NIGHT of IGNITE
ここで一旦、話は遡る。
ベルとカグヤがこっそりと事務所から抜け出し、地層エレベーターに向けて出発して、およそ十分後のこと。
ジャンゴはちょっとした予感を感じて、浅い眠りから起きた。ろくに片付けのされていない、我ながら汚いと思う自室を出て普段生活用に使っている家屋から、事務所側の建物に通じる廊下を進む。
歩きながら、頭の中にツヅキ・カグヤと名乗る女性のことが浮かび上がる。
彼女の薄幸な様子、寂しげな佇まい、しかしながら他人との関わりを絶とうとする孤独な雰囲気。艶やかな長い黒髪。それは陰気で控えめな性格を表すように前髪も長く伸ばされ、目元を隠していた。そして、隠された目元には、印象的な真っ赤な瞳。それは人を惑わせるような妖しい魅力を放つ、美しい宝石。
そして、己のことを優しいひとと称した、そよ風のように穏やかで静かな声。
そんな彼女の容姿と声は、いつまで経っても忘れようにも己の中から忌々しくも抜け出ていかない。
「……ちっ」
ジャンゴは舌打ちをした。
それは暗く狭い廊下に思っている以上に大きく反響した。
どうにも、彼女のことが気になってしょうがない。
おい、ジャンゴよ。
なぜ、そんなにも、アレを気にかける?
情を抱いているのか? それとも、彼女に好意でも持ったのか?
バカを言うな。
そんなお人好しでもあるまい。そんな青臭い男でもあるまい。
ならば、なぜだ。
「……やっぱりな」
答えは出ないまま、事務所の客室に辿り着く。
そこには誰もおらず、彼女の着ていた血のついたワンピースもなくなっていた。
ジャンゴは客室を離れると、事務所の応接室側へ向かう。
そこのテーブルに、一枚のメモ用紙が置かれていた。
ジャンゴはそれを手に取った。
「Thanks. Good bye」。飾り気のない文章、だが丁寧で綺麗な文字が認められていた。彼女らしい文字だな。ジャンゴはなんとなくそう思った。
そして、そのカグヤの挨拶の下……別な筆跡の文字が大書され、これでもかと強い存在感を放っていた。
「ta-ta」。
考えるまでもなく、ベルが書き加えた文字だとわかる。
「ついていったのか……」
まったく、とんだじゃじゃ馬だ。
ジャンゴは心配するよりもまず、呆れた、といった具合にため息をついた。
あれでも、いろいろと仕込んではいる。実戦の訓練まではさせてはいないが、あれは妙に感がよく、引き際を心得ている。
自分の実力をよく知っている以上、これ以上は無理だと悟ればどんなに後ろ髪を引かれようとも手を引くだろう。ゆえに、彼女はそう危険なマネはすることはない。
とすれば、問題は……カグヤの方だ。
ジャンゴはメモ用紙を手に応接室奥のワークスペース、そこの事務机……埃まみれで随分と使ってないことが分かる……の方まで行き、体を投げるようにして革製の椅子に身を沈ませて深く座る。
すると、もわっと埃が広がり、ジャンゴはゴホゴホと思わず咳き込んだ。
「少しは掃除しとけよ、トニー」
──問題は、カグヤの方。
己がそう考えたことに、ジャンゴは思わず苦々しい笑みを零してしまう。
本当に、どうしたというのだ。
なぜ、そんなにも彼女のことを気にかける。会って一日も経っていない、赤の他人なんぞをなぜ気にするのだ。
おまえらしくもないぞ。
ジャンゴは己を戒めるようにこつんと額を握り拳で軽く叩き、そのまま額に拳を置いて黙考を続けた。
しばらく石像のように固まっていたジャンゴだったが、やがて耐えられなくなったように身を動かし、くしゃくしゃのソフトパックのマールボロを取り出して、残り少ないタバコを口にくわえた。
ジッポで火をつけて、紫煙を燻らせる。
吸い慣れたタバコの味わいが、体の芯まで染み渡る。そうすると、タバコの魔法が彼の思考にかかった霧と迷いをすっと晴れさせていった。
それから彼は、思いついたように椅子から立ち上がった。まるで重くのしかかるなにかを振り払うように。
事務机の後ろにある棚から本を抜き取り、その奥に隠した木製のケースを取り出す。
