蔵の中で
軋んだ音を響かせて土扉が開いた。その奥には木の扉がある。埃っぽい空気とかび臭い匂いを感じながら二番目の扉を開けて中に入った。高所の窓から差す弱い星明かりが蔵の中を薄暗く照らしている。火災の危険のある電気などは当然引いてないようだ。
「暗いから気をつけて」
父つぁんの懐中電灯に照らされた内部は、様々なモノがゴチャゴチャに置かれている。積み重なったダンボール箱。紐でくくられた棒状の物。空気が抜かれたゴムボート、これは海で遊ぶものだろう。その近くには浮き輪やビーチパラソルなども置かれている。一斗缶、灯油ストーブ、雪かき用と思われる平たく大きなスコップ、これらはいかにも雪国らしい。
「こりゃ、本当に物置だな」
先輩の言葉に同感である。父つぁん家の普段の暮らしを垣間見ているようで、少し気がとがめてしまった。
「まあ、入り口付近は完全に物置ですけど、奥はそうでもないですよ」
父つぁんは蔵の奥まった部分を照らし出した。意外と広い。六畳二間ほどだろうか。懐中電灯の明かりに照らされて最初に目に入ったのは、一番奥の壁に掛かった大きな額縁だった。墨書された文字は達筆すぎてさっぱり読めない。その周りには様々な大きさの木箱、巻かれた掛け軸らしきもの、竹の細工物、人形、置物などなど。
「なるほど、確かに骨董品が多いな」
「あっても使い道がないものばかりですよ。捨てるに捨てられず、売っても大した額もにならず、結局、蔵のこやしになって蔵と共に朽ち果てていく運命なんですよ」
自嘲気味の父つぁんの言葉。それでも先輩は床板を軋ませながら奥へ行くと、それらの骨董物を眺めたり、手に取ったりしていた。あるいは先輩に宿った去来の言霊が、それらの品々に興味を示したのかも知れない。言霊の意志がどれほど宿り手に反映されるのか、僕にはよくわからないが、食べ物以外の物に関心を持つ先輩なんて、滅多にお目に掛かれないので、少なからぬ去来の影響があると考えていいだろう。
「どうです、何か気に入ったものがありましたか。よかったら差し上げますよ、ライ先輩」
「ん、いや、まあな」
先輩は手に届く範囲の物を一通り見終わると、ふっとため息をついた。
「わざわざ貰って帰るほどのモノはなさそうだ。それでも眺めているだけで、結構面白いもんだな」
どうやら去来のお気に召すような物はなかったようだ。と言うことは、やはりここにあるのはガラクタばかりなのかも知れない。僕は何気なく蔵を見上げた。闇に慣れた目に、天井の太い木組みがぼんやりと見える。
「なあ、父つぁん、ここ、二階はないのかい」
「ああ、一部二階になっている場所がある。でもな、だいぶ昔に梯子が傷んで折れちまったんで、今は上がれないんだ」
父つぁんはそう言いながら、懐中電灯を上に向けた。照らし出された蔵の上部は前の半分ほどが二階になっている。そこにも何か置かれているようだ。
「よし、ショウ、肩車してやるぞ」
不意討ちのような先輩の提案に、僕は自分の耳を疑った。どうして今日に限って、食べ物でもない蔵の収容物なんかにこんなに拘っているんだろう。
「先輩、本気ですか。こんな暗闇で肩車って、危険すぎませんか」
「大丈夫だよ、俺を信じろよ。それにせっかく来たんだから、とことん見せてもらわなくちゃ、父つぁんに申し訳ないじゃないか」
いや、他人の持ち物を遠慮なく覗き見る方が、よっぽど申し訳ないと思うんですけど、なんて事を言う間もなく、先輩は床にしゃがみ込んでしまった。父つぁんが懐中電灯を僕に渡す。二対一では勝ち目はない。しぶしぶ先輩の肩に跨った。
「そらよ」
