過去に縛られながら、それでも風に誓う
「……どういうつもり?」
現在、とある理由から貸し切り中のサン・ミゲル近代美術館。
その中でも一際広い空間を持つ展示スペースで、物々しい雰囲気を放つ三人の男女がいた。
ひとりは先程静かな声を発した、紺色のレディーススーツ姿でメガネをかけた、クールそうな……あるいは酷薄そうな女性。
「どういうつもり?俺はただ与えられた任務をこなしてるだけだ。疑問に思われるようなことはしてないと思うがな?」
もうひとりは、クラウス。ジャンゴたちの事務所を襲撃し、トニーをその手にかけ彼の命を奪った男だ。
三人目はまるで岩が人間の形をとっているような佇まいの男で、彼は目を瞑り瞑想でもしているかのような神聖な雰囲気を放って沈黙を貫いている。
「なら、その子はなに?」女性が首を動かして手足を手錠で拘束された少女のことを一瞥する。「そんなホームセンターか通信販売で売ってそうな安っぽい手錠つけさせて……あんたにそういう趣味があったなんて知らなかったわ。所詮はチンピラ上がりだものね」
「おいおいおい、変な誤解すんじゃねぇ、マリー。こいつに手錠つけさせてんのは縄だと逃げられるからだ。こいつ、なかなかどうして手馴れてるみたいでな。こっそり縄抜けして隙を見て逃げようとしやがった」
「ふぅん」
クラウスの愉快そうな笑みとは対象に、これっぽっちも興味がなさそうな冷えた目付きで、マリーと呼ばれた女性は拘束された少女……ベルのことを見た。
ベルは普段の安穏な態度からは想像もつかないほどにピリピリとした敵意を剥き出しにしており、トニーの仇であるクラウスたちを鋭く睨みつけていた。
「こいつは見ての通りの人質だよ。〈巫女〉との交換でな」
「ふぅん。でもそう上手くいくかしら」
「俺としちゃあ上手くいかない方が都合がいいね。そうすれば自ずと楽しい楽しい殺し合いだ。俺が望むのは血湧き肉躍る戦い……人生ってのは張合いがないと面白くないからな」
「あっそ。アナタってホントガキね。理解に苦しむわ。せっくの人質なんだからその子をダシに手も足も出ないようにしていたぶればいいのに。で?その子をもののついでに人質にしたのはわかったけれど、肝心の〈巫女〉様を連れてる男はどんなヤツなわけ?」
「正直言って、なかなか面白そうなヤツだ。探偵社の兵隊連中を二度も退けてる。たったひとりで、四十人を返り討ちにした男だ。大したもんだよ。なぁ大佐」
「……」
クラウスに大佐と呼ばれた男は、彼のやや挑発的な物言いにも反応を示すことはなく、未だ目を瞑ったままだった。
彼は身動ぎひとつせず、まるで空気と一体化したかのように静かで厳粛である。
「へぇ。おじ様の兵隊を?それは確かに、面白そうね。あんたが期待してるだけの手応えはありそう。今回は表の仕事の都合で手伝えないのがザンネン」
「ま、今回は手柄をおれに譲ることだな」
「そうするわ。でもまぁ、あなたの子供じみたプライドと趣味のために、決闘の場としてこの近代美術館を貸して少しお膳立てをしてあげたんだから、そこは感謝して欲しいわね」
マリーは鼻を鳴らし、ニヤついた笑みを浮かべるクラウスを見下すような冷ややかな目で見る。
当のクラウスはその視線を気にかけず、メルウィン・フルバートに一発ずつ弾を込め、装填を終えたシリンダーを勢いよく回転させる。
シャーッという小気味よい滑らかな音がなり、この銃が丁寧によく手入れされた銃であることがわかる。
それもそのはず、この銃は彼が戦利品として回収したトニーお手製のリボルバーなのだから。
その銃をクラウスが大事そうに持っている様を拘束されながら見ていたベルは、ふつふつと静かな怒りが込み上がっていた。
「さて、と。それじゃあアタシはこれでお暇するわ。この後打ち合わせがあるもの。あとは好きにしてちょうだい。どうせ赤字の美術館だし、壊すなら壊すで撤去作業が楽になっていいし」
