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女神の贈り物

使節団代表の五人が会議室を訪れると、部屋の中では何恭(かきょう)耀春(ようしゅん)が待っていた。

「本日の(うたげ)披露(ひろう)した絵を描いた者達です。」

華真がそう紹介すると、マルクスはおぉと声を挙げて直ぐに何恭の(そば)に近付いて、その手を取った。

御国(おんこく)の自然が見事に表現された素晴らしい絵でした。しかも、それを無数の絵皿を使って構成するとは…。使節団一同、心底(しんそこ)より感動致しました。」


マルクスから手を取られた何恭は、当惑した表情でマルクスを見返した。

「勘違いされておられますな。この(たび)の絵の全ての指揮を取ったのは、こちらに()ります耀春なのですが…。」

何恭からそう言われて、マルクスは眼を(またた)いた。

そして、何恭の隣にいる耀春に眼を移した。

「こ、この(たお)やかな少女が、今回の絵の指揮を…。こ、これは、大変失礼を致しました。」


マルクスが焦ったように頭を下げると、直ぐに華真が耀春を手招いて前に出るように促した。

「信じられないかもしれませんが、(まぎ)れもない事実です。」

華真がそう言うと、耀春が一歩進み出てマルクス達に向かって優雅な拝礼を行った。

マルクスも他の四人の代表達も、呆気(あっけ)に取られた表情で耀春を見詰めた。

そこで、華真が何恭に向かって手で合図を送った。


華真の合図を受けた何恭は、直ぐに手元から二本の絵軸を取り出すと、それを卓の上に拡げて行った。

卓の上に(さら)された絵を観た使節団代表の五人の顔に驚愕の色が走った。

「こ、これは…」

絵軸を拡げ終わった何恭が、眼の前に立つ五人に一礼した。

「本日お披露目させて頂いた絵皿による二つの山水画の本来の元絵(もとえ)です。此処(ここ)に居る耀春の手による物です。此れを、絵画処の絵師達が総出で壁一杯の大きさに描き写しました。その後、その絵を分割して各々を皿へと描いたのです。」


「これが、壁に描かれていた壮大な芸術の元絵…。しかしこれもまた、何とも言えず引き込まれる絵ですな…。」

クイントスが、眼の前の二枚の絵に見惚れるように見入った。

「この二つの元絵ですが、今宵の記念に羅馬(ローマ)に進呈します。」

華真がそう言うと、マルクスが感無量の息を吐いた。

「このようなものを贈って頂けるとは…。ローマの皇帝陛下にお見せすれば、今宵の我らの感動を必ずお伝えする事が出来ます。」


「この二つの絵を通じて我らの歓待の心をお届け出来れば、この上ない喜びです。それともう一つ…」

そう言った華真が耀春に眼を向けて(うなが)すと、耀春は(かたわら)からもう一本の絵軸を取り出し、卓の上に広げた。

拡げられた絵は、青一色で描かれた先程の二枚とは異なり、多彩な絵具(えのぐ)を使って描かれた小さな絵画だった。

絵の中央には小さな少女が(たたず)み、その背景には一面の秋桜(コスモス)が咲き誇っていた。


「これは…?」

怪訝(いぶかし)そうな顔で絵を見詰めた五人に向かって耀春が言った。

「あの若い兵士の方にお渡し頂きたいのです。病気の妹さんが、羅馬で兄君のお帰りをお待ちなのでしょう?その妹さんは、とても絵のお好きな方とお聞きしました。これは、その妹さんへの私からの贈り物です。」

耀春の言葉を聞いたシドニウスが、思わず声を挙げた。

「あの者は、貴女が渾身(こんしん)の努力を(かたむ)けて作り上げた絵の一部を盗もうとしたのですよ。そのような者に対して、何故(なぜ)こんな事を…。もし(あわ)れみならば、それは決してあの者の為にはなりません。」

通訳を通じてシドニウスの言葉を受け取った耀春は、直ぐに首を横に振った。


「憐れみなどではありません。これは私の我儘(わがまま)なのです。」

「我儘…?どのような意味でしょうか?」

「あの方が持ち帰ろうとした絵皿。あれは全体の絵のほんの一部に過ぎません。それだけの部分からは、絵に込められた心は見る人には伝わりません。私は、此処(ここ)にいらっしゃる何恭様から、絵というものは心を伝えるものだと教えられました。あの兵士の方が、あの絵に込めた私の心に共感して頂き、それを羅馬にいる病気の妹さんに届けようとされたのならば、あの一枚だけでは駄目なのです。本当は、此処(ここ)にある元絵を差し上げたい所ですがそれは出来ませんよね。ですから別の絵で申し訳ないのですが、こちらの絵をお持ちしました。以前に私が描いたものです。絵を通じて自分の心を伝えるのは、何恭様から教えられた絵師としての私の矜持(きょうじ)なのです。」


何恭と耀春が部屋を辞した後、クイントスが万感(ばんかん)の思いを込めて声を発した。

()だ幼なさが残る方なのに、何という事を言われるのか…。言葉がありません。」

マルクスもそれに同意するように(うなづ)いた。

「あの言葉を言われた時の凄まじいばかりの気迫。それでありながらあの気品。あの耀春という方は、もしかすると…(みかど)の姫君ですか?」


マルクスの言葉に、華真は笑って手を振った。

「帝には(いま)だに(きさき)はおられません。残念ながら…」

「そうなのですか。妃がおられぬとは…。自分の血筋へ帝の座を継承するお考えは、当然お持ちでしょうに…」

そのマルクスの言葉を、華真はあっさりと否定した。

「そのような事、考えてはおられぬと思いますよ。帝と言う地位は、血筋ではなく真に世を治める(こころざし)を持つものが受け継ぐべきというのが、帝のお考えですから。」


華真の言葉に、マルクスが眼を見開いた。

「そ、そのようにお考えなのですか…」

「では、御国のコンスタンティヌス陛下はどうなのですか? やはり御子(みこ)世継(よつ)ぎにとお考えなのですか?」

華真に問われたマルクスの表情が曇った。

「我らは、皇帝陛下の血筋において、末永く帝国が安堵(あんど)される事を願っています。皇帝陛下は、皇妃(こうひ)様を誰よりもご寵愛されています。そんな陛下は、他の(きさき)は持とうとはされません。しかし皇妃様はお身体が弱く、御子を産めるかどうかさえ危ぶまれるご様子なのです。おっと…。これはこの場だけの話に願います。」


