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月の光  作者: 若葉
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その一



月影や、そぞろ歩きの、風や秋。



私は夜に生きている。


いや、私実は吸血鬼でして…とか、夜の帝王として華やぐ不夜城のホストをしているのだ、或いは昼間はひっそりと眠り、地味に工場の夜勤などしているのです…なんて感じで別段特別に夜の仕事をしているという意味ではない。

ただ昼間よりも夜の方がなんぼか気持ちが安らかである、という程度の意味である。一寸物言いが大げさだったかも知れない。しかし、私の偽らざる感覚としてはなんら間違いないのだ。そんな気持ちを書いてみようかと思ったまでの事である。


そもそもからして、私の言うこと書くことなんて所詮ははなから世迷い言、戯れ言である。

偉い先生の書かれたありがたい論文や小説ではないのだから、まぁ暇で仕方がない方が時間潰しに軽く一読流し読みをして、下らんなぁと忘れてくれれば幸いである。



夜に生きている等と大層な事を言った割りには実際上、私はごく普通の昼間の勤め人であり、その生活も朝から夕にかけてが肉体的精神的にピークである。

けれども、私は日中は何だか落ち着かずいつも内心浮き足立っている。昼間は疲れる。どうにも気が休まらないのだ。


私は一応律儀に毎朝七時には起きて低賃金ながらも電車に揺られて仕事に行き、それなりに真面目にあくせく働いてはいる。いるけれど、それはあくまで事務的な、また機械的なルーチンであり、そこに私の人間的な情緒的なものは一切存在しないのだ。よし、今日も一日頑張ろう、等という前向きなアクティブさは欠片もなく、目を半分閉じて、努めて何も考えないように電車に揺られている。仕事中も同じである。つまり昼間の私は私であって私ではないのである。いつからだろう。長い孤独のなかで、半分は無意識に、半ばは意図的にそうするようになってしまった。

逆に言えば、そうしなければ、とても持たないくらいには心身が疲弊してしまうからである。


私にはどうにも人と心底から寛いで分かち合えない、見えない心の壁みたいなものがある。昔からそうである。


会社にいる時はいつも私の顔をした浅い微笑の仮面を被って、仮面の裏ではおっかなびっくり不安にビクビク怯えながらひっそりと、それこそその日その日を芋虫のようにそっと取り繕って生きている。


私にとって昼の時間はストレスでさえある。

誰もが明るく賑やかで微笑ましく社交的に取り繕っているかと思えば裏ではひどくデリケートでセンシティブで攻撃的かつ排他的だったりする、表裏一体人面獣心羊頭狗肉、それを察した上での微笑という複雑怪奇な空気、いわゆる一つの世間という得たいの知れないものは、果てしなく難解で虚しく息苦しいものに思われる。


人は不可解だ。


グッタリグッタリと、それでも当人日々薄氷を踏む思いで、それでも何とか辛うじてここまで四十年生きて、人様からすれば不甲斐ないインチキ野郎でも、当人なりの苦労や失意や辛酸も味わいながら、そっと侘しい日々を生きてきた。人間関係で訳もなく傷付いたり傷付けたりも色々あった。愛想笑いばかりは上手くなった。


なんとか生きてきて、つくづく身に染みた感想である。

人の事が何もわからない。世の中の事も何もわからない。



一体どこまで本音でどこからが建前なのか、皆目見当がつかないのである。全く無邪気に笑っていながら、裏でとんでもない罵詈雑言を吐いていたり毛虫のように毛嫌いする。何を話してみても表情一つ変えずに返事もろくにしない人もいる。一寸下手に出てお道化て見せたりすれば、あっという間に上下関係のマウントをとられて人を支配しようとする輩も多い。

つまり人はあてにはならない。まぁ分かりきった事なのに、何故それほど人の心を疑るのか。それというのも、そもそも恥ずかしながら私自身がその嫌なあてにはならない人間だからである。