そう言うと、マリーはとことこと足早に歩いて去っていく。彼女は基本的に自己中心的な仕事人間なので、組織の仲間と言えどもクラウスとこれ以上関わろうとは微塵も考えてはいなかった。
彼女が〈教団〉の幹部として組織に所属している理由も、ただ利害の一致程度の理由なので、組織から仕事を頼まれても気が向くか余裕があるとき以外は常に仕事優先で動いているのが、マリーという女性だ。
そんな淡白な彼女が美術館から去り、この展示スペースにはクラウスともうひとりの〈教団〉幹部、そして捕らわれのベルが残される。
「……貴君は」
そのときになってようやく、クラウスから先程大佐と呼ばれていた男が硬く閉ざされていた口を開いた。
「なにもわかってはいない」
「あん?なんだ藪から棒に」
「貴君は誰と戦おうとしているのか。誰の逆鱗に気安く触れたのか。それを理解していない」
彼の声は静かだが、鋭くもありまた重々しさがあった。
クラウスは彼に対して同じ組織の幹部同士ということで対等に接するようにしてはいるが、彼の放つプレッシャーには常にピリピリとしたものを感じている。
こいつとやり合えば、きっと、タダではすまない。命を落とすかもしれない。ゆえにこそ、楽しいだろう──そういう予感があった。
それが彼……グリゴリ探偵社のボス、アルフォンス・アレックス……通称、「大佐」に抱く、クラウスの期待だ。
「なにが言いたい?あのブロンド男がなんだって言うんだ?」
「あれはおまえが手に負えるような男ではない。そう言っている」
「……へぇ。舐められたもんだな。確かに、あの野郎はあんたの部下を血祭りに上げたが……それは大佐、あんたの教育不足。監督不行き届きってヤツじゃあないのかい。自分の失敗を根拠に、あんたとあろうものが随分臆病なこって」
「……私の失敗は認めよう。返す言葉もない」大佐は首を縦に振って肯定する。「だが、二度目の襲撃に関しては貴君の浅はかな考えによる気紛れ、余興が原因だ。本来の予定では、彼の事務所の襲撃を私が貴君に貸し与えた兵士が行い、そちらが〈巫女〉殿を確保する、そういう手筈だったであろう。だのにそこで事前の調査を怠り、作戦を強行したために余計な犠牲が出た。それは貴君の責任。私の部下は貴君の都合のいいおもちゃではない」
「は。だからどうしたよ。オレはそれでも問題ないと思ったからそうしただけだ。それでしくじって返り討ちにされたのはさっきも言ったがあんたの教育不足、連中の練度不足だろうがよ」
クラウスはまるで悪びれず、礼節を欠いた態度でアルフォンスをあしらう。
当のアルフォンス本人は、そんな彼の指摘にふぅーっと長いため息をつく。
「大佐。あんた怖気付いたのか?まさかとは思うが、この件からは手を引くとでも言いたいのか?」
「そのまさかだ」
「……なに?」
「私は、当分この件からは手を引く。このままでは徒に彼に部下を殺されるだけなのでな。貴君の言う通り、練度不足だからな。躾もなっていなかった。反省だ。私もまだまだ未熟ということだ。そもそもは、最初に〈巫女〉殿の確保に失敗したときに、彼奴の正体に勘づくべきであった。私も歳というわけか、不甲斐ないものだな」
「……」
クラウスは呆れた、あるいは幻滅したといった感情を浮かばせて、アルフォンスのことを目を細めて睨む。
だが同時に、彼ほどの歴戦の勇士……〈教団〉の中でも戦闘経験においては一番のベテランであるアルフォンスがそこまで慎重にならざるを得ない男というのが、いったいどんな存在なのかが気になった。
「あんた、随分とあのブロンド男のことをやたら知ったような口で話すが。あいつが何者だっていうんだ?確かにそれなりに腕は立つかもしれないが、どこの誰でもないだろう」
「その通りだ。彼奴は誰でもない。故にこそ、危険なのだ。それが、彼奴の恐ろしい本性だ」
