1.負傷とは…
誠心学院は中高一貫なので高2から進学内容でクラス分けが始まる。
一番人数の少ないD組は芸術系や留学とか別枠。
人数が多い理系はBCどちらかで、文系はA。
でもA組1つに集められるのもナカナカキツイ。
国家公務員ガチ志望もいれば、ドラマに憧れ弁護士や政治家目指す奴。
動機はどうでも基本頭のイイヤツばかり。
そこに少々、数学物理苦手やしという奴が混ざってる。
勝田仭ふくめ、そーゆー連中は自然と教室後方に集まっていた。
「勝田、Aなん?おまえ数学そんな苦手でもナイやろ」
「まあなぁせやけど理系学部に行きたいワケちゃうし」
「先輩から聞いたんやけど。
Aって国公立志望が多いんで、共通テスト対策で授業全方向キツイんやて」
「うえー」
「まぁその分、潰しが利く言うか、どっかの大学に引っかかる言うか」
「そこはオールマイティとかマルチタスク能力高いとか言えや」
「訳すと、どれも中途半端とか辛抱足りんとかか」
「笑えん訳やなー」
ちょっと自虐ムードも混じったりするけど。
結局のところ、既に中学3年間一緒にアホなコトもやってきたメンツだし。
特に親しくなくても何んとなくお互いの距離感も判ってるし。
来年受験生になって、もっとシビアな空気になるのなら。
今年はまだスキにやらして貰おかーって空気の方が濃い。
だから勝田も、このクラスでよかったなと思ってる。
「そこン席誰や?」
勝田の隣で、窓際一番後ろという特等席にはまだ鞄も無い。
「さあ?知らん」
「おまえリスト見てへんのか」
「そー訊くおまえも見てへんやん」
「仲良えヤツの名前見つけたら、全部は見ぃへんもんな」
「ぱっと見で誰が居らんか判るか?」
「あ、もしかしてコレちゃう?藁科」
「うっそマジ?」
「ひゃー勝田おまえ大丈夫か?も1回顔洗って来いや」
「何んやそれ」
「勝田みたいにムサ苦しいんが隣に居ったら、藁科カワイソーやん」
「意外やなあ、藁科やったら美術系か思うてた」
「いやあいつ美術部のモデルしたけど、自分では描かんやん」
「ヘアメイクとかオシャレ系の専門とか行きそー」
「藁科と話したこと無いワー」
「オレも」
「隣座っとったらエエ匂いとかしそーやな」
「そんな気になるンやったら、席変わったるで」
「いらーん。あーゆーのは遠くから眺めるンで丁度良えんや」
「そおそお。間近で鼻毛とか見えたら萎えてまうワ~」
「それおまえやろ~」
少々ワクワク感も混ざるアホらし~駄弁り。
それも当然で。
藁科咲也はこの学年で一番カワイイ顔と言われている。
実際、美容系配信をしてる姉の影響かいつも薄メイクして。
放課後は女装姿で美術部や写真部のモデルもしてるらしい。
ただ固定メンバーとしかツルまないから。
教室後方に集まる地味軍団には、噂がどこまでホントか判らない。
でも予鈴が鳴っても藁科は登場しなくて。
空席に視線を流した勝田はぼんやり想像してしまう。
(藁科て確か肩くらいまで髪長いやんな。
窓際やと風吹いた時とか、ふわーてなったりするンやろか…)
固くてゴワっとした自分の短髪とは大違い。
(そんな髪長いンて、輝さんしか知らんワ)
風に揺らぐ長い髪から誰かを連想する為に、勝田は小学生まで遡る。
勝田が昔通っていた剣道場に長い髪の綺麗な女性剣士がいた。
稽古中はキリっと髪を結い上げているけれど。
稽古が終わって、生徒達を見送ってくれる時の輝さんは。
ほどいた長い髪がサラリと流れて、絵本のかぐや姫みたいだった。
そもそも勝田には他に思い出せる女性なんか居ないかも。
男子校という環境を一番のイイワケにするけれど。
何んと言うか、興味も無いしカノジョが欲しいなんて思ったコトも無い。
平々凡々では足らず、平と凡を100個ずつ並べるよーな性格で。
何か・誰かに振り回されたり、キブンが上下するのは苦手。
いつも、いつも通り過ごしたい。
自分から欲しがったり望んだりしなければ、明日も明後日も同じで済む。
「ほんなら頼むで、勝田」
クラス担任に名前を呼ばれて、勝田は我に返る。
「…へ?」
「早速ボケかー?寝とんかー?
隣の藁科が退院するンは再来週や。
授業で配られたプリントは日付で分けて、ファイル入れたって。
教科ごとに進むペース違うンで、オレんとこでよお管理出来ん。
とにかく無くさんよーに机ン中整理しとったれや」
「あ、はい…」
つい返事をしてしまったけれど、その前の話を何も聞いてなかった。
(退院て何んやろ?)
