第16話 今度こそ3人
鏡坂高校へ続く坂道は、夏より静かだった。
頭上を埋めていた蝉の声はなく、葉を落とした木々の間を冷たい風が抜けている。
事件から3か月が過ぎていた。
開いたままだった校門には新しい鎖が巻かれ、その手前には立入禁止の柵が置かれている。警察の捜索が終わったあとも、校舎の管理は以前より厳しくなったらしい。
俺たちは柵の前で足を止めた。
陽菜は4束の花を胸元へ抱えている。
澪は校舎を見上げていた。
「中、何も変わってないね」
陽菜が言った。
「外から見える範囲は」
澪が答える。
割れた窓も、黒ずんだ外壁も、傾いた渡り廊下も残っている。
あの夜、体育館の壁には亀裂が走り、校舎側の通路は崩れ落ちた。だが、俺たちが校門の外から振り返った時と同じように、今も大きく壊れた場所は見当たらなかった。
警察が校内を捜索し、蓮と翔太を見つけた。
2人が生きて帰ることはなかった。
見つかった場所は、俺たちが説明した場所と一致しなかった。いつ、どうしてそこへ移ったのかも分からないままだった。
菜々美と梓は、今も見つかっていない。
廃校で撮影された映像の大半は壊れていた。
警察が回収したスマホやビデオカメラには、黒い画面と激しいノイズしか残っていなかったらしい。俺のスマホに保存されていた八重ちゃんへの送信画像も、アプリが消えた直後から開けなくなった。
俺たち3人の証言は、暗闇と極度の緊張によって記憶が混乱したものとして扱われた。
当然だと思う。
顔を借りるものがいて、校舎の形が変わり、写真や動画を本人の代わりに輪へ並べた。そんな話を信じろという方が難しい。
「ここでいい?」
陽菜が柵の前へしゃがんだ。
「ああ」
俺たちは地面へ4束の花を並べた。
真壁蓮。
佐伯菜々美。
木戸翔太。
藤崎梓。
名前を一人ずつ口にする。
返事はなかった。
聞こえるのは、花を包んだ透明な紙が風に鳴る音だけだった。
「梓、花なんて置いたら怒りそう」
陽菜が呟く。
「勝手に死んだことにしないでって言うと思う」
澪は梓のために置いた花を見つめた。
「じゃあ、戻ってきた時に本人へ文句を言わせればいい」
「うん」
陽菜がうなずく。
「菜々美にも。勝手に親友を置いていくなって、今度こそちゃんと怒る」
水色の花へ触れ、陽菜が立ち上がる。
目元は赤くなっていたが、涙は拭かなかった。
俺たちはしばらく校舎を見ていた。
窓の中に人影はない。
放送用スピーカーから声が流れることもない。
それでも、誰も背を向けたまま長く立とうとはしなかった。
「行こう」
俺が言った。
「今日は3人で遊ぶんでしょ?」
陽菜が振り返る。
「そのために来た」
澪が先に坂道を下り始めた。
「映画、間に合わなくなる」
「映画って、何見るの?」
「もう取ってある」
澪がスマホの画面を見せる。
暗い家の窓から、白い顔がこちらを覗いている映画のポスターだった。
「もう怖いのは一生分見たんだけど」
「これは作り物だから」
「作り物なら平気って、どういう精神構造してんの?」
「陽菜よりは正常」
「今、喧嘩売った?」
坂道を下りながら、2人が言い合う。
鏡坂高校へ来る前の陽菜と澪なら、並んで歩くことさえなかっただろう。
陽菜は誰とでも距離を縮めるが、澪は必要以上に近づかれるのを嫌う。
今は陽菜が澪の肩へ腕を回し、澪が迷惑そうな顔をしながらも振りほどかない。
俺が少し後ろを歩いていると、陽菜が振り返った。
「コージ、遅い!」
「置いていったのはそっちだろ」
「置いてってない。ちゃんといるか確認しただけ」
陽菜は少し笑ってから、あの夜と同じように俺の名前を呼んだ。
「高城浩司」
「急に何だよ」
「確認」
澪もこちらを見る。
「いる?」
「いるよ」
「なら早く来て」
2人に追いつく。
3人分の靴音が、坂道へ重なった。
映画館に着くと、陽菜は当然のように中央の席を俺へ押しつけた。
「何で俺が真ん中なんだよ」
「私、端だと何か出てきそうで嫌」
「作り物なんだろ?」
澪は反対側の端へ腰を下ろした。
「私は出口に近い方がいい」
「つまり、最初から俺が真ん中で決まってたのか」
「うん」
「そう」
左右から同時に答えられ、俺は中央へ腰を下ろした。
照明が落ちる。
映画が始まって間もなく、暗い廊下の奥から子どもの声が聞こえる場面になった。
