弐の七
ヴ―― ヴ――― ヴ――――
瞬間。
「!」
耳を劈くような高音であるのに、腹の底に響くような重さを伴った音が、辺りを支配した。反射的に、布団を跳ね飛ばして寝台から飛び降りる。
わたしが近くにあった軍服を手に取った時には、既に璃々子さまは着替えを済ませていた。
(早い)
慌てて寝間着を脱ぎ捨て、軍服を着ていく。日々の訓練はわたしの方が積んでいるはずなのに、一年の差はこんなところで出てくるのか。
「璃々子さま、この緊急警報は……」
「この周波数なら緊急招集ね。思いがけない妖魔の大量発生の合図よ。これまでなら一年に一度あるかどうかのことで、私も経験するのは二度目」
軍帽を被り、小銃を背負った璃々子さま――真宮寺准尉が視線だけ振り返る。
「先に行くわ。遅れたら罰があるわよ、綾小路准尉」
「はい!」
緊急警報。緊急招集。珍しいくらいの妖魔の大量発生。
胸が逸る。
ようやく活躍の機会が巡ってきたのかもしれない。
*
「午後十一時三分、我々の担当区域に五〜八体ほどから成る妖魔群が複数、同時に出現した。恐らく南方方面軍の目をすり抜けて出てきた妖魔かと思われる。周辺住民の通報で明らかになった」
現在時刻、午後十一時二十分。
訓練場に集められた第五中隊に状況を説明しているのは第五中隊副長の中尉だ。既に中隊長は軍医としての任務で上層部の方々に駆り出されているらしい。
「第十から第十五小隊が既に対応しているが、恐らく手が足りん。経験が少ない若手もいるだろうが、今回は形はどうあれ任務に就いてもらう。各小隊長の指示に従い――」
「……まさか、これから実戦なのか」
隣で囁く声。ちらと見ると、悠真さまが――否、小御門准尉が緊張の面持ちで立っている。「実際の戦闘に即した訓練は、ここではあまり行われてなかったのに」
「どうでしょう。その辺りは小隊長の采配ですので、なんとも言えないわ」
「……櫻子。君は、恐ろしくないのか」
悠真さまの声は僅かに震えている。
「情けないけど。僕は、手の震えが止まらない」
「……もしかしたらその方が、健全なのかもしれませんね」
妖魔が怖いかどうか。わたしにはよくわからない。
ただ今は、自分の価値を証明したい。それだけが強く、胸にある。
「第一小隊、傾注ッ」
「ハッ」
「当隊は第十二小隊及び十三小隊の支援任務に当たる。目的地点では十数体の妖魔が確認されており、既に先行小隊は戦闘行動を開始している。我々の任務は彼らの取り零しを狩り、帝都の民を守ることだ」
(支援任務……)
取り零しを狩る、ならば実際に戦う可能性は低い。悠真さまの表情が幾分か緩んだが、わたしとしてはやや不満だった。
命令を無視して突っ込んでいく訳にもいかないし、これでは実力を示す機会もない。
「現場に急行するぞ。霊力で身体強化し、しかとついてこい」
「――ハッ!」
帝國護士軍には、霊力や妖魔の発する毒素から、そのある程度の位置と強さを割り出す探知機が存在する。
探知機を持つことができるのは、少尉以上ということになっている。が、陸海軍と違い、護士軍には下士官以下が存在しないため――つまり、護士軍内に限っては准尉が最も低い階級ということになる――昇進して小隊長になれば、すぐに探知機を持つことができるのだ。
しかし。
「小隊長殿! 距離五〇〇、妖魔の反応が八体分あります。第十二、十三小隊は……戦闘不能が二名ほどいるようです」
「流石だ真宮寺! 探知機要らずの感知能力だな」
「恐縮です」
――生まれつき霊力の高い者のなかには、人の持つ霊力や妖魔の持つ魔力を感知できる者がいる。異能とはまた違う、霊力そのものを扱う才能。
やはり護士軍では素質が物を言うのだ。一度認定されれば、階級問わず国の宝となれる【五色の雄】しかり。
「見えました! あれです!」
「!」
走りながら、目を見開く。
深夜であるのに、戦闘があるその場所だけひどく明るかった。距離があるはずであるのに、軍服を纏った同僚が、得体の知れない黒い化け物と交戦しているのがわかる。
炎が、風が、土が、水が、雷が飛び交う。
(あれが……妖魔)
聞いていた通り、様々な形だ。狼のような姿のものもあれば、蝙蝠のようで鳥のようなものもいる。共通しているのは、聞き取れない呻き声を上げていること、黒い霧のようなものを纏わせていること。あの霧こそが、身を蝕む毒の霧。
(形が違うのは、確か、喰らったものの形状に近くなるから、だったかしら)
つまりこの世にいないような異形は、様々なものを食っているためにそう成ったのものなのだろう。
であれば人を多く食らった妖魔は――。
「押してるな……」
「ええ」
悠真さまの呟いた通り、第十二小隊、第十三小隊の隊員たちは確実に妖魔の数を削っているように見えた。
なるほど第一、第二小隊とは動きが違う。彼らのような人たちが『ぼんぼん部隊』のお守役というというわけか。
「これなら、僕らの支援もいらないんじゃ」
「仕事がないことはいいことだ」こちらの囁き声を拾ったか、小隊長が口を挟んでくる。「しかし油断はするなよ。いつ状況が変わってもおかしくはないのが実戦だ」
「は、ハッ」
悠真さまが慌てた様子で敬礼をするが、この期に及んであの妖魔群にあの小隊が負けるとはわたしにも思えなかった。
怪我人は出ているようだが、そこまでの損害でもないのだ。戦況が覆されることはないだろう――、
「小隊長……」
しかし。
何故か、小隊長を呼ぶ璃々子さまの声が震えている。
「何だ」
「に、西から接近しています。数体、大きな反応です!」




