10
「――――いやだ!」
謁見室に、甲高く裏返った私の声が響き渡る。
退出しかけた大臣たちが、驚き足を止める。シモンさんもルノーも顔を上げ、私に目を向けた。
「行きたくない! いやだ、私、シモンさんと一緒に行かない!」
「マコト? だが――」
「私、求婚されたこと、嫌だって言ってない! でも、返事ができなくて……産卵管なんてないし……」
いや――違う。
本当は、返事に産卵管なんていらないのだ。
ルノーは私が嫌がれば、産卵管なんてなくてもわかってくれる。言葉で話せば聞いてくれる。今みたいに、きっと私の新しい行き先を考えてくれる。
そんなこと、本当はずっとわかっていた。
だけど、私には断れなかった。断れなかったのに、求婚を受けることもできなかった。
「私は卵なんて産めないし、虫じゃなくて人間だし、王妃になんてなれないし。なのに、断りたくなかったんだ。だから、返事ばっかり先延ばしにして」
物理的に返事ができないことを、言ってはいけない気がしたのだ。決定的な違いを知ってしまえば、ルノーは王様として、別の誰かを王妃にするかもしれない。きちんと子供が埋めるような、虫の中から結婚相手を選ぶかもしれない。
それがきっと、ルノーにとって良いことなのだとわかっている。ルノーも本物の虫を嫁にとれば、こんなにも種の異なる生き物を嫁にしようとした馬鹿馬鹿しさを知るだろう。虫は虫同士、人間は人間同士。そんなこと、当たり前のことだ。
――本当に怖いのは、虫ではなく、虫の子供を産めないことでもなく、ルノーの心変わりなんだ。
ぎゅっと両手を握りしめ、服の裾をつかむ私を、ルノーはしばらくの間見つめていた。それから、かすかに首をかしげる。
「……虫人が怖いんじゃないのか?」
「怖いよ!」
「シモンさんは怖くないんだろう? シモンさんの傍にいるほうが、俺と一緒にいるより安心できるんだろう?」
「そうだよ! だって、人間なんだから、仕方ないじゃん!」
周りは虫ばっかりで、ずっと人間一人だった。そんなところへ同じ姿の別の誰かが現れたのだ。どうしても、心惹かれてしまうことを止められない。顔を見て、話をすれば、同じ生き物だと安心できる。いずれは彼も国に帰る、その間だけだと思っていたから、少し無理をしてでも、シモンさんの傍にいた。
あくまでも、彼だけが帰ると思っていたからだ。
「…………俺のことが、嫌いなわけではないんだな?」
「嫌いなわけあるか――――!!」
伺うようなルノーの声に、私は声を張り上げた。
嫌うはずがない。嫌ならとっくに逃げている。求婚だって断っている。そもそも一緒に城に来ない。
握りしめた指先に熱がこもる。感情の昂りに、喉の奥が震える。それでも吐き出す言葉は、私の心の塊だ。
「私を助けてくれた! この世界で初めて私に優しくしてくれた! 私にいろんな世界を見せてくれた! いろんな人に会わせてくれた!」
行く当てのない私を城に連れてきてくれた。どこにもない私の居場所を作ってくれた。旅の間、怖くて泣いている私を慰めてくれた。元の世界が恋しくて、うずくまる私の傍に、ずっといてくれた。
「嫌いになれるわけないじゃん………!」
私は弱くて体力も力もない人間だったけど、ルノーはそれでいいんだって言ってくれた。
異世界の化け物だと言われても、それが何だと言ってくれた。
私は私なんだって――――。
――――ああ、そうか。
ふと、心の中に落ちてくる。シモンさんの言っていた、人間でもなく、虫人でもない二人のこと。ただのルノーと、ただの私。
それは人間同士というわけでも、虫同士というわけでもない。人間だから私はルノーに会って、ルノーは虫だから私を助けた。ルノーはずっと王様で虫だったし、私はずっと異世界の人間だった。
でも、それで別に構わなかった。旅をしながら、二人でずっと一緒にいたいと思っていた。
本当に、ただそれだけのことだったんだ。
「マコト」
声をかけられ、顔を上げると、ルノーが私を見ていた。
玉虫のように光る複眼に、私の顔が映っている。少し、笑っているのかな? 虫の表情はわからないけれど、ルノーの感情は、ちょっとだけわかる。
「もう一度言うぞ。お前が好きだ。俺と結婚してくれないか?」
城へきて、最初に聞いた言葉だ。
私は言葉を噛むように瞬いて、微かなためらいのあとに口を開いた。
「……いいけど、産卵管がないから答えられないよ」
「そんなものなくてもいい」
ルノーが笑うように言った。私の顔に虫の腕を伸ばし、慎重そうに目元に触れる。ひやりとした。
「お前には、その色の代わりやすい顔があるだろう。赤い色をしている。それが返事だ」
冷たさは、自分の涙だと、少し遅れて気が付いた。ルノーが涙を拭い取る。
「私、人間だけど」
「俺も虫人だ」
「異世界人だし」
「お前から見たら、俺も異世界人だろう」
「こ、子供産めないし……!」
必死な声で私が言うと、ルノーが何だそんなことと首を振った。
「そのためにシモンさんを呼んだんだ。シモンさんの本を読んだんだろう?」
「読んだけど、あれはバッドエンドで!!」
結局、虫の子供を産もうとした少女は死んでしまったのだ。
私も同じ目に遭うと言われて、それだけの覚悟ができるかわからない。
震える私に、ルノーは腕を伸ばした。爪をひっかけないようにそっと体をつかむと、そのまま私を持ち上げる。
「俺はお前に死んでほしくない。バッドエンドにはさせないさ」
「ルノー」
「シモンさんに頼んで、昔の伝承を探していた。人間と虫人の間に子供ができた例が、その中にあるかもしれない。シモンさんの一族は、そうやって生まれたのかもしれないと」
シモンさんの一族?
