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第二十八話「レファナ・グラス」

 北の都の郊外に建つ、グラス公爵邸。

 前回はセイナ夫人に呼ばれて訪れたが、今回は事前にこちらから訪問の旨を伝えている。


 向かう途中の馬車の中でも、邸宅への道でも、リンはいつもよりも静かだった。

 緊張しているのだろう。

 あるいは——覚悟をしているのかもしれない。


 門扉に着くと、前回と同じように老齢の使用人が出迎えた。


「お久しぶりです。リン様」


 老齢の彼はリンを見て、ひどく懐かしそうに目を細めた。


「……久し、ぶり……ロウさん」


 ロウさんと呼ばれた彼はわずかに目に涙を溜めながら、だがそれでもピンとした姿勢のままだった。

 ロウさんは一度瞬きをし、私へと体を向ける。


「ユーフィリア様も、ようこそおいで下さいました」

「はい。ありがとうございます」


 ロウさんが洗練された所作で中へと招く。


「お二方とも、どうぞ中へ」


 ロウさんに案内され、私たちは広い廊下を進む。

 通されたのは、以前と同じ応接室だった。


 その部屋の中央で、ザビア公爵が待っていた。

 彼は私たちの姿を見ると立ち上がる。


「よく来た。二人とも」

「ご都合いただき、感謝いたします」

「そう畏まらずともよい。ここは、あくまで私的な場だ」

「ご配慮、ありがとうございます」


 ザビア公爵に促され、私とリンは席につく。


「積もる話はあるが、年寄りの長話に若者を付き合わせるわけにはいかん」


 そう言って、ザビア公爵は肩をすくめた。


「それで、何の話が聞きたいのかね?」


 私は居住まいを正し、ザビア公爵を真っ直ぐに見据える。


「リンの、お母様のお話をお聞きしたく」


 その言葉に、ザビア公爵が鋭く目を細める。


「……レファナの? なぜだね」

 低く重厚な声に、私は知らず息を詰めた。


「先日の夢幻洞窟の調査で、リンの時間停止の力の対策に特化したモンスターが現れました」

「レス殿から聞いている。相当苦戦したのだとか」


 私は一つ頷き、続ける。


「ですが、リンが勇者の称号を発現してから夢幻洞窟までは、たったの三ヶ月ほど。そのような短い期間に、あれほどの存在を作り出せるとは思えません」


 ザビア公爵は一度息を吐くと、重く口を開いた。


「つまり、君はレファナがリンと同じような力を持っており、それを利用されていると考えているのだな」

「……その通りです」


 私の肯定に、ザビア公爵は一度目を伏せる。


「……レファナの名を出すのは、久しいな」


 それから、ゆっくりと語り始めた。


「レファナは、六年前に突如家を出て行った」


 その言葉に、リンの指先がわずかに震える。


「冒険者だったのは、二十歳までの五年間。その後、我が家に嫁いだ。短期間だったが……あれは、間違いなく最強だった」


 ザビア公爵は遠くを見るように目を細める。


「”絶避(ぜっぴ)の剣姫”。そう呼ばれていた」


 リンの瞳が、わずかに揺れた。


「姿を消してからは消息は不明だ。手を尽くしたが、何一つ掴めなかった」


 部屋の空気が重くなる。


「……一つ、聞いてもよろしいでしょうか」

「なにかね」

「ギルドのレファナさんに関する情報は、もしかして秘匿されているのでしょうか」


 ザビア公爵が大きく目を見開く。


「異名を持つほどの実力者を、職員の私が噂すら聞き覚えがないなんて、少し不自然かと思いまして」

「……そうだ。レファナに言われ、失踪する三年前に秘匿するよう私からギルドに申請した。私はなぜ、忘れていたんだ……」


 驚愕するように、ザビア公爵がひとりごちた。


「申請の理由は?」

「……思い出せん」


 私の問いに、眉間に皺を寄せる。


「……記憶が、不自然に歪んでいる」


 ザビア公爵が視線を落とし、鋭い目つきで呟いた。

 だが一度かぶりを振ると、すぐに私へ視線を戻した。


「とりあえず、ユーフィリア君にのみレファナの情報を公開するようギルドに申請しよう」

「感謝いたします」


 ザビア公爵は一度深く息を吐く。


「もし何か掴んだら、私にも知らせてくれ」

「わかりました」


 一つ頷くと、ザビア公爵が立ち上がりロウさんに話しかける。


「見送る」

「かしこまりました」


 ロウさんは一礼し、先に部屋を後にする。


「玄関まで送ろう。ついて来てくれ」

「ありがとうございます」


 ザビア公爵の後ろをついて、広い廊下を戻る。

 その途中。


「……ユーフィリアさん」


 背後から名前を呼ばれた。

 振り返ると、そこにはセイナ公爵夫人が立っていた。


「少し、よろしいかしら」


 その目は、わずかに伏せられていた。


「……ええ。構いません」


 私はそう答え、リンに先に馬車に向かうようお願いした。

 リンは少し迷うように私とセイナ夫人を交互に見ていたが、最後には頷いてこの場を後にした。


 リンとザビア公爵がいなくなると、セイナ夫人が口を開いた。