右側から、陽菜の手が俺の袖をつかむ。
「作り物だぞ」
「分かってるし」
左側では、澪が画面から目を離さないまま小さく笑った。
「一生分見たんじゃなかったの?」
「澪、あとで覚えてなさい」
映画の怪物より、上映後の2人の言い合いの方が長かった。
その後はゲームセンターへ行った。
陽菜はクレーンゲームで水色のウサギを狙い、何度挑戦しても箱の角を撫でるだけで終わった。
見かねた澪が交代すると、2回目で景品が落ちた。
「何で取れるの?」
「動きを見れば分かる」
「絶対、前にもやってるでしょ」
「初めて」
「嘘だ」
陽菜は疑いながらも、取ってもらったウサギを大事そうに抱えた。
澪は何も言わなかった。
ただ、水色を選んだ理由を尋ねることもしなかった。
夕食を終えて店を出る頃には、街路樹の明かりが点いていた。
冷たい夜の空気の中、駅前には買い物帰りの人や学生が多い。俺たちは人の流れを避け、広場の端へ移動した。
「最後に写真撮ろう」
陽菜がスマホを取り出す。
俺と澪の足が、同時に止まった。
陽菜も気づいたらしい。
明るく言ったはずの声が、少しだけ弱くなる。
「嫌なら、撮らなくてもいいけど」
写真を撮る。
人数を数える。
知らない顔が混ざっていないか確かめる。
あの夜から、カメラを向けるたびに身体が先に緊張するようになった。
それでも、撮らなければ残らないものもある。
「撮ろう」
俺が答える。
澪もうなずいた。
「3人で」
陽菜の表情が戻る。
「じゃあ、コージが真ん中ね」
「またかよ」
「背が一番高いから、腕を伸ばす係」
「映画の席とは理由が違うだろ」
俺は陽菜からスマホを受け取り、インカメラへ切り替えた。
陽菜が右側から肩を寄せる。
反対側には澪が立った。
「澪、もう少し入って」
「これで写る」
「顔半分切れてるじゃん」
陽菜が澪の腕を引く。
澪の肩が俺へ触れた。
「近くない?」
「3人を画面に入れるため」
「コージ、変な顔しないでよ」
「普通の顔だ」
「それが変」
「撮るぞ」
画面を見る。
顔を囲む白い枠が、一つずつ表示された。
一つ。
二つ。
三つ。
それ以上は増えない。
画面の中にいるのは、俺と陽菜と澪だけだった。
「今度こそ、3人」
陽菜が言う。
シャッターを押した。
撮影した写真を、3人で確認する。
右から覗き込む陽菜。
左から画面を見る澪。
写真の中でも、2人は俺の左右にいた。
「私、結構いい感じじゃん」
「自分から確認するの、そこなんだ」
澪が言う。
「澪だって、ちょっと笑ってるよ」
「笑ってない」
「拡大する?」
「しなくていい」
写真には、間違いなく3人しか写っていなかった。
陽菜がその場で新しいグループチャットを作る。
参加者は、俺、陽菜、澪。
グループ名を入力する指が一度だけ止まったあと、陽菜は画面をこちらへ向けた。
《今度こそ3人》
「どう?」
「縁起がいいのか悪いのか分からない」
澪が答える。
「いいの。今度こそ、ちゃんと3人で遊びに来られたんだから」
「次は普通の場所にしてくれ」
「廃校以外ならどこでもいいよ」
「その条件、広すぎ」
陽菜は笑いながら、先ほどの写真をグループへ投稿した。
俺のスマホが震え、グループへ投稿された写真の通知が表示された。
続けて、もう一つ。
《八重ちゃんが写真に「いいね!」しました》
息が止まった。
通知へ触れる。
表示は指先が届く前に消えた。
「コージ?」
陽菜に呼ばれたが、すぐには答えられなかった。
アプリの一覧を開く。
何度探しても、《八重ちゃんの何でも屋》は見つからない。
新しく作ったグループチャットにも、陽菜と澪以外の反応はついていなかった。
通知を見間違えたのかもしれない。
似た名前のアプリが、一瞬表示されただけなのかもしれない。
「コージ、置いてくよ!」
少し先から陽菜が呼んでいる。
「高城くん」
澪も足を止め、こちらを待っていた。
俺は消えた通知をもう一度探したが、どこにも残っていなかった。
「今行く」
スマホをポケットへ戻す。
その中で、軽やかな鈴が一度だけ鳴った。
画面は確かめなかった。
目の前には、俺を待つ2人がいる。
俺は2人を追いかける。
陽菜と澪の間へ戻り、3人で駅へ向かった。




