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屋上かと思ったらチャペルでした

「桃花さんは今日の保護者説明会行くんですか?」


 ダウンジャケットを脱ぎつつ、暖かい部屋で朝食の用意をしてくれていた桃花に話しかける。

 毎朝の境内掃除自体にはすっかり慣れっこなのだが、冬の寒さに慣れることはない。二十年以上生きていてもそうなのだからきっと今後一生冬は凍えながら過ごすのだろう……。

と、思ったのだが、こんな寒い中でも談義に花を咲かせていたご老人方のことを思うといつかは寒さを克服できるのかもしれないと思わないでもない。

 今日はそんな朝だ。


「行く予定はないですねえ。初詣とか年末年始の準備をしなきゃですし、説明を聞くまでもないことかと思うので」


 まあそらそうだよな。

 桃花は俺の保護者なんて言っても形だけだし、そもそも今日の保護者説明会では何もなかったことの説明がされるだけで建設的なことなんて何一つないだろうからな。

 それにしても、もう年末年始なんて時期なのか。俺の女児歴ももうすぐ半年だな。

 ていうかこんな何が祀られてるかもよく分からない神社に初詣に来るようなやつがいるのか……?

 甚だ疑問ではあるがその話はまあさておくとして、今日、日曜日の午後からは安藤の件について保護者説明会がある。結局安藤は週末まで一度もクラスに顔を出さなかったが、説明会が終わった明日以降は普通にクラスに来られるようになるのだろう。

 詳しいことはよく分からないけどな。

 ともあれ安藤に関して俺が出来ることは何もない。


「何か手伝うことはありますか?」

「うーん、そうですね。当日には協力してもらうかもしれませんけど、今日のところは特には」


 となればゲームして昼寝して、とにかくごろごろして一日を過ごすことにしよう。それこそが休日の模範解答だ。

 葉子のことは気にかかるが、それも明日になれば解決することだろう。

 桃花のマヨネーズ丼を視界に入れてしまったことで若干の胸焼けを起こしつつも朝食を美味しく平らげ、のんびりと後片付けを手伝った俺はベッドに再び潜り込んだ。

 スマホの天気予報によると今日は午後から初雪が降るらしい。




 目が覚めたのは午後一時頃だった。

 いつもの休日なら寝ていても桃花が昼食に起こしに来てくれるものだが、今日は忙しいので昼には帰れないかもしれないと今朝聞いていたのでそういうことなのだろう。

 しかしそんなことは心底どうでもよかった。

 目が覚めたというよりは目を覚まさざるを得なかった、と言い直すべきなのだろう。

 腹の中を撫でられるような不快感。

 一切の眠気が吹き飛ぶほど濃い歪みの気配。


「……これ、ヤバいな」


 最近では歪物の気配が感じられるようになってきた俺だが、こんなにも強く感じるのは初めてだ。

 少しでも時間が惜しい。

 窓を開けて飛び出す。変身しながら。

 これだけ気配を強く感じられるのだから居場所は探りやすいのだが……この方向は――学校!?

 今日は休日だ。中・高等部を含めたって登校している生徒は限られている。

 部活動か何かの子か……?

 そんなことは行ってみないことには分からないので考えても仕方のないことなのだが、ここまで大きい気配をさせる歪物の素性は気になってしまう。

 重たい曇り空の下、すっかり通い慣れた通学路を尻目に住宅街の屋根の上を駆け抜ける。

 一歩近づくたびに嫌な気配は強く感じられるようになっていく。

 これ、俺一人で対処できるのか……?

 まなは今日家族と出かけると言っていたし……。


「いや、これこそ今考えてもしかたないか」


 近づくと校舎の屋上に黒い靄が渦巻いて半球状にかかっているのが見ようとせずとも視界に入ってくる。歪物の発する靄であるのは明白だが、あんな風に滞留して形になっているのは初めて見た。

 と、校舎の外壁を蹴ってまっすぐに屋上へ上がり、靄のドームに飛び込む――。


「……チャペル?」


 そこは屋上ではなかった。

 真っ白なチャペルだ。

 背後にある巨大な観音開きの木製扉は締め切り。押したり引いたりしてみたが、開く気配はまるでない。左右の壁には窓がついており、外に見えるのはエメラルドグリーンの海だ。曇天が嘘だったかのように陽光をきらきらと反射させている。

