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志耀伝(続・ある転生から始まる三国志後記)  作者: 満月光
それぞれの道
31/31

暁王宮の一日

同じく六年後の成都。

王宮の庭で、瀟洒(しょうしゃ)な衣装を身に(まと)った女性と一人の少女が、(まり)遊びに(きょう)じていた。

鞠を手にして、少女に向かって軽くそれを蹴り上げたのは耀春(ようしゅん)だった。

すらりとした長身と細面(ほそおもて)の美貌。

耀春は、すっかり大人の麗人(れいじん)へと成長していた。

少し離れた庭の隅では、季煌(きこう)小媛(しょうえん)(ひざまづ)いて二人に眼を()っていた。

そこから少し離れた場所では、大きな白い狼が二人を見護(みまも)るように端座(たんざ)していた。


「おい、大丈夫なのか。耀耀(ようよう)はあのようにはしゃぎ回って…。相手は帝妃様(ていひさま)だぞ。昔の耀春ではないのだぞ。」

「良いんじゃないの。その帝妃様が、耀耀を連れて来なさいって、自ら(おっしゃ)って下さったのだから…。それに帝妃様になられたと言っても、耀春はずっと耀春のままよ。」


その時、並外れた身の丈の大男が庭に入って来た。

金髪で碧眼(へきがん)のその大男は、耀春の前で(ひざまづ)いた。

「外出の準備が出来ました。着替えをなさったら直ぐに出発できます。」

辿辿(たどたど)しいながらも、きちんとした中華語でそう言ったのはシドニウスだった。


「分かりました。直ぐに着替えて来ますね。耀耀、今日は写生に連れていってあげます。こんな天気の良い日の写生は、本当に気持ちが良いものですよ。」

耀春にそう言われた耀耀は、嬉しそうに(うなづ)いた。

動き易い七分袖(しちぶそで)の上衣とゆったりとした洋袴(ようばかま)に着替えた耀春は、(そば)に控えた数人の女官達に向かって微笑んだ。

「では、出発しましょうか。」


「今日も護衛は、シドニウス様だけで宜しいのですか?」

一人の女官がそう尋ねて来たが、耀春は笑ってそれに応えた。

「この方以上の護衛がいますか?例え百人の賊が襲って来ても、シドニウス殿ならば、一瞬で打ち払うでしょう。それに露摸(ろぼ)も一緒です。この二人に勝てる相手など、想像もつきませんね。」

出発した一行の先頭にはシドニウスが立ち、一番後方では露摸がその白い毛並みを輝かせながら、周囲に(にら)みを効かせていた。

「どちらに出掛けるのですか?」

そう尋ねる耀耀に、耀春は前方に見える小山を指差した。


「あの小山の向こうに草原があって、そこに秋桜(コスモス)が群れ咲いているのです。とても気持ちの良いところですよ。耀耀も、今日は絵筆を取ってみましょうね。お花を上手に描くこつを教えてあげましょう。」

耀春の言葉を聞いて、後ろから歩いていた季煌が、期待するように顔を挙げた。

それを見た小媛が、季煌の脇腹を(つつ)いた。

「あんたが期待してどうするの。帝妃様は、耀耀に教えて下さると(おっしゃ)っているのよ。」

「そう言うな…。耀春、いや帝妃様から画法を教えて頂くなど二年ぶりなんだぞ。しかも帝妃様の絵は、最近になって益々洗練されて来ている。新しい画法を目の前で見てみたいと思うのは当然ではないか。お前だって、そう思っているんだろう。」


「そうそう…。今日はお弁当もあるのですよ。シドニウス殿が、私の父様の店に取りに行って下さいました。きっと美味(おい)しいものが、沢山(たくさん)詰まっていますよ。楽しみですね。」

耀春がそう言うと、耀耀は期待に眼を輝かせてシドニウスを見た。

シドニウスは大きな笑みを浮かべて、背負った葛籠(つづら)をぽんと叩いた。

「今日の潘誕殿は、物凄く張り切っておられましたよ。(みかど)や重臣の方々の分も一緒に持たされたので、先程届けておきました。新作料理も入っているそうですよ。」


やがて一行は、小山の坂道に辿り着いた。

此処(ここ)から先の道は、耀耀にはちょっときついかも知れませんね。シドニウス殿、耀耀を肩に()せて下さいますか。」

それを聞いた耀耀が、びっくりしたようにシドニウスを見た。

「大丈夫。怖くなどありません。以前は、私もシドニウス殿の肩によく載せて頂きました。とても高くて、風景が違って見えるのに感動しました。最近は載せて頂くことも無くなってしまいましたが…」

