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バイブル・コード  作者: 中門大良
第4章【世界の境界】

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4-1.泥濘の再会

 叩きつけるような雨が、スラムの汚濁を洗い流していく。

 アーカイブ崩落の衝撃と、下水道への決死の逃走。リュウの意識は混濁し、肉体は限界に達していた。街中のセンサーが網膜を焼くような警告色を放ち、逃げ場を失った彼の耳元で、突如としてノイズ混じりの声が弾けた。


『……リュウ! 聞こえる!? 応答して、リュウ!』


 それは執行官用の公式な指令ではない。エナが独自に構築した非公開回線が、抹消されたはずのリュウの端末プロトコルを強引に書き換え、割り込んできたものだった。


『右の路地よ、監視カメラの死角へ入って! ……いい、そのまま真っ直ぐ。地下通路のハッチを開けたわ。そこへ滑り込んで!』


 途切れがちな彼女のナビゲーションを唯一のしるべにして、リュウは北三区の境界にある廃工場へと辿り着いた。錆びついた鉄扉の前に立つと、センサーが彼を捉える前に、内側から重い扉が静かに開いた。


 工場の奥、重機に隠された一角に、不自然なほど高精度のモニター群が並んでいる。そこが、エナがリュウを救い上げるために用意した「セーフハウス」だった。


「……無事で良かった」


 扉を閉めるなり、エナが駆け寄ってきた。その顔にはいつもの不敵な笑みはなく、ボロボロになったリュウの姿を見た瞬間、隠しきれない動揺が走った。


「座って。……ひどい怪我。よく私の指示についてこられたわね」


 エナは崩れ落ちそうになるリュウの肩を支え、手際よく簡易ベッドへと誘導した。


「……すまない、エナ。……君が導いてくれなければ、今頃バイブルのゴミ箱行きだった」


「謝らないで。……私が、あなたを死なせたりしない。管理局の追跡がどれほど執拗でも、ここでは手出しできない。この場所の信号は、バイブルの目には『ただのノイズ』にしか見えないように偽装してあるから」


 エナは手際よくリュウの濡れた服を脱がせ、応急処置を始めた。左脇腹の痣は、ジンの浸食によって赤黒く腫れ上がり、脈打つような熱を放っている。彼女は痛みを和らげるように、丁寧に、かつ迅速に処置を進めていく。彼女の献身的な振る舞いに、リュウは強張っていた体の力が抜けていくのを感じた。


「……悪い。少し、横にならせてくれ。チップは、そこに……」


 リュウの声は途切れ、強烈な睡魔と疲労が彼を襲った。エナの細い指先が、彼の瞼を優しく撫でる。

「ありがとう、リュウ。……目が覚める頃には、答えを出しておくわ」


 数時間後。

 リュウの意識を浮上させたのは、低く唸るようなコンソールの駆動音と、エナの切迫した声だった。


「……リリス、もう一度計算して! なぜ座標が書き換えられたの!?」


『……再計算完了。対象(ジンの本体)は三時間前、適合者の離反を検知した直後、移送されました。バイブルは現在、エリア・ゼロ深層の再定義を行っています』


「あ、リュウ、起きたのね。……事態は最悪よ」


 駆け寄るエナの顔は青白かった。彼女はリュウが持ち帰ったチップの解析結果と、最新のエリア・ゼロの構造図を同時にモニターに映し出した。


「あなたが眠っている間に、管理局が動いたわ。ジンの本体を、これまでの収容区画からさらに深い——未踏領域の最下層へ沈めたのよ。……リリス、現在の深度は?」


『……計測不能。通常の物理空間の定義を外れつつあります』


「リリス……? 新しい協力者か?」


「私の自作AIよ。管理局のサーバーから拾い集めたデータを組み上げた、私の唯一の『家族』」


『おはようございます、リュウ。リリスと申します。どうぞ、よろしく』


「ふっ……さっきの脱出ルートも、あなたに渡した抑制剤の調合も、リリスの演算があったから間に合ったの」


 エナは少しだけ自嘲気味に笑い、リュウのバイタルデータをモニターに重ねた。


「……正直に言うわね。リリスの予測だと、今のあなたの状態はかなり危ういわ。痣の浸食速度が、私の計算を追い越して跳ね上がっている。このままじゃ数日で、あなたの意識は消えてしまう……」


 エナは言葉を切り、唇を強く噛んだ。その仕草が、かえって事態の深刻さを物語っていた。


「……でも、リリスが導き出したシミュレーションが一つだけあるの。もし移送されたジンの本体をその鎖から物理的に切り離せれば、供給元を断たれたあなたの中の残穢ざんえも霧散する……かもしれない。……賭けになるけど、リリスは、助かる道はそこしかないと言っているわ」


 確証はない。たが、これまで何度も自分を救ってきたエナと、それを支えるリリスの言葉には、抗いがたい重みがあった。


『……ケッ、そんな機械の言うことを信じろってのか。……だが、そのリリスってのが、今まで俺たちをバイブルの目から隠してきたってんなら、バカにできねぇな。……乗ってやるぜ。リュウ、お前だって、こんなガラクタに飲み込まれて終わりたくねぇだろ?』


 沈黙を守っていたジンが、リリスの功績を認めるように、皮肉混じりの同意を告げた。


「……ああ。自分を失う前に、全てにケリをつける。エナ、そのリリスが指し示すルートを教えてくれ」


 リュウの決意に、エナは深く頷き、そっと彼の手を握った。


「ええ。全力でバックアップする。……必ず二人で、自由を掴んで」


 エナの優しい声に、リリスの無機質なセンサーの光が静かに重なる。

 解析モニターには、エリア・ゼロへと続く暗いダクトの構造図が、冷徹な光を放ちながら浮かび上がっていた。

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