の歩幅に合わせて桃花が隣を歩いた。
本当はすぐにでも訊いた方がいいのだと分かっている。桃花は答えを持っているはずだから。
「今日はお部屋に戻らなくていいんですか?」
スマホをいじりながら視界の端に映していたドラマがCMに入ったタイミングで桃花が尋ねてきた。
「部屋でやることもないので」
「今日は配信ないんですね」
「気分じゃないので」
風呂も夕飯も終わって日付も変わろうという時間。小学生はもうとっくに寝ている時間だ。
「今日のクリスマスパーティーは楽しかったですか?」
「ええ、まあ。小学生謳歌してるって感じでした」
「そうですか」
桃花はよかったですね。と目を細めた。
CMが空けるとドラマはエンディングテーマを流し始めた。なぜこのタイミングでCMを挟むのだろうか。なんてどうでもいいことを考えてる間に桃花は無言でテレビを消して、マヨネーズ入りのホットミルク(いや、どちらかと言えばホットミルク入りのマヨネーズか)を一口で飲み干す。
「……訊かなくていいんですか。葉子さんのことですよね」
桃花はドン引きしている俺にはお構いなしで突然話を切り出した。どうやら俺が訊くタイミングを逃し続けていることは気づかれていたらしい。
「…………」
「私は知らない方が幸せになれることってたくさんあると思っています」
「だから黙ってたんですか?」
「そうですよ、わざわざ言う事ではないですから。そしてひかりさんもこのことは忘れてしまった方がいいと思います。何も知らなければこれまでと何も変わりませんから」
「それでも、俺は大人としてそれを訊く義務があります。……なんなんですか、俺が歪物になった少女を救うために砕いてきた歪みの根源っていうのは」
きっと想像と相違ない答えが返ってくる。それでも俺はそれを受け止めなければならない。そして罪を背負わなければならない。
桃花は小さく息を吐くと、
「……心です」
そう静かに答えた。
「歪みの根源とは何かを好きだという強い心。歪みについては以前説明しましたね、何かが好きだという強い想いとそれに対する自己否定の衝突で生じる力……。だから歪みを修正するためには根源を砕けばいいのです」
そうすれば自己否定の理由も消えるから歪みは発生しなくなる、と。
およそ予想通りの答えに頭が痛くなる。
俺は葉子の安藤への恋心を破壊したのだ。いや、葉子だけじゃない。これまで修正してきた全ての歪物になってしまった少女たちの心を砕いてきたのだ。
「それが砕かれるとどうなるんですか……?」
「全ての物事に対して愛が限りなく希薄になります。端的に言うなら一生何かを好きになることはなくなってしまいます」
「……一応訊いておきますが、治ったりはしないんですよね」
桃花は静かに頷いた。
それはそうだ、例え数年かかっても治るのならば桃花もここまで黙っていたりしなかっただろう。それほどまでに深刻な問題なのだ、人の心を壊すというのは。
「でも」と咄嗟に出てしまったのは、言い訳がしたかったからなのだろう。どんな言い訳をしても少女の何かを好きになるという感情を未来永劫奪う行為が許されるものであるはずはないのに。
「確かに葉子さんは安藤先生のことを好きじゃなくなったと言っていました。でも彼女からは友人としての好意は感じられました。それも好きってことには変わりないですよね」
友情だって立派な好意で心だ。それは葉子からなくなっていないように思えた。
ともすれば日常生活には影響はないだろう。そりゃあ一生恋愛ができないと思うと気の毒すぎて申し訳なさで心臓が握りつぶされるような気分にもなる。しかし友情を育めて普通程度には誰かを好きになれるのならば、歪物として大切なものを手にかけてしまうよりはよほどマシな結末だろう。そうであれば俺としてもある種の諦めがつくというものだ。
「……そうです。だから友情を大事にしてくださいね。……と、肯定しておいた方が私としても都合がいいです。でもそれではあなたは納得しないでしょう?」
「…………」
桃花は最初に歪みの根源のことを『心』と言ったのだ。であるならばそれを砕くという行為がそんなに生易しいものとは思いたくても思えない。