 最奥の壁一面のステンドグラスに向かって、大人が四人ほど座れそうな長椅子が二列に並んでおり、その間にはレッドカーペットの通路が伸びている。

 その先にはうずくまる少女


 ――リンゴーン、リンゴーン


 鐘の音が世界にこだまする。


 ――ああ、そういうことか。


「葉子さん……」


 泣き顔を上げた彼女の目からは涙の代わりに黒い靄が溢れ出している。


「ひかちん……」

「……何か、あった?」

「安藤先生学校辞めるって言ってた……」

「……そう、なんだ」


 そうか安藤は辞めるのか。

 こんなことでそこまですることないだろうに……。


「みんな安藤先生に怒ってた。うちが安藤先生を好きになったせいだ」

「葉子さんは悪くないよ。もちろん安藤先生も」

「でもみんなのお母さん言ってた。大人と子供は好き合っちゃいけないし、それは変なことなんだって」

「変じゃないよ、変じゃない……」

「うちは……うちはただ安藤先生とずっと一緒に……それだけだったのに……! 何が変なの!? うちが子供だからダメなの!? うちがもっと大きかったら、安藤先生とっ!」


 喚くように声を上げた葉子の身体から黒い靄が一気に噴き出した。一瞬にして濃い靄によって満たされたチャペルの中は、数センチ先すら見えないような状況だ。


「葉子さん!」


 ……………………

 …………

 ……返事はない。


 靄は噴き出した直後をピークに徐々に晴れてきている――と、おかげで気づくことができた。


「花束!?」


 色とりどりの花で構成された花束が飛来している。俺から見ると上の方から落ちてきているようにも見えるが、おそらく葉子の位置からやまなりにふんわりと飛んできたものなのだろう。速度はさほどない。

 ブーケトスってことか……?

 ここ、チャペルだし。

 これはキャッチするべきなのか?

 いや、ダメだろう、普通に。

 どう考えたって葉子――いや、歪物によるものだ。だとしたらこれは回避一択!

 単純なブーケの軌道から落下地点は簡単に割り出せる。だから避けるのも容易だ。軽く横に跳んで花束を避ける。追尾してくるかも、なんて警戒してみたりもしたがそういったこともなく花束はあっさり地面に落ちた。

 ……なんだ? 何もないなんてことあるか?

 思わず眉を寄せた直後だった。


 ――ピカッ


 目が眩むほどの閃光。音はない。

 直後に灼けるような熱が全身を走り、吹き飛ばされる。

 続いて背中からの激しい衝撃。


「うっ」


 爆発したのか……?

 閃光のせいで眩んだ視界が徐々に回復していく。

 どうやら爆発と思しき攻撃の衝撃によって窓ガラスに思い切り叩きつけられたらしい。

 ガラスにはひびひとつ入っていないが。

 くっそ……。

 かなり勢いよく飛ばされたせいで俺の身体は窓にバウンドしたが、歪みがある以上この程度の物理的衝撃は大したダメージにはならない。

 このまま着地して反撃を――と思ったのだが、地面に足が着くと膝が俺自身の体重を支え切れず折れてしまった。

 手を着いて何とか膝立ちの姿勢を維持する。

 痛みはほとんどない。見た感じ外傷もなさそうだ。しかし身体に上手く力が入らない。

 麻痺的なやつか……。

 力が入らないのもそうだが全身の感覚がかなり薄い。歯医者で麻酔による治療をした直後のような感覚が全身を包んでいる。いや、俺は経験がないからなんとも言えないが、歯医者に限らず麻酔はそんなものなのかもしれないが。

 これ、警戒して歪みで防御してたからよかったが、もし何もしてなかったら全身の感覚が完全に消えてたんじゃなかろうか……。

 くわばらくわばら。

 しかしこの後戦えるかと言えば微妙なところだ……。

 ステンドグラスの前に立ち、祈るように手を合わせているのはあまりに美麗な純白のウエディングドレスだ。肩を大きく露出するようなドレスの腰はキュッと締まっていて、そこからフレアに広がったスカートの裾は引きずるほど長い。本来頭のある位置には半透明のベールが浮いている。