後で他の奴らに訊くかーとその場は流したものの。
こーゆーのは後回しにするほど言い出しにくくなるもの。
(別にオレは藁科に興味あるワケちゃうしなー。
先生が説明したんに改めてアレコレ訊いたら、何んかヤラシーし。
まあ登校してきた本人に聞けばエエか…)
そんな言い訳めいたコトをごにょごにょ思って、そのまま過ごす。
勝田は別に行動するのがメンドーな訳じゃない。
自分の行動にツッコミが来るのがメンドーなのだ。
「どないしたん?」と返されたら、理由を用意しないといけなくなる。
そして大抵そーゆー時の理由と言うのは。
相手の気が済む為に用意するモノだから、それ用に考えないとイケナイ。
ホントはそんなコトを思って無かったとしても。
だから時々。
理由が無いとアカンのか?と勝田はこっそり呟いてしまう。
そして2週間経って。
いつもの調子でダラダラ登校してきた勝田は教室に1歩入って立ち止まる。
窓際の席に藁科が座っていた。
と言うか窓際の席だから、座ってるのは藁科のハズ。
肩までの長い髪、薄っすらメイクでオンナノコみたいにカワイイ顔。
いつもハデめな仲間に囲まれ姫様扱い。
そう聞いていたのに。
周りに誰も寄せ付けず、むっつり顔で長い脚投げ出してドカ座り。
しかも髪は芝生みたいに刈り上げられ。
頬骨辺りに大きな絆創膏、顎には赤茶色のカサブタがたくさん。
極めつけに左腕を吊り下げてるし。
白シャツがぼわりと膨らんでるから、多分肩回りには固定バンドがある。
カワイイが台無しと言うレベルじゃなく。
朝なのにソコだけ暗くて不穏な空間になっている。
思わず勝田はくるりと方向転換して、ドア近くのヤツに話し掛ける。
「なあアレ藁科やんな?」
「そお。オレもめっちゃビビった。
チャリで骨折て聞いとったけど、どんなコケ方したんやろなー。
たぶん治療の為に髪切ったんやろけど、別人か思うたワ」
そう言いながらソイツはスマホのアルバムを開く。
「ほらオレ去年同クラやってんけど。全然ちゃうやろ」
その写真はクラス行事の打ち上げでカラオケ帰りを写したぽい。
大人数の中でも藁科は目立っていて、すぐ見つけられる。
長めの前髪から覗く切れ長で深い二重の瞳。
カラコンをしてるのかも知れないけど、特別な光が強く灯っていて。
そんな目力に釣り合う大きなピアスにちょっと変わった柄シャツ。
そして目元と唇はグロッシーでキラリ。
勝田にはどこまでが化粧で上書きされたモノか判らないけれど。
可愛いくて綺麗でまるでアイドルのグラビア。もしそれが笑顔なら。
盛り上がり中のハシャギ集団の中、藁科だけはきゅっと固い表情で。
上目遣いからオラオラオーラが滲み出ていた。
(母さんの猫みたいや…)
勝田は家にいる3匹の猫を連想してしまう。
「ウチの猫」と言いたいトコだけど、3匹とも母親にしか懐いてない。
特に勝田には、未だにシャーシャーオラオラやんのか毛逆立ち。
3兄弟はシャムのミックスでそれぞれ焦げ感が違って、見た目は可愛らしい。
でもブリーダーの元では、純血種じゃないからと処分予定になっていて。
保護団体経由で勝田の母親が兄弟一緒に引き取った。
そのせいかニンゲン嫌いで懐かなくて。
最近やっと母親にだけ気を許すようになったばかり。
(あいつら相手と同じやと思えば…。
当たり障りの無いよーに…空気になったつもりで行くしかナイわ)
そう自分に言い聞かせながら、勝田は席に着く。
「あーえーと。入院おつかれさん」
「あ?」
「いやエライ怪我そーやし、大変やったんかなあて」
「メンドーなんはこれからや。
病院居ったら、やさしー看護師さんに補助して貰えっけど。
これから全部自分で何んとかせんと」
「そーやな」
「早速で悪いんやけど」
「え?」
「首の後ろンとこチクチクするんや。何んか当たっとお?」
肩と首も動かせないのか、藁科はぐるっと背中を勝田に向ける。
「はあ…」
ひとこと声掛けした後は空気になる予定だったけれど、仕方無い。
勝田は立ち上がって、藁科の襟元を覗き込む。
大き目シャツの中にはがっちり固定バンドが見える。
胸を逸らす体勢で固めてあって、見ると飛び出た縫製糸が肌に触ている。
「あーちょこっとだけ糸出とおわ」
「切ってくれん?地味に痛痒い」
「切って大丈夫なヤツなん?」
「知らんワ、とにかく障るンや」
「はあ…せやけど。普通のハサミでこんなちょこっとだけ切れるやろか」
「オレんバッグからポーチ取ってや。そん中に小さいハサミ在るし」
「えー?」
指示されるままに襟元を覗き込み。
勝田はまず、見たコト無い形のごついバンドに驚いて。
次に、飛び出た糸が当たってほんわり紅くなってる白い肌にビビって。
バンドに伸ばした自分の指のゴツさに対比される、細い首筋に硬直する。
そして小さな鞄から取り出したポーチを開けて、勝田の目はテン。
キラキラなメイク道具がぎっしり入っていた。
小さなハサミは刃先がゆるくカーブして、確かに短い糸も切り落とせそう。
「ハサミあるやろ?」
「あるけど」
「何んや?」
バンド固定の藁科は振り向けないから、勝田は腕をぬっと藁科の顔先に出して。
大きくて厚い掌にちょこんとハサミを置いて見せる。
「オレの指がハサミに入らん」
勝田だって最低限の手入れ用に眉用ハサミくらい持ってる、でも。
女性用だから?携帯用だから?
藁科のポーチに入っているアイテムは全部宝飾品みたいに繊細で。
自分なんかが触ると壊してしまいそう。
緊張で勝田の顔は熱くなるし、何も手伝えないのが申し訳無いし。
藁科と比べて、自分がムサくてゴツいのを実感するし。
ぶわっと勝田の額に汗が滲んでしまうけど、どうしようも出来ない。
「っつ」
藁科の芝生髪が揺れた。
背中越しだから藁科の表情は判らなくて、勝田がびくっと固まると。
「だあーっははははっ!!
