弱さ
「野山さん、お願いがあるんだけど」
突然、真正面から声が降って来た。
一瞬それが自分に向けられたものなのか判別がつかなかったけれど、私の名前を呼んでいるってことは私に向けられたものなのだろう。
読んでいた文庫本からおそるおそる視線をあげると、学級委員長である佐々木さんが優しい微笑みを浮かべていた。
「……な、なんでしょうか……?」
今日一日誰とも話していなかったから小さくかすれた返事しかできなかったけど佐々木さんはそんなこと微塵も気にしていないかのように話を進めた。
「野山さんに劇の脚本書いてほしいなって思って」
「げ、劇の脚本……?」
「そう。さっきのホームルームで、文化祭でうちのクラス劇やるって決まったでしょ?」
「そ、そうだったっけ……?」
「そうだよ~。ちゃんと話聞いてた?」
「えっと……まぁ、一応……」
中学の文化祭で何をするか、なんて話は私みたいな地味でクラスカースト最底辺の人間には縁もゆかりもないものだ。
だから窓の外をボーっと眺めたりしてほとんど聞き流していたんだけど、面と向かって佐々木さんには言えないし……話題を逸らそう。
「で、でも……な、なんで私、なの……?」
そう尋ねると佐々木さんは、よくぞ聞いてくれました! とでも訴えるかのように目を爛々と輝かせて身を乗り出してくる。
「私ね、野山さんには脚本を書く才能があると思うの! ほら、野山さんって成績すごくいいし、それにいつもよく本を読んでいるし。そういうところを諸々総合して考えた結果、野山さんがいいんじゃないかって思ったの!」
確かに私は本を読むのが好きだけど、よく読書しているからと言って、それと同じように自分で表現できるかと言われれば全くの別問題だ。
それに私は物書きに関しては全くの初心者。
それだけの理由で脚本を書ける才能があるだなんて言いすぎだと思うけどな……。
「わ、私よりも適任の人がいるんじゃ……?」
「そう? 私は野山さんほどのピッタリの人はクラスにいないと思うんだけどな」
「えっと……。あ、ありがたい話だけど……わ、私には、無理だよ……」
「そんなことない! 野山さんなら絶対にいい脚本書ける! 文化祭実行委員会の私の目に狂いはないはずだから!」
「え、ええっと……」
逃げ切りを図ろうと煮え切らない態度を続けていたんだけど。
佐々木さんはパン、と勢いよく私に手を合わせてきた。
「おねがい! 私もできる限りサポートするからさ!」
どうやら本当に私が脚本担当でいいと思っているようだ。
佐々木さんのここまで必死な態度には思わず、そこまで言ってくれるならやってみようかな、なんて一瞬思う。
目の前に困っている人がいれば助けてあげたい。
しかも期待してくれているのならなおさら助けたいと思うのは自然なこと。
だけど……もし失敗しちゃったら? 期待を裏切っちゃったら?
こういう時、決まって私の中の弱い自分が足を引っ張ってくる。
そして、結局私はいつもそんな自分に負けるのだ。
「ご、ごめん……なさい……。私、できない。脚本なんて書いたこともないし……。頼ってくれたのに……ごめんなさい……」
震えそうになる喉を必死に抑えて目線を落としながら謝ると、佐々木さんはさっきまでの勢いとは裏腹に控えめな口調で告げた。
「……そっか。ごめんね、なんか無理言っちゃって。分かった。じゃあ別の人探してみるよ。ありがとう、野山さん」
ありがとうなんて、私、別に何もしていないのに。
背を向けて去っていく佐々木さんの姿に心がチクリと痛んだ。
放課後になってすぐ、私は校舎裏のウサギ小屋に向かっていた。
職員室で鍵を借りて、小屋の扉を開けると真っ白な体毛に包まれた小さなウサギがぴょこぴょこと近づいてくる。
この子の名前はサリーちゃん。
一か月ほど前にこの学校にやって来たウサギだ。
「サリーちゃん、お待たせ。はい、今日のおやつ」
小さく切ったニンジンをあげると、小さな口でもぐもぐと美味しいそうに食べている。
その愛くるしい姿に、チクチクした不快感が少しだけ和らいでいくのを感じる。
私はこうして毎日ここに通っている。
一応私はクラスの飼育係をしてるからたまに餌をあげに来ないといけないんだけど、わざわざおやつまであげに来る必要はない。
でもどうしても来たくなってしまう。
だって、私には友達がいないから。
サリーちゃんにしか話せないことがあるから。
「サリーちゃん。私、またやっちゃった。佐々木さん、あんなに熱心に私のこと誘ってくれたのに、断っちゃった……。すごく感じ悪いよね……」
ため息をつくと、サリーちゃんが私の方を向く。
