第50話(最終話)「大富豪薬剤師は今日も笑う」
王都を絶望の淵に陥れていた未知の疫病(水系感染症)は、私の『サキ式・公衆衛生ルール』と、ブラック企業さながらの深夜のフル稼働によって生産された特効薬の前に、完全なる敗北を喫した。
無能な王宮魔道医たちは私のカガク的知識の前にひれ伏し、莫大な特許使用料を払って私の弟子(下請け)へと成り下がった。スラムから貴族街に至るまで、王都の数十万の民衆は私を「慈愛の聖女」と崇め、そして私はその裏で、王室と大貴族たちから天文学的な額の金貨を合法的に搾り取ることに成功したのである。
サキ薬局の王都出張プロジェクトは、全ての目標を完全に達成した。
あとは荷物をまとめて、愛すべき(そして税金のかからない)辺境の街へ帰るだけ……のはずだった。
――しかし。
王城からの帰還を明日に控えたその日、私は王宮の最奥、最も絢爛豪華な『謁見の間』へと呼び出されていた。
「おお、来たか! 我らが王国の救世主、王国の特別医療顧問、千川咲よ!」
玉座に腰掛けるのは、豪奢な王冠を戴く初老の国王陛下。
その隣には、見違えるほど血色を取り戻し、健康的な肌つや(高濃度ビタミンCのおかげである)になった王太子殿下が、なぜか頬を赤らめながら私を熱い眼差しで見つめている。
王の御前には、国の重鎮である大臣たちや、かつて私を異端と呼んだ神殿の最高幹部たち、そして完全に私の犬となった王宮魔道医のガリウスらが、ズラリと平伏して並んでいた。
私の背後には、護衛のロッツとバド、助手のメイラ、情報係のシエナちゃん、ビジネスパートナーのカルラ、そして辺境伯ユーリス様と異端審問官ゲルドが控えている。
「面を上げよ、サキ顧問」
国王の威厳に満ちた声が、大理石の謁見の間に響き渡る。
「そなたの功績は、もはや言葉で尽くせるものではない。王太子の命を救い、王都を滅亡の危機から救い出し、さらには数百年の停滞にあった我が国の医療を、たった数週間で飛躍的に進化させた。……そなたは、この王国の歴史上、最大の英雄である」
周囲の大臣たちが一斉に深く頷き、私に尊敬の眼差しを向ける。
私は極上の営業スマイルを顔に貼り付け、優雅にカーテシー(貴婦人の挨拶)のポーズをとった。
「もったいないお言葉です、国王陛下。私はただ、薬剤師としての職務を全うしたまででございます」
「ふぉっふぉっふぉ、謙遜せずともよい。……して、本日はそなたに、その絶大なる功績に対する『最大の報酬』を授けるために呼んだのだ」
国王は玉座から立ち上がり、両手を大きく広げた。
「千川咲よ! そなたの類まれなる知恵と慈愛を称え、王家より直々に『公爵位』を授与する! さらに……!」
国王は、隣でモジモジとしている王太子殿下の肩を叩いた。
「我が息子、王太子もそなたにすっかり心を奪われておる! そなたを王太子妃として迎え入れ、次期王妃としてこの国を共に導いてほしい! これこそが、王家が与え得る最高の栄誉である!」
「おおおおおっ!!」
謁見の間に、大臣たちの歓声と拍手が巻き起こった。
一介の平民、それも辺境の怪しげな薬師が、一気に国のトップである公爵となり、さらには未来の王妃になる。
異世界のサクセスストーリーとしては、これ以上ない完璧なハッピーエンドだろう。シンデレラも真っ青の玉の輿だ。誰もが、私が感涙にむせび泣き、「ありがたき幸せ!」と土下座して喜ぶものと信じて疑わなかった。
――しかし。
「…………は?」
私の口から飛び出したのは、歓喜の涙でも感謝の言葉でもなく、絶対零度の吹雪のように冷たい、底知れぬ嫌悪感がこもった一音だった。
「サ、サキ先生……?」
「お姉ちゃん、顔が……顔が怖いよ……」
私の背後にいたユーリス様が戸惑い、シエナちゃんが震え上がる。
私の顔から営業スマイルは完全に消え失せ、代わりに、前世のブラック薬局で徹夜明けにクレーマーの相手をさせられた時と同じ『死んだ魚のような目』が浮かび上がっていた。
「……公爵位? 王太子との婚約? 次期王妃?」
私は、拍手喝采を続ける大臣たちをジロリと睨みつけ、そして、玉座で満足げに笑っている国王に向かって、信じられない言葉を放った。