やるなあっそれっ!まさかのオチや~」
イスから落ちそうなくらい身体を揺らして藁科は大笑い。
「ははっイテてっ、ちょおっ笑わすなや。
肋骨動くと鎖骨まで響いて、あーもお骨ズレてまうやんか」
ひとしきり大笑いしてから。
藁科はゆっくりと身体ごと向き直って、勝田と視線を合わせる。
立ってる勝田を見上げる目は、さっき見せて貰った写真と同じだけど。
目元に涙を浮かべてニヒヒと面白がる顔は子供みたい。
ノーメイクで芝生髪で、大き過ぎる白シャツでも。
(うっわ、まじでエエ顔や。つーかアイドル顔つーか、ええと)
少々パニック気味な勝田の脳ミソに、また家の猫達が登場する。
寝ぼけてる時とか、たまに母親と間違えて勝田にスリ寄ることがあって。
人違いに気付くと即猫パンチして逃げて行く、でも。
一瞬でも心許してくれた表情を見ることが出来ると。
一気に可愛らしさが胸の中でバクハツする。
そーゆー時と同じカンジ。
おまけに藁科は猫パンチしないで、じっと勝田を見てる。
(この小さい道具全部めっちゃ大事にしとる感じや。
化粧とか女装するとかはオレにはよお判らんけど。
スキなもんを大事するんは、誰かて同じやんな)
勝田は急に、藁科が自分の隣の奴として近く思えて来た。
「はー笑うたわぁ。
なあなあ、このハサミ使えそ?」
藁科は笑い顔のまま、近くのヤツに声を掛ける。
それ以前に、突然の爆笑劇にクラスの連中は振り返って注目してたし。
ほんとはケガの状態が気になって、話し掛けたかったし。
そわそわと仲良くなるチャンスを待っていたトコロ。
そのまま自然と藁科を真ん中にクラスが盛り上がった。
おかげで勝田は絡み終了。
プリントのこととか伝えるコトがまだ有ったけれど。
(まあ言わんでも、机ん中見たら判るか…)
藁科がクラスに馴染めて困らないなら。
勝田が声を掛ける理由なんて無い気がした。
でも授業の様子を勝田がチラ見すると。
許可を取ってるらしくボイスレコーダーを置いて、藁科はぼんやり。
一応ノートを広げてるけれどシャーペンすら手にしてない。
とうとう昼休みになって勝田はもう一度声を掛けてみた。
「先生に言われたンで、プリントまとめとるけど足りとおか?
他に要るモンあったらクラスん奴らにも言うて集めんで?」
「あーこの机ん中の、勝田がやってくれたン?どーもな。
オレ教科書持って来てへんし、こンだけ出遅れたらもお何が何んやら」
苦笑い顔の藁科からそう返されて、勝田も気付く。
さっきポーチを取り出したバッグは確かに小さくて教科書なんて入らない。
「この肩やからさぁーリュックも何んも使えんし。
右手だけに重いン持つんも、肩が下がるんであかんしさーあ」
「午後からはオレの教科書見せるワ。気付かんでゴメン」
「ははは、何んで謝るん?
何んかして欲しーコトあったら自分から頼むし。
せやけどそおしてくれたらめっちゃ助かるワ。アリガト言わんとな。
オレ左利きやねんけど、固めとるからノートもとれん。
あーあもぉ何ンもいつも通りに出来へん~メゲルわ~」
「昼飯は?食堂行くんか?」
「パン買うて来てんけど。袋開けンのもメンドイ」
腕の不自由さにうんざりしてる藁科の口調を聞いていると。
勝田はもうアレコレ考えることなく黙って動き出して。
ガタっと机を引っ張っり藁科の机とくっつけて立ち上がる。
「オレもコンビニ飯やねん。一緒に喰お。
飲み物ン買うて来るけど、藁科は何飲む?」
「えー買うて来てくれんの?」
「ついでやし」
「カフェモカにホイップクリーム追加でチョコソースとココアパウダー」
「わかった。水道の水でエエんやな」
「あはははっせめてコーヒー牛乳にしてや~」
笑って手を振る藁科をちらっと見て、勝田は食堂横の自販機へ向かう。
不思議と足取りは軽い。
(初めて話したけど、藁科て話し易いヤツやなー。
気ぃ遣わんし、気ぃ遣わせへんし。
かと言ってガード固過ぎて取っ付きにくい訳でもナイし。
オレが何んかしても、遠慮とかお節介とか言わんでフツーやしな)
どうしてそうするのか理由を用意しなくて済むやりとりに、気分も軽い。
食堂の紙パック自販機にはコーヒー牛乳とミルク入コーヒーが並ぶ。
その違いがいまいち判らなくて勝田は2つとも買った。
藁科に選んで貰って、余ったのを自分が飲めばいい。
何んとなく。
藁科は迷ったりしないで「オレこっち」と手に取る気がする。
こーゆー時に。
どっちでもエエとか、おまえが選びとか言われるのは、勝田は苦手。
(オレゆるいからなー。
理由とか決め手とか無いもんなー。
せやけど相手が「察して」言うんを読むんはメンドーやし。
まあ、こんな自分が一番メンドーやねんけどな)
勝田の持論では。
電車で席を譲る行為自体は別に恥ずかしくはナイ。
だから座りたい時は「席譲って」的なフキダシ付けてくれたらと思う。
そうしたら自分はアタリマエに席を譲るのに。
座りたいんかな?すぐ次で降りたりして?