「……でか」


 ぼーんと張ったお胸……もそうなのだがなにより身長が高い。三メートルくらいはあるのではないだろうか。いや、下手したらもっとか……。

 ――だがドレスだけだ。着用者は存在していない。

 服がふよふよ浮いているのだ。


「あれ、中身どうなってんだ……」


 上から覗きこむなり、スカートをたくし上げるなりしないと確認できなさそうだ……って、そんなどうでもいいことを気にしている場合ではない。

 あんな幽霊みたいな身なりなのに、歪みの気配がそれなりに強い。

 いや、しかしここに来るまでに感じていた歪みに比べると弱い……?

 俺がここに来た時点で葉子は歪物化していなかったわけだし、もしかしてさっきまで感じていた歪みの気配は葉子とは別なのか?

 だが今他に歪物らしき気配はない。

 正確にはチャペルそのものからウェディングドレスと同質の歪物の気配がむんむんと漂ってはいるのだが、それはこの歪物の一部と考えて差し支えないだろう。

 ならばなおさら、どういうことだ……?


 ――っ


 おもむろに振りかぶられたレースのグローブに握られているのは、どこから現れたのか刃渡り四十センチほどのウェディングケーキナイフ。

 ゆっくり考えている暇はくれなさそうだな……。

 グローブから放れたナイフは縦に回転しながら風を切って俺に迫ってくる。

 速度はそれほどでもない。普通の人間の投擲でもあり得そうな程度だ。となればさっきのブーケのように何かしら仕掛けがあるかもしれない。

 ここは必要以上に距離を取って回避を――って、ダメだ。痺れた身体はそんなに自由には動かない。いくら弾速が遅くたって今の状態じゃあすれすれで回避するのがやっとだ。

 ならば無理に回避する必要もない、か。

 俺の周囲に黒い靄が発生する。ドーム状になったそれは半透明な橙色の壁に変わる。三六〇度ナイフが入るような隙間はないし、さっきのように爆発しても簡単には壊れない強度があるはずだ。


「ひとまず回復するまではガードに専念、かな……」


 幸い徐々に感覚は戻ってきている。あと数秒あれば動ける程度には回復するだろう。

 ――しかしそんな悠長な考えはあっさり切り裂かれる。

 いや、切り裂かれたのは考えだけじゃない。

 それこそケーキでも切るかのようにあっさりと俺自慢の歪みドームに刃が侵入してきたのだ。

 うっそだろ……。

 どうする、俺。

 いや、どうするも何も、ナイフに何の仕掛けもないことを祈ってすれすれでも回避する他にはないだろう。

 ひゅんと高い風切り音が顔を傾けた俺の耳元を通過していった。首を回してその軌道を視界に捉え続ける。

 さあ、何か来るか……?

 できれば何事もなく終わってくれ……!

 きゃんと、これも甲高い音。こちらはナイフが床に衝突した音だ。


「いや、そうはならんだろ!」


 地面に反射したナイフは、回転の勢いを全く衰えさせずに俺の心臓めがけて向かってくる。普通の反射ではあり得ない角度の反射だ。物理とかそういう概念はないらしい。

 さてどうするか。

 身体は首を動かすのがやっとだし、俺の使える歪みではガードだってできないっぽい。

 ……いや、本当にそうか?

 よぎったのは薔薇の歪物を修正した時のこと。かなりの硬度があった彼女の頭を俺は素手で砕いた。あれは単純に力で砕いたわけではなかった。

 この手に歪みを纏って捻じり壊したのだ。

 あの後何度も再現しようとしたがそれは叶わなかった。しかしあれと同じことができればきっと防御にも応用できるはずだ。

 歪みを集めて物体を生成することや体内で歪みを操って身体能力を上げることはできても、歪みを歪みとしてそのまま体外で操るというのはかなり難しいことらしい。

 だが今は難しいとか言っている場合じゃあない。

 物理的な方法で防御できないのなら物理的じゃない方法で防御するしかない。それで防げるどうかも定かではないが、他に方法を考えている暇はないし思いつける気もしない。

 だからやるしかない。

 一か八か。

 成功か死か。

 身体を巡る歪みに意識を向け、それを背中に集める。飯田の元で特訓を始めてから歪みの制御もそこそこできるようにはなっている。

 しかしここからどうする……?