「冗談じゃないわよ。誰がそんな『超・ブラック職』につくもんですか。お断りします」
ピタリ。
謁見の間の時間が、完全に停止した。
「……えっ?」
国王が、間抜けな声を出す。
頬を赤らめていた王太子殿下は、ショックのあまり目を見開いて石像のように固まっている。
「な、ななな、なんという無礼な!!」
「国王陛下からの、最高の栄誉なる下賜を断るだと!? 貴様、気が狂ったのか!!」
数秒の沈黙の後、我に返った大臣たちが一斉に顔を真っ赤にして怒鳴り始めた。
しかし、私は彼らの怒号など全く意に介さず、腕を組んで堂々と反論を開始した。
「気が狂ってるのはあんたたちの方よ! いい? 貴族や王族なんて、私から言わせれば『最悪のブラック企業』そのものなのよ!」
「ブ、ブラックきぎょう……!?」
「そうよ! まず労働時間が不明確! 毎日のように夜会だの茶会だのっていう『無給の強制参加イベント(サービス残業)』が無限にあって、プライベートの時間はゼロ! その上、派閥争いだの暗殺の危機だの、職場の人間関係は最悪の極み!」
私は、玉座に向かってビシッと人差し指を突きつけた。
「おまけに『ノブレス・オブリージュ(貴族の義務)』とかいう呪いの言葉で、領民のために身銭を切らされて、利益は全部国に吸い上げられる! 成果に見合った正当な対価(現金)も支払われない名誉職なんて、ただの『やりがい搾取』じゃないの! 私は前世でそういうのに殺されかけたのよ! 二度と同じ轍は踏まないわ!」
「ぜ、前世……? やりがい搾取……? な、何を言っているのだこの娘は……」
私の現代日本の労働基準法とブラック企業への怨念が入り混じった凄まじい演説に、異世界の大臣たちは完全にキャパシティオーバーを起こし、目を白黒させている。
王太子殿下は「そ、そんな……私は、サキ殿の淹れてくれたあの甘美なジュースの味が忘れられず……共に国を……」と涙目で訴えかけてきたが、私はバッサリと切り捨てた。
「甘いジュースが飲みたいなら、カルラ商会に定期購入の契約書を出しておいてちょうだい! 私は金持ちで自由な『定時上がりの平民』がいいの! 責任ばかり重くて残業代の出ない王妃なんて、絶対に、死んでも、お断りよ!!」
完全なる拒絶。
国王も王太子も、あまりのショックに玉座に崩れ落ちた。
謁見の間は騒然となり、近衛兵たちが槍を構えるべきか戸惑っている。
その混沌とした状況の中、私の背後にいた『サキ薬局オールスターズ』の面々だけは、全く別の反応を示していた。
「ガハハハハッ!! さすがはサキだ! 国王の誘いすら『割に合わない』で蹴り飛ばすとは! お前のそのブレない強欲さ、商人として最高に愛してるぞ!」
カルラが腹を抱えて大爆笑し、葉巻の煙を盛大に吹かす。
「サキ工場長の言う通りです! 王妃などという非生産的な役職では、カガクの真理を追求する生産ラインがストップしてしまいます! 労働は薬局の調剤室でこそ輝くのです!」
完全にブラック労働の喜びに洗脳されたメイラが、よく分からない理屈で深く頷く。
「ボスが辺境に帰ってきてくれるなら、俺は嬉しいぜ! 王都の飯は上品すぎて俺の胃腸には合わねえからな!」
「サキ先生がいないと、私の毛根は完全に死滅してしまいますからね! よくぞ断ってくださった!」
「私もです。王都の魔界植物の胞子(花粉)から逃れるためにも、先生には引き続き辺境の店舗で、私のための薬を調合していただかねば……っ!」
ロッツ、ユーリス様、ゲルドの三人(全員が私の薬の重度の依存症患者)も、私が王都に残らないことに心底安堵したような顔をしている。
「……ふぅ。分かってもらえたかしら、国王陛下」
私は白衣の襟を正し、再び極上の営業スマイルを顔に貼り付けた。
「私は公爵位も王妃の座もいりません。その代わり、私の功績に対する正当な対価として、以下の三つの条件を『永久に』保証していただきます」
私は懐から、あらかじめ用意していた分厚い契約書(羊皮紙)を取り出し、大臣の顔面に叩きつけた。
「一つ! 『王国全土におけるサキ薬局の専売特許』! 私のカガク的知識を無断で使用して利益を得ることを法的に禁じ、王宮魔道医の育成マニュアルの使用料は永久にサキ薬局にロイヤリティとして支払うこと!