そんなコトを自分に考えさせないで欲しいし。
断られるのを、自分の勘違いとして背負いたくない。
だから、どうぞの一言が口から出て来なくなる。
理由なんていつも「アタリマエ」だけでエエのに。
なーんて思ってしまう。
そして藁科との間にそんな空気を感じている。
相手に期待しないで、必要なコトだけ言葉にする藁科のくっきりした潔さ。
教科書は入ってないのに、大切なメイク道具は入ってる小さなバッグ。
あれだけカワイイ顔と肯定されてるくせに、髪はバッサリ顔は怪我だらけ。
そして色白で細い身体のくせにオッサン笑いして。
素のまま、在るがまま。
(もしかして、藁科てカワイイ言うより。カッコエエんかもな)
何んとなく、藁科が隣に座っていることが勝田には楽しくなっていた。
藁科の事故は里山をサイクリング中のアクシンデント。
里山の表道は展望台もあり見晴らしも良くて、整備された観光道路だけど。
裏道は農耕地へ繋がってしまうから地元民しか使わない。
そのぶん対向車とか気にせず走れるので。
オートバイや自転車のツーリングコースとしてよく使われるらしい。
そこを下ってる時にブレーキ操作をミスって落車して。
ロードバイクは前傾姿勢だから、肩から道路に落ちて鎖骨骨折。
そして路面にこすって顔は擦り傷だらけ。
日焼けするから、ずっとサイクリングは控えていて。
そのブランクが原因なので「自業自得やねん」と藁科は言う。
昼飯を食べながらそんな話を聞いて、勝田は状況想像してみた。
街中で、細くてカラフルなフレームのロードバイクを見たことはある。
軽そうで不安定で簡単にコケそう。
頭にはヘルメットがあるけれど。
スケボーみたいにプロテクターを付けてない身体でコケたら。
(そらぁ骨折するわな)と納得してしまう。
「早よくっつくとエエな」
「ははは、そおやな」
「何ンで笑うんや?」
「いやーほら勝田って感想的なこと言わんやん?
フツーはさー、危なーとか怖いなーとか。
こおキモチの一言がまず出て来るモンやん」
「そおか?
せやかて説明聞いて納得出来てもたら、それ以上言うこと無いし」
「あはははは!
そおやねん、そーゆートコや。
キャッチボール的でエエな。
話受け止めてから、自分の言葉で返してくれるやろ。
ラリー的な会話やと、延々相手の反応に付き合うだけになるやん。
いつンなったらこのやり取り終わるンやーって飽きてまう。
ほんまに…ただズルズルやってまうンよなー…」
言葉は笑っているけれど。
藁科の顔はそうでも無いから。
勝田は、受け止めた言葉をもう返さない方がイイ気がした。
紙パックにストローを差して、ミルク入コーヒーを藁科に渡す。
「これとそれ何がちゃうん?」
「こっちは牛乳だけで甘ぁないんや」
「甘いん苦手なん?」
「いやースキやけど。飯ん時は甘いん食べたない」
「チョコチップメロンパンて甘そーやで」
「それしか残ってへんかったンや」
「オレのおにぎりと交換しよか?」
「やったー!せやけどそんなら緑茶が良かったなー」
「そこまで知らんワ」
ここまで来たら全部セットみたいなもん。
勝田はコンビニおにぎりのセロファンを外して、藁科の右手に乗せる。
「その骨折いつ治るん?」
「うーん平均3ヶ月半て言われとる」
「さんかげつぅ?もお夏休みやんか」
「手術してプレート埋め込んで固定したら2ヶ月やねんけど。
手術入院が長なるし、後でプレート抜く手術もあるからなあ。
今回キレイな折れ方やったし、位置もズレへんかったから。
とりあえずの保存療法で来週のレントゲン次第で決めるンやて。
もし骨位置動いとったり、くっつきそーやなかったら手術て言われたワ。
せやからな~今週は笑わせんなよ~オレはクール男子を貫くで~」
「いやそっちが勝手に笑たンや」
「笑うやろっあれはっ」
カメラのフラッシュがONしたみたいに藁科はまたぱぁっと笑う。
明るい真昼間なのにもっと周りが明るくなった気がして、勝田は思う。
(やっぱ、素のまンまな笑い方のが似合うワ)
「うお!すげー大怪我や~」
「あのカーブ道でガードレールの外へ転げたンやて?」
「ある意味ソレで済んでホンマ良かったなー」
大きな声と一緒にD組連中が藁科の回りに群がって来た。
カワイイ藁科クンとツルんでた連中と気付いて、勝田は黙ってパンを頬張る。
D組連中は陽キャで一括りにするには個性強過ぎな面子で。
カットモデルをしながら美容師目指してたり、油絵入選経験ある美大志望とか。
やりたいコトがはっきりしていて、勝田には眩し過ぎる存在。
そして藁科は元々そっち側だったことも思い出す。
「おー返信出来ンでごめんなあ。
この手ぇやし、もぉ何んするんもメンドーでなあ」
「それはしゃーナイけど。何んでおまえD組ちゃうねん?」
「夏休みなったら東京の専門色々見学行こて言うてたやんけ」
「はははオレが居らんで寂しーからて、そお吠えンでもエエやん」
「いやいやマジでどーしてくれんねん。
美術部紹介で展示するF50、モデルのおまえ不在で未完成なんやで」
「それはもおアレや、タイトル「未完」で出すしかナイな」
「代わりに蜜柑でも描いとけ」
「しょーもなー」
ぎゃあぎゃあ盛り上がる中で藁科はニコニコ微笑んでいる。
それはさっきのシンプルな明るさとは違って。
それこそ美術館の絵画みたいに、絞った照明の中で視線を得るための表情。
さすがモデル顔というべきかも知れないけれど。
勝田にはわざとらしく思えて、ちょっとシラケタ気になる。
「マジな話でサガルんやけど。
この怪我で親にメイワク掛けたしな。
今はあんまワガママ言える雰囲気ちゃうくて、進路の話出来てへんねん。
まーしばらく大人しくしてタイミング待つしかナイなーて。
それまでA組のフリしとくワー」
「ほんまやな?怪我治ったらまた遊ぼーや」
「そン怪我やと、おねーさんの配信にも出られへんなあ」
「姉弟でメイク比較する企画なあ、結構人気やったんに」