ジャンゴはケースを机に置いてそれを開く。
「……結局また、銃を手に取ることになるなんてな」
その中に収められていたのは、革製の黒いガンベルトと、一丁の無骨なリボルバー拳銃。古めかしい外観のそれは、主人に呼応するかのように鈍い光を宿す。
──コルト・ニューフロンティア。
古のリボルバー拳銃、コルト・シングルアクションアーミーとほぼ同じ外観を持つこの銃は、1961年にコルト社がSAAを再び製造したものだ。
主な違いはリアサイトとフロントサイトにあり、従来の固定式のものとは異なり調整可能なアジャスタブルリアサイトと、ランプタイプフロントサイトを備えている。
ジャンゴの扱うこのニューフロンティアは銃身が5.5インチ仕様の砲兵仕様、いわゆるアーティラリーと呼ばれるモデルだ。
フレームはブルーイング仕上げで、これは改造を施したトニーの趣味によるものだ。芸術品めいて美しい銃身は、鈍い輝きを放つ。
滑らかな木目を持つ木製のグリップには、禍々しい蛇の飾りがつけられている。
「人生なにがあるかわからないもんだ」
ジャンゴはニューフロンティアを手に取った。
久しぶりに手に取ると、その銃は掌に少しずしりと来た。
おまえ、こんなに重かったのか──なんてことをふと思ってしまい、ジャンゴは唇の端を歪めた。
だが、しばらく持っていればすぐにその新鮮な感覚は薄れていった。徐々に手に馴染み、やがてそのまま掌と一体化しそうなほど軽くなる。
ジャンゴはニューフロンティアのハンマーをハーフコックに起こし、耳のそばに近づけシリンダーをゆっくりと回した。
カチリ、カチリという淀みのない音がしっかりと聞こえる。
その音を聞いて、銃に問題がないことを確認すると、ハンマーをデコックしてから試しに銃を構えてみた。
すると、こんどはかつてこの銃を手足のごとく自由自在に扱っていたときの感覚がまざまざと蘇ってくる。
ジャンゴはニューフロンティアのハンマーをクォーターコックに起こすと、その場でガンプレイを始めた。
まずは基本的なガンスピン。そこからバタフライスピン。さらにショルダースピンで逆の手に持ち帰る。そして再びガンスピン。バタフライスピン。ショルダースピンで元の利き手に戻す。
その回転は素早く華麗で、まるで手品師のように巧みな技だった。
しばらくその演舞を続け、フィナーレとして回転を続けるリボルバーをぴたりと止めて再び構える。
「……引退したと思ってた」
ジャンゴが銃を構えた先に、ひとりの男が立っていた。
彼はわずかに驚いた様子で低い声を発した。
「ああ」ジャンゴは銃を下げる。「おれもそう思ってたよ、トニー」
トニーは壁にもたれかかり、今再び封印を解き、銃を引っ張り出したジャンゴのことをじっと眺めていた。
ジャンゴは彼の視線を特に気にとめず、クローゼットからシャツとカジュアルスーツを取り出してそれに着替える。
それから、ガンベルトを腰に巻き付け、ニューフロンティアをホルスターに収めた。
「もう酔いは覚めたのか?」
「プレーリーオイスターも飲んだからな。あとはもう、平気だとも。それより……どこかへ行くのか、ジョン」
「タバコを買いに行く」
「……タバコねぇ。それにしては、随分と穏やかじゃないものを持ってるが。火をつけるのが、タバコだけで済みそうもないぞ」
「あるいは、もうとっくに火がついているかもだ」
そうだろうな──トニーは吐き出すようにそうつぶやいた。
今のジャンゴは、ジャンゴであってジャンゴではなかった。トニーは今の状態の彼のことをよく知っている。忘れようもない。
もう拝むことはないと思っていた……普段は昼行灯の彼の、本当の素顔の一端。
「ジョン。おまえさん……また、戻るつもりなのか」
不安げに、心配そうに尋ねるトニーに、ジャンゴ……否、ジョン……あるいは別の何者かは首を横に振った。
「今のところそんなつもりはないさ。今回はただ、ちょっと顔を出すだけだ。いい加減、うじうじするのも飽きちまってね」