「……なにを言ってんだ?」
アルフォンスは薄く目を開き、その瞳から射抜くように鋭い眼差しをクラウスへと放つ。
「いいかクラウス。彼奴はグレイゴーストだ」
「グレイゴースト?」
「学のない貴君は知らないかもしれんな」
「バカにするな大佐。グレイゴーストってのは……あれだろ。おとぎ話だ。いや、民間伝承……?とにかく、都市伝説みたいなのに度々出てくる、大昔のガンマンだろ」
「その通りだ。彼奴の凄まじい武勇伝は当時からダイムノベルにされて断片的に……かつ、か弱き下々のためにそのスケールを落として語られていた。実際のグレイゴーストは、話に伝わる以上の嵐が如き凄まじい猛者だ」
ダイムノベル……確か大昔に出版されていたという大衆向けの安上がりの本のことだったか。
それにしても、それを知っているこいつは、いったい何者だ?前々から感じてはいたが、底の知れないヤツだ。
「今のうちに、身の振り方を改めて考え直すがいいだろう。死にたくなければな。本当に彼奴と戦うというのなら、それなりの準備がいるぞ」
「……はっ。いいじゃねぇか」
アルフォンスの忠告に、クラウスは恐れをなすよりも、いっそう楽しげに笑った。まるで純粋な悪童のように。
「そこまで言うなら、よほど手応えがあるんだろ?俄然楽しみになってきたね……そいつと戦うのが」
「……無知は最大の蛮勇か。不良らしい浅はかな考えだ」
「雑魚狩りも飽きてきたところだ。たまには、命を懸けた死闘もやらにゃあな。生きるも死ぬも、どちらも最上級のスリルだ。それが味わえなきゃあ……なんのために、人間捨てたと思ってる?」
クラウスはアメリカンスピリットを口にくわえ、火をつけて一服する。本来ならこの施設は全館禁煙であるが、火災感知器は電源を落としているため警報が鳴ることはない。
「いいだろう。そこまで言うなら貴君の戦いぶり、見届けるとしよう。我が同胞のために奥の手も用意しよう」
「いらねぇよ、奥の手なんざ。強敵と戦うってんなら、相手の全力を引き出して、真っ向からやるのが俺のポリシーだ」
「そう言うな。これは貴君が望む真剣勝負のために必要なことだ」
「……チッ。わかったわかった。あんたがそう言うなら、ありがたく貰っておく」
では、一旦失礼する……そう言って、アルフォンスもまた展示スペースを後にした。
この場にクラウスとベルのふたりが取り残され、嫌にしんとした重苦しい静寂が訪れる。
「グレイゴースト、か」
ふと、クラウスが感慨深げに声を漏らした。
彼は口元を緩めニヤニヤと笑いながら吸い終えたタバコを床に落として踏みつけ、靴底ですり潰し火を完全にもみ消した。
その仕草は、どこか他人を加虐的にいたぶるような威圧的なものだった。
「思いがけない大物を引いたもんだ……たかだか〈巫女〉ひとりのために、まったく厄介なもんだよ。だが……こうでなくちゃあな。死を覚悟してこそ味わえるこの高揚感……これこそが生きがいだ」
そう興奮気味に独りごちるクラウスをベルは汚らわしいものでも見るかのような厳しい視線を向ける。
そんな中で彼女の脳裏にトニーの顔、そして少し前のあの悲劇の光景が思い浮かぶ。
真っ赤に濡れたあの惨状。いつもうるさいぐらいに元気だった男が、嘘のように静かになってしまった。
ベルは涙を浮かべながら、きゅぅっと強く唇を噛む。悔しさと怒りが募り、あの場でトニーを助けられなかった己を責める。
あのとき。あのときの悲劇が、いっそ夢であったならば。あのとき……。
「……ジャンゴ」
募り続ける悔恨の念の果てに、ベルはジャンゴのことを思う。
この嘆きを。この苦痛を。この悔しさを。この怒りを。
どうか晴らして欲しい。
大切な家族であったトニーのために。彼の無念の死を……無駄にさせないためにも。
どうしようもない無力感に苛まれながら、それでも恥を忍んでベルは静かに祈りを捧げた。
