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大人になってました

 こっちに来いと言わんばかりの階段だな……。

 罠、かもしれない……。

 だがチャペルには何も残っていない。仕方ない、降りてみるか。

 階段を十数段下ると行き止まりが現れる。道を塞ぐのはやや古臭い引き戸だ。元は白かったものだと思われるが若干黄ばんでいる。大きな窓がついているが磨りガラスなので中の様子は窺えない。

 このレッドカーペットの敷かれた綺麗なチャペルの階段には似つかわしくない雰囲気。

 それにしても、階段はどこまでも続いているように見えたから浅すぎて拍子抜けだ。

 なんて来た方を振り返ってみる。目の前には壁。コンクリート打ちっぱなしのそれにチャペルの美しさなんて微塵もない。

 足元を見るといつの間にかレッドカーペットもなくなっている。

「後戻りもできないってわけね……」 

 まあここまで来たらそもそも戻る選択肢はないが――引き戸に手をかけて勢いよく開く。

 ここは、教室?

 いや、もともと学校の屋上にいたのだから階段を下れば教室があるなんていうのは別に不思議なことでもなんでもないのだが……俺たちの小学校じゃないな。

 いまや毎日通っている我が校は校舎を建て直したばかりでとても綺麗なのだがここはそうではない。白く塗られたコンクリートの壁はやや黄ばんでおり、床はすり足をしたらささくれが刺さりそうな板張りのもの。

 違いで言えばその古さだけではない。

 そもそもここは小学校じゃないのだ。

 教室の構造が……これは大学?

 黒板から一番近い席を先頭に、後ろに行くにつれて高くなるような段差状の構造。それに机も短い席では四人、長い席では最大八人くらい座れそうな長机だ。

 大学の教室と言ったら多くの人がこの形を思い浮かべるだろう。


リンゴーン、リンゴーン


 この鐘は相変わらずチャペルのものなんだな……。

 と、教室の真ん中辺り一番窓側の席。歪みの気配。

 視線を向けると陽光をその身いっぱいに浴び、椅子から立ち上がろうとしている――


「また服だけのやつか……」


 ロング丈スカートのワンピースはベージュ。上半身は純白のブラウス。どちらもふわっとゆったりと着られるようなデザインのもの。頭部にはスカートの色に合わせたベレー帽が浮遊している。

 ああいう女子大生よくいるわ。身長が三メートルなくて顔があれば、だけどな。

 ウエディングドレスと比べるとかなり落ち着いた服装。あれを着てる女の子は可愛いとは思うが、なんというか良くも悪くもありふれている。


「顔もないし、服屋のマネキンと対峙してるような気分だな」


 歪みの強さからしてこいつもまた歪物ではないのだろう。

ともすればまた余計な事をされると面倒なので、俺は即小太刀を創る。そして一気に距離を詰め洋服を斬りつける。

 やはり手応えはない。

 刃はあっさりと服を裂き、それは黒い靄を吹き出しながら消えていく。

 当然歪みの根源も見つからない。

 やっぱりハズレか……。

 なんなんだ、これ。

 この空間も服の化け物も全部含めて歪物になった葉子の能力ってことでいいんだよな?

 となるとウエディングドレスと量産型大学生は分身的な何かで本体は別のところにいるとか?

 もしくはそもそも本体は外にいてこの謎空間に俺は囚われてしまっているとか。

 真相は分からないが後者ならマズイよな。ここから脱出する方法とか分からないし。

 と、風に揺らされてぶつかってきたカーテンに気づかされる。さっきまで窓開いてなかったよな。

 これってもしかして脱出できちゃったりする?