耀春の言葉に、シドニウスは困った表情になった。

「帝妃様になられたお人を肩に載せるなど…。そのような不敬なことは出来ません。」


シドニウスの肩に座った耀耀の歓声を聞きながら、一行は小山を越えて目的地である草原に辿(たど)り着いた。

そこには見渡す限りの秋桜(コスモス)の海があった。

女官達が画帳と絵具を取り出し、耀春と耀耀に絵筆を差し出した。

露摸が、その二人を見守るように腰を下ろした。


()ず、絵の構成を決めましょうね。耀耀は、一本の秋桜と群れ咲く秋桜、どちらを描きたいですか?」

「一杯に咲き誇る秋桜を描きたいです。」

「それでは、絵に深みを出す為に、紙の上方四分の一は空けましょう。此処(ここ)の部分が向こうに見える丘の(いただき)です。この頂から下に行くに従って大きく花を描いて行くと良いですよ。そうすると遠近感が強調されて、描き手がお花畑の中にいるようになります。色合いは、下に行くほどに濃く、上に行くほど薄くしてみて下さい。」


そう言いながら手本の絵を描いて行く耀春の手元を、季煌と小媛が真剣な眼で覗き込んでいた。

一刻ほど絵を描き続けた後、耀春が筆を止めた。

「そろそろお腹が空いて来ましたね。お楽しみのお弁当にしましょうか。」

シドニウスが、葛籠(つづら)から三段重ねになった大きな弁当箱を取り出して蓋を開いた。

弁当箱の中身を(のぞ)き込んだ一堂から、一斉に歓声が上がった。

その匂いを嗅ぎつけけた露摸が、相伴(しょうばん)を求めて耀春達の(そば)に歩み寄った。


その頃、王宮の庭の縁台(えんだい)では、志耀(しよう)が重臣達と共に、潘誕から差し入れられた弁当の木箱に(はし)を延ばしていた。

「相変わらず、潘誕殿の料理は見事なものだ。それに盛り付けが素晴らしい。益々腕が上がっているのではないですか?」

「誠にそうですな。いやぁ、この焼き魚は実に絶品ですな。上にかけられた黄金色(こがねいろ)の汁と横に添えられた果実の輪切りが一体となって、濃厚でありながら爽やかさも感じる。新作料理が入っているとシドニウス殿が言っていたが、これがそうでしょうか?」

姜維(きょうい)が弁当箱の一角に詰められていた焼き魚の切り身を口に運んで、顔を(ほころ)ばせた。


牛酪(バター)と言うのだそうです。羅馬の料理人から教えて貰ったとか。牛の乳を容器に入れて振ると、脂肪が分離してくるそうです。それを練って作ったのが、牛酪と聞きました。魚の切り身に小麦の粉と香辛料を(まぶ)してから、牛酪で焼いたのがこの料理だそうです。何とも食欲を(そそ)る香りですね。」

それを聞いた志耀が、ほぅと驚きの表情を作った。

華真(かしん)の兄様は、何故(なぜ)そのような事を知っているのです。もしや最近、潘誕殿の店に行ったのですか?」


華真が(うなづ)くのを見た志耀は、少し()ねたように言った。

「どうして一緒に連れて行ってくれなかったのです。(ずる)いではないですか。」

志耀にそう言われた華真は苦笑した。

「店の定休日に、華鳥から招待されたのです。飛仙の父から、久々に会いたいと言われて…。普通の日は大勢の客で混み合っていて、とても店には入れないですからね。(みかど)をお誘いする事までは、思いが回りませんでした。」

それを聞いた志耀は、不貞腐(ふてくさ)れたように横を向いた。


そこで思い出したように、王平(おうへい)が口を開いた。

「潘誕の店と聞いて思い出しました。あの店に中々入れず癇癪(かんしゃく)を起こした大店(おおだな)の道楽息子が、愚連隊(ぐれんたい)を雇って店に嫌がらせを仕掛けた話、もう耳にされていますか。」

それを聞いた志耀が膝を乗り出した。

「ほぅ…。それはまた向う見ずな事を。それでどうなったのです?」

「潘誕殿とシドニウス殿が二人で立ち向かったようです。一瞬で決着したそうですよ。店に押しかけた二十人余りの連中が、あっという間に叩き伏せられて、地面に伸びたそうです。」

