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静音

第104章 静音


静寂が、ゆっくりと三人のあいだに降りてくる。


最初に動いたのはサラだった。

黒弦の剣を鞘に収めると、膝をついたまま深く息を吐く。腹部を押さえていた手を外すと、血で濡れているのがはっきりわかった。


「……ふう。さすがに、やられたな」


その声には、張りつめていた鋭さがもうなかった。


凛は縛鎖刀を地に突き立て、鎖を緩める。

刀身の黒い光は落ち着き、鎖もただの金属のように静かに垂れ下がった。


「サラ、動ける?」


「命までは取られてない。上出来だろ」


そう言って、サラはわずかに口角を上げる。


溝口は二人の様子を確かめてから、自分の腕を見る。

擦り傷、打撲、震え。どれも大したものではないが、全身が鉛のように重かった。


「……全員、生きてるな」


その言葉が合図だったかのように、凛が小さく笑った。


「うん。たぶん……やった、んだと思う」


凛は腰を下ろし、札を数枚取り出す。

手つきはもう戦闘のそれではなく、どこか慎重で、丁寧だった。


「応急だけど……これ、貼るね」


サラの傷に札を当てる。

淡い光がにじみ、痛みがわずかに引いたのが分かる。


「……助かる」


次に、凛は自分の肋に手を当て、顔をしかめる。


「うわ……あとから来るタイプのやつだ」


「無茶しすぎだ」


サラがそう言いながらも、どこか誇らしげに凛を見る。


溝口はその様子を見て、力が抜けたようにその場に座り込んだ。


「……はは……」


誰に向けたでもない笑いが、喉からこぼれる。


「本当に……終わったんだな」


凛とサラが、同時に溝口を見る。


「……終わった、と思いたいですね」


凛はそう言って、珍しく素直な笑みを浮かべる。


「少なくとも……

 今まで追いかけてきた“やつ”は、ね」


サラは壁にもたれながら、天井――いや、もはや天井だった場所の名残を見上げる。


「長かったな……」


「ですね」


凛が小さく頷く。


溝口は、三人のあいだを行き来する視線の中で、胸の奥に温かいものが広がるのを感じていた。


達成感。

安堵。

そして、ほんのわずかな虚脱。


「……やったんだな……」


溝口がもう一度、今度は確かめるように呟く。


サラは答えない。

ただ、疲れきった顔で、わずかに笑った。


凛も、縛鎖刀に手を添えたまま、静かに息を吐く。


三人はそのまま、しばらく動かなかった。


崩れた空間の名残の中で、痛みを抱え、疲労を感じながら、それでも確かに生きていることを噛みしめる。



第105章 探道



静けさが、ようやく“休息”として感じられる時間が訪れていた。


崩壊した空間の残骸は、もう三人に牙を剥かない。ただ、遠い過去の出来事のように、音もなくそこにあるだけだ。


札の淡い光が完全に消え、縛鎖刀の鎖も、床に触れたまま静止している。


その沈黙を、最初に破ったのはサラだった。


ゆっくりと立ち上がり、周囲を一度だけ見渡す。管理者の気配が完全に消え去ったことを、何度も確かめるように。


「……さて」


その声には、戦士の鋭さではなく、長い責務を一つ下ろした者の疲れがにじんでいた。


「今度こそだな。

 巫女を探さないといけない」


凛が顔を上げる。


「……生きてるんだよね」


問いというより、確認だった。


サラは、迷いなく頷く。


「ああ。どこかで生きている。

 ここじゃない、どこかでだ」


その言葉には、確信というより、祈りに近い重さがあった。

サラ自身が、そうであってほしいと願い続けてきた言葉でもある。


凛は一瞬、考え込むように視線を落とし、それから、いつもの少しおどけた調子で立ち上がった。


「……うん。

 じゃあ、行こうか」


縛鎖刀を引き寄せ、肩にかける。その動作はもう無理がなく、凛自身が“この力と共に歩く”ことに慣れ始めているのがわかった。


溝口はその様子を見て、小さく息を吐いた。


「やれやれ……

 本当に、休む暇もないな」


そう言いながらも、彼もまた重い腰を上げる。


身体のあちこちが痛む。

だが、動けないほどではない。


「まずは傷の手当が優先だな。

 ……それと」


溝口は、少しだけ空を見上げるような仕草をした。


「上の世界に戻る方法も、探さないといけない。

 さすがに、ここに住み着くわけにもいかないだろ」


冗談めかした口調だったが、そこには現実的な切実さがあった。


凛は軽く肩をすくめる。


「それもそうですねぇ」


サラは二人の会話を聞きながら、少し考えるように目を伏せていた。

そして、ゆっくりと口を開く。


「……実は、心当たりがある」


二人の視線が、同時にサラへ向く。


「里にある“祈りの間”の奥だ」


その言葉に、凛の眉がわずかに動く。


「祈りの間の奥……?」


「ああ。

 里の者なら誰でも知っている場所だが、奥まで足を踏み入れる者は少ない」


サラは言葉を選ぶように、ゆっくりと続ける。


「祈りの間のさらに奥に、“裏の道”がある。

 今回ここへ来るときも、ほんの少しだけ通ったはずだ」


溝口は思い出す。


確かに、里へ入る際、意図せず遠回りさせられたような、妙な通路を通った感覚があった。


「その奥に……」


サラの声が、わずかに低くなる。


「里を創る以前から存在していた、古びた扉がある」


凛が息をのむ。


「扉……」


「中央に刻まれているのは、砂時計のような紋様だ」


その瞬間、溝口の背筋に、冷たいものが走った。


「……砂時計?」


「ああ。

 管理者が使っていたマークと、酷似している」


三人の間に、短い沈黙が落ちる。