 なんて窓から身を乗り出し――思わず眉をひそめる。

 ある意味望んでいた光景。

 ここはテニスコートだ。コートをぐるりと囲う目隠しの植木の感じなどからおそらく俺らの学校のもので間違いないだろう。

 高校校舎裏にあるのであまり訪れる機会はないが、体育の授業で何度か使ったことがある。ただ三面あるコートのいずれにもネットは張られていないようだ。


「結婚式場、大学ときて今度はテニスコート……いや、高校と表現するべきか?」


 とにかく元の学校に戻ってきたのかもしれないと窓を乗り越えコートに足を踏み入れる。ここが一階で助かった。まあ歪みを使える今なら屋上からだって飛び降りられるだろうけど。

 俺の足が赤茶色のアスファルトを踏むと、また鐘の音がどこからともなく響いた。

 これまでの二体は鐘の音の後に現れた。今回もおそらくそうくるのだろうと身構える。

 ピシャッ!

 案の定か。音とともに歪みの気配が一気に強くなる。

 音はコートの隅にある倉庫の方向から。アルミの引き戸が勢いよく開いたのだ。そこから飛び出てきたのは――


「安藤先生⁉」


 必死の形相で倉庫から駆け出てきた安藤と目が合う。


「ひ、陽ノ下……⁉ ここは高校校舎か⁉」

「よかった、無事だったんですね!」


 歪物が最初に狙うのは歪みの原因となった人物。今回の歪物になったのが葉子である以上真っ先に安藤が狙われていると考えるのが自然だろう。しかし安藤は右腕を抑えてはいるがただちに命にかかわるような傷を負ってはいないようだ。これには一安心だ。


「逃げろ、陽ノ下!」


 逃げる?

 安藤は今何かに追われているということか。この状況で『何か』なんて歪物以外にあるとは思えないが。ならば俺がとるべき選択肢は一つ――


「何してるんだ。こっちは危険だ!」

「先生より危険じゃないからご心配なさらず!」


 俺の方へ走って来ていた安藤とすれ違う。


「陽ノ下!」


 ああ、これは本物だ。

 倉庫からゆっくりと出てくる影。


「先生こそ離れててくださいね。ひかりのことは心配しなくて大丈夫ですから」


 安藤が立ち止まり振り返ろうとした足音を背中に聴いて声だけでその動きを制しておく。安藤のことだから何も言わなければ俺を守りに来てしてしまうだろう。

 と、倉庫の扉に向き直る。

 白いセーラー服、か。

 うちの付属高校のもので間違いないだろう。

 身長は相変わらず三メートル以上の巨体。ただ今回はしっかり中身がある。

 相変わらずボンキュッボンのグラマラスな体型と、今はしなやかに伸びた手足がある。その顔立ちは――ほとんどそのまんま葉子のものだ。ただ見慣れた彼女の顔よりもスラッとしていて垢抜けた印象を受ける。さらにセミロングの髪型が大人っぽさを演出している。三メートル超えというのは大きすぎるにしてもきっと数年後の葉子はこんな感じに成長するのだろうと予感させるような容姿だ。

 こうまで化物らしくない姿をしていると魔法少女のようにも見えるが、この気配は歪物のそれで間違いない。そして気配で言えばもう一つ分かったことがある。今までの中身のない洋服たちと違ってこの歪物は本体――すなわち葉子で間違いないということだ。