「昔のことは忘れて、好きに生きるんじゃなかったのか」
「その通りだ。けどな。忘れようとはしても、忘れ去るつもりは毛頭なかったってだけのことだ」
「こんどこそ、引き返せなくなるかもしれないぞ」
「かもしれないな。だが、今みたいにこうしていつまでも停滞しているよりも、前に進む道があるだけまだマシだ。背中を向けて後ろに歩くよりはずっといい」
トニーは目の前のジャンゴに対して問いを重ねる。ジャンゴはそれに機械作業めいて淡々と答えを返す。
それは問答というよりは、実際は考えを確認をしていると言った方が正しいと言えた。
「なぁ、トニー。おれはずっと、心のどこかで違和感……不満や不安を感じてた。今の穏やかな生活を送る自分に、なにかが足りないと思っていた。と言っても、それはなんてことはない、ささくれのようにちっぽけなもんだった。このままずっと無視をしたって、なにも問題はなかった。だから、単なる勘違い、気の迷いだと思っていた」
ジャンゴは訥々と語り始める。
今、トニーにできることは彼の話を聞くことだけ。彼は黙ってジャンゴの話に耳を傾ける。
「だがな。あの女……カグヤに会って、少し話して……その違和感がなんなのかわかった。それは、後悔だ。おれはすべてを失って死に損なったあの日から、今日までずっと……その感情をなくしていた。おまえとベルと暮らしているうちに、そんな空虚な自分が当たり前になっていた」
ジャンゴは、静かに胸のうちを最初で最大の友人を相手に吐露する。
粛々と……だが、その言葉のひとつひとつには罪を告白するかのように感情が滲ませてある。
「あいつはおれに言った。あなたは優しいひと、だとな。……とんでもない勘違いだ。おれは優しくしていたわけでもない。そんなつもりもない。それどころか、突き放していた。なのに、あいつは穏やかに笑って言ってみせた。おれを優しいと。わたしからずっと目を背けないでいてくれたあなたは、優しいってな。まったく、信じられない言葉だった」
ジャンゴは彼女の評価に対しての自身の答えを反芻する。
──「卑怯で薄情な臆病者」。
それこそが、今の己を評する正しく真実の言葉である。
あの一件以来、あらゆる物事から目を背け、視野を狭くし、耳を塞ぎ、下を見て……目の前のことだけに注意を向けていた。それがいつしか、当たり前のことになっていた。
トニーの友人として、ベルの保護者として静かに生きられればそれでよかった。
それ以外のことなど、もうどうでもよかった。
たとえ世界が崩壊しますだのと言われようと、なにひとつ心は動きはしない。
だが。
そんな冷徹な自分をカグヤは優しい人間だと言ってのけた。なんの疑いも、淀みもなく、まっすぐに誠実に。
それが、耐えられなかった。情けなくなった。
自分の醜さを真底嫌悪した。
「おれは、あいつに対して同情も、憐憫もこれっぽっちも持ち合わせちゃいない。それは、否定しようのないおれの本心だ。あいつにどんな事情があるにせよ、そんなことはおれにはなにひとつ関係ない。今のおれには、おまえとベルさえいてくれればそれでいい。だから、あいつがどうなろうと知ったことじゃないし、見捨てたところでなんの罪悪感も抱かないだろう。おれはそういう人間だ」
「……そんなら、どうして彼女を助けに行こうとする?」
「助けに行く気なんてない。おれはただ、なくしたものを取り戻しに行くんだ」
ジャンゴはデスクから離れ、事務所の玄関へ向かう。彼はトニーの横まで来ると、そこでピタリと止まった。
彼は振り向き、トニーの顔を正面から見据える。
「おれは……あいつを見捨てられる自分が嫌いなんだ」ジャンゴは自嘲するように言った。「おれはいつだって、自分勝手なエゴイストだ。だから、おれはおれを、好きでいたいんだよ」
それが答えだ。
先程までの心のつかえはそれだ。
彼女を気にかけていたのではない。
彼女に対する情もない。好意もない。
結局は、自分のため。自分のことが大事なだけ。他人よりも、自分を守りたいだけ。
