第九話「想起Ⅱ」
「純粋な霊魂……ね
」
小さな基地に戻った私たちは現在の状況をコレミアに伝えた。
「まるで宗教の話みたいね。いつから啝式協会は教会になったんだか」
「……各国の動きはどうなっている?」
それまで陽気に作戦報告を聞いていたコレミアの表情が曇る。
「ドールヒートラインはより一層加熱している。このまま進めば三年以内に大戦が起きるのは間違いないわ。イギリス、フランス、ロシアは特に人形研究の進捗スピードが著しいという情報が、割り当てられていたうちのメンバーの報告で分かっている」
「第一次人形大戦というわけか」
「……その時はチェスのようなターン制にはならないはず。人形による現実的な戦争」
「……人間無き戦争」
「人的被害がない、ある意味では理想の戦争と言えるわ」
「戦争に理想などない。それは貴方が一番知っているはずですが、コレミア」
コレミアの言葉に対し、シュレイは眉を顰め口をはさむ。
【猟犬の戦争】シュレイが母国、フランスに居たころ経験した戦争。
モルフォ部隊の中でも地獄の鎮圧とまで言われたその戦争で、シュレイは国を棄てた。
「だがね、シュレイ。私たちのような戦争屋にとって、この状況は好都合だ。戦争はビジネス。私たちは争いがなければ生きてはいけない。私たちが戦争を変えなければならないんだよ」
それを聞いた瞬間、シュレイは机を叩いた。
机にあるコーヒーの入ったカップが大きく揺れる。
「そのために戦争を活性化させる必要があると⁉そのための犠牲は必要なものだというんですか!」
「……シュレイ、少し落ち着いた方がいいわ」
「落ち着けるわけがないだろう!……クリアノーツ、君だって知っているはずだ。地獄を闊歩してきた同志ならば、戦争がどんなに血生臭く、残酷で、奇跡の起きない場所かということを」
その言葉を聞いて、クリアノーツも同じように机を叩く。
「んなことは知っているんだよ!だから変えなくちゃいけないんだろうが」
いつもと違う調子でクリアノーツはそう吠えた。
だがそれにシュレイは物怖じをする素振りもなく、続けて口を開く。
「【革命】が起きるまでの犠牲はどうなんだ。日本であった啝式協会第一支部の研究だってそうだ。子供たちの人体実験、そしてその犠牲はどうなんだ。無垢な子供が戦争に勝つための実験に使われて死ぬ。それが必要な犠牲だと?」
「シュレイ。どんなことにも犠牲はつきものだ。戦争だけではない。食事、衣類、仕事そのほか生きている時に起きること、全てにおいてだ」
私はシュレイとクリアノーツの会話に割って入る。
シュレイはこちらにゆっくりと視線を移し睨みつけてくる。
「……だが、それは」
「違わないだろう?食事で多くの生物が食われて死ぬ。衣類で多くの動物の皮が剥がれる。仕事であれば会社の為にクビになり、首を吊る人間もいる。それと何が変わらない?今お前が言っているのはただのエゴだ。戦争を憎むのは勝手だが、それで部隊の方向性を変えようとするな」
結局、どんなものにも犠牲は存在する。それに罪悪感があるかないかというだけなのだ。
シュレイにとって、人的被害、特に子供が犠牲になることは必要のない犠牲であり、悪であるという認識なのだろう。
私にとってはそれが悪であるなどと到底考えられない。技術革新における犠牲はどんなものであろうと必要なものだ。同族だからどうなんだなどという、つまらない話は科学進歩を停滞させる綺麗事だ。
私の話が終わるとシュレイは目をつぶり、深呼吸を一つする。
そして目を開いたかと思うと、ゆっくりとコレミアに頭を下げた。
「……すみません。熱くなり過ぎました」
「いやシュレイの考えは確かに善いんだよ。だが正しい道を通すというのは難しいからな」
手をプラプラと振りながら、コレミアはそう言った。
トテトテとミィナはシュレイに駆け寄り、背中をさする。
「過去は変わらないんだよー。だからシュレイ、未来を変える戦いをしようー?君みたいな存在を増やさないためにもさ」
「……そうだな」
シュレイはゆっくりと頷く。
コレミアはその様子を微笑ましい表情で見ながら、
