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言霊の俳諧師  作者: 沢田和早
五 数ならぬ身
22/61

ツイン娘

 西の空と海が橙に色づき始めた夕方五時頃に、ようやく「今日はここまでにしましょうか」の有難いお言葉を賜って、本日のお手伝いは終了となった。行きと同じく軽トラックの荷台に乗って父つぁんの家に帰り着くと、ひとりの女の子が車から降りる僕たちに駆け寄ってきた。

「お兄ちゃん、お帰りなさい!」

「ああ、ただいま」

 そう答えたのは父つぁんだ。あれ、父つぁんは確か一人っ子じゃなかったっけ。ハテナマーク満載の僕に、父つぁんが説明する。

「あれはいとこだよ。伯父さんの一人娘。二つ下の中学二年生だ」

 ということは、リクよりも一つ下か。あいつと同じく中学生にしては背が低いが、性格の方は正反対で随分素直そうなカワイイ子だ。

「ねえ、お姉ちゃんたちは今日は来てないの?」

「ああ、都合で明日来ることになったんだ」

「なんだ、ガッカリ。今晩一緒に遊べると思ったのに」

 当てが外れてしおれた顔もこれまたカワイイ。髪をツインテールにしているので、余計にそう感じるのかも知れない。この可愛らしさをリクも少しは見習って欲しいものだと思いつつ、僕もまた同様にガッカリな気分になった。ソノさんたち一行の到着が今日ではなく明日になることは、今朝の出発前に先輩から聞いていた。モリが今日、どうしても抜けられない用事があるのだそうだ。「自分は行くのを諦める」と言うモリに、「一日くらい遅れても大丈夫だからみんなで行きましょう。それにショウちゃんとの旅行なんて初めてなんでしょう。この機会を逃すと今度いつ行けるかわからないよ」と、モリの女心をくすぐる心憎いまでのソノさんの提案によって、女子部隊の到着は一日遅れの明日の正午になったのだった。

「ふふ、そこのお兄ちゃんもガッカリ顔をしているね」

 いきなり自分の心を見透かされて、僕の心臓がドキリと高鳴った。カワイイと思って油断していたが、このツインむすめ、どうやらコトと同じく相当な洞察力の持ち主のようだ。

「こら、年上をからかうもんじゃないぞ。用がないなら家に戻ってろ」

「はーい。あ、そうだ。今晩の夕食は、母屋でみんな揃って食べるって言ってたよ。楽しみ~」

 父つぁんに戻れと言われたツイン娘は、もう一台の軽トラックから降りてきた自分の両親と一緒に、新屋の方へと帰って行った。立ったまま三人を見送る父つぁんに僕は声を掛ける。

「カワイイ子じゃないか。同じ中学生でもリクとは大違いだな。あんないとこがいて、ちょっと羨ましいよ」

「……そうでもないぞ」

 その声はいつもの父つぁんらしくない、若干の憂鬱を秘めているように聞こえた。明るさが売りの父つぁんでも、こんな返事の仕方をすることがあるのかと、少し気になった僕の耳に、今度は先輩の陽気な声が聞こえてきた。

「おい、父つぁん。あれ、蔵じゃないか」

 先輩の見ている方に目をやると、確かに白い土蔵が建っている。昼の到着時にはバタバタしていて気づかなかったようだ。

「ええ、うちは結構古くからこの地に居座っているみたいで、恥ずかしながらあんなモノもあるんです」

 父つぁんは事も無げにそう言っているが、蔵のある屋敷なんて滅多にあるものじゃないだろう。敷地は広いし、平屋建の母屋もどこかの老舗旅館のような佇まいだし、もしかしたら父つぁん家は、僕たち下々の者がおいそれとは付き合えないような名家なのかも知れない。思わず尊敬の念を抱いて父つぁんを見てしまう。

「おい、ショウ、勘違いしないでくれよ。ウチは代々ただの百姓なんだからな。それに蔵って言っても、今ではただのボロい物置きさ。あの有様を見ればわかるだろ」

 父つぁんの指摘どおり、蔵の下半分を覆う板張りはひび割れ、白い漆喰は所々剥げ落ちている。ほとんど手入れされていないのは一目瞭然だ。

「でも蔵なんだから、それなりのモノが収められているだろう。トンでもないお宝とか眠っているんじゃないのか」

 先輩が一番期待しているであろう珍しい食い物の類は、絶対にありませんよと言いたくなる気持ちを抑え、いかにも同意していますとばかりに先輩の言葉に相槌を打つ。実際、僕も蔵の中身は気になるのだ。

