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童話についてアレコレ  作者: 七瀬みる


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ハイ・アンド・ロー

 前回、佐藤さとるさんによる「ファンタジー」と「メルヘン」の区別にふれました。



――――(引用ここから)――――


 一般の写実的文学作品は現実と同じ世界のもとに描かれていて、当然ながら非現実を排除している。これも、もちろん一次元だが、メルヘンのように非現実をあたりまえとした世界もまた、一次元である。それに対してファンタジーは、この両方の性格を兼ね備えている場合が圧倒的に多く、二つの世界を結ぶためのくふうがさまざまになされる。

(佐藤さとる『ファンタジーの世界』)


――――(引用ここまで)――――



 この整理によるなら――次元の向こうがわを描きだすだけで、次元の壁をこえて行き来はしない――トールキン的ないわゆるハイファンタジーも「一次元」ということになります。

 読者にとって異世界でも、その異世界の住人にとってはただのあたりまえの現実世界にすぎません。そこに、別世界との出会いという意味での「驚異」は――登場人物にとっては――存在しないことになります。

 したがって、ファンタジーはファンタジーでも、あくまで主流ではない、一変種にすぎない、と、佐藤さんは(あくまで「佐藤さんは」ですが)書いています。



――――(引用ここから)――――


 これは、どちらかというと神話の背景世界に近いものが多く、現実と非現実という二重構造を持たないかわりに、非現実な世界そのものを、作者の独創ですべてつくりあげてしまう。トールキンの『指輪物語』やル=グウィンの『ゲド戦記』などがその代表的なもので、ほかにもSF系の分野には多い。こうした非現実の世界だけで語られるファンタジーを、「ハイ=ファンタジー」と呼ぶことがある。

 これに対して、二次元性の世界を持ち、現実の世界と非現実とかまじりあうスタイルを、「エブリデイ=マジックの世界」として、区別する場合もある。私としては、こちらのほうをファンタジーの原型として、正統な形式と考える。欧米では、最近ハイ=ファンタジーが盛んになる傾向があり、今後の主流と見る向きもあるが、やはり変種の一つとすべきだろうと思う。

(佐藤さとる『ファンタジーの世界』)


――――(引用ここまで)――――



 もちろん、変種というのは、べつにニセモノというわけではありません。変種には変種なりの、ハイ=ファンタジーにはハイ=ファンタジーなりの、おもしろさがあるのは当然。

 ただし、そのおもしろさには、二次元性の(エブリデイ・マジックの)ファンタジーとはまた違った種類のものではあるかもしれません。

(※追記:まあ、例にあげられている『ゲド戦記』なんかは、その異世界内にもさらに他界・異界の――次元をこえた――手触りのあるシーケンスがあったりなかったりする気もしないではないですが……個別のグレーゾーンをいいだすときりがないので「それはそれ」で)


 たとえば、ぱっと思いつくところで、魔法の扱い、というのは、ハイファンタジーとローファンタジーで、だいぶ違うのではないでしょうか。

 魔法があたりまえの異世界で魔法を使ってみても何の驚きもありませんが、魔法などありえないリアリズム世界で本物の魔法にであってしまったらはるかに大きな驚き≒驚異の感覚があるはずです。


 魔法があってあたりまえの世界の住人が、もしも魔法に驚くとしたら、それは魔法の存在それ自体に対してではなく、その規模や種類や難易度その他の属性に驚くというくらいが、せいぜいではないでしょうか。それはつまり、職人の技術に感心する類の、現実的な感嘆の延長でしかないように思えます。


 わかりやすいところで攻撃魔法。

 あれは、たとえていうなら、要するに、時代劇に登場する鉄砲――刀剣とは種類の違う武器――みたいなものではないでしょうか。種類がちがうとはいえ、武器は武器。そこに本質的な驚異はありません。

 たとえどれほど威力をインフレさせたとしても……それは、驚愕したり戦慄したりはするかもしれませんが、どこまでいっても、量的なもの。はたして異質性があるといえるでしょうか。

 攻撃魔法のインフレは、鉄砲がミサイルにかわるくらいの話。

 現代人にとって核兵器が「脅威」ではあっても「驚異」ではないのと同じようなことになるのではないでしょうか。


 十分に発達した科学は魔法と区別がつかない、とは、有名なSFの大家のセリフと聞きますが……十分に発達した魔法もまた科学と見分けがつかないのかもしれません。

 というか、実際問題、そもそも科学の母胎というのは、占星術や錬金術やいわゆる魔術のたぐいであったりもしたわけですから……

 魔法≒その世界の科学、とすれば、それは、現実世界の科学と、物語上の機能においては、ほとんど等価なのかもしれません。


 余談ですが、そういえば、遠い未来のスぺオペと、中東風異世界のハイファンタジー。その両方でヒットをとばしたとある大作家先生などはそのむかし、自分の書きたいものはSFでもファンタジーでもなく「架空歴史小説」だと言っていたことが……あったようななかったような気がします。

 騎兵歩兵の軍勢が合戦で矢を「放て」とやっているのも、宇宙軍の艦隊が会戦で主砲を「撃て」とやっているのも――

 銀河帝国で帝位の継承だ簒奪とやっているのも、剣と魔法の王国で王位の継承だ簒奪だとやっているのも――

 おもしろさの質や種類という点では、畢竟すると、さほど大きなへだたりではないのかもしれません。

(だからこそ、ちょっと肩からヘビが生えた人とかでてきたからといって「それがどうした」になってしまってごにょごにょ以下自主規制……)


 閑話休題。


 ハイファンタジーに登場する攻撃魔法のど派手な爆炎より、現実世界の片すみで、謎の人が灯してみせる、小さな魔法の明かりのほうが、ある意味、はるかに「驚異」的。

 目の錯覚だといいきかせたり、手品だろうと決めつけたり、それでもなおどうしても否定できない「現実」をつきつけられたりしてみたり……

 それは主人公の常識をゆさぶり、その主人公を通して作中世界を体験している読者にも、リアル世界とフシギ世界が交錯したかのような、魔術的なめまいを感じさせることが――うまく描写できれば――できるでしょう。

 その交錯こそ、つまり、佐藤さんのいう「二次元性」であって、そこにファンタジーのファンタジーたるゆえん・本質を見ようとするのが、佐藤さんのファンタジー観だったのかもしれません?


 広いグレーゾーンを捨象した、あくまで、原則論というか便宜的な区別かもしれませんが……

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