第二十三話「覚悟」
公爵邸へ、私は地面を蹴って駆ける。
息は上がり、肺が焼けるように熱い。
——リン。
顔を見て、ちゃんと話したい。
傷つけてごめんって。
本心じゃなかったって。
——リンと一緒にいたいって……会って、そう伝えたい。
「リン……!」
その時、私はふと通信石に手をかけた。
リンが今、それを身につけているかはわからない。
それでも——早く、リンの声が聞きたくて。
「リン!」
わずかな沈黙。
……それから、掠れた声が返る。
『……ユフィ?』
胸が、跳ねた。
それと同時、前方に三人の人影が目に入った。
リン。
そして、グラス公爵夫妻。
通信石越しに、はっきりと老婦人の声が聞こえた。
『冒険者なんて野蛮で危険なことはやめて。我が家に帰ることが、リンちゃんにとって一番幸せなんだから』
甘く、包み込むような声音。
『もう、無理しなくていいんだよ』
その言葉に、私の中で何かが弾けた。
勝手な憶測で、勝手に憐れんで……
ふざけるな……!
「あの!」
声が、思ったより大きく出た。
三人が同時に振り返る。
私は膝に手をつき、肩で息をしていた。
それでも、顔だけは下を向かない。
真っ直ぐ、三人を見据える。
「冒険者になることは……リンが、選んだことです。勝手な同情で……リンのこれまでを、否定しないでください」
息を整えながら、私は言葉を伝える。
空気が、ぴんと張った。
でも、視線は逸らさない。
言葉も——止めない。
「それと、将来のことは心配せずとも大丈夫です」
そう言いながら、私は数歩、前に出て——
ぐいっと、リンを抱き寄せた。
「リンのことは、私が必ず幸せにするので」
セイナ夫人が、呆気にとられたように目を見開く。
リンが、腕の中から私を見上げる。
「……ユフィ?」
奥が揺れているリンの瞳に、私の胸が痛む。
「……リン。酷いこと言って、ごめん。逃げてごめん……傷つけて、ごめん」
リンは、私の言葉に首を横に振ってくれる。
それでも——私は続ける。
「私は、もう逃げない。もう迷わない」
自然と、腕に力が込もる。
「私は——リンと、一緒にいたい」
目を逸らさずに、問いかける。
「リン……私と、一緒にいてくれる?」
リンが、唇を震わせる。
その時、セイナ夫人が口を開いた。
「あなた、何を——」
「セイナ」
だが、低い声が遮った。
「これは、我らが決めることではない」
——ザビア・グラス公爵。
威厳が宿るその瞳が、リンを射抜く。
そして、問いかける。
「リン。お前は、どうしたい」
抱き寄せた腕の中で、リンの身体がわずかに震える。
私の服を掴む指が、ぎゅっと強くなる。
それでも——リンは、顔を上げた。
「……わたし、は……ユフィと……一緒に、いたい」
その場に、静かな風が吹いた。
公爵は目を閉じ——
「……そうか」
ひとつ、そう呟いた。
そして、ゆっくりと目を開く。
「その道は、こちらの道よりも険しい部分も多いだろう。命の危険も、多分にある」
その視線は、心の奥を見透かすような強さを孕んでいた。
「それでも、覚悟があるのだな?」
リンは視線を逸らさずに、確かに頷いた。
「はい」
それを確認すると、公爵は次に私へ顔を向けた。
「それと、そちらのお嬢さん」
鋭い視線が、私を射抜く。
「名は?」
「ユーフィリアです」
私は背筋を伸ばし、逃げずに視線を返す。
公爵は、ゆっくりと口を開く。
「ユーフィリア君。君もそこまで言うのなら、当然覚悟があるのだな?」
「もちろんです」
その答えに、公爵が静かに私の瞳の奥を覗く。
すると——口元がわずかに緩んだ。
そして、次の瞬間——
公爵が、深く、最敬礼を行なった。
「Aランク冒険者リン殿。並びに、ユーフィリア殿」
公爵は威容に満ちた姿で続ける。
「グラス公爵の名において依頼する。我が領地を脅かさんとする、不届き者を排除せよ」
体の奥底を震わせるその声に、私とリンは同時に頷く。
「はい!」
「うん!」
公爵は一度だけ笑みを深めると、静かに身を翻した。
セイナ夫人は一度口を開きかけ、だが、何も言わず公爵の後に続いた。
去っていく背中に、リンが小さく呟く。
「……ありがとう、おじいちゃん。おばあちゃん」
私は、その言葉を胸に刻む。
「……覚悟」
公爵に問われたものを、口に出してみる。
……重い。
けれど、もう逃げたりしない。
「……ユフィ」
「なに?」
「来て、くれて……嬉しかった」
リンが、深く微笑んだ。
その顔に、胸がきゅっと締め付けられる。
——もう二度と、手放したくない。
私は、リンを強く抱きしめた。
「遅くなってごめん」
リンは驚いたように目を見開き——
それから、おずおずと私の背中に手を回した。
リンの高い体温が、私の体にじわりと広がる。
しばらくそうしてから、どちらからともなく身体を離した。
「……戻ろっか」
リンがこくりと頷いて、私たちは並んで歩き出す。
「示さないとね」
「……うん」
私たちの背中を押すように、柔らかな風が吹き抜けた。