「おう、代わりにマジで勉強すんで。まずはドベ脱出すンのが目標や。
なー勝田よろしくな」
「へっ?」
いきなり名前を呼ばれた勝田はパンが喉に詰まりそーになる。
「隣やから教科書見せてくれるゆーし。
見てみぃジュースにストロー差してくれんやで?エエトモダチやろ」
黙々とパンを齧って気配を消していたのに。
唐突に藁科が勝田を話題に引っ張り込むから。
D組面子は眉間に皺寄せながら、勝田をガン見。
「へええええ」
「利き手の怪我やし、しゃあないわなあ」
(いや何んやねん…この扱い…。
そらぁこいつらにとったらオレは全くの部外者やし。
そもそもオレ抜きで、いつも通りツルめば良えだけやろ。
わざわざ話に登場させんなや~)
ジロジロと探るような視線を浴びて、勝田は最悪に居心地悪くなった。
昼休みもそろそろ終わり。
D組面子が、既読スルーすんなよ~とか言いながら教室へ戻ると。
藁科はジュースの紙パックが凹むくらい吸い込んで、勝田を見る。
「喋っとったから、おにぎり1個しか喰えんかったわー。
これ休み時間に喰うから持っといて」
「いや、自分で持っときや」
「どーせ勝田にセロファン外して貰わんとあかんし」
「…」
「勝田はパン食べたん?」
「食べたけど」
「外野ウルサぁて食べた気せん?」
「いや別に。オレ関係無いし」
「声とか態度デカイけど、面白いしエエ奴らやで。
せやけど今みたいに凹んどる時に喋ると、ちょおヘビーでさああ。
オレこんなに色々といっぺんにアカンよーになンの初めてで。
少おし放っといて欲しいンよなー…」
勝田に言ったのか、独り言なのか判らないけれど。
思ってるコトそのままこぼれた言葉に聞こえて、勝田はドキっとする。
親しい仲間にも言わない本音を聞いて良い立場じゃない。
たぶん自分の存在なんか忘れたタメ息の一部分なんだろうけど。
「そーゆー時あるよな」
つい小さい声で応えてしまう。
その自然な同意に、藁科は機嫌が直ったようでニヤっと笑った。
「オレこー見えてココロ狭いし懐浅いンや。
愚痴こぼす相手居ってくれて助かるワ。
それにさっきの話マジやからな、勉強教えてくれな。
東京の専門行ったら遊ぶだけやて親大反対やねん。
いちおう受験の準備せなあかんし、もー少し点数何んとかせんと」
「もっと頭良えヤツに頼み」
「怪我人に教室頼み歩け言うんか、冷たい奴やなー。
徒歩ゼロ秒の隣やねんから、ついでやん。な」
「な…て…」
それ以上の会話は、昼休み終了のチャイムに遮られてしまったけれど。
勝田の机には未開封の鮭むすびが残され。
ちょっと複雑で影を持つ藁科の苦い顔が、勝田の心の奥に残っていた。
本来藁科は自転車通学らしいけれど、さすがに今はバス利用。
でも混雑するバスは避けたいので、時間潰しに居残り勉強することにした。
「英語の進みっぷりエグイわ~。中間ん時まるっと教科書1冊範囲やろこれ」
「教科書とっとと終わらせて補強用参考書買わされるらしーで」
「うおぅ吐く~」
「トイレ行け」
「はぁこんなんヒトリやったらヤル気もせん。
勝田が付き合うてくれて助かるワ、時間大丈夫なん?」
「今は帰宅部やし。まあ復習になるしな」
「今は?前は何ンか部活しとったん?」
ボリュームたっぷりのプリント山に飽きてた藁科は耳聡く反応する。
勝田はちょっとだけヨケーなこと言うてもた、と思ったけれど。
隠すと更にヨケーな重さが増える気もしたから、さらっと返す。
「剣道部。子供ン時から道場通とったから流れで入部したけど。
ずーっと3軍枠やったし、もおエエかなーって辞めた」
それで終わるかと思ったのに。
意外と藁科は話に乗っかって来て、ぐいと顔を寄せる。
「いやココの剣道部めっちゃ強いやん。
ずっと全国上位やし、大学推薦とか警察官なるン有利とか聞くで。
練習もキツイんやろーそこで鍛えとったンやからすごいやん」
「へえ~知っとるんや。
団体やと、全国で青田買いしとる有名校には敵わんけど。
個人やったら全国優勝したOBも居るしな」
「さすが詳しーな」
「詳しなればなるほど、自分の平凡さもよお判るンや」
「そらまあ…優勝は世の中でヒトリしか出来んからなあ」
「個人競技やろ。
勝たれへん・技出せへんて自分のレベルがはっきり判る。
オレはこれ以上行かれへんなって」
「ふうん」
話の途中から、勝田は自虐強めなジブン語りが恥ずかしくなって。
カリカリとシャーペンを動かしプリント問題に集中しようとするけど。
藁科の視線が自分に固定されてるのを感じて、諦めて言葉を続ける。
「けど別に凹んどる訳ちゃうし。
何んつーか納得して決めたコトやし、どーせ勉強忙しなるトコやし。
その、ほんまにもおエエねん。
ただそーゆーのが有ったンで、剣道部の奴らと会う時とか。
昼休みの藁科のキモチがちょおっと判るつーか」
言えば言うほどイイワケ度が強くなる気がするけれど。
パサとプリントが次へ進む音がして、勝田はちょっと顔を上げる。
藁科は慣れない右手でぎこちなく電子辞書を操作していた。
「このクラス分けもそおやけどさー。
そろそろ都合良えだけの夢見るんはオワリにして。
これからは、ゲンジツん中で選んだり諦めたりして。
願えば叶うワケちゃうて、受け入れるオトシゴロやもんな。オレら。
オレ見た目こおやから。
色々やっとったけど、この怪我やし。もお全部辞めたるねん」
藁科はにまっと笑って軽いカンジで言うけれど。
その声は乾いて崩れそうな響きがあって。
ついまた勝田は言葉を投げ返してしまった。
「あーまあそおやな。
そおやけど、せやけど。
オレのばあちゃんがよお言うヤツでな。
願いは叶わんコトもあるけど、必要なコトは必ず巡って来るンやて。
せやからとりあえず先進みて言うんや。
はは、ばあちゃん2回結婚して2回とも相手が癌で死んでもて。
きっと色々思うコトあったんやろな」
勝田の目の前で、藁科の切れ長の目がまんまるになるから。
勝田の顔には冷汗が流れる。
(げ、やってもた?外してもた?方向性ちゃう?