二つ! 『永久免税権』! サキ薬局のいかなる取引においても、国、領主、神殿への税金および奉納金を一切免除すること!
三つ! 私の『老後のスローライフ資金』として、王室の金庫から、馬車十台分に積めるだけの『莫大な現金(金貨)』を今すぐ支払うこと!」
それは、名誉や肩書きなどというフワフワしたものではなく、究極の『実利』のみを追求した、悪魔の契約書であった。
「な、なんという強欲な……! 国の財産を根こそぎ奪う気か!」
「うるさいわね。王太子殿下の命と、数十万の王都の民の命を救った代金としては破格の安さでしょ? 嫌なら、次に疫病が流行った時、私は一切手伝わないから勝手に滅びなさい」
私が冷酷に言い放つと、大臣たちは押し黙り、国王は深い、深いため息をついた。
「……よかろう。そなたの言う通り、我々はそなたに命を救われたのだ。その程度の要求、呑まぬわけにはいくまい。……王国の全権をもって、その三つの条件を永久に保証する」
「交渉成立ね。毎度あり!」
私は満面の笑みで、契約書に国王の署名と国璽を押させた。
これにて、王都での大仕事は完全に、そして最も儲かる形で幕を閉じたのである。
数週間後。
王都から遠く離れた、のどかで平和な辺境の街。
スラムの入り口から続く大通りの一角に、ひときわ目立つ、真新しい巨大な看板が掲げられていた。
王室からむしり取った莫大な金貨をつぎ込み、旧店舗と隣接する建物を丸ごと買い取って大改装した、ピカピカの白亜の洋館。
その入り口の大きなガラス扉の前に、私――千川咲は立っていた。
時刻は朝の八時五十分。
私の両脇には、サキ薬局を支える最強の従業員(仲間)たちがズラリと並んでいる。
「ボス! 今日の警備と荷運びの準備、バッチリだぜ!」
「サキ工場長! 本日の魔力炉の予熱、および蒸留水の生成ライン、稼働準備完了しています!」
「お姉ちゃん! 街のみんな、もうお店が開くのを外で並んで待ってるよ!」
ロッツが大剣を背負ってニカッと笑い、メイラが白衣とエプロン姿で敬礼し、シエナちゃんが外の様子を見て元気よく報告してくる。
「よし、みんな! 今日からここが、大陸最大の薬局チェーンの総本山、『サキ薬局・本店』よ! 私たちの新しい戦場の始まりだわ!」
私が声を張り上げると、仲間たちが「おうっ!」と力強く応えた。
時刻が九時ちょうどになったのを確認し、私は入り口の鍵を開け、重厚な扉を勢いよく外へと押し開いた。
「サキ先生ー! オープンおめでとう!」
「うおおおっ! 胃薬の特売は今日か!?」
扉の外には、スラムの住人たちや下級冒険者、そして貴族街のセレブたちまでが入り乱れ、長蛇の列を作って私たちの店が開くのを待っていた。
「いらっしゃいませー! 順番に並んでね!」
シエナちゃんが客を誘導する中、列の先頭から、泥だらけの服を着たスラムの小さな男の子が、鼻水を垂らしながらおずおずとカウンターに近づいてきた。
「あ、あの……サキお姉ちゃん。お母ちゃんが熱出しちゃって……でも、お金、これしかなくて……」
男の子が、薄汚れた手で差し出したのは、錆びついた銅貨がたったの三枚だった。
私はその銅貨を受け取ると、男の子の頭をポンポンと優しく撫でた。
「大丈夫よ。お母さんの熱を下げるお薬と、栄養満点の甘いシロップをセットにしてあげる。代金は銅貨三枚でピッタリよ。その代わり、裏山の森に入って、青い葉っぱの『鎮静草』を三本だけ摘んできてちょうだいね」
「うんっ! ありがとう、お姉ちゃん!」
男の子は、私が渡した薬袋を大事そうに抱え、笑顔で走って帰っていった。