神でも、仏にでもなく……もっと近しい存在に対して。彼女がこの世で最も信頼する男へと。
◆◆◆◆
「……」
ふと、ジャンゴが一瞬立ち止まって振り返る。
「どうしました、ジャンゴさん」
「……いや」
なにか、聞こえた気がした。
自分を。あるいは、自分の中に同居する異形を呼ぶ声が。
「なんでもない。急ぐぞ。時間はかけたくない」
ジャンゴは再び歩をそそくさと進め、カグヤもそれに合わせて歩き出す。
今向かっている場所は、本来なら今朝の時点で行くはずだったサン・ミゲルの墓地だ。
どんな場所かはまだ知らないし聞かされていないが、この局面でなおそこへ向かおうとするということは、そこにベル救出及びトニーの敵討ちの手立てがあるのではないだろうか。
「……ここが……?」
そうしてしばらく歩き続け、ふたりは墓石が等間隔に並べられた庭園墓地へと辿り着いた。
今の時代においても、庭園墓地はさして珍しいものではないし、未だ一般的なもので街の各層、至るところに点々と存在しているが……それでもカグヤはこの庭園墓地を見たときぎょっとしてしまった。
あまりにも……寂れている。庭園の草はほとんど枯れ、ところどころ地面が剥き出しになっており、墓石に至っては欠けていたり砕け散ったものが並んでいる。
哀愁を誘うほどに荒れ果てたその光景は、この庭園がすっかり忘れ去られてしまったかのようだ。
この荒涼具合は……この庭園墓地が出来て間もなく、その役目をあっさりと放棄されそれ以降時間が止まってしまったということだろうか。
(あれ……?)
そのとき、ふと妙な違和感を感じた。
しかしなにがおかしいのか、なにが不思議なのか……自分でも最初はわからなかったが、ややあってその違和感の正体に気づく。
暗いのだ。この墓地……庭園墓地一帯は。
今はまだ日のある時間、昼間であるはずにも関わらず太陽は見えず夜空が広がっているかのような暗黒が空を支配している。
まるで、この場所だけに夜が訪れているかのように……。
「置いていくぞ」
「あっ……ご、ごめんなさい。今行きます」
少しの間この不思議な墓場の雰囲気に呆然としていたカグヤはジャンゴのもとへぱたぱたと小走りに駆け寄る。
墓石と墓石の間を縫うようにして進み、出入口から最も離れた場所、この寂れた庭園墓地の最端……そこにぽつんと存在する墓石のもとへ。
そこは他の墓石とは違い、特別扱いということなのだろうか、短くなだらかな傾斜……朽ちつつある階段を備え、そのてっぺんに他よりも大きめな十字型の墓石が立っていた。
十字とともに、丸型の意匠をあしらわれたそれは、確かケルト十字というのだったか。ともかく、その墓石だけは他の有象無象の墓石より立派に作られているように見える。
ただ、こちらの墓石も他の墓石の例に漏れず、ひどく損傷していたが……まだ幾分かマシな方だった。
そして、その墓石に刻まれた名前は……。
「……メルセデス、セラ」
ジャンゴが言っていた、カグヤとよく似ているという女性。〈ドクター〉を名乗っていたという女性。そして、ジャンゴが裏切ってしまった……彼がそう話すだけで、真実かどうかは怪しい……かつての主。
カグヤはジャンゴとともに墓石の前に立つと、腰を落として手を合わせて一礼をする。宗教は違うというのは承知だが、礼儀としてそれぐらいはしておくべきだと思った。
本当なら、今朝買ったユリの花も供えておきたかったが……襲撃された際に失ってしまった。
ジャンゴはそんな彼女のことを怪訝な目で見ていたが、彼なりに少し思うところがあったのか、指を動かし十字を切る。
「……もういいか?」
「あ……はい。済みました」
カグヤは腰を上げて、ジャンゴのことを窺うように見る。
「それで……次はどうなさるんですか?」
「少し離れてろ」
ジャンゴはそう言うと、白コートのポケットから漆黒の鍵を取り出した。