「……さて話はお終い。引き続き任務に当たってくれ、くれぐれも大けがはしないようにな」
「ふふ、ジェネスタは面白いことを言うのね」
「別に何もおかしなことは言っていない。アンタがなぜ、こんな風に私を作り上げられたか。それが知りたいだけだ」
私を稼働させている霊魂。
調べてみると、啝式の霊魂を完璧に作れたのは日本以外にはどこにも存在していないらしい。そうなれば一人で作り上げた主人はとんでもないことを成し遂げた事になる。
「別に大したことではないわ。確かに宵闇ノ書には人形の製作方法は書いてあったけど、霊魂については一切の記載がない。でもそれはあくまで霊魂の説明で見たときの話よ。人形の作り方の部分にいくつかヒントが散りばめられている。それを拾ってつなぎ合わせただけ」
「だが私の場合、主人が死んでも駆動し続ける霊魂になっているらしいじゃないか。それはオリジナルでも出来なかったことのはずだ」
啝式の霊魂は主人が死ねば、【境域の海】といういわばあの世に送られるという。
しかしそれが私は主人が死んでも稼働し続ける。
大きな外的損傷がなければほぼ不死身のようなものだ。
オリジナルを超えていると言っても過言ではない。
「そこはオリジナルが間違っていたからよ。より機能性を上げるという意味ではね。もしかしたらわざとそうしたのかもしれないけど」
主人はゆっくりと本を閉じ私を見る。
その虹彩異色の瞳に私は吸い込まれそうな錯覚を覚える。
「オリジナルが正しいとは限らない。なんでもそうなのだけれど、【本質】を見誤ってはいけない。【普通】とも言い換えられるかも。そしてその普通は、他人にとってみれば普通ではない事だってある。社会の規範が正しいとは限らない。親の意見が絶対ではない。全てに一度目を通さないといけないの。みんながパスしてきたから自分も成り行きでパスするというのは、時に間違ったルールに流されている可能性がある。全てを一度怪しむ。そして考える。その行動が人生を揺るがす時もあるのだから」
「……だが、そんな処理を全ての行動に費やしていれば、人間は生きてはいけないだろう?」
そういうと、主人はゆっくりと微笑む。
「そうね。だから人間社会には法やルールが存在する。そう言った処理を無くすためにね。でもそれが正しいとも限らない。見直しがいつでも必要なの」
「……難しいな」
「えぇ、難しいわ。……とってもね」
「……もし、社会や人間が間違っていたらどうなる?」
「そんなの簡単よ。間違いじゃなくなる。みんな間違えてたら正解にすり替わる」
結局のところ絶対の善が無いように、絶対の法も存在しない。全員が同調して生きていくしか無いのだとそこから実感する。
「それは私にも貴方にも言えること。正しいことを絶対言っている訳では無いの。……結局、正しいという言葉自体もあやふやなのだから」
主人はそう言って再び本を読み始めながら続ける。
「情報化社会になって以降、正しさは多数決で決まるようになった。それも地域やそれぞれの国なんてレベルじゃない、世界統一規模のね。そして人々は皆【標準】という言葉に収まろうとしたの。表現は規制され、男女の違いはより明確にかつ溝深く、人生までも安定なんて言葉を使って。標準から外れたものは吊るしあげられて、最後にはビルから飛び降りたり、線路に身を投げる人間もいた。みんなそんな世界にうんざりしているのに、誰も変えようなんて思わないの。きつく縛り上げるだけ上げて緩ませない。緩ませたら溢れるんじゃないかっていう恐怖心が、その行動を抑制させるのね」
「だがその標準によって救われることもあっただろう。特に人間関係における問題はな」
そういうと、静かに主人は首を振りながら、
「限界へのメーターなんていうのは人それぞれだわ。どんなにそこで標準内で収まろうと収まらなかろうと、心へのダメージは今までの環境と経験によって倍率が異なる。弄りが虐めに感じる人間。異性への褒め言葉をセクシャルハラスメントと捉える人間は全部同じメーターでは計れない。多数決のメーターではなく、個々のメーターで計らなきゃいけないの」
主人はそう言って窓の外を見つめた。
まるで自分自身を振り返るかのように。