「あ、それじゃ、夕食の後で中を見せましょうか。どうせやる事もなくて暇ですから」

「おう、それはいいな。よし、さっそく晩メシにありつくとするか」

「ライ先輩、その前に風呂に入ってください。土と砂に塗れたままじゃ、気持ちよく食事できないでしょう」

「ん、おお、そ、そうだな」

 いや、先輩ならどんな状況でも平気な顔で食べられるはず。父つぁん、君はまだまだ先輩の本質がわかってないな。もっともまだ一ヶ月足らずの付き合いなんだから無理もない。父つぁんの言葉を否定できずに作業着に付いた土を両手で払っている先輩を見て、僕の頬は思わず緩んだ。

「なんだ、ショウ、何か可笑しな事でもあるのか」

「あ、いえ、何でもないです。それよりも早くお風呂をいただきましょう」

 父つぁんに対して少しばかりの優越感を抱きながら、僕は二人の背中を押して母屋へ向かった。

 夕食はすき焼きだった。僕も先輩も牛丼屋をよく利用しているらしいと父つぁんから聞いたらしく、それならばとすき焼きにしたようだった。それだけでも有難いのに、皿の上に並んでいる牛肉は、お安い輸入牛ではなく明らかに国産の霜降りだ。はしゃぎながら箸を動かすツイン娘の「今日のすき焼きはいつもと違って美味しいね」という言葉から、どうやら僕らのために特別に用意してくれたらしい。農作業のお手伝いだけで、ここまで気を遣っていただけるとは感謝の極みである。僕は嬉しさを通り越して逆に恐縮してしまい、肉を口にするのが勿体無くて、しらたきやら春菊やらを重点的に食べていたが、先輩は普段と変わらず、本当にちゃんと噛んでいるのかと思われるような勢いで肉を食べている。この図太さはちょっと見習いたいところだ。

「やはり大勢で食べると美味しいものですなあ」

 草地を焼き尽くす業火の如く肉を平らげていく先輩の食いっぷりを、目を細めて眺めているおじいさんの話によると、以前は八人で食事を取っていたそうだ。しかし、会社勤めの父つぁんの父親の転勤で、次男夫婦がこの地を離れると、それまで我慢して老夫婦の好みに合わせていたツイン娘の意見により、長男夫婦とは完全に別々の食事になってしまったのだった。

「だってさあ、おじいちゃんやおばあちゃんにカレーとかハンバーグとか、気の毒でしょ。別々の方がどちらも幸せになれるってもんだよ。でしょ?」

「お前、少しは譲歩するってことを覚えたほうがいいぞ」

「なによう、お兄ちゃんだってここに住んでいた時は、本当は和食が嫌いだったんじゃないの」

「好き嫌いなんてない。食べ物はどんな物でも感謝していただくもんだ」

「うん、それは兄ちゃんが正しいな」

 真面目な顔で肯定する先輩は、そう言いながらも肉ばかり食べているのだから、今ひとつ説得力がない。でも、先輩に好き嫌いがないのはこれまでの経験から間違ってはいない。余りの不味さに吐きそうな食べ物ですら、先輩は平気で口にして、顔をしかめながらも飲み込んでしまう。多分、先輩は食べ物の向こうに、かつてそれが生きていた頃の植物や動物の姿を見ているんだと思う。だからこそ、どんな食べ物でも疎かに扱えず、食べ切る事で自らの命を捧げてくれた彼らに感謝を表しているのだ。

「もう、みんなであたしをいじめて……」

 ツイン娘は頬を膨らませて不機嫌な顔をしている。こんな表情ですら可愛く見えるこの子は、きっとこれまで恵まれた人生を歩んできたのだろうなと思わずにはいられない。それにしても気に掛かるのはそんな美少女に対する父つぁんの態度だ。帰宅した時と言い、今と言い、どうも無愛想、いや嫌っていると言ってもいいほどの接し方だ。誰に対しても人当たりの良い父つぁんにしては珍しい態度だ。場を盛り上げようともせず淡々と食事をする父つぁんは、まるで別人のように思われた。

 食後は、先だっての約束どおり、蔵を見に行くことになった。快く了承してくれたおじいさんから鍵をもらうと、僕たち三人は外に出た。周囲に人家が少ないせいか夜の闇は濃いが、その代わりに夜空の星は地上まで照らしてやると言わんばかりに輝いている。懐中電灯を持った父つぁんを先頭に歩き始めると、案の定と言うか当然と言うか、ツイン娘が後を追ってきた。

「ねえ、蔵の中を見に行くんでしょ。あたしも行く!」

 そして、これまた予想通りの父つぁんの返事。

「お前はダメだ。留守番してろ」

「どうして。あたしだって中を見たいもん」

「昔、蔵の中が怖くて泣き出したことがあったじゃないか。また泣かれたら敵わん」

「そんなの幼稚園の頃の話じゃない。あれから何度か行ったけど、もう全然平気だよ」

「ダメだったらダメだ。見せると約束したのはこの二人だけだ。お前にも見せてやるなんて約束はしてないだろう。諦めて中に入れよ」

 そう言うと、これ以上の会話は無駄とでも言わんばかりに、父つぁんは歩き出した。ツイン娘はもうそれ以上は何も言わず、母屋の前でただ僕らを見ているばかりだ。さすがに気の毒になった僕は、前を歩く父つぁんに話し掛けた。