カグヤはその鍵をこんな場所でどうするのかと不思議に思ったが、その答えはすぐに見つかった。
鍵穴がある。さっきは気づかなかったが、この十字型の墓石の中央にどういうわけか鍵穴が備えられていた。
ジャンゴは墓石の謎の鍵穴にその手に持つ漆黒の鍵を差し込んで捻る。すると、ガタガタと墓石が……〈ドクター〉の墓場全体が小刻みに揺れ始めた。
カグヤはいったいこれからなにが起こるのかと、息を呑んでその様子を見守る。
振動とともに十字型墓石は後ろへ後退し、墓石正面の地面が自動ドアが開くかのようにスライドする。
すると、墓の下に埋められ、土の中に収まっていた巨大な箱がその姿を露わにした。
振動が治まったところで、ジャンゴは躊躇なく墓の下へ手を突っ込み、その巨大な箱を引っ張り上げた。
「それって……」
カグヤはジャンゴが手にしたその巨大な箱……人間一人分ほどの大きさを持つそれを見て、思わず怯んだ。
黒い、鋼鉄製の箱。全体を二重の螺旋形に銀色の鎖が巻き付き固く封印がされている。見るからに鈍重そうなそれを、ジャンゴは軽々と容易く持つ。
ジャンゴが墓から取り出したもの。
それは──棺桶。
それも普通の棺桶ではない。外観もそうだが、見ているだけで異様な雰囲気と不気味な不吉さがひりひりと伝わってくる。
ジャンゴはそれをしばらく感慨深そうに眺めたのち、迷いなくその棺桶を背負う。鎖でたすき掛けするようにして棺桶を背中に携える彼の姿は、カグヤにはまるで恐ろしい死神か──あるいは亡霊のように見えた。
亡霊……。そう感じたことで、カグヤはこれを背負うことがなにを表すのかを理解した。
これが。これこそが。
彼の……グレイゴーストとしての、武装なのだ。
死を運ぶ復讐の亡霊として、これほどまでに合った得物は他にないだろう。
「……恐いか?」ジャンゴは低い声を発してカグヤに問う。「恐いか、おれが」
「いいえ」
普段は控えめな態度でものを言うにも常におどおどとするような彼女が、このときは迷いなくキッパリと、力強く答える。
「わたしには……ちゃんと、ジャンゴさんが目の前に映ってます。変わりなく。だから、恐ろしくなんか、ありませんよ」
「……そうかい」
ジャンゴはその答えに少しばかり安心したような顔をほんの一瞬だけ見せた。だが、すぐにいつもの表情のない厳しい顔つきに戻る。
「これはまだほんの一端だ。まだ全部を見せたわけじゃない。おれは片足を突っ込んだにすぎんぜ。この後、おれが、グレイゴーストとしてのおれが姿を表したとして……おまえはそれでも、同じ感想を抱けるかい?」
「……」
「どうだ?」
その問いが、どこか縋るようなものに聞こえる。
先程、トニーを看取ってからずっと……露わにはしていなかったものの、やはり、最も深く傷ついているのは、彼の方なのだ。
トニーこそが、彼を人間たらしめてきた最後の砦だったのだ。それを失ってしまった今、ジャンゴは……自分を保てているか不安なのだろう。
「それは……わかりません」
カグヤは素直に答える。
嘘でも、大丈夫と言うべきだったかもしれない。けれども、カグヤにとってそんな軽い返事は、あまりにも不誠実だと、無責任だと思ったのだ。
「けど、だからこそ、見届けます。あなたを。あなたの本当の姿を。ジャンゴさんが、グレイゴーストに呑まれないように」
「……」
「それに。わたしの中に……わたしが、わたしたちが知るジャンゴさんがいる。これまで見てきた、優しいあなたがいる。それを忘れなければ、あなたはちゃんと、帰ってこれます。あなたは自分を誰であるか定義する必要はないんです。わたしが、あなたを定義してみせます。だから……あなたは、あなたの戦いに専念してください。不安がる必要はありませんよ」
トニーのいない今。
彼を人間にできるのは、わたしだ。