やっぱ大怪我した奴に死ぬワードはあかんやんな。
いやいやそもそも、藁科んことまだそんな知らんのに。
オレ色々喋り過ぎや…)
「ははははっごめんごめん。
急にオレのばあちゃんなんて全然関係無いやんなっ。
そろそろバスの時間やし、片付けよか」
フォローがヘタクソ過ぎて勝田はあたふたするけれど。
藁科は何かを噛みしめるように無言で。
伏せた長いまつ毛は、降ろされた幕のように藁科のキモチを隠し込み。
放課後の気配がさぁっと消えた2人きりの距離に息が止まる。
そんなちょっとした間があって。
藁科はゆっくりと顔をあげてふっと笑った。
「ばあちゃん、めっちゃカッコエエやん。
そおやなそおかもな。
こんなに頑張ってもあかんのかーって思うた時も有ったけど。
オレにとってソレが必要や無いからやってンな。
はははそっか、よっしゃソレで行こ。
勝田、今日はありがとな。また明日も頼むワ」
「お、おう。気ぃつけてな」
「堂々と優先席座って帰るわー」
せっかくのプリントはまた机の中に放り込み。
藁科は小さなトートバッグだけ持って教室を出て行く。
左腕を吊ってるせいで、ぶかっと大きなシャツの後ろ姿は。
短い芝生髪に絆創膏でも、モデルの後ろ姿みたいに眩しく見えた。
部活を辞めた休日なんて昼まで寝るもの。
目が覚めても勝田はベッドでだらだらスマホ動画を眺めてる、と。
ガチャっと母親がドアを開けた。
「仭、起きとぉならさっさとご飯食べてや。片付かへんやろ。
そんでちょお買物ン付き合うて。猫砂買いたいねん」
「え~メンド~。
どーせ、ついでやからて他にも重い物ン色々持たせるんやろ」
「そらそおや、せっかく車出すンやから。
ほらさっさと動き。何んかおやつ買うたるし」
「それあいつらのチュールやん」
うぇーと顔をしかめながら勝田が起き上がると。
母親の足元にはシャムぽいクリーム色毛の猫3匹。
ミックスなので毛は長めで茶色の焦げ部分がそれぞれ違う。
母親と一緒だと3匹は2階にも上がって来るし、威嚇もしない。
でも勝田がベッドから立ち上がって1歩2歩と近付いて行くと。
ダッシュで逃げたり、母親の背中によじ登って隠れたり。
まだまだ当分仲良くなれそーではナイけれど。
3匹の青色の瞳には、最近少し勝田への興味が混じってる気がする。
それに元々気配りとか空気を読むとか、勝田は苦手だから。
イヤなもんはイヤやねん!的な猫達の行動は正直でイイと思う。
父親が、猫は何考えとるかよお判らんと引き取るのを反対した時。
母親は、人間の方がよっぽど考えとおコト判らへんし。
考えとおコトと言うコトちゃうから余計ややこしいし。
考えとおコト判ったとして。
そんでイチイチ相手の期待に合わせる関係て、どないやねんと打ち返し。
父親の意見は遥か遠くへ飛んで行った。
(かあさんは、ばあちゃん遺伝子で強いからなー)
そしてふと。
祖母の話に反応してくれた藁科のコトを思い出す。
(まー…隣なんやし、ついでやし。
あいつが何考えとぉかは訊くつもりも無いし。
あいつに合わせるつもりも無いンやけど)
それでも帰り際に「またあしたなー」と言って。
勝田に向けられる藁科の透明感有る瞳に、少しずつ親しさが増えてるのは。
気のせいではナイよーな気がするし。
加えて、そんなコトを気にしてる自分が何ンかムズムズしたり。している。
買物は高速インター近くのショッピングモール。
関西圏では一番大きい系列で、幅広い品揃えと色んな企画物があって飽きない。
しかも隣接して映画館やカラオケにゲームセンターまであるから。
休日になると他県ナンバーの車も増えて駐車場はいっぱいになるスポット。
昼過ぎに来たせいで、勝田家の車は遠い駐車場に停めるしかなく。
「もーあんたがダラダラしとぉから~」
母親はぶつくさ文句を言いながら買物メモをチェックして。
勝田はウンザリ顔でカートを押す。
カートには猫砂やフード、父親のビールがケース単位。
その上に嵩張るトイレットペーパーや洗剤とかの日用品で溢れそう。
カートを押す距離は長くても、駐車場と繋がる専用通路があるから何んとかなる。
ショッピングエリアからアミューズメントエリアへ入った時に。
少し離れた場所で盛り上がる大学生ぽいグループに、勝田の目が留まる。
昼間からアルコールが入っているのか、少々騒ぎ過ぎ。
チャライ男性達に囲まれている数人の女性はみなオシャレで露出度高め。
その中で1人だけオーバサイズの着こなしをしている美人は。
(え…藁科…?)
