大将、聞いた?
その週末も、気づけば足はあの居酒屋に向かっていた。
「大将、いつもの」
「おう」
いつものホッピー。いつもの焼き鳥の匂い。カウンターに座り、湯気の向こうで動く大将の背中を、なんとなく眺めていた。
ふと、あの神社で拝んだ時の感覚が、蘇ってきた。
体が軽くなる感覚と、何かが入ってくる感覚。あれを、ずっと「厄払い」か何かだと思っていた。でも、本当にそうだったのだろうか。
大将のことを思い出す。噂を聞いても、次のループでは綺麗に忘れてしまう大将。後輩も、女将も、宮司でさえも、この話を最後まで、しっかりとした形で語り終えることができていない。誰もが、途中で忘れる。途中で諦める。途中で「変な話だから」と流してしまう。
みんな、聞いてはいる。でも、誰も、ちゃんと語り継げていない。
その時、ストンと腑に落ちるものがあった。
夢が訴えていたのは、何か恐ろしいことの予兆なんかじゃなかった。ただ、この話を――誰かが見て、誰かに聞かせて、また別の誰かに伝わっていくという、その一連の流れそのものを、誰かがちゃんと最後まで受け取って、語り終える必要があった。それだけだった。
これまでの自分の投稿は、全部、何かを「証明しよう」「警告しよう」としていた。だから、届かなかったのかもしれない。
そう思うと、あの日、神社で感じたものの正体が分かった気がした。あれは厄払いなんかじゃない。役目を託された感覚だったのだ。
「大将」
「ん?」
「前に、みんな同じ夢見てるって話、してたじゃん」
「ああ、あれな。相変わらず変な話だよなあ」
大将は今回もまた、それがまるで最近初めて聞いた話であるかのように、軽い調子で笑った。それでいい、と思った。大将が覚えている必要はない。自分が、ちゃんと聞いて、ちゃんと伝えればいいだけだ。
スマホを取り出す。SNSのアプリを開く。
指を止めることはなかった。深く考えることもなかった。ただ、大将から最初に聞いた時と同じ温度感で、聞いた話をそのまま打ち込んだ。
「大将、聞いた? みんな同じ夢見てるらしいよ」
そのまま、投稿ボタンを押した。
いつもなら、数字は動かない。今回もきっとそうだろうと思っていた。
スマホをポケットにしまい、ホッピーを呷る。大将の話に相槌を打ちながら、それ以上、画面を確認することはしなかった。
翌朝、目が覚めた。
いつもの天井。いつもの部屋。
スマホを手に取る。昨夜の投稿を、なんとなく開いてみた。
数字が、動いていた。
いいねの数が、ひとつ、またひとつと増えていく。見ている間にも、コメントがひとつ、ふたつとついていく。
「これ、俺も見た」
「うちの近所でも噂になってた」
「懐かしい、また始まったんだ」
見ず知らずの誰かたちが、口々に、同じ話への共感を書き込んでいた。
初めて、届いた。
その瞬間、胸の奥に居座っていた、あの重たいものが、すっと軽くなるのを感じた。神社で感じたのと、同じ感覚だった。
季節は、まだ秋の途中だった。だが、なぜか分かった。今年のこの現象は、これで終わる。
自分だけが覚えていた、あの奇妙な数ヶ月。誰にも共有できなかった孤独な確信。それらすべてが、今ようやく、役目を終えたのだと思った。
ちょっと後味悪くてすみません。
でも、何か起きるにしたくなく、この形で締めました。もし、こんな形がよかったなとあれば、感想にでも書いてもらえると次の作品に繋げます。