彼を人間に戻せるのは、わたししかいない。
これまで見てきた彼の姿を、心を知っているわたしが……彼を、ジャンゴとしての彼を守ってみせるのだ。
「……ふっ」
カグヤの力強い答えに、ジャンゴは唐突に小さな笑いを漏らした。
「な、なんで笑うんですかそこで……」
「いや。おまえの言葉、思ってたより胸に染みたんでな」
ジャンゴはマールボロのソフトパックを軽く振り、飛び出た一本を口に運んでそれに火をつけて一服する。
タバコの紫煙を燻らせる彼の顔つきには、一欠片の不安もない。先程まで僅かに見えていた翳りは、とうに消え失せていた。
「おれがおまえを助けてやったつもりだったが……こうしてみると、おれの方が助けられてばかりだな」
「気にしないでください。そんなこと。実際、わたしの方がずっと助けられてますし……。それに、あなたはわたしを助けたんじゃなくて、戦うために手を貸してくれたんでしょう?」
「そうだったな」
「だから、わたしも同じです。わたしはあなたが戦うために、生きるために手を貸してるんですよ。わたしは、あなたとこれから一緒に戦うって、そう決めたから、ここにいるんですから」
カグヤは笑う。なんの迷いも、憂いもなく。
その笑顔は本当に穏やかで、晴れ晴れとしたものだった。
ジャンゴは、彼女の笑顔を見て……ようやく初めて、彼女が〈ドクター〉の面影と重ならなかった。
そのときだけは、今目の前にいるのが、かつて自分が信奉し姉と慕った女性ではなく、ツヅキ・カグヤという一個人として見ることが出来た。
「……ありがとな、カグヤ」
ジャンゴは小さな声で囁くように言う。
「え?ごめんなさい、よく聞こえませんでした。今なにか言いましたか?」
「別に」
「もう……今更はぐらかさないでください。そういう時に限って、なにか言ったってことぐらいもうわかってるんですからね」
「はいはい、悪かった悪かった。ただまぁ、おまえと出会わせてくれたトニーには感謝しないとな、ってそう思っただけだよ」
結局はぐらかしてるな、とは思ったが、それもまた彼の本心であるのは伝わったのでそれ以上とやかくは言わなかった。
それに、どちらにしろその言葉はカグヤにとってありがたくもあり、非常に気恥しいものだった。
「さて、と」
ジャンゴは棺桶から……どこからどうやって取り出したのかまるでわからないが……ガンベルトと一丁の大型で無骨なつくりのリボルバー拳銃を取り出した。
彼はそのガンベルトを気合いを入れるように腰にしっかりと巻き付け、アンビ式のシリンダーリリースレバーを親指で操作し、シリンダーをスイングアウトさせて展開すると、45口径の弾丸を六発装填した。
装填を終えてシリンダーを戻し、くるくると素早く滑らかにガンスピンさせて、構えると同時にその回転をぴたりと止める。
「お別れの挨拶をしないとだな」
カグヤは、彼が構えるリボルバーをまじまじと見つめる。
銃に詳しいわけではないが、事務所で暮らすようになってから度々トニーの手がけた新旧様々なリボルバー拳銃を見てきたカグヤにとって、そのリボルバーはこれまで見たそのどれもと違うのがすぐにわかった。
こんなリボルバーは、初めて見た……それもそのはず。
ジャンゴの持つリボルバー拳銃は、この世に彼の持つただ一丁しか存在しないのだから。
──ヨルムンガンド。
それがこのリボルバーの名前だ。
正式には、コルトX1873。西部開拓時代当時、コルト社に所属していたとある変わり者のガンスミスが、会社に独断かつ無断で試作的に作り上げたために、公には存在しない特別なリボルバーだ。
当時の技術からして数百年先を行くほどの技術が詰め込まれているこの銃は、ロストテクノロジーとも言うべき範疇に達しており、その機構と性能はあまりにも飛び抜けている。
まず、そもそもとして外観が十九世紀の従来の銃とまるで違い、どちらかと言えば現在の銃と言われても疑わないほどのデザインだ。