さすがは体育会系のつわもの、中肉中背の僕の体は軽々と持ち上げられてしまった。二階部分の床の高さは僕の肩から上が出るくらい。懐中電灯で照らしてみると一面埃だらけ。相当長い年月、誰も足を踏み入れていないのは一目瞭然だ。
「どうだ、何か目ぼしいものはあるか」
股の間から先輩の声が聞こえる。淡い光に照らし出された埃だらけの床の上には、様々な大きさの木箱、色の剥げた屏風、煤けた火鉢などなどが置かれている。
「一階とあまり変わりませんよ」
「何でもいいから二、三個持って来てくれよ」
持って来てくれって簡単に言われても、そもそも手が届くかな……僕は懐中電灯を左手に持ち替えて、右手を精一杯伸ばした。だが、一番近くの木箱にも届かない。
「先輩、もう少し持ち上げてくれませんか。みんな、奥の方に置かれているんですよ」
先輩の体がごそごそと動き始めた。何をしているんだろうと思っていると、いきなり体が持ち上げられた。どうやら何か台のような物の上に乗ったらしい。
「どうだ、これで届くか?」
肩までしか出ていなかった体は、今は腹の辺りまで床の上に出ている。僕は「やってみます」と返事をして、上半身を床に乗せるように両手を伸ばした。なんとかギリギリで届きそうだ。
「おい、あんまり動くなよ。こっちは真っ暗闇の中で支えているんだからな」
「もう少しです、あと少し」
一番手前にある、長さ二十センチ程の縦長の木箱、取り敢えずこれを持って行こう。僕は両足に力を込めて反動をつけるように右手を伸ばした。よし、掴めた。その時、ふっと足の支えがなくなった。
「うわっ!」
先輩の声と、何かが落ちるような大きな物音。いきなり僕の全体重が両腕にのしかかった。ずるずると体が下に滑っていく。
「先輩、落ちる!」
一瞬、偉大な魔法使いが橋から落ちる映画のワンシーンが頭に浮かんだ。だからと言って「行け、馬鹿者!」なんて口走っている余裕はない。小箱と懐中電灯を掴んだまま、重力に抗し切れぬ僕の体が、遂に一階へ落ちようとした時、誰かが僕の両足首を掴んで上へ持ち上げた。
「ショウ、大丈夫か」
父つぁんの声だ。同時に股に頭が入り、尻が固定され、僕の体はそのままゆっくりと一階に下ろされた。懐中電灯で床を照らすと、先輩が尻餅をついている。バランスを崩して踏み台から転げ落ちたのだろう。
「もう、何やってるんですか。大丈夫だよとか言っておきながら。父つぁんが助けてくれなかったら落ちてましたよ。怪我はないですか」
僕の伸ばした手を掴んで先輩は立ち上がった。
「悪い悪い、急にお前が足に力を入れるもんだから、支えきれずに転んじまったよ。まあ、どちらも怪我はないようでなによりだ。で、どうだ、何か面白いものはあったか」
余程、蔵の中のお宝に興味があるようだ。僕が転落の危機を乗り越えて手に入れた小箱を渡すと、先輩は「お、これか」と言いながら待ち切れないように蓋を開けた。
「ほうっ」
先輩の感嘆の声。父つぁんが覗き込む。僕もその中を見た。
「これは……小刀か」
懐中電灯の光に照らされた箱の中には、全長十五センチ程の刃物が入っていた。鞘はなく剥き出しの状態で収められている。柄と刀身が一体となったその小刀に鍔はなく、相当古いのか手入れが悪かったのか、全体が赤錆で覆われていた。
「ここまで錆付いていたら、鉛筆を削るどころかスイカも切れねえな」
「それにしても随分小さいですよね。何に使うものなんでしょう」
「多分、小柄だな」
「小柄? 何ですかそれ」
「大抵の刀の鍔には穴が空いているだろう。あそこに差して使うんだ。まあ使うって言っても装飾的な意味合いが強いんだけどな。ほら、柄を見てみろよ、彫刻が施されているだろう」