左腕を吊ってないけれど。
肩が下がらないように、腕組ぽいポーズで左肘を支えているし。
顔の絆創膏も小さいサイズになっていたから、もう外したのかも。
ウィッグ付けて傷跡を隠す化粧をしたら、スマホ写真で見た姿そのもの。
別に。
遠目で気付いたその姿が、本当に藁科かどうか。
治療中なのに腕を固定してなくてイイのかどうか。
そんなコトは、自分が気にするコトじゃないのは判っているけれど。
ただ、学校の仲間とは思えない連中に囲まれて。
盛り上がる喋りに合わせてるようだけど、人形みたいな顔をして。
藁科やと思えば思うほど。
藁科やナイと、勝田は思いたかった。
だははっ!とオッサン笑いしてる方がよっぽどエエなと呟くと。
重いカートにぐうっと力を込め、勝田はガーっと勢いよく駐車場へ向かった。
駐車場で荷物を車へ積み込んでいると、懐かしい声で呼ばれる。
「勝田さん?わあ、お久しぶりや~」
「あらまあ小林さん」
「2?3年ぶりやろか?全然お変わり無いねえ」
「ありがとー!小林さんもなあ、いっつもステキやわあ。
もしかして、そっちは輝さん?まあああ!益々綺麗なって~」
「ご無沙汰してます」
女性3人集まったその三角形の安定感と強固さと言ったら。
変わりナイから始まって、変わったコトの話題が次から次へと尽きなくて。
こうなると荷物持ち役は気配を消して、喋りが途切れるのを待つしかない。
そんな心境で勝田は少し下がった位置で沈黙する。
小林さんは、勝田が通っていた剣道場一家。
道場指導者が事故で早くに亡くなってからは、この奥さんが責任者になり。
古参のベテラン剣士が代理指導者になって運営している。
そして目の前に凛とした姿で立つ輝さんと、その姉である灯さん姉妹は、
大阪府警剣道部所属でここ数年不動の全国1・2位に君臨する女性剣士。
相続や時代背景で、個人経営の武道場なんて消えて行くばかりなのに。
この剣道場は関係者に支えられて地元に根付いている。
だから、学校で剣道部に入部したからと剣道場を辞め。
今はその部活も辞めてしまった勝田はかなり居心地が悪い。
コッチに話を振って来ンなよ~と願うばかり。
(数年ぶりやで?何ンでこんなトコで会うんや…)
「さっきからなあ、猫つながりさんとよお会うンや」
「そうそう私もや~2が付く日は猫用品セールやもんな」
「あははっみんな同んなじやねえ」
(そーゆーコトか…)
勝田は懐かしい剣道場を思い返してみる。
大きな剣道場と、少し離れた場所にこじんまりした小林家の住居。
その間には更衣室やシャワルームに防具保管場所とか在って。
剣道場も外観は古いけれど設備は最新でしっかり手入れされていた。
そしていつも何処かで猫が日向ぼっこ。
よく覚えているのは白黒柄でメンドウコテツキと技名が付いた4匹。
勝田がそんな回想に浸っていると、輝さんの視線を感じた。
「仭くん、もし竹刀握りたぁなったらいつでも道場おいでな」
「えっあ…はあ」
「しばらく握ってへんやろ?手ぇ見たら判る」
「あー…はい」
まっすぐな輝さんの視線に耐え切れず、勝田は下を向いてしまうけれど。
小林さんの奥さんは優しい笑顔。
「イマドキやからねえ、うちも色んなコト始めとるんよ。
稽古が無い平日の昼間はインバウンド向けの体験会やろ。
夜は仕事帰りの会社員さん用にストレス発散会とか。
忙しい生徒さんは回数券制で、時間に融通利かせるよおにしてなあ。
剣道に興味持ってくれた人がキモチだけで終らんと。
一度でも体験して貰うたり、気軽に戻って来れたらなあて思うンや」
「小林さん、頑張って道場守ってるんやねえ。すごいわあ。
せやけどなあ、このコは試合でも勝たれへんかったし。
いつの間にか部活も辞めてまうし。ほんまユルうて意志弱いンや。
もう1回始めるとか無理やわぁ」
無言の勝田に代わって、母親が苦笑いで応えるけれど。
輝さんはじっと勝田から視線を動かさない。
「確かに仭くんは、勝負には向いてへんかったかも知れんけど。
鍛錬いう意味では誰よりもまっすぐやったで。
自分で決めた稽古は、誰が見とらんでもやり切っとった。
勝ち負けで向き合うンは苦手でも。
自分とはいつでもしっかり向き合うとった」
輝さんは静かにでも力のこもった言葉を勝田に渡し。
ちょっと口調と視線を柔らかく変えると、勝田の母親に笑顔を向けた。
「仭くんは弱ぁないですよ」
「そ、そおやろか。あはははっ良かったなあ仭。
あんた、誰かに褒めて貰うンて久しぶりちゃうか~。
こんなにちゃんと見て貰うとったンやから、素直に喜びや。
生意気盛りやから、家では毎日イヤミの言い合いばっかやけど。
ははは何んか私まで照れてまうワ」
家庭内ヒエラルキーTOPに君臨する強気な母親が照れ笑いしている。
そんな母親をチラ見して、勝田も耳が熱くなってしまった。
週明け登校してきた藁科の顔からは絆創膏が無くなっていた。
逆に肌の色がすっきりして見える。
「顔、何ンかちゃうな?」
「ちゃうて…コンシーラーだけやで。
顔交換したみたいにゆーな、アンパンマンちゃうで。
そおか勝田はこーゆーのん全然知らんのな」
一瞬呆れ顔になったけど、藁科はにやっと笑ってポーチを出した。
