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3.命名、ピー

 トントントン。

 俺は、朝飯を食うために一階のロビー兼食堂に続く階段を降りて行く。後ろからペタペタと裸足のフリーエルフが付いてくる。俺のブカブカのシャツを一枚羽織って。

 食堂の入り口を入ったところで、厨房の出入り口前に立つ女将さんと目があった。先ほど俺の部屋に怒鳴り込んできた女だ。

「‥ああ、朝メシ頼むわ」

俺は近くのテーブルに向かい、フリーエルフを座らせると、その反対側に腰を下ろす。

「そっちの子はどうすんだい?」

チラッとフリーエルフを見ながら、女将さんが言う。

「食うよ!追加料金ちゃんと払ったろ。クリーニング代も」


 結局、あの後、松田優作降臨と同時に俺の部屋に突入してきた女将さんに、フリーエルフとおねしょが見つかり、クリーニング代と追加料金を取られた。この宿は連れ込み禁止だ。そりゃそうだわな。禁止じゃなければ、1人分の宿泊料金で、何人も泊まろうとする輩が現れる。

 大声を上げた件に関しては、寝ぼけてたということで誤魔化した。実際は違うが。いや、違わないかもしれない。

 秋山一狼、あれは俺だ、とヴォルクは思う。朝、目覚めた直後、一狼の意識でいた時は今はやりの異世界転生か?とも思ったが、多分違う。

 なぜそう思うかというと、別の人格に憑依されたような違和感が全くないからだ。ただ、夢を見てたような気分。それに異世界から転生してきた人格が俺を乗っ取る?ふざけるな!それは実質、俺を殺すのと一緒だ。そんなことは絶対に許さねえ。

 つまり俺の過去世、秋山一狼の記憶が明確に甦った、思い出した、ただそれだけのことだ。

 では、秋山一狼の人格はどうなったのか?もうないのか?いや、ある。一狼は俺だからだ。俺は秋山一狼である。ただ、この世界で25年生きてきたヴォルクの記憶もある。だから、この世界で生きやすいように便宜上ヴォルクを名乗っている、とも言える。

 そしてなぜ一狼がヴォルクの過去世だと思うのか。それは秋山一狼が生きていた世界がこの世界の過去であるという証拠があるからだ。それは月と星座だ。この世界の月と星座が一狼で生きていた世界と全く同じなのだ。      

 そして月というのは、かなり特殊な衛星で、地球サイズの惑星があれだけ巨大な比率の質量を持った衛星を従えているというのはあり得ない。事実、太陽系には月と同じ、もしくはそれ以上の比率の衛星を持っている惑星は地球以外にない。

 さらに月は人工物である。月の内部が空洞だということも月が人工物である事の証だし、地球の自転と月の公転がたまたま一致?月は表面しか地球側に見せない?ご都合主義にも程がある。そんな偶然が自然に起こるわけがない。月は紛れもない人工物、もしくは意図的に設置された物だ。

 そしてその月は一狼の時代の約1万年前に突然現れた。ノアの方舟の時代だ。あの大洪水は月のせいである。月が持っていた水分が地球の重力に引かれ降り注いだ結果なのだ。確か鶴なんとかいう学者が言っていた筈だ。

 つまり、一狼の時代の少し前に月が現れたということは、この世界は一狼の時代の過去ではなく、未来ということだ。10万年くらい未来じゃないかと推測する。月は地球から徐々に遠ざかっているが、10万年くらいではその見た目の大きさはほぼ変わらない。

 この世界の自然環境や植生、物理法則もほぼ同じということは、ここは地球以外の異世界や他惑星ではあり得ない。紛れもなくここは地球なのだ。

 ただ、10万年も間が空いてると、その間、人類は5、6回文明をやり直してるはずだ。獣人種や魔獣などの進化論では説明がつかない生態は、どこかの文明がやらかしてるはずだ、遺伝子操作とか。でなければ猫型獣人や目の前のエルフがこんなに可愛いく整うわけがない。遺伝子操作したのは絶対にオタク感性の科学者だ!


 女将さんが2人分の朝食を持ってきた。2枚のプレートそれぞれに目玉焼き2つと厚切りベーコン、サラダ、それにパンがのっている。

 フリーエルフの前に置かれたプレートのサラダの量がやけに多い。大盛りだ。

「何だよ、それ。差別か?」

「はあ?あんたいつもサラダ残すじゃないか。その分、盛っただけだよ」

そう言うと女将さんは、俺のプレートの上にあった申し訳程度の少量のサラダを濡れた手で全部つまんでフリーエルフのサラダに追加した。

「ピーーー!」

それを見てフリーエルフは目を輝かせて喜んでいる。ちっ、と舌打ちする俺。

 よほど腹が減っていたのか、手づかみでサラダをムシャムシャ食べ始める。慌ててフォークを使うように言ったが、言葉がわからないから、一瞬キョトンとしただけで、また手づかみで食べ始める。身振り手振りで教えるにしたって無理だ。諦めて、もうそのまま食べさせる。

 女将さんは給仕が終わったのに俺たちのテーブルのそばから離れようとしない。人間社会にエルフは珍しいので興味深々なのだ。腰をかがめ、フリーエルフの視線の高さになって優しく問いかける。

「お嬢ちゃん、名前は何ていうんだい?」

「ピーー!」

「そうかい、ぴーちゃんっていうのかい」

「それ!そうなるだろ?」

と俺。女将さんは、はあ?といった顔をしている。

「いや、この子、言葉知らないみたいで『ピー』とか『ヘプー』とか『クプクプ』しか言わないんだよ。俺もさっき、名前聞いたけど『ピー』としか答えないから、もういい!お前の名前はピー!」