 前の時には感覚でできたが、だからこそいざやろうと思ったらやり方が分からない。というかそれが分かっていれば今までだってできていたわけで……。

 くそ、もう間に合わない。やっぱりダメだったか。

 もうナイフが刺さる――


 ――陽太君、任せて!


「え、ほのか⁉」


 ギャン!


 短い金属音の直後に背中に何かが当たった。それはおそらくナイフなのだろうが、刺さることもなければ、衝撃だって小学生が投げたカラーボールがぶつかったくらいのものだ。

 どうやら助かったらしい。


「またほのかに助けられたのか?」


 床に落ちたナイフは幾重にも折りたたまれたように変形している。

 どうやら上手くいったらしい。ほのかのおかげ、なのか……?

 と、考えるのは後だ。ほのかが現れるのはピンチの時ばかりだからいつも後回しになってしまうな。

 だがそれもやむなし。

 またブーケが飛んでくる。今度は五つ。


「もう喰らってたまるかっての!」


 次ブーケの爆発で麻痺させられたら今度こそ詰むかもしれない。

 ようやく感覚の戻ってきた足で地面を蹴る。今度は距離に余裕を持った回避だ。威力自体大したことなかったしおそらく範囲だって大したことはない。

 俺が最初いた位置に一つ目のブーケが着弾。間隔は十メートルくらいか。

 閃光こそ眩かったが、爆発には巻き込まれないし、感覚が奪われることもない。爆風でわずかにツインテールが揺れた程度だ。

 よし、分かっていれば回避はさほど難しくない。

 ここからは一転攻勢だ!

 意気揚々とブーケを躱しながら歪物との距離を詰める。弾速が速くないため回避はさほど難しいことはない。五つブーケを躱すと今度はナイフを投げてくる。こちらは三本。これも壁や床に反射する度に俺の方に向きを変えて跳んでくるものの、それさえ分かっていれば自由に動ける今ならなんてことはない。

 何度も反射する三本のナイフに注意しつつ歪物との距離を詰め、大きく飛び上がって斬りつける。

 硬くない。刃は簡単に入る。

 薄いウェディングドレスの生地が裂けた部分からは黒い靄が吹き出てくる。

 気配が大きい割にあまりに手応えがなかった。初見殺しみたいな攻撃こそあったが、それだけだ。本体は一歩たりとも動かなかったし硬いわけでもない。

 何だったんだ、一体……?

 あまりに手ごたえがないぞ。

 でもこれで葉子を救えるならラッキーだ。

 上から下まであっさり裂けたウェディングドレスの中身は完全な空洞で――


「どういうことだ……?」


 根源がない。

 中身がないだけに前面が裂けた彼女の体内は全て丸見えの状態だ。靄は溢れているが、根源があれば目視できるくらいの濃さでしかない。

 壁に反射したナイフが俺に迫ってきたので、回避がてら一度彼女と距離をとる。

 歪物を修正したら消えると思われるナイフは消えていない。

 でも歪物本体の再生が始まるわけでもない……。

 それどころか修正された後のように生地そのものからも靄を発生させ始め、やがて消えてしまった。

 きゃんきゃんと三本のナイフが壁に反射する音だけがチャペルにやかましく響く。さすがにずっと向かってこられるのも鬱陶しいのでそれぞれキャッチしてへし折っていく。身体の自由さえ利けば大した敵じゃないな。

 しかしそれでも歪物の気配が消えない……。


 ――リンゴーン、リンゴーン


 先ほども聴いた鐘が再び鳴りだす。

 と、その直後だった――


 バンッ!


 開かないと思われたこのチャペル唯一の扉が勢いよく開け放たれた。

 扉の向こうにあったのはレッドカーペットの敷かれた下り階段。かなり下の方までまっすぐに続いているようだが、靄がかかっているようでそう遠くまでは見通せない。

 しかし分かることもある下の方からは今戦った歪物(?)よりも――


「強い歪みを感じる……」

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