錆だらけの柄をよく見ると、富士山と、それを取り巻くように数本の蔓と数個の丸い実が彫り込まれている。こんなに柄がでこぼこしていては握り難くて仕方ない。先輩の言葉通り、実用的な物ではないのだろう。
「この実、瓜、いや富士山だから茄子でしょうかね」
「スイカかも知れんぞ」
「スイカにしちゃ縞模様がないじゃないですか」
「昔のスイカには縞模様なんてなかったんだ。皮は黒かったり、無地だったりで、形や大きさ以外は瓜と大差ない食い物だったのさ」
食べ物への執着心が強い先輩でも、縞模様のないスイカまで知っているとは思えない。きっと去来の知識の中から食べ物に関する部分だけを吸収しているんだろうなと僕は推測した。そんな目でもう一度、柄の彫刻を見てみると、スイカに見えないこともない。この品を手に入れた父つぁんのご先祖様が、この彫り物を見てスイカ作りを決意した、なんて妄想が浮かんでしまった。
「裏はどうなってるんだ」
先輩の手が小柄に伸びた。箱からそれを持ち上げ裏返す。
「お、これは……おい、ショウ、懐中電灯を貸してくれ」
先輩は僕に空の小箱を渡し、代わりに僕は懐中電灯を渡した。僕も父つぁんも先輩の手元の小柄を凝視する。淡い光に照らし出された刀身には、明らかに文字らしき羅列が刻まれていた。総数二十文字足らずの行書体が、短い刀身の中で身を寄せるように並んでいる。
「字を彫り付けるとはな。ちょっと意外だ」
「他の部分のボロボロ具合に比較すると、この字だけ妙に綺麗に残っていますね。達筆すぎて読めませんけど」
「刻まれた字をよく見てみろよ。僅かに黄色いだろう。恐らく文字の上に金箔を被せてあったんだ。それで他の部分ほどには腐食されなかったんだな。それにしても、何と書いてあるんだ……」
不意に先輩の体から去来の影が立ち上ってきた。去来の目によって文字を読もうとしているのだろう。しばらくして先輩の低い声が聞こえてきた。
「月薄きもし魂あらば此のあたり」
「それは、俳句……」
「だな。それに聞いたことがある。誰の句だったか……」
「牧童……」
父つぁんの声だった。意表を突かれた僕は先輩を見た。先輩の顔が一気に険しい表情に変わった。
「そうだ、思い出した。牧童の句だ」
「牧童って誰ですか。有名な俳人ですか」
「立花北枝は知っているだろう。その兄だ。牧童もまた芭蕉の門人だったんだ」
北枝は知っている。蕉門十哲のひとりにも数えられる北陸蕉門の重鎮。しかし、その兄の句をどうして父つぁんが知っているのだろう。当然、同じ疑問を抱いているはずの先輩が父つぁんに尋ねた。
「なあ、父つぁん、どうしてこの句の作者が牧童だとわかったんだい?」
「それが、俺にもよくわからなくて……なんだか句を聞いて、ふっと、その名前が浮かんだんです」
まさか、父つぁんにも……僕は手に持った小箱で先輩の脇腹を小突いた。小さく頷く先輩。やはり同じ事を考えているようだ。
「すまん、ちょっと照らすぞ」
先輩は懐中電灯の光を父つぁんに向け、その顔を凝視した。眩しそうに目を細める父つぁんの顔を、僕もまたじっと見詰める。が、何も見えてこない。先輩はどうなのだろう。父つぁんを見る先輩の表情からは、その答えは読み取れない。思い過ごしだったのだろうか。と、その時、蔵の入り口で物音がした。
「誰だ!」
先輩が懐中電灯の灯りを入り口に向けると、「きゃ!」というカワイイ声と共に、顔を片手で覆った人影が浮かび上がった。
「何だ、お前か」
呆れたような父つぁんのセリフを聞くまでもなく、その正体はわかっている。ツイン娘だ。