管理者。

終わったはずの存在。

だが、その“痕跡”が、まだ道として残っているという事実。


サラは視線を逸らさず、続けた。


「私はずっと、あの扉が何に繋がっているのか分からなかった。

 だが今なら……」


一瞬、サラの目に、確信めいた光が宿る。


「――おそらく、上につながっている」


凛が、ゆっくりと息を吐いた。


「……なるほど。

 管理者の使いが使っていた“道”の一つ、ってことか」


「可能性は高い」


サラは頷く。


「管理者の使いが地上と地下を行き来していたなら、必ず“正規の抜け道”があったはずだ。

 あの扉は、その名残だろう」


溝口は腕を組み、低く唸る。


「管理者の紋様が刻まれた扉、か……

 安全とは言い難いな」


「ああ。

 だからこそ、今まで誰も触れなかった」


サラは静かに言った。


「だが、今は状況が違う。

 管理者はいない。

 そして――私たちは、ここまで来た」


凛は縛鎖刀の柄に手を置き、軽く笑った。


「……行くしかない、って顔してますね、サラ」


「そうだな」


サラも、ほんのわずかに笑う。


「巫女を探すためにも、

 そして、お前たちが上に戻るためにも」


溝口は肩をすくめながら言った。


「まったく……

 俺の人生、どこでこんなことになったんだか」


だが、その声には不思議と後悔はなかった。


「……行こう。

 祈りの間、だったな」


三人は視線を交わす。


それぞれが違う理由を胸に抱えながら、同じ方向を向いている。


巫女は、生きている。

上への扉は、どこかにある。

そして、まだ旅は終わっていない。

そう理解したうえで、三人は静かに歩き出した。



第106章 帰路



それからの道のりは、決して短くはなかった。


管理者の領域を抜けたあとも、地下は相変わらず地下のままだった。

世界が崩れ落ちることはなくなったが、安らぎが訪れたわけでもない。

曲がりくねった通路、湿った空気、遠くで軋む金属音。

どれも以前と変わらず、淡々と続いている。


凛は歩きながら、時折、自分の足取りを確かめるように地面を見る。

傷は痛むが、動けないほどではない。

縛鎖刀は背に負われ、鎖は静かに眠っている。


サラは先頭に立ち、迷いなく進んだ。

その背中は少し小さく見えたが、歩調は崩れていない。

黒弦の剣も、いまは鳴らない。ただの武器として、静かにそこにある。


溝口は二人の後ろを歩きながら、何度も振り返った。

管理者の気配はない。

だが、地下という場所そのものが、何かを見ているような感覚は消えなかった。


やがて、三人はひとつの“市”に辿り着いた。


以前、凛が訪れたことのある場所に似ているが、同じではない。

通路が広がり、天井が高くなり、そこかしこに灯りが揺れている。

鉄パイプがむき出しの建物、崩れかけた看板、鈍く光るネオン。

人々――いや、人の形をした者たちが行き交い、声が重なっている。


記憶の瓶を並べる商人。

札を手に取り、値踏みする客。

用途の分からない食べ物を焼く匂いが漂い、金属と香辛料が混ざったような空気が満ちていた。


「……変わらないな」


サラが、ぽつりと呟く。


「管理者がいなくなっても、か」


溝口が辺りを見回しながら言う。


「皆、いつも通り生きてる。

 ……記憶を商売にして」


凛は、少し複雑そうに市を眺めた。


「地下は、管理者がいなくなったからって、

 すぐに変わる場所じゃないんでしょうね」


人々は笑い、怒り、値切り、取引をする。

記憶を渡し、記憶を受け取り、また次の一日を生きる。

それが“日常”として、ここに根を張っている。


三人は市の端にある簡素な宿を取り、久しぶりに腰を落ち着けた。

石と木で作られた部屋。

寝台は硬く、布は薄いが、休むには十分だった。


溝口は靴を脱ぐなり、深く息を吐いた。


「……生き返るな」


「大げさだ」


サラが言いながらも、同じように肩の力を抜く。


凛は寝台に腰掛け、縛鎖刀を壁に立てかける。


「でも、こうしてちゃんと休めるのは久しぶりですね」


その夜、三人はほとんど言葉を交わさなかった。

疲労が勝っていたのもある。

だが、それ以上に、管理者との戦いが終わったという実感を、それぞれが自分の中で整理していた。


翌日、軽く体を休め、簡単な食事をとると、三人は再び歩き出した。


市を抜けると、通路は次第に静かになり、人影もまばらになる。

灯りは減り、代わりに遠くの反響音が増えていく。


サラの足取りが、わずかに速くなった。


「……もうすぐだ」


凛も、空気の変化を感じ取る。

湿り気が減り、どこか懐かしい匂いが混じる。


そして、長い道のりの末――


三人は、里へと辿り着いた。


かつて賑わい、人の気配に満ちていた場所。

今は静かで、空気は張りつめている。

サラが、低く言った。


「……戻ってきたな」


凛は周囲を見渡し、胸の奥に言葉にならない感情を抱く。

覚えているようで、覚えていない場所。

それでも、確かに“帰ってきた”と感じられる場所。


溝口は一歩踏み出し、里の地面を踏みしめた。


「長かった……

 本当に、長い道のりだった」


三人はしばらく、何も言わずに立っていた。

休息を挟み、歩き続け、また戻ってきたこの場所で。


旅はまだ終わっていない。

だが、確実に一つの区切りに辿り着いた――

そんな静かな実感が、里の空気に溶けていた。



ここまで読んでいただきありがとうございます。

楽しんで頂けたら幸いです。

いいね、ブクマ、コメント等も是非よろしくお願いします!




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