ー神有の章69- ヒノキ風呂
「ふう。犬っころをシバキ倒したあとの風呂は格別なのじゃ。やはり、運動してかいた汗を風呂の湯で流すのが1番気持ちいいのじゃ」
天照は立花山城の大屋敷にあるヒノキ風呂を1柱で堪能していたのである。風呂桶のへりに乗せたお盆のさらに上に酒の入ったとっくりとおちょこが乗っていた。天照はたまに、そのおちょこに酒を注ぎ、ちびちびと飲むのであった。
「はあ。昼間から風呂に入りながら、さらに酒までいただく。こんな幸せなひと時、なかなかに味わえないのじゃ」
天照の頬は紅く染まっていた。しかし、この割と広い風呂場に1柱だけとは、何か物足りないモノを感じてしまうのである。
「はあ。これでからかいがいのある吉祥めがおれば、楽しいモノなのじゃが、それはさすがに高望みしすぎじゃな」
天照はそう呟き、おちょこをくいっと傾け、中身を飲む。そして、ぷはあと息を吐き、ただ呆然と風呂の壁を視ていた。ふと、その静寂を破るかのように、風呂場の出入り口にて、足音のようなものが天照には聞こえるのである。
「ん?誰か、やってきたのかじゃ?わらわ以外に、昼風呂とは贅沢好きも居た者じゃ」
脱衣所から、ふんふんふーんと鼻歌混じりの声が聞こえるのであった。声の感じからして女性のようじゃが、一体、誰なのじゃ?まあ、都合よく、吉祥がやってくるわけでもあるまいじゃて、と天照は想ったが、運命のいたずらが起きる。
「ふう。毎日、暑いのデスワ。でも、まさか、あの誾千代さんがお風呂を沸かしたから湯加減を確かめるためにも1番風呂を楽しんできてね?と言ってくれるとは想わなかったのデスワ」
「おや?吉祥ではないかえ。どうしたのじゃ?わらわと一緒に風呂に入りたかったのかじゃ?」
「え?ええっ!?なんで、天照さまがここにいるわけなのデスワ!?」
「ふむっ。話せば長くなるのじゃ。まずは、ヒノキ風呂を堪能するのが良いのじゃ。いくら夏と言えども、裸では風邪を引くかもなのじゃ」
天照の提案に吉祥はどうしたものかと想うのである。ここで退散しようものなら、あとでグチグチ文句を言われるのも眼に視えているし、だからと言って、提案に乗れば、おもちゃにされるのも分かりきっている。
吉祥は、はあああとひとつ深いため息をつき
「わかりましたのデスワ。裸と裸の付き合いは大神と言えども大事なのデスワ。でも、あまり万福丸のことで僕をいじるのはやめてほしいのデスワ」
「ああ、あの犬っころかえ。さっき、道場でしつけをしてやったのじゃ。それゆえ、わらわは気分がとても良いのじゃ。おぬしをいじるのは勘弁しておこうなのじゃ」
本当かしら?と想う吉祥であるが、まあ、万福丸のことでいじられるなら、それも仕方ないデスワと諦めの境地に入る。
天照は風呂桶に浸かったまま、足と尻を動かし、吉祥が浸かれるスペースを空ける。吉祥は天照に対して、一礼し、その後、風呂のお湯に右足をそっとつける。
「やはり夏なので、少しぬるくお湯を炊いているのデスワ。もう少し、熱い方が僕の好みなのに残念なのデスワ」
「長湯をするならこのくらいの熱さがちょうど良いのじゃ。なんじゃ?思兼と合一を果たしているために、趣向が老人になっているのかじゃ?」
「そ、そんなことないと想いたいのデスワ。なんであんなエロ爺の好みに影響されなきゃならないのデスワ。考えただけでもぞっとするのデスワ」
「そうなら良いのじゃ。いくら【理】が近しいゆえに合一を果たしたとはいえ、大神とニンゲンは別モノなのじゃ。それゆえ、互いの性格もまた違ってくるモノじゃ。だが、まじりあっていくちに、自分が気づかぬうちに、相手の趣味趣向に染まってしまうモノじゃ」