「諦めて帰れって言っただろう」
「帰ったよ。ちゃんと帰ったよ。でも、もしかしたらお兄ちゃんたちの懐中電灯の電池が切れるかも知れないと思って、こうして新しいのを持って来て外で待っていたんだよ。そしたら、大きな物音がしたので、心配になって……」
ツイン娘は手に持った懐中電灯を点けるとこちらに向けた。眩しくて思わず顔を覆う僕ら三人。
「ああ、わかったよ、電池切れも物音も心配御無用だ。いいから、もう」
「父つぁん!」
先輩が釘を刺すような声を出した。俺たちが居る間は仲良くしてくれ、この言葉をもう忘れたのかと言わんばかりの顔をしている。父つぁんは咳払いをすると、それ以上言うのをやめた。ツイン娘はきょとんとした顔をしている。
「いいからもう……何?」
「別に」
「変なの」
このままここに居ても大丈夫だと思ったのか、ツイン娘は蔵の中に入り込み、ゴムボートの辺りにかがみこむと、何かを探し始めた。程なく「あったあ」と叫んで立ち上がったツイン娘の手には、花火セットの袋が握られていた。
「去年の使い残しがあるはずだって思ってたんだ。見つかってよかった」
「そんな物、どうするんだよ」
「明日、お姉ちゃんたちが来るでしょ。夜、一緒に花火をしようと思って」
ツイン娘が蔵に行きたがったのは、どうやらこの花火セットを見つけたかったからのようだ。父つぁんが呆れた声を出す。
「なんだ、それならそう言えば俺が探してやったのに」
「どうせ頼んだって、花火なんか騒がしいからやめろ、とか言って探してくれなかったでしょ。わかってるんだよ、お兄ちゃんの性格」
反論できない父つぁんの様子から、どうやら図星であることは間違いないようだ。初対面で僕のガッカリ気分を見抜いた時と同じく、やはりこの子は勘がいいなと改めて感じる。
「えへ、これが手に入ったからあたしはもう行くね。懐中電灯、交換してあげようか。新しい電池を入れてきたから明るいよ」
「いや、俺たちもこの辺で切り上げるよ」
先輩は懐中電灯を父つぁんに渡すと、僕の手から小箱を取り上げ、手に持った小柄をその中に仕舞った。
「十分すぎるくらい、蔵のお宝を堪能させてもらったからな」
「ふーん、よかったね。じゃ、あたしはお先に~」
花火セットを手に入れて上機嫌のツイン娘は、足取りも軽やかに蔵の外へ出て行った。
「ところで、ライ先輩、その小柄、気に入ったのなら持って行ってもらってもいいですよ。伯父さんも爺ちゃんも、多分了承してくれると思うんで」
「うん、申し出は嬉しいが、遠慮しておくよ」
先輩は小柄を仕舞った小箱を父つぁんに手渡した。
「これは人の目に触れない方がいい。このまま蔵の肥やしになって朽ちていくのが、一番相応しいような気がするんでな。どこかに仕舞っておいてくれ」
「そうですか……わかりました。それじゃ、俺たちも帰りましょうか」
懐中電灯を持った父つぁんを先頭に、僕らも歩き出す。外に出て、扉を閉めて鍵を掛け、母屋へ向かいながら、僕は小声で先輩に話し掛けた。
「先輩、父つぁんのことですけど」
「わかってる、後で話そう」
父つぁんが居る場所でのヒソヒソ話は気が引ける、二人きりで話した方が気を遣わなくていい、先輩はそう言いたいのだろう。僕はそれ以上は何も言わず黙って母屋まで歩き続けた。
「おかえりなさい、何か面白い物はありましたかな」
母屋の居間へ入った僕らを、そんな言葉で出迎えてくれたおじいさんに、
「はい、随分楽しませてもらいました。ありがとうございます」
と、礼を言う先輩。そりゃ二階から落ちそうになった僕を眺めるのは、随分楽しかったでしょうよと、思わず愚痴りたくなってしまう。