その後、使節団の宿泊所の一室に監禁されているニコスの元をシドニウスが訪れた。

「どうだ。少しは頭が冷えたか。自分の行い、反省しておるか。」

シドニウスからの声掛けを聞いて、ニコスは土下座(どげざ)した。

「ローマの使節団の一員として、してはならない事をしてしまったと思っています。この上は、どのような処罰も(つつし)んでお受けします。」


そう言って項垂(うなだ)れるニコスの前に、シドニウスが一本の絵軸を差し出した。

「これは…何でしょうか?」

怪訝(けげん)な様子で顔を挙げたニコスに、シドニウスが言った。

「暁の女神からの贈り物だ。ローマで待つお前の妹に届けて欲しいと言われたので、有り難く受け取った。その女神が誰かについては、明かす事は出来ぬ。しかし、お前の病気の妹の事を大層心配されていた。」

絵軸を受け取ったニコスが、逡巡(しゅんじゅん)する様子で尋ねた。

「これ…。見ても良いですか?」

シドニウスが頷くと、ニコスは恐る恐る絵軸を床に拡げた。


そして、床に拡げた絵をじっと見詰めると、やがて押し殺すように嗚咽(おえつ)を始めた。

「泣くな…。俺は、こういう場面には弱いのだ。お前が泣くと、俺迄泣けて来るではないか。その女神は言われた。あの絵皿を持ち帰るよりも、その絵を届ける方が、お前の妹への想い、余程伝わる筈だと…。」

そう言ったシドニウスはニコスに背を向けると、部屋を出る前にぽつりと言葉を漏らした。

「良い絵だな。咲き誇る花々に宿る全ての生命(いのち)がその少女を包み込むようだ…。その絵は、きっとお前の妹の(やまい)を癒してくれるだろう。」


翌日、シドニウスは返礼の土産を(たずさ)えて、副官のラサウスと共に絵画処を訪れた。

土産の品を差し出された耀春は、恐縮して(かしこ)まった。

「このような物、頂戴してしまって良いのでしょうか?」

「貴女様のお陰で、ニコスは救われました。そしてあの絵によって、あの者の妹もきっと癒されるでしょう。これは、それに対する我らからの感謝の気持ちです。どうかお納め下さい。」


すると耀春は、土産の包みとシドニウスの顔を交互に見ながらおずおずと口を開いた。

「あの…。あまりに高価なものは困るのです。こうした物は本来受け取ってはならぬという決まり事がありますので…。」

それを聞いたシドニウスは、なんの問題もないとばかりに笑い声を挙げた。

「ローマの菓子です。お口に合うかどうかは分かりませんが。」

それを聞いた耀春は、ほっとした表情を見せると土産の包みを()(いだ)いた。


「ならば有り難く頂戴して、絵画処のみんなで賞味させて頂きますね。お味の感想は、後で必ずお伝えしますから。」

耀春の元を辞したシドニウスが満面に笑みを浮かべながら歩む姿を、ラサウスが不思議そうに眺めた。

「隊長。やけに嬉しそうじゃないですか。まさかあの娘に懸想(けそう)でもしたんですか?」

それを聞いたシドニウスが、顔に怒りを(みなぎ)らせた。

「馬鹿者。あのお方は女神だぞ。ニコスとその妹を救って下さった。その上に今日の応対だ。何とも(つつ)ましやかで、愛らしいではないか。」


シドニウスのそんな様子を見て、ラサウスは思った。

ありゃぁ、隊長のいつもの癖が出ちゃってるな。

自分が(まばゆ)いと思ったものには、とにかく入れ込むんだから…。

そう思いながら、ラサウスはシドニウスに声を掛けた。

「この絵画処の庭には、王宮の守り神と言われている白い狼がいるそうです。折角ですから見て行きませんか?」


シドニウスとラサウスの二人は、絵画処の裏手に回るとそこから庭を覗き込んだ。

そこには、庭の(やしろ)の前で悠然と(たたず)露摸(ろぼ)の姿があった。

露摸の姿を見て、ラサウスが感嘆の声を挙げた。

流石(さすが)に守護神と呼ばれる狼ですね。でかいし、何より貫禄があります。」

そう言ってシドニウスを見たラサウスは、露摸を見るシドニウスの只ならない視線に気づいた。

「これは…。これこそが神に最も近い聖獣せいじゅう)だ。このような存在がこの世にいたのか…。」


そんなシドニウスにラサウスが声を掛けた。

「この白い狼なんですがね。あの耀春っていう娘が(あるじ)らしいですよ。」

それを聞いたシドニウスが、ラサウスを振り返った。

「それは本当か? ならば、あの方は真の女神という事だ。」

シドニウスの様子を見たラサウスは、心の中で舌打ちをした。

あちゃぁ、完全に隊長が入れ込んじゃったよ…。

まぁ、隊長ならば色恋は関係ないと思うけど…。

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