「んーーー?例えるなら、女性の場合、付きあっている男性の味の好みとかに似通ってくるって考えで良いの?デスワ」
「そうじゃな。わかりやすく言えば、そう言うことじゃ。好き同士だからこそ、相手に合わせたいのなら良いのじゃが、俺が好きなら、俺の好みに合わせろなどと言われたら、イラッとくるじゃろ?」
「そうね。もし、万福丸にそんな言われ方したら、1週間くらい口を利く気が無くなるのデスワ」
「あの男はおぬしにベタ惚れじゃ。そんな言い方はせぬはずじゃ。まあ、それはさておき、大神とニンゲンの間でもそれが起きると言うことが問題なのじゃ。大神、ニンゲン、どちらにも自分に合わせろと言い出す傲慢なやつが居るものじゃ」
「僕と合一を果たした思兼は僕に対して自分の言う通りにしろー!とか言ってこないのデスワ。どっちかと言うと放任主義な感じがするのデスワ?」
「それはおぬしが思兼に信じられているという証かもしれぬかもなのじゃ。それと、あやつは昔から行き過ぎた干渉を相手にしない性格なのじゃ」
「ふーーーん。たまーに表面意識に現れて、性的嫌がらせをして、また、スッと表面意識から出ていくのは、その性格も関わっていると言うこと?デスワ」
「まあ、性的嫌がらせはさておいて、思兼とおぬしの関係は親が子の成長を見守ると言ったモノに近いと想うのじゃ。吉祥よ、おぬしが知識を欲する時、欲する量を与えてくれる存在なのじゃ、思兼は。だが、まだ知るべき時ではないと思兼が考えている場合は、いくら、おぬしがねだろうと、知識を与えてはくれぬようじゃな」
「うーーーん。子に甘いのか、けち臭いのか、よくわからないポジションなのデスワ。僕は僕に対して甘々な親が良いのデスワ」
「ははっ。わがままな子じゃて。しかし、思兼が知識をおぬしに与えぬからと言って、おぬしは思兼に対して、無理強いはせぬようにな?あやつはあやつなりに、おぬしの身を想っての行動だと想うのじゃ」
「それは、僕が【理の歴史書】の神帝暦2年から最近の事象について、断片的にしか情報を読むことができないこと関係があるのかしら?デスワ」
「そうかも知れないし、そうじゃないかも知れないのじゃ」
「どういうことなの?デスワ。そのどうとでも取れるような曖昧な言い方だと、僕には理解できないのデスワ?」
「そりゃあ、おぬしが理解できるわけがないのじゃ。わらわだって、理解してないからじゃ。わらわが理解してないと言うのに、どうやって、おぬしを理解させることができるのじゃ?」
「まるで禅問答なのデスワ。でも、【理の歴史書】がこうなっている事情が天照さまでも理解できないと言うことが理解できたことは幸いなのデスワ」
「わからないということをわかる。まこと、哲学的な考えじゃな。さて、そろそろ、のぼせてきたのじゃ。吉祥や?少し、わらわの背中を洗ってはくれぬかじゃ?」
「良いのデスワ。対価を要求したいところだけど、天照さまから色々、有益な情報をもらったので、それを対価の代わりとするのデスワ?」
「おお。わらわは高い対価を支払ってしまったようじゃ。しかし、いささか、わらわの払い過ぎの気もするのじゃ。仕方ないのじゃ。わらわの背中が終わったら、わらわ直々におぬしの背中を洗い流してやるのじゃ」
天照さまのほうが払い過ぎているのに、何故、その元を取る行為が、僕の背中を洗うことに繋がるのデスワ?と想う吉祥であるが、これも裸の付き合いの一環だと考え、天照さまに背中を洗ってもらおうことにするのであった。