灰色の日常
「香澄! ぐずぐずしないで、このドレスにアイロンをかけなさい。あと、私のネイルの乾燥を早めるために冷風で扇いでちょうだい。それから、ルミとサキの靴も磨いておきなさい。一ノ宮家のパーティに泥なんてついてたら、末代までの恥よ!」
リビングに響き渡る継母・静江の鋭い声。香澄は、中学時代から愛用している、膝の抜けた紺色のジャージの袖をまくり上げると、手元のスパナを置いて鼻でふんと笑った。
「扇風機使いなさいよ。あと、その靴。磨く前にまずその性格の汚れを落とした方がいいんじゃない?」
「なんですって……!?」
「……今すぐやりますって言ってんのよ。ほら、どいたどいた」
灰原香澄、23歳。彼女の人生は、5年前に父が急逝してから一変した。
父が再婚した静江と、その連れ子の姉二人——ルミとサキ。彼女たちは、父が遺したこの都心の一軒家を「自分たちの城」へと作り変え、亡き父の貯えを湯水のようにブランド品へと変えていった。
かつては「お嬢様」と呼ばれた時期もあったかもしれない。だが今の香澄は、この屋敷の無給家政婦兼、何でも修理屋だ。
父が遺した唯一の教えは、「自分の腕を磨け」という言葉。
香澄は、いじめられるたびに泣く代わりに、重い工具箱を抱えて屋敷のあらゆる不具合を直してきた。軋む床、調子の悪いボイラー、詰まった排水溝。彼女の指先には、マニキュアの代わりに消えないオイルの汚れと、確かな職人の技術が刻まれている。
(私は灰をかぶって王子様を待つガラじゃない。煤の中で、この屋敷を掌握してるのよ)
香澄は手際よく、姉たちの高級なパンプスを手に取った。
汚れを落とし、専用のクリームを塗り込み、馬毛のブラシを高速で走らせる。仕上げにネル生地で磨き上げれば、そこには鏡のような光沢が宿る。
「……よし、完璧」
彼女がこれほどまでに完璧に仕上げるのは、決して家族への忠誠心ではない。それは彼女なりの「意地」だった。