 俺が彼女に向けた切っ先はいつもの小太刀のもではなく二尺三寸――つまり通常サイズの太刀。歪物葉子は大きい。小太刀だとリーチの差で不利になるのは歴然だからだ。


「葉子さん、これ以上先生を傷つけちゃダメだ」

「先生。ウチ大きい。でもダメ。もっと大きく。なんで。邪魔。嫌だ……」


 葉子はぶつぶつとそんなことを呟いているが俺の言葉に応えているというわけではないのだろう。単語自体は日本語として聞き取れるが言っていることは支離滅裂だ。

 ああ、分かってたさ。戦って根源を砕く以外に方法はない。言葉での説得なんて無意味だ。別にそれで全て丸く収まるのだからそれでいい。

 それは理解していても葉子を一時的にとはいえ傷つけねばならないというのは気が引ける。だからと言って戦わないわけにはいかないのだが。

 葉子は空高く緑色のボールを投げた。もともと持っていなかったのだから歪みで創ったものだろう。そしてこの場所から考えて彼女が次にとる行動は一つだろう。

 打ったのだ。ボールを、創り出したラケットで。テニスのサーブと相違ないその動きで巨体から放たれたボールは、降り注ぐようにまっすぐに俺へと飛来する。


「悪いけどテニスに付き合ってる場合じゃないんだ」


 俺は刀でその球を両断した。

 二つに割れた球は俺を避けるようにV字に別れ、コートの地面にクレーターを作る。また爆発とかしないだろうな、と見守っていたがボールは半分ずつそれぞれにバウンドすると空中で黒い靄となって消えた。

 爆発さえしなかったものの当たれば身体に穴が開くどころかバラバラに砕け散っていたかもしれない。だが当たれば即死の威力の攻撃にももう慣れっこだ。

 葉子に向き直り再び刀を構える。その時にはもう葉子はボールを宙に放っていた。


「大きく……大きく……」

「そういうのもあるのか」


 彼女の頭上で滞空したボールが膨らみだす。風船のように徐々に、徐々に。

 だが遅い。

 球がバランスボール大になる頃にはもう俺は葉子を間合いに入れ、刃は彼女の顔面を貫いている。

 弱い。今の一撃で根源を破壊できたとは思えないが、この調子ならそれも時間の問題だろう。突き刺した刀に体重を乗せて股までまっすぐに刃を下ろす。

 根源を捉えることはできない。

 一歩下がって刀を引く。次の一撃を――


「陽ノ下! 上だ!」

「はいっ」


 いけね、安藤の一言がなかったら忘れるところだった。

 上にあるもの、それはテニスボールだ。


「って、デカッ!」


 それは目を離したこの一瞬でかなり肥大化していた。真下にいるせいで正確には把握できないがおそらく象くらいの大きさはあるだろう。それが落ちて来る。自然落下ではあり得ないような速度で。葉子本体は真っ二つにぶった切られてまだ黒い靄を噴き出して再生中だというのに。

 大きすぎて回避は絶対に間に合わない。

 なら初弾と同じように……斬れるか……?

 いや、斬ったところで普通のボールですら二つに割れてなおクレーターを作ったんだ。もしこの巨大なボールが落ちてこようものなら安藤にまで被害が及ぶのは必然。二つや三つに斬ったってそれは変わらないだろう。

 ていうかどうしてただ落ちてきているだけなのにこんなにもすごい威力なんだよ。


「さっきラケットを振ってたのは何だったんだ……!」


 悪態をついていたって仕方ない。俺にできることは――

 俺は刀の代わりに巨大なテニスラケットを創り出し、力の限りそれを振るう。

 ボールの重さは想像通りだ。しかしだからこそ簡単にはラケットを振り切ることができない。普通ならラケットかボールのどちらかが壊れてしまっているだろう。

 「うおおおお」とアニメやなんかで美少女はあまり出さないタイプの掛け声を出しながら、何とか前へ前へとボールを押し込む。

 正確に打ち返す必要はない。何もない空の方向へ、ただただ遠く飛ばせればそれでいい。


「よっしゃあああああ」


 大丈夫。いくら重くたって押し負けるほどじゃない!

 ラケットを振り切ると、ボールは青空高く打ちあがる。


「ホームランだな」


 あれ、それじゃあ野球か。

 なんてのんきなことを考えている場合ではなかった。黒い靄を噴き出しているせいでその輪郭を正確に捉えることはできないが、目の前には歪物がいるのだ。真っ二つになっているから反撃は来ないはずだ。今はまさに好機。