「それ開けてみ」
「何んでや」
「まあまあ、勝田に新しい世界を教えたる」
「要らんワ」
「ほんならお礼や。いっつも、あ今週も教科書見せて貰うし」
「今更よぉ言うワ」
「まあええやん。オレの趣味に付き合うてや~」
藁科が余りにも楽しそうに話すので、勝田は黙ってポーチを開ける。
「チャリでコケた時の擦過傷な。
まずはキズパワーパッド貼るやろ」
「あー聞いたコトあるワ。湿潤療法とかいうヤツな」
「そお。傷乾かすと皮膚組織再生しにくーなってな。
元の肌との差がデカなって傷跡も濃いーになるんや」
「ふーん」
今は勝田の剣道具はクローゼットの奥に押し込まれているけど。
子供の頃から竹刀を握り、素足で床を蹴って来たから。
勝田の手はマメ跡だらけで分厚いし、足裏もゴワカチ。
身体のあちこちに打ち身の痣も残ってるし。
重くて嵩張る剣道具の持ち運びは、気付かない間に腕や足に傷を作る。
今更傷跡がどーとか言われても。
そんなのはもう身体の一部で正直。
とりあえず真剣顔の藁科を眺めるだけ。
メイク道具は細長かったり、丸かったり四角だったり。
全然統一感が無いのにポーチ内にきっちり収まっていて。
左利きやから~と、シャーペンすら持とうとしない藁科なのに。
右手で器用に取り出して並べ、くるくる回してキャップを外す。
「これなトリートメントコンシーラー言うんやけどな。
皮膚の表面て再生しても、なかなか元通りには成らんねん。
そーゆー時にコレでカバーするんや。
再生したばっかの弱い皮膚を乾かんよーに保護して。
紫外線とかの外刺激で色素沈着せんよーに安定させたるんや」
意外と小難しい単語を混ぜて藁科は熱心に語り続ける。
その様子にふと勝田は気付く。
道具を扱う藁科の爪は形良くつるんとしてる。
指も細くて関節を感じないほど真っすぐで。
手の甲なんて絹布みたいに光沢がある。
(藁科の手ぇとか爪とかキレイやな、よお手入れしとるンやろな。
自然で一番良え状態に成っとる。
剣道具かてそおや、ボロおて傷だらけでもちゃんとケアしたら。
それまでの時間が沁み込んで味わいあるキレイさに成るもんな)
その想いに連なるように、輝さんの肯定的な言葉も思い出される。
(輝さんは、オレが自分と向き合うとったて言うてくれた。
確かにあの頃は自分に足りんコトを考えて。目指すトコはっきり有って。
少しでもマシんなろーて、毎日アホみたいに黙々と稽古して。
それで充実しとったなあ…。
自己満足でしか無いけど、良え時間やった。オレには必要な時間やった。
試合で勝ついう願いは叶わんくても。
強う成りたいいうキモチのお陰で良え稽古が出来たんや。
今のオレはどおやろ?
別に今更あの頃の青臭い自分に戻りたいワケちゃうけど。
あの頃大事しとったコトはちゃんと沁み込んどるやろか?)
ひとり頭の中で想いを巡らす勝田に、藁科はムスっとした顔を近付けた。
「ちょおー話聞いとーかあ?」
「聞いてへん」
「てめー」
「傷跡てそー悪いもんかぁ?
コレはコレで思い出言うか、自分の一部やん」
「そらそぉや。どーやったって消したり無かったコトには出来んもん。
それはそれでずうっと自分にくっ付いとる。
たださーあ…」
藁科はメイク道具をひとつずつ大切そうに触れる。
「たまーにさあぁ。
ここンとこがもぉ少しこーやったらなーとか思う時あるやん?
そーゆー時くらいはメイクで誤魔化すンも有りやと思わん?
メイクしたらこっち見て貰えたンや。
勝田から、ばあちゃんの言葉教えて貰うた時な。
正にソレやて思うたんや。
オレどんなに願うても絶対叶わへん憧れが有ったんやけど。
メイク覚えたら、ほんま一瞬でもこっち見て貰えた。
きっとその為に、ヘアメイクと出会うたんンやなーて。
それでオレやっと気ぃ済んだんやあ」
藁科の声はだんだん小さくなって独り言みたいになった。
勝田は、そんな大きな傷跡なんか?と思って更に顔を近付けると。
先週まで絆創膏があったところも、顎下のカサブタももう判らない。
「カモフラージュみたいやな」
「カメレオンみたいにゆーな」
「そおは言うてへん。
自分を変えた言うても、元の自分を無くしとるワケちゃうし。
憧れに近付けた言うても、どないしても。自分は自分やし」
「何んやそれ。無駄な努力やったて言いたいんか」
「いや努力に無駄なんて無いて知っとるし」
「えらい自信満々で言うなぁ?」
勝田は机の上に並ぶ、自分の厚くてゴワついた手と藁科の細い手を見比べる。
どっちもこれまでの経験やキモチを握り込んできた手。
どんな結果でも気が済むまで握り続けた手。
これからも何かを掴んだり手放したりして、皺や傷や痣を付けて変って行く。
そうやって藁科らしい手に成るし、自分の手もコレにしか成らない。
化粧の下にはそんな自分が在る。
「化粧で誤魔化しとるて言うとるけど。
藁科は素のまんまでも可愛い思うで」
「はぁっ!?急にヘンなコト言うなーっ!寒イボ立ったやんけーっ」
藁科はびっくりし過ぎて青ざめて喚くけれど。
クラスメイトはちらっと見るだけ。
もはやこのA組では、藁科と勝田が机並べて。
こんな風にわーわー絡んでるのがもう日常風景になっていた。