俺はピーに向かって宣言する。

 ピーはキョトンとしている。

「それにしても、どうしたんだい?この子」

女将さんが聞いてくる。

 俺は昨日あった出来事をかいつまんで説明した。

 あ、ピーは昨日拾ったエルフの子供だ、多分。でなければ鍵が掛かった俺の部屋にいた説明がつかない。エルフの生態はよく分かっていない。一晩で5歳から15歳に急成長することもあるのではないか。俺はそう考えることにした。

「へぇー、不思議な生物だねえ、エルフって」

と女将さん。

「で、どうすんの?この子。育てるのかい?」

「あー、どうしたらいい?孤児院に預けるにしても無理だろ、この背格好じゃ」

見た目が5歳児ならともかく、15歳では卒業する頃合いだ。

「女将さん、引き取ってもらうわけには‥」

「馬鹿言ってんじゃないよ!ウチにゃもう2人も子供がいるんだ。そんな余裕はないよ!」

「じゃ、どうしたらいいんだよ」

「育てる気が無いなら、また捨てるか、奴隷商に売るか‥」

奴隷商と聞いて昨日、ピーを殴っていた男を思い出し、俺はカチンときた。

「ふざけるな!そんな可哀想なことできるか!こいつは俺が責任持って育てる!」

「じゃ、そうしな」

「え?」

俺が育てることになっちまった。マジかよ‥。

 サラダを食べ終わったピーはキョロキョロして他の客の朝食のサラダをじっと見ている。足りないらしい。しかし、パンは半分しか食べていない。目玉焼きとベーコンは手付かずだ。菜食主義なのか、こいつ!

 他の客のサラダに手をだされる前に俺は女将さんに言った。

「お金出すからサラダだけおかわり。大盛りで」

サービスして、お願い、とアイコンタクトしたが無視された。


 ピーを育てることになってしまった俺は、朝食を終えた後、ピーを連れて街に出ることにした。ピーの日常生活に必要な物を買い揃えるためだ。今日は仕事はやめだ。

 その前にピーを風呂に連れて行って洗わないと。肌が白いから分かりにくいが、よく見ると垢だらけだ。こいつ、風呂入ったこと無いんじゃないか?匂いはそんなにしないが、というよりむしろ良い匂いがする。エルフの垢はいい匂いなのか?よくわからん。

 ああ、その前にギルドに寄って口座から金下ろさないと。俺のなけなしの貯金が。悲しい。ギルドに行くならついでにピーの冒険者登録もしちまうか。そうすれば人権も確保できる。街の出入りも自由になる。やらなきゃいけないことだらけだ。

 ピーを連れて街の通りを歩いていると、ピーは注目の的だった。エルフが珍しいというのもあるが、こんなすごい美少女が俺のダボダボのシャツ一枚というセクシーな格好で裸足で歩いてれば、そりゃみんな見るわ。早くちゃんとした服買ってやらないと。   

 ちなみにピーがシャツ一枚どころか素っ裸で歩いていてもこの世界では猥褻物陳列罪で捕まるようなことはない。なぜなら街には衣服を着る習慣の無い人型種族がいくらでも闊歩しているからだ。リザードマンとか。だから人間種だけ裸がダメなどと言ったら、それは差別だという話になって大事になる。まあ、実際、セクシーな女が裸で一人で歩いてたら、人目が無ければ襲われてしまう。だからみんな服着てるってだけだ。


「お名前は『ピー』さん、種族はエルフ、女性で年齢は不明、職種も不明、魔法、魔力も不明、保証人は『ヴォルク』さん‥ということでよろしいですか?」

冒険者登録窓口の美人お姉さんが、俺が代筆した申請書類を読み上げてピーに確認する。ピーが「ピー!」と答えると、

「かしこまりました。申請書類は受理いたしました。冒険者タグの発行は明日になります。明日の10時以降にまた窓口に来ていただき、受け取りをお願い致します。冒険者及び冒険者ギルドの簡単な説明はお聞きになりますか?」

「ああ、いらない。聞いてもこの子、まだ言葉がわからないので」

と、ピーの代わりに俺が答える。

「承知いたしました。では、ピー様は本日よりE級冒険者ということで登録されました。本日は冒険者登録、おめでとう御座います。また、今後のご活躍、心よりご祈念致します。誠にありがとうございました」

美人窓口嬢は立ち上がり、深くお辞儀をしてくれた。

「ピー!」

「ピー、登録終わった。ほら、行くぞ。これからよろしく」

軽く頭を下げて俺はピーの手を引いて登録窓口を後にする。

 冒険者登録は実に簡単だ。呆気ないほどに。登録の段階でハードルを上げて登録者が減っても困るのだろう。

 注意点は多少あるのだが。例えば虚偽登録の禁止とか、二重登録の禁止、冒険者タグの紛失、偽造。これらは驚くほど重いペナルティが科される。冒険者登録の抹消どころか、とんでも無い額の罰金を払わされるのだ。場合によっては指名手配されて殺されることもある。まあ、そんなことをしなければいいのだが。

 冒険者登録も終わり、口座から金を下ろしたら次は風呂、あとは服と日用品だ。迷子にならないようにピーと手を繋ぎ、落ち着いた遅い午前の街中に俺たちは歩き出した。

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