「なあ、別に見せてやってもいいんじゃないか。それで困ることなんて何もないんだろう」

「いいんだよ。あいつ、無理を言えば何でも聞いてもらえると思っているんだから。甘やかすのは良くないんだ」

 普段の父つぁんには似合わない口振りだ。その素っ気無い態度に、僕はとうとうこれまで胸の中に抱えていた疑問を口にしてしまった。

「父つぁん、もしかしてあの子を嫌っているのか?」

 父つぁんの歩みが止まった。振り返った父つぁんの顔は、夜の闇の中でひどく陰鬱に見えた。

「そうだよ、嫌っているよ。口も利きたくないくらいにな」

 思った通りの返事だが、さすがに理由を訊かずにはいられない。

「何でだよ。あんなに素直で父つぁんのことも慕っているみたいなのに」

「そうだよ、あいつはいい子だよ。だから尚のこと嫌いなんだ」

 いい子だから嫌い……謎かけみたいな回答だ。答えあぐねている僕を見て、父つぁんはさらに言葉を続ける。

「いい子だよ。俺と違って成績優秀、県下でも名門の私立へ通っている。小さい頃からピアノを習っていて賞を取ったこともある。クラスでも人気者みたいだ。逆に、俺はガキの頃から土日や夏休みには、毎日畑で働かされた。勉強する暇も友達と遊ぶ暇もなかった。あいつは畑なんか一度も来たことがないんだ。今日だって俺やお前やライ先輩が働いているのに、自分は街に遊びに行っていたんだぜ。そしてそれを当たり前だと思っている。誰もが自分を好いてくれていると思っている。だから一層、腹立たしいんだ」

 積もりに積もった鬱憤を晴らすが如くに吐き出された言葉は、それまで温厚な男だと思っていた父つぁんの印象を塗り替えるに十分な力を持っていた。けれども僕は、自分の内面を臆面もなく曝け出した父つぁんの正直さに、むしろ好感を抱いていた。裏表がない性格だけはいかにも父つぁんらしかった。

「な、父つぁん」

 先輩は父つぁんに歩み寄ると肩を抱いた。

「わからんでもないぞ、お前の気持ち。俺だってショウが頼りなくて、頭もさほど優秀じゃなくて、女子にもほとんどもてない奴だから、こうして小さい時から仲良く付き合っていられるんだ。もしこいつが俺より大食いで力も強くて頭も良かったら、そりゃ心中穏やかじゃなくなるだろうからな」 

「ちょ、ちょっと先輩、何を言い出すんですか」

 本気とも冗談とも取れぬ先輩の言葉に、こちらの心中が穏やかではなくなってしまいそうだ。そんな僕の内心にはお構いなしに先輩は続ける。

「でもな、それはあの子の罪じゃない。特別扱いするあの子の周囲に問題があるんじゃないか。もしそうならお前の不満はそっちにぶつければいいんだよ。それにあの子はまだ子供だ。思い出してみろよ、あの年頃ってのは、自分を中心に世界が動いている、みたいなノリで生きていただろう。だから、お前も大人になって、せめて俺たちがここに居る間くらいは、あの子と仲良くしてやれよ。他人を嫌うお前を父つぁんとは呼べないからなあ」

「……わかりました。努力してみます」

 父つぁんは肩に回された先輩の手を掴んで下ろすと、向きを変え再び蔵に向かって歩き始めた。その背中を見て歩きながら、僕は先輩の言葉を反芻した。あの年頃は、自分を中心に世界が動いていると思っている……それは僕にも当てはまる。コトに告白するまで自分が振られるなんて考えたこともなかった。あの時、コトに冷たくあしらわれて、僕は初めて自分が他人と同じ、平凡な人間の一人に過ぎないと気づいたのだ。でも父つぁんは違う。父つぁんの世界では、いつもあのツイン娘が中心だったのだ。どんなに頑張っても脇役にしかなれないのだとしたら、主人公を羨む気持ちを持つのも無理からぬことだろう。ここから引っ越して今の街に来て、友達をたくさん作ろうとした父つぁんの気持ちが、なんとなくわかるような気がした。

「えっと、鍵穴は」

 蔵の前までやって来ると、父つぁんは重そうな土扉を懐中電灯で照らして、鍵穴を探し始めた。こうして正面に立つと遠目よりも大きく見えて、弱弱しい星の光の中に建つそれは、どことなく不気味な存在に思えた。

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