今の自分を突き動かすのは、単なるエゴだ。どこまでも傲慢で浅ましい、愚かなエゴでしかない。
おれはいつだって、自分のためにしか生きられない。
おれにはなにひとつ、他人に向ける優しさなんて持ち合わせてはいない。
だが、それならば、それでもいい。
おれはおれのためにできることをする。
「……それにな。さっきからずっと、あいつのことが頭から離れないせいで、タバコが不味い」
ジャンゴはさらに付け加えた。
「おれはただ、美味いタバコを吸いたいんだよ」
「……そうか。はは、そうかそうか。そいつは大事なことだよな。くく……」
ジャンゴの語る大真面目なその理由に、トニーは声を上げて大きく笑った。ジャンゴもまた、声を上げて大笑いする。
ふたりはしばらく笑い続けた。
事務所の中に、男ふたりの笑い声がよく響き渡る。
「ジョナサン。最後に聞いておく。おまえはそのなくした感情とやらを取り戻して、どうする気だ? どうしたいんだ?」
それから、トニーがジャンゴの目を見据えて聞く。
ジャンゴはその問いに対して、ふっと鼻で笑った。
「おまえがおれの友だってんなら、その答えはわかりきってるだろ」
「……そうか。そうだったな。おまえさんはそういうヤツだ」
「わかってもらえたようで、なによりだ」
「ああ。それを聞いて安心したよ。それとジョン。おまえにひとつ言っておくぞ」
トニーはついに耐えきれなくなったというふうに、くつくつと笑い出して言った。
「おまえが優しくないって? とんでもないよ。こればっかりは、カグヤさんの人を見る目の方が正しいとも。おまえさん結局はとんでもないお人好しだよ。自分にさえ素直になれないだけのただの見栄っ張りの捻くれ者だ。ジョン。おまえ、相当優しい人間だぜ、やっぱり」
やがて、トニーは心底愉快そうに声を上げて再び大笑いし始めた。また、そんな風に笑うトニーはいつもよりずっと若く見え、心なしか口調も若返っていた。
「そうか。……おまえがそう言うんなら、そうなんだろうな」
「ああ。そうだとも」
そうでなかったら、トニーもベルも、今こうしてジャンゴのそばにはいなかった。
どんなに追い詰められ、疲れ果て、磨り減って……そうして、塞ぎ込んでいても。
ジャンゴはずっと、ふたりを守っていてくれた。
それが自分のためにしていることで、単なる自己満足だったとしても。
ふたりとも、それにずっと救われていた。
だから、笑って暮らせていた。
そしてそれはきっと、これからも変わらない。
「おまえの方こそ、構わないか」
「ん?」
「おれのこれからすることは、きっと今のおれたちを変えることになる。もしかしたら、今みたいな平穏な日々はもう送れなくなるかもしれない。もう、後戻りは出来ないかもしれない。……それでも、構わないか」
その問いに、トニーは少し面食らった顔をした。
だが、すぐに表情を戻すとトニーはジャンゴの肩を叩き、手を置いた。
「おまえがわしの友なら、その答えはわかりきってるだろ。いつだって、その心構えはしとったさ」
と。
先程のジャンゴと同じ返しを真似て答え、彼は笑った。
その顔を見て、ジャンゴもまた笑顔を作る。彼は肩に置かれたトニーのシワのある手に自分の手を重ねた。
ふたりの間に、それ以上の意思疎通はいらなかった。
トニーはジャンゴの肩から手を離して、無言のうなずきで彼を送り出す。ジャンゴはコートスタンドから白いダスターコートを手に取ると、それを羽織った。
「ありがとう、トニー。それじゃあ、行くぞ」
「ああ。……と、いや待てジョン」
「なんだ?」
「出発する前にいちおう聞いておくが、他に必要なものはないか?」
トニーは、ジャンゴのコート下から覗くガンベルトを見ながら確認した。
いくらジャンゴといえどブランクがある以上は拳銃一丁ではあまりに心許ないとトニーは思った。
彼の実力はよく知っているが、それでも備えておいて損はないだろう。
ジャンゴはしばし考え、やがて言った。
「なら、銃だ」
「銃か」
「そうだ」ジャンゴはうなずく。「どっさりとな」




