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カラス天狗の執着

 ああ、ようやく、あの娘が手に入る。


 私は彼女のために準備した品々を思い返し、ため息をつきました。


 純白のドレスも、甘い甘いケーキも、すべて彼女の好みに合わせた特注品。どれだけ準備しても十分過ぎることなどありませんが、まあ合格点といたしましょう。


 たった10年。

 それだけのはずでした。


 人間とは異なる時間の中で生きる私たち。ひとの一生など、まばたきをするようなもの。たかが10年、待てて当然。そう思っていた自分が信じられません。あっという間に過ぎるどころか、これほどまでの飢えと渇きに悩まされることになるなんて。


 ようやくです。

 手中の花を手折る時がきた、そう思っていたのに。


「一体、何があったというのです」


 おやつとして用意していた大好物のケーキにも手をつけぬまま、彼女は突然姿を消してしまっていたのです。



 ********



 ほとんどの人間は気がつきませんが、私たちあやかしは、現代社会に溶け込みながらうまく暮らしています。


 アパートの家主をしているマヨヒガもいますし、神社で巫女をやっている河童もいます。バンドでメジャーデビューを果たしているうわばみもいれば、雪女たちと組んで冷凍倉庫を経営している雪男もいるくらいです。まあ私自身は、他人に使われるのが我慢ならないタチですので、個人投資家をしていますが。


 めまぐるしい速度で変わり続ける人間の側で、私たちは日々の暮らしをそれなりに楽しんでいるのです。


 さて、私が彼女に出会ったのは、10年前のとある冬の日のことでした。雪が降っていたあの日、私は乾いた風を楽しみに外へ出かけていました。


「何をしているのでしょうねえ」

「……カァ、……カァ」


 眷属のカラスが、コンビニの裏から必死で何かを運ぼうとしていました。ちょうど廃棄が出たばかりなのでしょう。先ほどまでショーケースに並んでいた食品が、ゴミ袋の中に打ち捨てられていました。なるほど、増やそうと思っているわけでもないのに、眷属が都心部で増えていくのはこういう理由でしたか。


「これが食べたいのですね」


 私が拾ってやれば、カラスがバタバタと飛び回ります。わざわざ顔の近くをぐるぐる回り、また「……カァ、……カァ」と耳障りな声で鳴き続けました。それはもちろん、エサを食べられるから嬉しい、あるいは主人に手ずからエサをもらえてありがたいというようなものではなくて。


「これを私に運べと?」

「……カァ、……カァ」


 どうもこのカラスには渡したい相手がいるようです。もともとカラスは大層頭の良い動物。道路を走る自動車を使って硬いクルミの実を割ったり、小石を足すことでコップの底に溜まった水を飲んだりすることもあるくらいです。使えるものは何だって使うのでしょう。ええ、それがたとえ自分の主人であったとしても。


 私はため息をつきながら、コンビニで商品の肉まんを買いました。隣のカラスは不思議そうな顔をしていましたが、当然のことです。なぜならカラスが私に伝えてきた相手の特徴は、明らかに人間の子どもだったのですから。いくら私と言えども、幼子にゴミ箱に入れられていた肉まんを渡す趣味はありません。まあ若かりし頃は、ちょっとした腹いせとして疫病を流行らせたこともありますがね。


 カラスに連れてこられた先は、古びたマンションの一画でした。まるでゴミ捨て場のようなすえた臭いの漂うベランダ。そのゴミの中には今にも命の灯火が消えてしまいそうな、小さな女の子がうずくまっていたのです。


 寒空の下、快適とは言い難いこんな場所に放置されているというのに、彼女は泣きもしませんでした。ただじいっと、苦行に耐えるかのように唇を噛んで静かに座っているばかり。ろくに食べてもいないのでしょう、はたから見ても痩せ細っているのがよくわかりました。放っておけば、遠からずこの子どもは命を落とすでしょう。