「それじゃ、ショウ、ライ先輩。明日は早いんで俺はこれで休ませてもらうよ。後はテレビでも観て自由にくつろいでもらっていいから」
父つぁんは蔵の鍵をおじいさんに渡すと、そう言って居間を出て行った。母屋には増築した部分があり、そこが父つぁん一家の居住スペースになっているらしい。おじいさんは鍵を受け取ると居間を出て行き、入れ替わりにおばあさんがお茶とお菓子を持って入ってきた。
「はい、どうぞ。客間に布団が敷いてありますので、好きな時に寝てくださいな」
「ありがとうございます」
ここまで丁寧な持て成しを受けると、どこか田舎の民宿にでも泊まりに来たような気分になる。実際、父つぁんの実家は古民家風の鄙びた雰囲気がそこかしこに漂っていて、そのまま旅館としてもやっていけそうな感じがする。
「それでは、あとはご自由に」
そう言っておばあさんも出て行くと、先輩にしては珍しく卓の上の菓子には手をつけず、待ちかねたとばかりに話し掛けてきた。
「おい、ショウ。お前はいつも父つぁんと一緒に居るんだよな。あいつの俳句の知識はどの程度なんだ」
同じクラスなので一日中一緒に居るのは間違いないが、父つぁんの俳句の知識なぞわかるわけがない。ただ授業中の受け答えなどを見ると、僕と同じで、文系の勉強は苦手のような気がする。恐らく俳句にもそれ程興味はないはずだ。そんな内容を先輩に話すと、その顔に険しさが漂い始めた。
「じゃあ、なぜ牧童の句だとわかったんだ。さして有名な句でもないのに」
「それは、やはり言霊が」
「お前は見えたのか?」
僕の言葉をさえぎって問い掛けてきた先輩に、首を横に振って「先輩は?」と訊き返す。先輩もまた首を横に振る。僕だけでなく、やはり先輩にも見えていなかったのだ。
「そうですか。でもリクの時みたいに、まだ不完全な宿り方だから、僕らには見えないだけなのかも知れませんよ。明日やって来るソノさんに見てもらったら、もしかしたら」
彦根で出会ったリクの言霊を感じていたのは、最初はソノさんと佐保姫だけだった。今回の父つぁんもそれと同じケースと考えれば、今、僕らに見えていなくても何の不思議もない。だが、そんな僕の意見に対しても、先輩の険しい表情は変わらない。
「なあ、ショウ、よく聞けよ。お前にはまだ芭蕉の意識がほとんど流れ込んでいないからわからないだろうけど、牧童は言霊の俳諧師じゃなかったんだ」
一瞬、僕の思考が止まった。そして先輩のこの一言と、それに続く言葉は、僕の考えを根底から覆すものだった。
「牧童には言霊の業は授けられなった。言霊がなくても、言霊の俳諧師の力を借りれば吟詠境には行ける。しかし自分の死に際して宿り身の業は使えない。命が尽きればそれでもう終わりだ。牧童の言霊は存在しない。だから牧童の言霊の宿り手なんて、今の世に居るはずがないんだ」
自室に戻った父つぁんは、今はもうすっかり小さくなった勉強机に座った。こうして居ると小学生の自分を思い出す。部屋の中はあの頃と何も変わらない。自分だけが大きくなってしまった。
何気なくズボンのポケット部分を外側から撫でる。手に触れる細長い膨らみ。どうしてこんな事をしてしまったのだろう、その理由は父つぁん自身にもわからなかった。ただ、これを一目見た時から、決して手放したくないという強烈な想いに囚われてしまったことだけは間違いなかった。
父つぁんはズボンのポケットに手を入れてそれを取り出すと、静かに机の上に置き、明るい電灯の下でまじまじと見詰めた。ライが人目に触れぬよう仕舞っておいてくれと言った、赤錆だらけの古ぼけた小柄を……