「歪みの根源は心のほんの一部分です。しかし一番大切な一部分です。それが壊れれば全体が崩れていく。初めは僅かな違和感だそうです。いつも通りのいつもなら楽しかった時間がなんとなく退屈に感じる。それでも過去の経験や記憶によってそれはすぐに楽しいものとして補完される。しかし時間が経つと退屈の頻度が徐々に増えていき、記憶や経験だけでは補完できなくなり、さらに退屈が増していく。今は友情の話として『楽しい』という感情を例にあげましたが、怒りや悲しみその他どのような感情に対してもこのような現象が起きます。そして最後には全ての感情がなくなります」
「感情がなくなるとどうなるんですか。無表情になるってだけじゃないんですよね」
「人それぞれではありますが、大抵の結末は生きる目的を失っての自死です」
背筋が凍る。
「……い、生きる目的を失ったって感情がなければ死にたいとも思わないでしょう」
「おっしゃる通りです。しかし何かをしたいともしたくないとも思えないので結局何もできず結果的に他の選択肢はなくなってしまうのです。死ぬ理由がないのと同じだけ生に執着する理由もありませんから」
……これはもはやどんな言い訳をしても取り繕えない。直接的ではなくても俺は少女たちの未来を文字通り奪ってきたのだ。
「ありがとうございます。おかげで答え合わせができました……」
手のひらに根源に触れた時の温かさが蘇ってくる。
桃花はマグカップのホットミルクを一気に飲み干す。
「……まなさんはこのこと知ってるんですか」
桃花は首を横に振る。
「知る必要はありません。全ては私たち大人の責任ですから。もちろんあなたも今の話は忘れて構いません、難しいかもしれませんが……」
「……まなさんについては桃花さんの方針に従います」
それを知らなくたって、まなは歪物を傷つけることが辛いのだ。そんな彼女にこれ以上を背負わせるべきではないだろう。
「ただ俺は少女の未来を潰したことに目を瞑って無邪気でいられるほど子供じゃあありませんから。必要だからと割り切って正義面できるほど大人でもないですが……」
「……では歪物の修正をやめますか?」
「やめるわけないじゃないですか……」
桃花は俺にやめて欲しくないのだろう。不安そうな目を向けてくる。
なぜそんな目をするのか。理由は決まっている。
歪物が修正されなくなったらその被害は少女ひとりでは済まなくなる。それになにより、俺がいなくなったら誰がこの街の歪物を修正する? 答えは明白だ。花藤まな、彼女がそれを全て請け負うことになるのだ。彼女に――子供に別の子供の人生を壊すようなことをさせるなんて大人としてやってはいけない。
「……ごめんなさい、正直少し安心しました」
「どうしてもっと早く教えてくれなかったのか、とは思いますが、問題の根本については誰も悪くないですから……」
ゆっくり立ち上がる。
「そろそろ寝ますね」
「おやすみなさい……」
「あはっ、陽太君ひどい顔」
ひかり……?
いや違う。
「ほのか……」
彼女は高島ほのかだ。ひかりよりやや背が高いし、髪の色もオレンジではなく茶色っぽい。
そんな彼女が目の前に立っている。
「こうしてちゃんと話すのはすごく久しぶりだね、陽太君。今はひかりちゃんって呼んだ方がいいのかな?」
「い、いいよ、陽太で」
何もない白い部屋。彼女が笑いかけてくるこの空間が夢なのだということは考えるまでもなく分かった。
「そう、じゃあ今まで通り陽太君で」
ほのかはにっと口角を上げた。
「ところで陽太君はどうしてそんなに落ち込んでるのかな」
「……俺が正義だと思ってやってたことが、実は人を傷つけることだった。それでこの間は友達の人生をダメにしたかもしれない、だから」
「葉子ちゃんのことだね。それに他の歪物になっちゃった子たちもか」
「どうしてそれを知って……ってそれはそうか。知ってるならわざわざ訊くなよな」
目の前にいるほのかはかなりリアルだがあくまで俺の夢の中の住民だ。つまり俺の妄想を具現化したような存在である。俺の知っていることは知っていて当然だろう。
「陽太君の思い描いてる正義の味方はさ、みーんなの味方でみーんなを救えるようなヒーローだよね」
「そうだな。俺にとっての一番の正義の味方がそうだったからな」
困っている人がいればどんな状況でも助けるし、捨て猫を見つければ絶対に見捨てない。そんなのは当たり前のこと。そんな風に考える人だった。
死別して十年以上経ったって彼女は俺にとって憧れの存在だ。
「もしその人が今の陽太君と同じ立場ならどうするかな」
「全員を救う方法を考えて実行してるだろうな」