 いらないというのなら、もらってやろう。


 なぜでしょう、不意にそんな考えが降ってきました。

 別に人間が死のうが生きようが、私には関係のない話なのです。けれど、私は目の前の少女から、どうしても目が離せなくなってしまっていました。


 何となく、肉まんを持って来ようとしたカラスの気持ちがわかりました。おぼつかない声で、必死に「アスカ、アスカ」と呼ぶカラスの気持ちが。


 確かにカラスは言葉を喋る鳥です。けれど、オウムやヨウム、インコとはまた異なりますから、簡単に言葉を操るわけではないのです。


 さらに言うならば、眷属であるカラスと私とでは、人間のような言葉なんぞ使わなくても当然ながら会話ができます。それでもこのカラスは言葉を覚えたのです。他ならぬ、目の前の少女のために。なぜだか私は、私よりも先にこの少女に出会ったカラスをくびり殺したくなりました。


「明日香、大丈夫ですか?」


 私が声をかけると、彼女は眩しそうに一瞬目を細めた後、目をまんまるにしました。まるで驚いた猫のよう。甘やかして可愛がれば、ぐるぐると喉を鳴らすのでしょうか。


「てんしさま?」


 まさか、この私を天使様とは。私は笑いだしたくなりました。

 自身の気まぐれで都を潰してみたり、戦を起こしてみたりしたことを思えば、その呼び名にはこそばゆささえ覚えます。何も知らない、純粋無垢な幼子。この手で育てて、その蜜を味わえばどれほど美味なことでしょう。気がつけば私は、明日香を連れて帰ってきていました。



 ********



 そもそも私は、異類婚姻譚など小馬鹿にしておりました。たいていの場合、悲劇に終わるその物語。あやかしともあろうものが、なぜ人間のような脆弱な存在に心惹かれるのかと。


 それが一体どうしたことなのでしょう。

 私自身が明日香に溺れてしまったのですから、お笑い草です。これでは惚れた相手のために存在を失いかけた雪女のことを笑ったりなどできません。ええ、今なら私も雪女がどれだけ必死になって愛しい相手のことを守ろうとしていたのかが、よくわかります。自身の命を対価に差し出しても良いと思えるほどの恋。


 明日香に余計な虫がつかないように、規律に厳しいことで知られるエスカレーター式の女子校に通わせました。明日香の口に入るものは私が作ったものだけにしたいと料理を覚えました。その他にも明日香のために、いいえ、明日香を囲いこむために私はいろいろと手はずを整えました。


 こういう時にこそ、投資をして増やしたお金が役立つというものです。人間の世界とは、たいていの場合、お金で解決できるもの。まあ、それで引いて頂けない場合は、()()()()()解決方法というのもありますし。何とかなるものです。


 アルバイト先を知人のいる河童神社だけとしたのも、同じ理由です。巫女を務める河童の見た目がどうであれ、あちらは由緒正しき縁切り神社。もちろん、同時に縁結びの神社でもありますが、明日香に絡み付く縁という縁はすべて断ち切ってしまいました。


 良いではありませんか、彼女には私以外の(よすが)など、必要ないのですから。


 最近になってようやく私は、愛した相手をその体ごと食いつくしてしまう絡新婦(じょろうぐも)が、たぐいまれなる愛情深き女であることに気がついたのでした。



 ********



 やはり、ここ最近結婚式の準備のために帰りが遅くなってしまったのがいけなかったのでしょうか。


 あるいは、明日香の両親と()()()をしていたときに、少しばかり()()がしみついてしまったのでしょうか。確かに蜜月のために用意した我が家に、鉄さびの香りなど似合いませんからね。思い返してみれば、すぐに口先だけの謝罪をするのに腹が立って、やり過ぎてしまったのかもしれませんね。まあ、命はありますし、憎まれっ子世に憚るとも言いますから、特に問題はないでしょう。


 明日香の見張りにつけておいた眷属のカラスが、怯えたようにこちらを見ています。ええ、大丈夫です。わかっておりますとも。お前が失態をしたわけではないということは。ただ、愛しい相手にそっぽを向かれてしまうのは、少々傷つくものがありますね。まあ可愛らしい子猫に少しばかり爪を立てられたようなものですが。


 さて、彼女を迎えに行きましょうか。


 可愛い明日香。愚かな明日香。

 私がお前以外を妻に迎えることなどあるはずがないというのに。


 可愛い明日香。可哀想な明日香。

 お前は私から逃げられない。ずっと一緒に過ごしましょうね。

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よろしければこちらもお楽しみください。
平凡大学生の「僕」と雪女の異類婚姻譚です。
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