「廊下ではなんなので、こちらの部屋で」


 そう言われ、私は書斎のような部屋へと通される。

 セイナ夫人は扉を閉めると、真っ直ぐに私と向かい合った。


 そして——

 セイナ夫人は、深く頭を下げた。


「先日は、心無い言葉を浴びせてしまい、申し訳ありませんでした」


 思わず、私は目を見開いた。


「頭を上げてください」


 慌ててそう言うが、セイナ夫人は頭を下げたままだ。

 私は、その姿を見て言葉を探す。


「……正直、その時はショックを受けましたけど……でも、セイナ夫人のおっしゃることもわかりますので」


 血の繋がった家族。

 公爵家という立場。

 冒険者という職業。


 どれを取っても、セイナ夫人の言葉は間違いではなかったから。


 セイナ夫人が、ようやくゆっくりと頭を上げる。


「それに、私も随分と生意気を言ってしまいましたので……その……おあいこ、という形にしていただけると」


 私がそう言うと、セイナ夫人は驚いたように目を見開いた。

 そして、ふっと微笑む。


「……ありがとう。ユーフィリアさん」


 その笑みには、どこかリンに似た面影を感じられた。


「いえ。それに……リンは可愛いので、セイナ夫人の心配も理解できると——」

「そうよね?!」


 私の言葉に、セイナ夫人が食い気味で身を乗り出した。

 呆気に取られる私を置いて続ける。


「リンちゃんは昔からほんっとうに可愛くてね……あ、そうだ。リンちゃんの小さい頃の写真があるのよ。見る?」

「写真ですか?! ぜひ!」


 リンの小さい頃という言葉に、急速に意識が追いつく。


 さすが公爵家。

 写真なんて高価な品を所持しているとは。


 セイナ夫人は嬉々として本棚から一冊の冊子を取り出し、私に差し出した。

 丁寧に受け取り、ページをめくる。


 そこには——たくさんの小さな天使がいた。


「か、可愛い……」

「でしょう?」


 自分よりも大きなぬいぐるみを抱えている幼いリン。

 絵本を真剣な顔で読んでいるリン。

 泥だらけになって、それでも得意げに笑うリン。


 セイナ夫人も私も、完全に口元が緩んでいる。


 だが。

 ある一枚で、私は指を止めた。

 そこには、若い女性と並ぶリンの姿。

 女性は剣を腰に携えている。


「この方……」


 私の呟きに、セイナ夫人は目を細めた。


「……ええ。その子が、リンちゃんの母親のレファナです」


 写真の中のレファナさんは、凛としていた。


 整った目鼻立ち。

 鋭さと優しさが同居する瞳。


 その面立ちは、確かにリンによく似ていた。


「この方が、リンが探している人……」


 私は、その姿を忘れないよう目に焼き付けた。


◇ ◇ ◇


 公爵領からの帰り道。

 馬車の中で、リンがぽつりと呟いた。


「おばあちゃん、と……なに……話してたの?」

「……秘密」

「……えぇ……?」


 いたずらっぽく笑った私に、リンは眉を寄せて唇を尖らせた。

 その反応に、つい口元が緩んでしまう。


「……教えて」

「だーめ」

「……けち」


 そう言って、リンがそっぽを向く。

 その仕草があまりに愛らしくて、私はくすりと笑った。


「ごめんごめん。リンが可愛いから、少し意地悪したくなっちゃった」


 リンは、半眼でこちらを見る。


「……教えてくれたら……許す」


 私は観念したふりをして、肩をすくめる。


「リンは可愛いな〜って話してたの」


 そう言うと、リンは「ふん」と言って拗ねたようにまたそっぽを向いた。


「ほんとだって〜。写真も見せてもらったんだから」


 その瞬間。

 リンがはっとしたようにこちらを向いた。


「子供の、頃の……?」

「うん」


 私が頷くと、リンの頬が一気に赤く染まる。

 次の瞬間、両手で私の目を塞いだ。


「忘れて……!」


 恥ずかしそうな、絞り出すような声。


「……それは無理な相談だね」


 あの可愛さを忘れるなんて、誰にもできやしないさ。


 私の言い草に、リンは顔を真っ赤にしたままぽこぽこと私の胸を叩いていた。


◇ ◇ ◇


 拠点に戻ったのは、日がすっかり傾いた頃だった。


 長旅の疲れが残る中、扉を開けると、玄関に一通の封書が置かれているのが目に入った。


 分厚い上質な紙。

 赤い封蝋には、見慣れた紋章が刻まれている。


「……ギルド」


 リンが小さく呟く。


 差出人は『冒険者ギルド』。

 宛名は——リンと、私。


 封蝋で閉じられたそれは、重々しい雰囲気を醸し出していた。

 私とリンは顔を見合わせ、封を開ける。


「……緊急招集」


 内容は、簡潔だった。


 ——冒険者ギルド本部に来るように。


 指定されている日付は、明日。


 ……私まで呼ばれるということは……きっと、例の黒幕のことだ。


 嫌な予感と大きな不安が、じわりと胸を締め付けていた。


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