不意に出てきたその言葉に、私は首を傾げた。眼下のシモンさんに目を向ければ、彼は待ってましたとばかりに、にっこり笑っている。
「魔人には、他の亜人の特徴が受け継がれているんですよ。私の場合は、なんだかわかりますか?」
首を横に振る。シモンさんの見た目は、まるきり人間にしか見えない。
「虫人の羽ですよ。脱いだらすぐにわかるので、あの時はひやひやしました」
あの時というのは、あの私に迫ってきた時のことか。脱ぎだされたらそれどころではない気もするが、人間だと思っていたシモンさんに羽がくっついていても、たぶん大変なことだっただろう。
「魔人は亜人と人間の間に生まれたのだという説がありましてね。信憑性を確かめるために来たというわけです」
絵本とは違う、もっときちんとした歴史書に、説を裏付ける詳しい話が書かれていたそうだ。だからシモンさんは仕事を終えて、国に帰るのだという。
そして、今度は生物学者が来るのだとか。虫人と人間で本当に子供が作れるのか。安全に産むことはできるのかを、調べるために。
だから歴史家。だからルノーの客人だったのだ。
合点が行くようで、微妙に合点がいかない。
ルノーは最初から、私が子供を産む方法を探していた。シモンさんが帰るのは、その調査を次のステップへと進めるため。
なのに、どうして私に「シモンさんと行け」などと言ったのか。
疑惑の瞳をルノーに向けると、彼は私を抱き上げたまま、触覚でさわさわと頭を撫でた。
「こうでもしないと、お前はずっと悩みっぱなしだっただろう」
「……騙されたの!?」
周囲を見渡してみれば、大臣も兵士たちも私とルノーのほうを向き、にっこりご満悦だ。もっとも、虫ににっこりなどという表情はないのだが、喜んでいる雰囲気は伝わってくる。
「騙したわけじゃない。本当に一緒に行くというのなら、止めるつもりはなかった。だから、お前が俺と一緒にいることを選んでくれたことが、本当にうれしい」
ルノーはそう言うと、私の体をぎゅっと自身に押し付けた。冷たい甲殻が頬に触れる。滑らかな感触も、冷たい体温も、見上げれば見える横開きの口も、どこからどう見ても巨大な肉食虫だ。
だけど、ルノーだから怖くない。
「ハッピーエンドは、俺とお前で作るんだ、マコト。いつまでも残るような、幸せな結末を」
「――――うん」
ルノーの体を抱き返し、私は赤い頬のまま、はっきりとそう答えた。
後日。
「だから、腹の中で卵をかえしたから食べられたわけで」
「いやしかし、そもそも当時の人間と今の人間の体は違うのでは」
「月齢による魔力の増幅についても忘れるな。満月が鍵だ」
「まてまて、異世界の人間の体ということも考慮に」
「あ、マコト様、ちょっと卵巣見せてくれません? 産卵管と違ってそれはあるでしょう?」
「あるけど無理です。羽むしるぞ」
人間姿の魔人が大量に投入された。
魔人が一番おかしい人種だと思うわ。
おわり
ここまで読んでくださりありがとうございました。
こんなに恋愛メインな話を書いたのは久しぶりな気がします。
次は人型との恋愛ものが書きたいです。