第28話 橘レナの一撃
土煙の向こうにいたのは、橘レナだった。
学園で見れば、目立つ三年の先輩。
いま目の前にいるのは、それとは別の顔だった。
黒系の軽装。
最低限の防塵装備。
そして、前へ立つのが当たり前みたいな重心。
「玲司、止まるな」
レナは短く言った。
「担いで通せ。後ろはあたしが切る」
ユラが一瞬だけ目を見開く。
カナデは驚きを飲み込んだまま、すぐに状況へ戻った。
玲司も切り替える。
「朝比奈、前の幅を作れ。冬月、出口側の記録と通報線。レナ、三秒持てるか」
「三秒でいいなら余裕」
言い終わるのと同時に、後ろの追手が突っ込んできた。
その瞬間、レナの肩口の空気が硬く光った。
薄い。
一瞬だけ。
鎧を着るというより、衝突の瞬間だけ形を与えたみたいな光。
《衝殻》。
玲司はそれを見た。
レナは半歩だけ踏み込む。
それだけで十分だった。
拳でも蹴りでもない。
体重と顕現を一点にまとめた正面の一撃が、先頭の男と、その後ろの資材ごと吹き飛ばす。
通路が鳴る。
だが長くは光らない。
顕現は一瞬で閉じる。残留痕を最小限に抑えるためだ。
「今!」
玲司は負傷者を押し込み、ユラが向こうから腕を引く。
狭い。
だが抜ける。
続けて玲司。
その背後へ崩れた石が降った。
レナが片腕を差し入れ、玲司の肩を掴んで引いた。
同時にもう一度だけ《衝殻》が弾け、落石の角度をずらす。
背中のすぐ後ろで天井が崩れた。
「っ……」
外気が肺に入る。
助かった、と思うより先に、玲司は負傷者の呼吸を見た。
浅いがある。
「朝比奈、撮れるか」
「もう撮ってる」
ユラは息を切らしながらも、小型カメラを男へ向けていた。
顔は切る。傷と現場と導線だけ押さえる。
証拠保全として必要な画角だ。
カナデの声が飛ぶ。
「通報は匿名で入れたわ。公的救助が来るまで三分強」
「位置は」
「ここなら見つかる。あなたたちは消える方を優先して」
レナが崩れた坑道を一瞥した。
「追っては来ない。来ても半分埋まる」
ぶっきらぼうだが、読みは正確だった。
玲司はレナを見る。
「……なんでここにいる」
「臭かったから」
「それだけか」
「十分だろ」
レナは平然と返す。
それで通る人間だと、玲司は知っていた。
ユラがようやく息を吐く。
「いや、十分ではあるけどさ。出てくるタイミングがヒーローすぎるんだよ」
「ヒーローは嫌いだ」
レナは即答した。
「助ける時に助けるだけでいい」
その言い方が、妙にこの場に合っていた。
カナデが負傷者へ視線を落とす。
「彼、使い捨ての作業員ね。証言が取れるかは微妙だけど、置いていけば死んでいた」
玲司が短くうなずく。
「だから拾った」
それだけだ。
証拠も持った。
だが優先順位は最初から決まっている。
人命。
情報保全。
追跡回避。
戦闘勝利は、そのあとだ。
レナは玲司の方を見もせずに言う。
「あんた、前に出すぎ」
「分かってる」
「分かっててやるから面倒なんだよ」
ぶっきらぼうな声のまま、ほんの少しだけ近い。
学校で見せる雑ないじり方とは違う温度だった。
ユラが小さく笑う。
「はいはい、心配してる人いたー」
「朝比奈」
カナデが低く刺す。
「いま軽くするところじゃないわ」
「分かってるって」
そう返すユラの指は止まらない。
映像の保存、匿名化前の退避、時間情報の切り分け。
現場支援としてやるべきことを、もう先に回している。
遠くでサイレンが鳴り始めた。
玲司は立ち上がる。
「散る。学校では今まで通りだ」
「言われなくても」
カナデが答える。
「無関係を貫くわ」
レナも背を向けたまま言った。
「明日、学校で話しかけんなよ」
「こっちの台詞だ」
それで十分だった。
四人は別方向へ散る。
救助隊が来れば、負傷者は見つかる。
崩れた坑道も押さえられる。
少なくとも、今夜の証拠は全部は消えない。
その帰り道だった。
ユラの端末が震える。
「……は?」
足が止まる。
いつもの軽い声が、きれいに消えた。
玲司が振り返る。
「どうした」
ユラは画面を見たまま答えた。
「流れてる」
「何が」
ユラは端末を持ち上げる。
探索者界隈の匿名掲示板。
低画質の短い動画。
崩れかけた坑道。
負傷者を引きずり出す手。
前に立つ高い影。
そして、最後の一撃の直前で切れている。
投稿文は一行だけだった。
――助けたのは、誰だ。
玲司は画面を見た。
ユラが唇を引き結ぶ。
「これ、わたしの角度」
「別カメラじゃないのか」
「違う。手ぶれ補正の癖が、わたしの設定そのまま」
今夜、押さえたはずの映像。
まだ公開していない、保全用の一部。
それがもう、外へ出ている。
TRACEの最初の実戦は終わった。
だが、噂になる方が先だった。