「それは過大評価しすぎだよお……。陽太君だってそうしたいと思って、そうできるように考えてるはずだもん。だからきっと陽太君と同じようにしかできてないと思うな」
「そうかなあ……」
「そうだよ。考え続けることは大切だと思うけどね」
ほのかは小さく息を吐いて、柔らかく笑った。
「今の状況はさ、陽太君の理想とはちょっと違うかもしれないよね。でも忘れちゃいけないことがあるよ、陽太君が戦って傷ついた子もいたけど、それ以上に助けられた人もいるってこと。簡単には受け入れられないかもしれないけど、それは絶対本当だからね」
「……分かってる」
よろしい、とほのかは俺の頭に手を置いた。
「あはっ、私より陽太君が小さいのって新鮮かも」
「ほとんど変わらないだろ。それにひかりは小学三年だからな?」
一方このほのかはおそらく小学五年生だ。俺の記憶に最も新しい彼女の姿だから。それなのに身長は三センチ程度しか変わらない。
「それに少し小さい色違いの自分のそっくりさんが大好きな幼なじみって不思議な感じかも」
「情報を詰め込みすぎだな」
「あー、ようやく笑ったね、陽太君!」
頭に置かれた手がくしゃくしゃと髪を乱してくる。
「そうだったかな……」
「そうだよ。正義の味方はいつだって笑顔じゃなくちゃいけないんだからね!」
「……気をつけるよ。ほんと、夢でもほのかに会えてよかった」
「私も久しぶりに陽太君とゆっくり話せて嬉しかった。さて、そろそろ起きないとだね。……まなちゃんも遊びに来てるよ」
ほのかは眉を寄せて頬をかいた。どこか気まずそうで、どこか寂しそうに。
「そんな顔することないんじゃないか」
この夢――というかほのかは歪みに起因する存在なのだろう。ここまで鮮明でしっかりと会話も成り立つような夢は普通では考えづらい。それに以前突然現実に現れたほのかに助けられたことがあった。あれも俺の歪みによるものだと考えればいろいろと合点が行く。
あの時は歪みをほとんど持っていかれたが、歪みを前の時よりも上手く制御できるようになった今の俺ならいつでも彼女を現実世界に呼び出すことができるのではないだろうか。
ならば俺はほのかといつでも会うことができるということになる。
大人気なく胸が高鳴る。またほのかとの日常が戻ってくるのだと思うと嬉しさを抑えられない。
「そういう問題じゃないんだよ。それに今の陽太君でも現実で私を呼ぶなら一分くらいで歪みがすっからかんだよ。いつ次の歪物が現れるか分からないんだからそんな無駄遣いしていいわけないでしょ」
当たり前のように俺の思考を読んでくるなよ。
「でもほのかに会えるのなら、俺は――」
「私、怒るからね。そんな無駄遣いで呼ばれたりしたら」
「……わ、分かったよ」
「うん、よろしい。でもピンチの時は必ず助けるし、辛いことは私も背負うからね」
「ありがとう。そう言ってくれるだけで安心できるよ」
頬をそっとなぞる柔らかい何かがくすぐったくて目を開ける。
丸いタレ目と長いまつ毛がとても可愛らしい。目覚めた瞬間の眼福。しかし――
「……近くない?」
「あ、い、いや、ほっぺにゴミが付いてて……」
「取ってくれたんだ、ありがとう」
「あ、え、あー、うん、どういたしまして……」
まなだ。どうしてこうも歯切れが悪いのかは謎だが。ついでに頬のゴミを取るのにそんなに顔を接近させる必要があるのかも謎だ。
「そ、そんなことよりおはよう、ひかりさん」
「あ、うん。おはよう」
起きたら当たり前のようにまなが部屋にいるのもなかなか謎だ。
女子小学生の謎は深まるばかりだ。
「よかったよ、ひかりさんが元気そうで。昨日すごく体調悪そうだったから」
「あー、ごめんね、心配かけて」
まなは知らないんだもんな。歪物になった女の子が修正されるとどうなるのかを。
「それから桃花さんからの伝言なんだけど、今日のお昼はお客さんが来るから、十二時くらいにリビングに来てって」
「お客さんってひかりに?」
「ひかりさんと私、二人ともみたいだよ」
ということは歪み関連の客か?
新しい魔法少女だったりするのだろうか。魔法少女ならいくらでもお会いしたいものである。いや、魔法少女の使命の裏側を知った今それはそれで複雑か……。
「……まあ、了解。今何時?」
「十一時五十分だよ」
あと十分もないじゃん。俺、うさぎの着ぐるみパジャマ着てるんだが?
数か月ぶりです。
ここから割と新しい展開になります。