サリーちゃんが心配してくれてるわけないって分かってるけど、今の私はそう思うことで自分を心配してくれる誰かがいると思うことで心の安寧を保っていた。
「本当はね、私、脚本書いてみようかなって思ったの。いっぱい本読んでたらさ、自然と自分でも書いてみたいって思っちゃうじゃん?」
サリーちゃんは相変わらず私のことをじーっと見つめている。
「だけど断っちゃったの。自信がなかったから。もし私の書いた脚本が面白くなかったら? 構成がうまくなかったら? 私のせいで劇の準備が遅れてクラスのみんなに迷惑をかけちゃったら? そうなったらもう、どうにもできないよね」
言葉にしてみて初めて気づく自分の気持ち。
いや、うすうす気づいていたのかもしれないけど気づいていないふりをしていた。
思い返せば思い返すほど、私という人間は弱くてみじめでちっぽけなんだと思い知らされる。
「私ってなんなんだろ……生きてる意味ってあるのかな……」
胸の底にたまった弱音を吐きだすみたいにぼそりと口にすると、サリーちゃんがそっと手のひらに近づいてきた。
今の言葉の意味を分かっているのかいないのか、ただもっとおやつが欲しいから私に近づいてきたのかは分からない。
だけどこの子のあたたかな体温と体の柔らかな感触が落ち込んだ心にじんわりとしみ込んでくる。
サリーちゃんを撫でつつ、改めてこの子のことを観察してみる。
真っ白で小さくて、耳がちょっと変な形をしているけどとてもかわいい子だ。
普通ならこんな愛らしい子がいたら寄ってくる子の一人や二人はいると思うんだけど、私の知る限りそんな子は私以外にはいない。
それはサリーちゃんの背中にある傷跡が原因だと思う。
今は毛で隠れて見えないけど正直かなり痛々しくてグロテスクだから、みんな腫物のようにサリーちゃんを扱っているのだ。
「君は悪くないのに、みんなひどいよね?」
サリーちゃんはぴょこんと耳を動かして、私の手に体を寄せて来てくれる。
一緒にいればとても温厚でいい子だって分かるのに、みんな絶対人生損してるよ。
ちょっとした優越感とサリーちゃんの可愛さに癒されながら、私は思っていたことを口にした。
「サリーちゃんが話せたらな……。私、君と話したいことたくさんあるんだよ?」
言葉を投げかけてもサリーちゃんは黙ったまま。
だけど私にとってはそれだけでいいのだ。
この子が近くにいるだけで、なんとか頑張ろうってそう思えたから。
「じゃあね。また明日ね」
惜しむように別れを告げて、私が帰ろうと立ち上がったその時、嘲笑と侮蔑を存分に含んだ声が私の背中にぶつかった。
「なにしてるの、野山さ~ん?」
振り向かないでも声の主は分かっている。
同じクラスの大橋さんだ。
大橋さんは意地の悪い笑みを浮かべながらこちらにやって来た。
「またその畜生と一緒にいるの? 野山さんも変わり者だね~。私なら無理だな、そんなきったない動物に触るなんて。あーやだやだ、気持ちわるー」
大橋さんの言葉に呼応して取り巻きの二人の女子がケラケラとあざ笑う。
彼女たちは放課後いつも決まって私をからかいに来るのだ。
正直鬱陶しいし関わりたくはないけど、そんなことを言えるはずもなく私は沈黙を貫き続ける。
「そいつ、ウサギにしては変だよね。耳も変な形だし、背中に傷あるし。あっ、そういうことか。私気づいちゃった~。野山さんって変人だから、変同士でくっついてるってわけか。なるほどね」
彼女の言葉に耳を貸すだけ無駄だ。
さっさとどっか行ってよ。
そう心の中で唱えているまさにその時だった。
突然、飼育小屋の金網がガシャン! と大きな音を立てて揺れたのだ。
「なんか言えっての! 黙ってればいいと思ってるわけ、ねえ!?」
大橋さんは怒りの表情で金網に蹴りを加えている。
いつもならこんなことはせずに帰るのにどうやら今日は少し荒ぶっているらしい。
でも口をきいたところで時間の無駄だというのは分かり切っているので私は黙り続けた。
これが最適解で誰にも迷惑をかけることなく、私だけが嫌な思いをするだけで済むから。
だけど今回に限ってはそれは間違いだった。
私は私の大切な宝物のことを考えていなかった。
「私のことなめてるわけ? それとも口もきけないほど馬鹿なのかな、あんたは!」
大橋さんが再度金網を蹴りつけ大きく揺らす。
するとその音にサリーちゃんがびくりと震える。
「! サリーちゃん……!」
私はとっさにサリーちゃんをかばうように抱きしめた。
そうだ、私はよくてもこの子にとって今の状況は恐怖でしかない。
そんなことも考えられなかったのか、私は……!