オープントップのフレーム、銃身下部に備えるローディングレバーだけを見れば、従来のコルトパーカッションリボルバーに似ていると言えるだろう。
しかし、グリップやハンマーなどは当時の銃には明らかに見られない未来的なデザインだ。
コルトパイソンが、コルトM1851ネイビーと合体した……そんな風な洗練されたデザインを誇っている。
実際、六インチの長さを持つ銃身のフレーム上部にはコルトパイソンに見られるようなベンチレーテッドリブが備えられており、陽炎を防ぐための(諸説あり)三つの細長い穴が空けられている。
木製のグリップは握りやすい太めのグリップで、コルト社のゴールドメダリオンの下に禍々しい蛇の刻印が刻まれている。
シリンダーは高い強度を誇るノンフルートシリンダーで、当時まだ珍しい機構だったスイングアウト式を採用しているが、その動作は非常に安定している。
それだけでなく、コルト社は実用性に懐疑的であったダブルアクション機構を意欲的に導入し、また同時にシングルアクションでの動作も可能という、これまた時代を無視したような性能だ。
そしてなにより目を引くのは、リボルバーのフレームのカラーだ。美しく鮮やかな青……いわゆる、コルトロイヤルブルーのカラーリングを誇るそのリボルバーは、カグヤの視線を釘付けにして離さない。
ジャンゴの手に今また再び握られた愛銃、ヨルムンガンドが狙うのは、彼の真正面……メルセデス・サラこと、〈ドクター〉の形だけの墓石。
カグヤは、これから彼がなにをしようとしているのか……その意図を察して止めはしなかった。ただ静かに、固唾を呑んで見守る。
「〈ドクター〉。おれはずっと、あんたの幻影に悩まされてきた。もちろん、今もまだ……後悔し、苦悩して、絶望の日々を送ってる。だがそれでも……いい加減に、また歩き出さないといけない」
ジャンゴは静かに訥々と彼女の墓に向けて話しかける。
当然、返事はない。
返ってくる声がないことなど、それはもちろん彼自身よくわかっていた。
だが、そんなことは問題ではなかった。
これは、彼がこれからすることのために必要な行いだった。
「今日は、あんたに言いたいことがふたつあって来た。あんたのおかげで、良くも悪くも……今のおれがある。だから、ありがとう。そして──」
そう懐かしむように、感謝の言葉を告げると、
BANG!……突如墓地にけたたましい銃声が鳴り響く!
「サヨナラだ」
墓石は粉々に砕け散り、破片が四散する。衝撃によって吹き飛んだ墓石の破片は吹き付ける風に煽られ、彼方へと消えていく。
……ジャンゴの手の中のヨルムンガンドの銃口からは一筋の細く白い煙が吐き出されている。
彼は銃弾で墓石を破壊したのだ。抱える迷いを、未練を投げ捨てるように。
「……あんたに墓は必要ない。所詮この墓は、おれのつまらない感傷のために、あんたを裏切ったおれへの戒めのために用意したものだった。もう、あんたが望んだグレイゴーストにならないためにもな。だが、おれは、もういちど……この名を背負って戦うことを決めた。だから、もう要らない。この墓は必要なくなった」
相変わらずの無表情のまま、抑揚のない声でそう言ってジャンゴはヨルムンガンドをガンリグのホルスターに納める。
ジャンゴは空になった墓の下へタバコを投げ捨てると、踵を返して、破壊した〈ドクター〉の墓に背を向けて歩き出した。カグヤはそれに続く。彼の広い背を追って、彼とともに歩いていく。
すると、どこからともなく風が吹く。歩き出す彼らを後押しをするように、風は強く強く吹き付ける。
「これからも、おれはグレイゴーストだ。そしておれは──」
棺桶を背負うジャンゴは、一欠片の迷いもない表情で吹き荒ぶ風に乗せるように静かにかつ、力強くつぶやいた。
「おれは、ジャンゴだ」