 ここで歪みの根源を砕――マズい。

 認識できたのは靄の揺らぎ。左側から何かが来る。

 とっさに上げた左腕。その二の腕に激しすぎる衝撃。吹き飛ばされた俺は生垣のさらに外側を囲う緑色のネットに受け止められる。


「いつつ……ホームランだな、こりゃ……」


 着地して確認した左腕は骨が文字通り折れているのだろう。手首より先が力なく垂れ下がっている。人体ってこんな風になるんだ……。

 魔法少女の治癒力があればそのうち元通りに治るだろうが、この戦闘中にはもう左腕は使えないだろうな。

 俺にここまでダメージを与えたのは葉子に他ならない。その手に握られているのはテニスラケット。そのフレームで殴られたのだ。ガードが間に合わなかったら脳みそぶちまけてたかもな。

 それにしても再生早いな、葉子は。もう綺麗に元通りだよ。

 この距離感だとまたすぐにテニスボールが飛んでくる。かといって無暗に距離を詰めて次にダメージをもらったらいよいよヤバいかもしれない。あと残っているのは片手だけだ。

 攻撃は全部回避するにしても根源の位置も分かっていないこの状況で攻めきれるのか……?

 そんなわずかな思考時間。葉子はもう次のボールを宙に放っている。しかも身体の向きから察するに標的は俺ではなく安藤。


「受け取ってくれない。嫌。こんなに好きなのに。殺す。間違ってない。かわいそうじゃない」


 葉子は相変わらずぶつぶつと何やら呟いている。

 はあ、何を迷っているんだろうな俺は。このままでは葉子に安藤を殺させることになってしまう。それは一番最悪な結末だ。

 ならばやるしかないだろう。

 歪みで創りだした拳銃から上がった轟音。自ら放った弾丸とそう変わらない速度で同時に走り出す。


「葉子さん、安藤先生と比べたら興味ないかもしれないけどさ、今はひかりのことだけ見てくれないかな」


 距離を詰めてナイフを薙ぐ。狙いは頭部だ。

 多少リーチが短くなっても片手しか使えない状態ならナイフの方が扱いやすいだろう。

 俺の刃が葉子の額より上を斬り飛ばすのと同時に頭上で破裂音が鳴る。先ほど放った弾丸がテニスボールを割ったのだ。きっと俺の飛び道具では本体を傷つけることはできないが、あのボールを割るだけならば十分な威力だ。

 葉子は球を打ち出すつもりで振りかぶっていたラケットを、地球をたたき割らんばかりの力を籠めて振り下ろしてくる。

 当たれば即死……!

 くるりと身を翻して、葉子の周囲を回り込むように斜め前方へ回避。

 ラケットが地面をえぐった頃には葉子の背後にまで回り込む。

 根源の位置。左胸部、頭部にはなかった。ならば次は右胸部。ナイフを深く突き刺す。しかしここもハズレ。風穴が空いただけだ。

 葉子が身をよじったことで握りっぱなしだと振り回されそうだったので、とっさにナイフを手放す。

 左から迫っていたラケットをしゃがんで躱す。わずかに遅れた風切り音。俺の身体が横に引っ張られたのは振るわれたラケットにツインテールが巻き込まれたせいだ。


「くそっ」


 一瞬浮いた左足を四股でも踏むように地面に戻す。そのままコートのアスファルトを踏み抜く。飛ばされないよう足を埋めて固定するためだ。

 ツインテールが引っ張られて首が飛ぶかもしれないと思ったがなんとか堪える。

 一瞬よろけた体勢を立て直す。

 こちらを向いた葉子の腹部にすかさず掌底を打ち込む。低姿勢から突き上げるように。

 本来なら数メートルノックバックさせたところだろうが、今はそうならない。ツインテールがラケットに絡まっているせいで一定以上は離れられないのだ。

 だから宙を舞った葉子の身体は俺の頭部を支点に、弧を描いて背中から再び地面に落ちる。そして俺の掌底はまだ葉子の腹部から離れていない。

 テニスコートに叩きつけられた葉子を潰すように、全体重を掌底に乗せる。もちろん歪みも全開だ。

 腹を貫いた俺の手が触れた硬くて温かいこの感じ、間違いない。

 あった……。

 歪みの根源。

数か月空きました……?

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