命は平等だ。お金のない子供や貧民からは、決して無理な金は取らない。その代わり、薬草の採集や労働力という形で、彼らを私の巨大な『情報と素材のネットワーク』に組み込んでいく。それが私のやり方だ。
しかし。
その直後、男の子と入れ替わるようにして、見慣れた二人の男がカウンターの前にやってきた。
「サキ先生、開店おめでとう! いやあ、王都への出張中、私の愛用する『特製・超刺激性育毛トニック』の在庫が切れてしまって、毎日鏡を見るのが恐ろしかったのだ!」
「ハックション! ズズッ……。わ、私もだ。王都から帰還する馬車の中で薬が切れ、この数日間、地獄の業火で鼻腔を焼かれるような苦しみを……早く、あの黄金のシロップを……ッ!」
立派なマントを羽織った若き辺境伯ユーリス様と、真っ黒な法衣を着た異端審問官ゲルド。
この国の政治と宗教の頂点に立つ権力者二人が、完全に私の薬の禁断症状を起こし、すがるような目で私を見つめていた。
「あらあら、お得意様のお二人ね。お越しいただき光栄ですわ」
私は、先ほどのスラムの子供に向けた優しい笑顔から一転、極悪非道な、そして最高に美しい『守銭奴の営業スマイル』へと表情を切り替えた。
そして、カウンターの下から取り出した高級なガラス瓶を二本、彼らの目の前にドンッと置いた。
「本店オープン記念ということで、成分をさらに濃縮した特別プレミアムバージョンをご用意いたしましたわ。……育毛トニックが金貨百枚。抗ヒスタミン薬が金貨二百枚になります」
「「き、金貨数百枚だとォォォッ!?」」
ユーリス様とゲルドが、目玉を飛び出させて絶叫する。
「な、なんだその暴利は! 以前の五倍以上の値段ではないか!」
「サキ先生! いくらなんでもぼったくりが過ぎるぞ! 王室からあれほど莫大な富を得たというのに、まだ我々から搾り取る気か!」
抗議する権力者たち。しかし、私は全く動じることなく、腕を組んでフフッと笑った。
「嫌なら買わなくてもいいのよ? ユーリス様はまたあの『不毛の砂漠』に逆戻りして、ゲルドさんは一生自分の鼻水で溺れ続けるだけだから」
「「うぐっ……! 払う! 払うから早く寄越せぇぇっ!!」」
二人は泣きながら、分厚い金貨の袋をカウンターに叩きつけ、薬の瓶をひったくるようにして去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、私はチャリンチャリンと金貨の音を鳴らし、最高に満ち足りた気分で深呼吸をした。
「ふふふ……あははははっ! 素晴らしいわ! これよ、これ! この世界には、私の薬が必要なのよ!」
無一文で異世界に放り出され、ブラック薬局での過労死の果てに掴み取った、私の新しい人生。
魔法も奇跡もいらない。
必要なのは、確かな知識と、揺るぎないロジック。そして、相手の足元を見て限界までカネを巻き上げる強靭なメンタルだ。
「おいサキ、新商品の美容液も飛ぶように売れてるぞ! 追加の在庫を出せ!」
「ガハハハ! サキ先生! ギルドの連中が怪我の治療でごっそり順番待ちしてるぜ! 俺も手伝うか!」
カルラが葉巻を咥えて笑い、バドが戦斧を置いて消毒液の瓶を運んでくる。
忙しく動き回る仲間たち(優良な労働力)に囲まれ、私は今日も白衣の裾を翻して、店中に響き渡る声で叫んだ。
「いらっしゃいませー!! 命は平等、でもお薬代は身分に合わせてきっちりいただきますよ!! サキ薬局・本店、今日も元気にボッタクリ営業開始よ!!」
大富豪薬剤師の、慌ただしくも、満面の笑みと黄金の輝きに溢れた異世界スローライフ(という名の激務)は、今日も果てしなく続いていく。