自分自身が一番あてにならないかもしれない。


そんなの普通だろ、気にしていたらキリがないと思われる方も居るだろう。私もそう思う。

人は誰でも何枚かの仮面を使い分けて社会や家庭でその場の自分を演じているだけだ。

わからないなんて、いつまでもウダウダしている私が変なだけなのかも知れない。いや、多分そうである。私はとにかく自信がない。常に不安である。

自分自身の事さえも、こうと断言できない。何もわからないのである。

ただ、時折ひどく寂しい。本当は皆と仲良く笑い合いたいのである。心通じる友や恋人と何らの気兼なく寛ぎたいのである。

まぁ、無理な話である。

やがて我人共に気まずく疲れはてて、どちらからともなく離れてゆくに違いないのである。

夢を見るほど若くもない。

ただ、最近は特に感じる。ひどく、寂しい。


そして日々の狼狽ばかりの枯れた人生に、最早うんざりしている。いつまで不毛な日々が繰り返されるというのだろう?

正直疲れ果てているのだ。


照らさるる、月は晩秋、独り眺む。



私はいつも夜が待ち遠しい。朝起きる前から夜の自由を夢想して何とか布団から起き上がる。

やっと仕事を離れ、静かな夜になり、外に出れば月が出ている。散りばめられた星たちも優しく瞬いて夜を彩っている。


軽く夜空を見上げて、私はほっと一息吐く。ようやく私の実質的な人生を微かに取り戻したかのような錯覚に陥るのである。


もう大丈夫。

なんとか、なんとか今日を乗り切った。少なくとも明日の朝までは大丈夫。

そんな気分が私を素顔にしてくれるのだ。

別に素顔になったからといって格好良くなる訳でもなく、活動的になる訳でもなく、ましてや吸血鬼になる訳でもない。

相変わらずグッタリとしているだけである。

まぁ、単に気持ちの問題である。人間だもの。誰だって気楽な方が良いに決まっている。


夜は気持ちがいい。

ことに、秋の夜は素晴らしい。

春宵一刻値千金、とは良く言われるが、秋の宵もまた素敵なものである。


月夜。

それは四季を問わず素晴らしい。

夜になり、月が出ている。乾ききったぼろ雑巾のような私の心に一滴、また一滴と月の光が染み込んでゆくようである。

少しだけ、私は自分の意識、押し込めてきた自我みたいなものを取り戻す。


四季の中でも秋の月は優しい。晩秋のそれは風景と相まって芸術的でさえある。

夏の間我々を苦しめる南から海を越えてくる暑く湿った空気が少しずつ弱体化して、北からの冷たく乾いた空気が日本上空の大気に澄んだ透明感を与え、月の光も一点の曇りすらなく夜に優しい光を届けてくれるのだ。

これが冬になると寒気と乾燥がより強くなり、空気が透き通りすぎて、月の光に人を突き放すような鋭利さが出てきてしまうのだ。

また周囲の荒涼かつ寒々とした風景が、月明かりをより冷たく鋭く尖らせているのである。

冬の月はどこか冷徹な魔性を秘めている気さえする。

好みの問題ではあろうが、私は秋の優しく澄んだ月の光に一番深く胸を打たれる思いがする。


近年毎年の事であり、特筆するような事でも無いのだけれども、本当に今年は特に暑い夏であった。

そして夏が長すぎた。最早一年の半分は夏ではないかと思う程であった。

夏は苦手である。

朝から暑く、夜になっても空気がそのまま蒸し暑く不快だからであろう。

夏の月は、その光すら疲れた色をしている。湿度の故か、妙にくぐもっている気がするのである。そして夜になっても平然と三十度を越える暑さに、見る者の目と心とが、まずくぐもってしまっているのである。

果てない暑さから来る疲労に、夏の月は苦しく不機嫌にくぐもっていて、苛立ってさえいる。


その暑さも十月になってやっといささかましになってきた。

月の光も日毎優しさを増してきている。

私は仕事を終えて一人そっと帰路に就く。

自然と顔付きが優しくなっているのがわかる。



風揺れて、すすきヶ原に、猫と月



寂しくも癒されながら優しい月の光に照らされつつ、とぼとぼ歩く。


駅へと続く道程は、すすきヶ原が左手にずっと続いている。

程好い気候と鈴虫やらキリギリスやらが奏でる儚い調べ、柔らかな月の光に照らされたすすきに風がそよと当たって微かに揺れている。まさに風雅というべき様が、視界の果てまで淡々と流れている。

それはまるで古の都人の愛でた風景もかくやと思わせる、深く優しく枯れた詫びさびを物語っているようにさえ思われる。


ふと路傍から視線を感じた。見てみると、道の隅っこに揺れるすすきヶ原を背にしてのんびり佇む猫が一匹ポツリと行儀良く座っている。おやと視線を向けると、茶虎の猫がそっと私を見上げて優しく微笑んでいる。

ああ、君か…。

いつも帰り道にいるのである。此方も気安く、やぁと声をかけると、猫の方もやぁと挨拶するようにニャンと小さく弾んだ声で返事をしてくれる。


どうしたの?