「さもありなん。あの二人にたった二十人で(いど)むなど…。百人部隊でかかっても勝てるかどうか分からないというのに。自業自得(じごうじとく)ですね。」

「その場には、露摸(ろぼ)もたまたま一緒にいたそうですが、欠伸(あくび)をしながら二人の活躍を見ていたそうです。」

流石(さすが)ですね。自分の出番などないと、最初から分かっていたのでしょうね。」


大笑いする一堂の中で、呂蒙(りょもう)が、急に居住(いず)まいを正して志耀に向き合った。

呂蒙の様子を見た志耀が、首を(かし)げた。

「はて、私は何か、呂蒙爺に叱られるような事をしたか?」

呂蒙は、真剣な表情のまま志耀に尋ねた。

「帝が、耀春妃を(きさき)に迎えられたのは、いつの事でしたかな?」

「うむ…。一年半ほど前になるか。それがどうかしたのか?」

「どうしたではありません。後継ぎはどうなっているのです。一番大事な事ですぞ。」


呂蒙に詰め寄られた志耀は、神妙な顔になった。

「分かった。努力する…。」

「また、そのような通り一遍の言葉を…。もっと真剣になって下さい。政務など、ここに居られる姜維殿と華真殿に任せておけば良いのです。帝は、(わし)が生きている間に、後継ぎのお顔を見せて下さる気はないのですか?儂も老い先が短い身なのですぞ。」


そう言われて志耀は苦笑した。

「呂蒙爺からそのように言われるのは心臓に悪い。しかし大丈夫だ。」

「何が大丈夫なのです?」

「爺は、(いま)だ心身共に矍鑠(かくしゃく)としているではないか。後十年は大丈夫だ。」

「十年…。そんなに待てと(おっしゃ)るのか。これは、儂への(いじ)めですぞ。」


「今日の爺は、随分と(から)むのだな。分かった、分かった。鋭意努力する。」

「努力して下さいませ。今後は陽が落ちて後の執務はおやめください。姜維殿も、華真殿も(よろ)しいですな。」

そう言われて呂蒙に(にら)まれた姜維と華真は、下を向いて笑いを(こら)えた。

その時、何処(どこ)からともなく風に乗ってきた秋桜(コスモス)の花びらが、弁当の料理の上に舞い降りた。




潘誕の店は、今日も朝から忙しい。

「おぅい、恭舜(きょうしゅん)魚籠(びく)の魚の鱗取(うろこと)りを頼む。亮苑(りょうえん)は、料理で出す器を確認してくれ。」

恭舜と亮苑。

この二人は、潘誕が新たに店に雇い入れた者達だった。

そうは言っても、まだ二人共に子供である。

潘誕の店の繁盛を眼にした常連客達が、自分達の身内を競うようにして推薦して来た中から、華鳥が選んだ二人である。

子供とはいえ、かなりませた二人だった。


「亮苑、もたもたするな。今日は年に一度、帝妃様が里帰りされる日なんだぞ。しかも(みかど)まで御一緒なんだ。ほうら、愚図愚図(ぐずぐず)するな。」

恭舜に()かされた亮苑が、ついつい愚痴を漏らした。

「今日は、本当は定休日なんだぞ。帝妃様だけなら、普段通りの父上の料理が良いと必ず(おっしゃ)る筈だ。それが帝まで一緒に付いて来られるなど。自分よりも先に華真様が新作料理を口にしたのが、余程お気に召さなかったらしい。」


それを聞いた恭舜が不思議そうな顔になった。

「何でお前が、そんな事を知ってるんだ?」

「前に潘誕様が、新作の魚の焼料理を弁当に入れて帝にお届けした時だ。華真様が、その料理が何なのかを説明した途端に、帝が不機嫌になったそうだ。どうして一緒に店に連れて行ってくれなかったのかと、帝が()ねたらしい。」

それを聞いた恭舜は、一旦は納得顔になった。


「今度こそは、華真様に先駆けて新作料理を口にしたいという事か。しかしお前。何故(なぜ)そんな事を知っている?ははぁ、耀耀(ようよう)だな。そんな事は王宮の人間しか知りようがない。耀耀の母者から耀耀が聞いた話の受け売りだな。また会いに行っていたんだな。しかし、耀耀は(いま)だ幼い娘ではないか。そんな娘に、お前はもう懸想(けそう)しているのか?」

恭舜にそう指摘された亮苑が口籠(くちごも)った。

それを見た恭舜が小さく笑った。

図星(ずぼし)という事か。」


そんな二人の後ろから、華鳥が()かすように声を掛けた。

「二人共、無駄口を叩いてないで()ずは手を動かしなさい。ぼぅっとしたままならば、昼の(まかな)いからおかずを減らすわよ。」

それを聞いた二人は、慌てて立ち上がった。

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