「ごめんね、ごめんね……」
反省と後悔で支配されている私をよそに、彼女たちは格好の獲物を見つけた喜びを声ににじませる。
「『サリーちゃん』だって。きもちわる~い! ねえ?」
「ホント。よくそんな汚いの持てるね」
「臭そ~。においとか移んないの?」
「移ってるでしょ。だから野山さん、臭いんだ。くっさ~! アハハ!」
彼女たちの行動は次第にエスカレートしていき、私たちに罵詈雑言を浴びせたり、金網を蹴り続けたり、砂をかけてきたりした。
けれど私はただひたすらに時間がたつのを待った。
明確な悪意を向けられても制服が砂で汚れても、サリーちゃんを守り続けた。
別に自分がどれだけ傷つこうが構わない。
でもたった一人の友達だけは、大切なものだけは守りたかったから。
それからどれくらいたったのだろうか、彼女たちは興味がなくなったのか身を翻した。
「なにこいつ……キショ。さっさと死ねよ。いこっ」
彼女たちの姿が見えなくなったのを確認してから私は再度サリーちゃんを抱きしめた。
「大丈夫だから。私が絶対に守ってあげるから」
そう言ってあげた時、サリーちゃんの震えが止まったような気がした。
家に帰ると、私は一直線に自室に向かい机で読みかけの小説を開いた。
これがいつもの日課だ。
現実の世界では辛い気持ちやどうしようもない後悔ばかりが心を蝕んでいくけれど、フィクションの世界は違う。
その世界のキャラクターたちはいつだって格好良くて、強くて、勇気があって、困っている人たちを助けている。
小説でも、漫画でも、アニメでもいつだって彼ら彼女らは私の理想としている姿を見せてくれるのだ。
そんな彼らに私はあこがれると同時に、その世界に逃げるように飛び込んだ。
そこに入り込めば彼らに自己投影できるから。
私もキャラクターの一人になれて、現実世界ですさんだ心の傷が満たされていくような気がしたから。
理想が叶う世界が、私はとても好きだった。
「はぁ……面白かった……」
小説を読み終えた私はほのかな満足感を覚える。
いつまでもこの気持ちに浸っていたい。
でもすぐにそれを打ち消すかのように今日の後悔と罪悪感が押し寄せてきた。
佐々木さんのお願いを断ってしまったこと、大橋さんとの一件。
それらを思い出した途端、満足感は霧のように消え去ってしまった。
「あの時、どうすればよかったんだろう……」
今更になって最適解を探そうと頭の中でシミュレーションを繰り返す。
だけどどれだけ考えても結局は一つの結論に行きついてしまう。
「私がもっと強ければいいのになぁ……」
そうすれば佐々木さんのお願いにも自信を持って頷けただろうし、サリーちゃんをあんな目に合わせることもなかっただろう。
あの時脚本を書きたい、と言えて後悔もしなかったはずだし、砂まみれになることもなかっただろう。
結局は私が弱いからこんなことになってしまっているのだ。
机の上の鏡に自分の顔が映っている。
「ひどい顔……」
目に光はほとんどなく、現実に打ち破られたことがそこかしこから漂っている。
憧れの物語の主人公とは正反対の表情をしている自分のことを鑑みて、自分に失望すると同時に思う。
私も彼らのように強くて、勇気があって、困っている人を助けられる、そんなヒーローになりたい。
まあ、私の場合は女子だからヒーローじゃなくてヒロイン……いやそれだと少しニュアンスが違うかな。
女の子のヒーローといえば……魔法少女だ。
「魔法少女になれたらいいのにな……」
叶わぬ独り言が口をついて出たその時だった。
「魔法少女になりたいの?」
聞き慣れない子どものような声が聞こえた。




