そして
そうしているうちに私は、民書委員というルーア皇帝にさらに近い立場になった。
皇帝の側近のような立場に民書官というものがある。ありとあらゆる政治決定は皇帝によってなされるが、減ることはなくても日々増える仕事は当然ながら一人で裁くことは不可能である。それをサポートするための民書委員があり、それを統括するのが民書委員長である民書官なのだ。民書官になればおおよその政治的決定に関与することができる。血統のみで受け継がれる皇帝に次ぐ、事実上の支配者と言っても過言ではない。私の目指すところはそこだ。
帝政思想に出会ったのは私が民書委員のころだ。その思想について簡単に言ってしまうと、現皇帝を中心とした貴族の特権を守る思想だ。偉い者はいつまでたっても偉く、落ちぶれることはないと言うその思想に私は心酔した。
しかし、その思想に心酔する私を咎める者がいた。母のエヴェリーナだ。
自らの行いのせいで社交界を追われたにもかかわらず貴族社会を恨み続けた母は、貴族制度など廃止してしまえ、貴族のみで権利を独占するなど嘆かわしいと私を叱責した。だが、そう言いながらもチャリントン家での裕福な暮らしを謳歌しているのだ。
その姿が哀れに私は見えてしまった。この人は世間を知らない。謳歌しているこの生活もすべてが貴族制度の上に成り立っていることを知らないのだ。母の言う通り、貴族制度が解体されればすべて没収されるということを知らないのだ。それとも、自分は関係ないとでも思っているのだろうか。
哀れだ。
私は母の言う通り、帝政思想を離れた。
そう。母の言うことは絶対。母の前でだけは。
民書委員での実績を積み、未来は盤石になったかのように見えた。しかし、すべてがうまくいくわけではない。
不運なことに四十四歳のとき、私が民書官になるあと一歩のところでチャリントン家が事業に失敗したのだ。私は名前こそチャリントンだが、民書委員の中ではかなり上にいてほぼ独立状態だった。政治家の口利きでチャリントン家の救済は行われてもいいが、独立しているのでそれがされることはなかった。結果的にチャリントン家は多額の負債を追うことになった。
母はスタニスラフに離婚を一方的に宣言し、息子を連れて出て行くと言い張りチャリントン家を出て行った。またしても哀れなことに、誰一人彼女を追いかけてはこなかった。知らぬところで盛り上がっているだけだと思っていたが、連れ子であった私の名前はメレデントに戻ることになった。そして、母は私たちのもとに身を寄せることになった。母は私に縋り付き、私を叱責した。
「お前が帝政思想を信奉していたのは知っていた。あれほど憎んだ貴族社会をなぜまだ信じるのか。そのおかげで離婚することになった。だが、幸いにもお前は出世した。これからは母の言うことを聞けなかったと反省しながら、面倒を見ろ」と。
母を養うのは構わない。私は彼女を受け入れ、屋敷でともに暮らし始めた。これまではチャリントン家の資産で好き放題していたが、出世したとはいえ一政治家でしかない私の稼ぎは比にはならない。母は世間こそ知らずとも身の置かれた状況を理解し、贅沢をすることはないだろうと思っていた。しかし、相変わらず贅の限りを尽くした。よくできた妻のエリシュカはそれに対しても何も言わない。それをいいことに、私が何か言ったところで聞く耳を持たなくなっていった。家計はすぐさま火の車となった。
だが、私たちの間にできた八つになる息子も育てなければいけない。どこからか必要となる金を工面しなければいけないのだ。
そうしていくうちにエリシュカは見る見るやつれていった。息子もあれはダメこれはダメという母の過干渉により、暴れることが多くなってしまった。そんな折、なんとチャリントン・インダストリーは息子のスヴァトスラフへと代替わりしてすぐに魔力雷管式銃の開発に成功し、再び巨万の富を得ることに成功したのだ。そして帝政ルーアの諜報機関である特別情報親衛警邏に銃を卸したこときっかけに政治の世界にも手を出し始めたのだ。
日増しに大きくなる発言力に私は恐れた。彼らはかつて離婚した母のことは触れようとはしない。だが、これからも大きくなると私の立場が脅かされると思った。
それに大きくなればなるほどに母が話に立ち入ろうとして傍若無人なふるまいをするのは容易に想像できる。政治的立場が大きくなれば、そこへ離婚のことを盾に割り込み、何をするかわかったものではなかった。このまま母親を匿い続けると出世の道は途絶えてしまうだろう。
ある晩のことだ。倉庫でエリシュカが母にいびられていた。
こうなると普段はエリシュカの味方をするのだが、そのときばかりは私は不運にも母の味方をした。
さらに不幸が重なったことに、倉庫にあった木箱の上に銃弾が一発だけ込められた魔力雷管式銃を置き忘れたまま、私はそこを出て行ってしまったのだ。
あの日使用された銃弾は暴発で処理され、ほどなくして母は病死ということになった。
母の死を公表すると、世間は哀悼の意で埋め尽くされた。病床の母を懸命に支え続けていたことを女中たちが街の中で噂をしたことで私の評価は上がることになり、民書官としての地位を与えられたのはその一年後だった。
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