猫に話しかける時には、自分でもおやおやと思う程にやたらと寛いだ優しい声が出る。人間に対しては幾ら取り繕ってみても言葉の何処かに警戒心みたいなものが混じってしまうのが我ながら嫌になる。

猫は気楽である。気さくでさえある。

私を見上げて、のんきに喉をグルグルと鳴らしている。

どうしたの?

もう一度、一寸ばかりテンション高めの声で話しかけてみた。

猫は無心に微笑んで喉を鳴らしながら、ニァアアンと優しく一声鳴いた。

私は何だか嬉しくなった。いつもの猫とのやり取りではあるが、毎度のようにすっかり気持ちが通じているような感覚を覚えるのである。

人間に対しては殆ど感じたことの無い、以心伝心的な安堵に似たまた満足感にも似た気持ちが胸中じんわりと柔らかく染み渡ってゆくのがわかる気がする。


いい月夜ですねぇ。お散歩ですか?

猫は尻尾をピンと上げて私にそっと歩みより、私の右すねにぴたりと頬を寄せてきた。

いつもの挨拶の儀式みたいなものである。

猫はすねに頬をくっ付けたまま無心に顔を上下に揺らして、私に親愛の匂いを擦り付けている。

猫は私に撫でられて安心したようにじっと動かず目を閉じて、グルグルと心地よさげに喉を鳴らしている。ふわふわサラサラとした茶色い毛並みを撫でていると、呼吸に合わせて微かに上下する背中から生命の息吹とも言うべきほのかな温もりが伝わってきて、撫でている私まで心が暖かく、優しく丸くなっていくような気がする。

君もいつか居なくなるんだね。

心の中でそっと呟いてやけに感傷的になってしまった。

猫はそんな私の感傷を慰めるように、なおも頬を寄せてくる。

私は嬉しい反面切なくなる。

こんな風に世間の人々は人間同士でも仲良くやっているのだろうな…。

どうして自分にはできないのだろう。

ついついため息ばかりが漏れてしまう。


ため息に反応したのか、猫が首を傾げて私を見つめている。

どうしたの?

そう呟くように小さくニャンと鳴いた。

私はその優しい眼差しに胸がくすぐったくなるような気がした。

ありがとうな!

猫の頭をポンポンとたたく。猫はくるくる回ってはしゃいでいる。

すっかり満足した私は、またな、と別れの挨拶をして再び歩き出す。


やはり猫が一番だなぁ等と背中を撫でた暖かく柔らかな感触を思い出しながらほのぼの思う。


いつかやがてあの猫もいなくなってしまうのだろうな。そうしたら私はまた独りになってしまう。

いや、私だって同じだ。いつかはいなくなる。いや、もっとだらしない。

日々を狼狽えながらあくせく過ごして、狼狽えたままいわば自転車操業のような日々の果てに虚しく倒れて、いつかふっと息絶える。そこになんの建設があるだろう?人生なんてたかが知れたものである。

猫はまだ自分をしっかり生きているではないか。

私が生きることになんの意味があるだろうか…。

答えのあるはずもない虚しい思いが孤独な胸を駆け巡り、柄にもなくやけに深刻になる。

月を眺めながらため息ばかりついていて、ふっと心に一つの言葉が浮かんだ。

一期一会。

思えば他者とだけではない。自分自身の人生も一期一会である。

同じ時は二度と流れない。一時たりとも無為に過ごしてはならないのかもしれない。

等と偉そうなことを考えてみても、さて心は酒を飲むことだけを求めているのだ。なんとかは死ななければ治らないというがまさに至言かもしれない。


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